世界には“スポーツカーの聖地”と呼ばれる場所がいくつもあるが、イタリアのモデナ県ほどその名にふさわしいところはない。なぜなら、モデナ県内には、ともにフィアットの傘下に収まるFerrari(フェラーリ)とMaserati(マセラティ)があるからだ。マラネロがフェラーリなら、県都のモデナから世に送り出されるのがマセラティである。 トライデント、すなわち、三叉の銛(もり)のエンブレムは、ボローニャのシンボルともいえるネプチューン像にちなんだもので、マセラティの歴史がボローニャからスタートしたことを物語る。礎を築いたのは、1881年から1898年にこの地に生まれたマセラティ兄弟。そのほとんどが自動車にかかわることになるが、4番目に生まれたアルフィエーリ・マセラティ(3番目もアルフィエーリを名乗るが、生後ほどなくして他界)が中心的役割を果たす。彼のキャリアはレーシングドライバーとしてはじまるが、紆余曲折の末、1926年にオフィッチーネ・アルフィエーリ・マセラティ社を設立。トライデントを掲げた「Tipo26」のステアリングをアルフィエーリみずからが握り、タルガ・フローリオに参戦、デビューレースを見事クラス優勝で飾っている。 1929年には「V4」が246.029km/hの世界スピード記録を樹立、マセラティの名は広く知れわたるようになる。その後も、名ドライバーのタッチオ・ヌヴォラーリの活躍などでグランプリの歴史にその名を刻むマセラティだが、1937年にオーナーがアドルフ・オルシにかわり、翌1938年には本拠を現在のモデナに移している。ここから1957年まで、同社のモータースポーツ活動は黄金期を迎えることになる。その最たるものが1957年、名手ファンジオが「250F」を駆り手に入れたF1のシリーズタイトルであった。しかしこの年、マセラティはワークス活動にピリオドを打ち、1958年の「3500GT」、1966年の「ギブリ」、1971年の「ボーラ」などにより、スポーツカーメーカーとしてのポジションをたしかなものにしていく。 そして、スポーツカーづくりの伝統をいまに受け継ぐのが、2ドアクーペの「グラントゥーリズモ」と4ドアサルーンの「クアトロポルテ」。フェラーリとはまた違うイタリアンスポーツの魅力をわれわれに伝えている。
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