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2022年6月7日
いまだから乗りたい、1980年代の国産ラグジュアリーセダン5選
いまだから乗りたい、1980年代の国産ラグジュアリーセダン5選
いま振り返ると、80年代から90年代初頭にかけては、日本の自動車メーカーが飛躍した時期だった。そんな時代に登場した国産車は、いまでも特別な魅力を放っている。本記事では、当時デビューしたラグジュアリーセダンから、いまあえて乗りたいモデル5選をお送りする。
Text by OGAWA Fumio
バブル期にデビューした日本のラグジュアリーセダンはいまも魅力的
ぜいたくなセダンが欲しいなら、コレしかない。1980年代後半から90年代前半、いわゆるバブル経済期に発表された日本のラグジュアリーセダンは、いまも魅力を失っていない。
80年代は、日本のメーカー、飛躍の10年間だった。70年代の終わりごろから、多くのメーカーは前輪駆動方式の技術を確立し、中型セダンでもパッケージングに優れたモデルが登場するように。
それまでは技術的安定性の面で、小型車も後輪駆動が多かった。等速ジョイントなど前輪駆動方式における技術的進化によって、メーカーは、車種に応じて前輪駆動と後輪駆動をつくり分けられるようになったのが80年代だ。
象徴的な1台が、81年に鳴り物入りで登場したトヨタ「ソアラ」かもしれない。170psと当時としてはパワフルな2.8リッター6気筒エンジンを搭載。メルセデス・ベンツ「SL」など欧米の競合車のパッケージを参考にして、高級車の定番ともいえる後輪駆動をあえて採用していた。
ミドルクラスまでは前輪駆動、それより上、あるいはスポーティなモデルは後輪駆動という図式のようなものが確立していったのもこの時代だ。
別の見方をすれば、日本のメーカーがクルマづくりをより真剣に考えるようになったのが、80年代から90年代初頭にかけて。それがいいかたちで出たのが、この頃のラグジュアリーセダンである。
1) トヨタ・セルシオ(1989年)
静粛性や快適性で世界に衝撃を与えたモデル
いまでも中古車市場で人気の高いのが、1989年に発売された初代「セルシオ」。みなさん、ご存じのようにこの年の1月に、米国でトヨタではなく「レクサス」という新ブランドの下、「LS400」として発表され、世界的な話題を呼んだクルマでもある。
4リッターV8エンジンに後輪駆動の組合せ。メカニズムは凝っていて、「C仕様」なるトップグレードは「ホイールストローク感応型エアサスペンション」まで備えていた。同時に、静粛性と低振動性も、レクサスがほかと一線を画した高級車であることの武器に使われた。
エンジンの上にいわゆるシャンパンタワーのようにクープグラスを築いたうえで、始動させてもタワーが崩れないというデモストレーションは新鮮だった。
いま乗っても、あまり古さを感じさせないのには驚くばかり。車重は1.8トンと、現在のレクサス「LS500」(2.2トン前後)よりだいぶ軽い。それもあって、ハンドリングが軽快。高速でもカーブが連続するような道でも、古くないどころか、むしろ楽しい。
中古だと、C仕様はサスペンションシステムのメインテナンスに手がかかるようなので、金属バネのA仕様がもっともラクちんな選択かも(B仕様はピエゾTEMSが組み込まれている)。
同時期に、日産は「インフィニティ」、ホンダは「アキュラ」という高級ブランドを立ち上げている。日産は日本市場へのインフィニティ導入をあきらめ、ホンダは22年3月に中国市場からアキュラを撤退させると発表して話題を呼んだ。後者はEV化戦略と関係があるものの、当初の目論見通り、ブランドのハンドリングをうまく行っているのはレクサスのようだ。
2) 日産インフィニティQ45(1989年)
走りのよさを追求したクルマづくりはBMW 7シリーズを彷彿
トヨタのレクサスと同様、1989年に日産自動車が設立した高級車ブランドが「インフィニティ」。目的はやはりレクサスと同じく、主に北米市場において収益性の高い高級車のセグメントを確立するところにあった。
「セルシオ」の発売が10月。「Q45」の発売は11月。ともにV8エンジンに後輪駆動の組合せ。後者は、4輪マルチリンクで、かつ、市販車初の油圧アクティブサスペンション搭載と、“日産らしく”メカニズムにも凝っていた。
実際に、乗り較べた印象では、Q45の方が面白かった記憶がある。全長が5,090mm、ホイールベースも2,880mmもある大型セダンでありながら、走りのよさをひたすら追求したようなクルマづくりは、セルシオがメルセデス・ベンツ「Sクラス」だとしたら、Q45はBMW「7シリーズ」を彷彿させた。
問題はスタイリングで、七宝エンブレムのみが目立つグリルレスのフロントマスクや、前後長が長い(長すぎる)ルーフによるもっさりした印象など、いま見るといかにも古い。むしろこのクルマをベースにした2代目「プレジデント」(90年)の方が、いま見ると好ましいかもしれない。
3) 日産シーマ(1988年)
一見品がいいけれど実は暴れん坊というユニークなキャラクター
「走りの日産」が手がけた、スポーティセダンのピーク。好況にわく市場を背景に、当時の日産自動車の開発陣が“あれもこれも”とありったけを詰め込んだだけに、内容は濃い。
ベースは「セドリック/グロリア」。ただしボディ幅を、当時の“1.7メートルの壁”をあえて破り1,770mmに設定。これも大きな話題になった。
ボディサイズをいってみれば輸入車なみにする一方、エンジンも抜かりなくパワーアップ。トップモデルは、新開発の3リッターV型6気筒ターボで、自動車ジャーナリズムのフレーズだと、“シャシーよりエンジンが速い”というほどパワフルさを味わわせてくれた。
上級車種には電子制御されたエアサスペンションが標準装備。並行して、エアロパーツとスポーティな足まわりをもった「タイプⅡ-S」を設定するなど、一見品がいいけれど実は暴れん坊というキャラクターもユニークだ。
当時の日産車の特徴のひとつともいえる、構造材のBピラーをもたない4ドアハードトップボディも、サイドウィンドウを全開にすると、独特のスタイルで、なかなか味がある。トヨタでは採用に慎重だったのと対照的だ。
中古車市場でも、タマ数が少なくなってきた状況などを背景に、価格は安くない。初代は「シーマ現象」などと騒がれた一方、88年から91年までと3年しかつくられてしない。そこもまた、ぜいたくな話なのだけれど。
4) ホンダ・レジェンド(1985年)
いま見ても“日本車離れ”した審美性の高いフォルム
日本車は、価格と信頼性を武器に北米を中心に、世界市場で地歩を築いてきた歴史をもっていた。そこから一歩先へと進み、真の意味で、自分たちでないとつくれないクルマづくりを目指した動きは、80年代に顕在化。代表的な1台が1985年に発売されたホンダ「レジェンド」だ。
いま見ても、審美性の高いフォルムが目を惹く。特徴は、全長4.8メートルに達する伸びやかなボディだけではない。実はスタイリッシュなフォルムとは、つまるところ、中身の濃さの証明でもある。
ボンネットを低くすることに心を砕いてきたホンダでは、ダブルウィッシュボーン形式のサスペンションシステムの採用や、高さを抑えたV型6気筒の横置き搭載など、セダンでもこだわりを発揮。
結果、プロポーションに秀でたレジェンドが出来上がった。加えて87年には2ドアハードトップも登場。ルーフの前後長のバランスのとり方もよく、伸びやかなスタイルが“日本車離れ”していた。このときすでにホンダは北米市場を主市場と見ていたのだ。
ホンダのダブルウィッシュボーン・サスペンションはストローク感がいまひとつ足らず、乗り心地はややよくない。エンジンはよく回るし、ハンドリングもスポーティだが、プレミアムクラスにしてはしっとり感が不足ぎみ。言いたいことはあるけれど、でも、ここまでカッコいいセダンとクーペ、いまも乗る価値がありそうだ。
5) 三菱デボネアV(1986年)
AMGがチューニングを手がけたスペシャルなモデルも
22年ぶりにフルモデルチェンジを受けたデボネアの後継車として、1986年に発売されたのが三菱「デボネアV」。車名に「V」と入っているのは、V型6気筒エンジンへのこだわり。2リッターと3リッター、2つのV6が用意されていた。
初代は1964年発表ゆえ、70年代後半になると、もさーっとしたエンジンやあいまいなハンドリングなど、時代遅れ感が強くなっていた。三菱グループの役員たちを乗せるべく後継モデルとして開発されたデボネアVの内容は、3世代ぐらい一気に飛び越えたような凝り方だった。
エンジンの燃焼室内にスワールを発生させ点火効率を上げるジェットバルブつきのサイクロンエンジン(のちに改良されて24バルブ化)、87年からのスーパーチャージャーの搭載、電子制御サスペンションの一部車種への採用、リアシートまで電動化、さらにハンズフリーテレフォンと、至れり尽くせり。
車名は同じでも、ショファードリブン用(超ロングホイールベースのリムジンもあった)、一般用、さらにスポーティなAMG仕様も。いまはメルセデスAMGで知られるドイツのAMGが手がけたモデルで、ボディ各所には補強が入っている。さらにインチアップした15インチホイール、エアロパーツ、アルミホイール、専用シート、ステアリングホイール、デュアルテールエグゾーストパイプなどが専用装備。
デボネアVはスタイリング的にはまったく見るべきものはない、と断言してもいいぐらいであるものの、AMG仕様は速かったし、なかなか楽しかった記憶があるので、もし中古車市場で見つけたら、いちど試乗することをお勧めします。