Buddha Punk Essay

信國太志|第7回  BUDDHA PUNK ESSAYとは

信國太志|第7回 BUDDHA PUNK ESSAYとは

第7回 BUDDHA PUNK ESSAYとは明けましておめでとうございます。前回までのタイトルからお題目を変えて新しく連載させていただききます。文=信國太志写真=原恵美子BUDDHA PUNK ESSAYとは、僕のブログBUDDHA PUNIKDIARY(http://botanika-blog.jugem.jp/)のエッセイ版ですが、よりファッションをからめていろんなことを書かせていただこうと思っています。僕はキャサリン・ハムネットやマイケル・タピアと同じくブッディストであるデザイナーでして、そのようなことが前回までの連載に反映されてました。また、オーガニックコットンへの意識もキャサリンに同じくそのような哲学が関係しているのですが、そのような個人的な信条はプロダクトで感じ取っていただければと思い、一度封印してもっとファッションのこととかをわかりやすく語ろうと思った次第です。しかし特有の飽きっぽさでブッディズムを卒業したわけではなく、巡り合った真正の法脈に連なる師の意識や振る舞...
信國太志|第9回  追悼 マルコム=マクラーレン

信國太志|第9回 追悼 マルコム=マクラーレン

連載|信國太志マルコムへ僕らが捧げられる最大の献辞とは第9回 追悼 マルコム=マクラーレン前回も書いたように、僕は世間のエコブームとは裏腹に、オーガニックコットンを多用しながらもより自分の本能の原点回帰に向かっています。コレクションをデザインしていても心の叫びのようなものが疼(うず)くのです。一時は封印していたサブカルチャー的なルーツが──。文=信國太志写真=岩澤深芳(モデル)原恵美子(ポートレイト)“死ぬには早いけど、生きるに長すぎる”という叫び心身の節制の名のもと清らかな志向ゆえ押し隠していたルーツ。そんな“らしさ”は両親、彼らからさずかった身体、育ち、環境、青春として、じつは救うべき大いなる地球以前に、大切な資産としていとおしく思えるのです。そんな叫びがふつふつと心の奥から聞こえてくるとき、そのリズムはロックンロールであり、その香りは甘いポマードで、その光はヴェルベットの光沢でした。福岡・久留米のハチヤというお店で中学生お断りの看板の向こうに見たドキドキする世界(いま思えば...
連載・信國太志|第10回  チャーリー=アレン一家から教わったこと

連載・信國太志|第10回 チャーリー=アレン一家から教わったこと

連載|信國太志すばらしいテイラーはクラフツマンである第10回 チャーリー=アレン一家から教わったことチャーリー=アレン。僕が最初にテイラリングの現場に触れたのはこのひとの工房です。正確には彼の兄がファクトリーを経営していてそこで実践的に服をつくったのが、僕が本当の意味でテイラリングに触れた現場です。チャーリーは、オズワルド=ボーテンが子どものころからすでに活躍していた、黒人として名をなした最初のテイラーです。文=信國太志写真=原恵美子(ポートレイト)コム デ ギャルソンのショーにモデルとして登場したチャーリー一家チャーリーにはジョニーという弟がいて、僕がブランドをはじめたとき、海外でのセールスはすべて彼に任せていました。彼はサヴィルロウの名店をフィッターとして渡り歩いている名物セールス。その顧客にはジュード=ロウなどさまざまな著名人もリストアップされています。 チャーリー=アレン チャーリー一家のお父さんは、第一世代のヴァージン諸島からの移民で、彼は息子たち全員を大学に入れられ...
連載・信國太志|第11回  僕が職人たちからいま学ぶべきこと

連載・信國太志|第11回 僕が職人たちからいま学ぶべきこと

連載|信國太志葡萄の飴しか舐めたことないひとには葡萄の味はわからない第11回 僕が職人たちからいま学ぶべきこと (1)仕立修業をはじめて数ヵ月。日中は、“自分のブランドの企画や某ブランドで何千着という製品の生産のうちわけ、色、素材、かたちを決定”し、午後遅くからは“針の持ち方について職人さんにどやされる”という奇妙奇天烈な日々。文=信國太志写真=原恵美子(ポートレイト)縫製士さんから、まじめに怒られています「ロンドンで勉強済みやろ」とツッコまれそうですが、ここの緻密な職人に比べれば、ロンドンのテイラーはむしろ大雑把。独特な研究熱心さと、いまではロンドンでも失われた技術や技がリファインされて残っているのは、ここ東京だと断言できます。そんな気持ちもあり、来季からの自分のタグには「TOKYO CLASSICO」と銘うちました。英国で格好良くそう呼ぶ“テイラー”と“カッター”は、戦後のわが国で言うと“縫製士”と“裁断士”。サヴィルロウのテイラー以上に日本の縫製士さんの職人気質はかたくなであ...
連載・信國太志|第12回  なぜ、ツイードを着て自転車に乗るのか?

連載・信國太志|第12回 なぜ、ツイードを着て自転車に乗るのか?

連載|信國太志イージーなドレスダウンの果てに行き場のなかった未来第12回 なぜ、ツイードを着て自転車に乗るのか?僕がスーツラインを監修する「WILD LIFE TAILOR」にて、ツイードを着て自転車に乗るという“TWEED RUN”の期間限定ショップがオープンしました。主宰者のテッド氏に尋ねると、彼のまわりの友だちは皆1920年代の装いに夢中だとか。文=信國太志ロンドンのムーブメントから再認識した、着飾ることの自由なぜ、ツイードを着て自転車に乗るのか? そんなロンドンのムーブメントは、スタイルでありファッションでありますが、じつのところはマナーの復権なんだと思います。ただドレスコードに適っていればいいとか、スーツさえ着ていれば会社に行けるとかいうことではなく、失礼のない装いとは、本人がちゃんと着ることを楽しんでいるということ。“大切なひとに会うから好きな装いでいよう”という気持ちが感じられるスタイル。思い思いのスタイルでクラシックな自転車を飛ばす彼らにそんな気概を感じます。 僕が...
連載・信國太志|第13回  東京クラシコのための心強いションヘル機

連載・信國太志|第13回 東京クラシコのための心強いションヘル機

連載|信國太志さらに軽やかな仕立てを目指して第13回 東京クラシコのための心強いションヘル機愛知県一宮市にある「葛利毛織」という機屋さんにうかがいました。ションヘル機という旧式の織機を見たくて仕方なくなりまして──。文=信國太志国内の素材を使用するのにこだわる理由ションヘル機では一日に十何メートルの生地しか織れません。ガシャーン、ガシャーン。音も凄いです。 上下にカチャカチャとスムーズにすばやく動き、横糸が飛ぶように見えない現代の高速織機とは風情がちがいます。ションヘル機だと1本1本キッチリがちっと織り込まれるのではなく、ふわりとゆるさと立体感が生まれます。 写真左の作業は、ひとつの素材を織りはじめる前に縦糸を機械にセットする姿。その数5000。数えるのも難しいその数の糸を1本1本機械にとおします。骨のおれる仕事をこの方は何十年つづけてこられたのでしょうか?また、写真右は、クダと言われるもので、横糸を巻くものです。勘のいい諸兄はもうおわかりか? そう、“クダを巻く”とはこのこ...
連載・信國太志|第14回 TAISHI NOBUKUNI A&W 2011-12~ヒップハングはもうないでしょう~

連載・信國太志|第14回 TAISHI NOBUKUNI A&W 2011-12~ヒップハングはもうないでしょう~

連載|信國太志TAISHI NOBUKUNI A&W 2011-12第14回 ヒップハングはもうないでしょうヒップハングはもうないでしょう。ファッション=時代はある一定のサイクルで繰り返すといわれます。では何がそろそろ終わるかというと、ヒップハンガーだと感じます。男の腰穿きと女性のヒップハンガーはそれぞれヒップホップとグランジ以来だと記憶しています。文=信國太志ヒップハングから、ハイウエストへ潮目が変わる!僕はバイヤー時代にもっとも早く腰穿きを目撃し、当時日本未上陸のGAPのチノの40インチなどを大量に買ってきては、はじめて腰を落としだしたB-boyやスケーターにたくさん売りました。またマルタン マルジェラがデビューし、ビョークのファーストアルバムがリリースされたころ。ジャン コロナなんかはかなりウエストを下げたパンツをドロップ。デビューしたてのアレキサンダー・マックイーンにおいては、ヒップどころかバム(けつ)スターなるヒップでギリギリひっかかり陰毛も見えんばかりのパンツで...
連載・信國太志|第16回  この夏、西海岸から四国までいろんなとこでサーフしました

連載・信國太志|第16回 この夏、西海岸から四国までいろんなとこでサーフしました

連載|信國太志久しぶりにサーフィンをテーマに綴ってみますこの夏、西海岸から四国までいろんなとこでサーフしました(1)カリフォルニアは20年ぶりなので発見が多かった。そんな徒然と思うことを、久しぶりにサーフィンをテーマに綴ってみます。Text by NOBUKUNI TaishiPhotographs by MIURA Yasumaああ、もし僕が20年前ここに来ていてもサーフィンなんて……いまだ過去に「もし」もがないとわかっていても、なんでサーフィンをしなかったのか? やっていたらいまごろ次元のちがうサーフィンをしていただろうに──そんな思いを検証もしてみたくLAに舞い戻ったのでした。僕がカリフォルニアに住んでいたのはヴェニスビーチ。今でこそアボキニー通りが盛り上がっていたりとかしますが、当時そこは黒人とメキシカンギャングの抗争の場で、毎夜ヘリコプターが飛び回りマシンガン(単発じゃないです)の銃声飛び交う戦場でした。ベトナムかと見まがうほどの。パームツリー。地獄の黙示録。“アフター地...
信國太志|テーラーサロン『THE CRAFTIVISM taishi nobukuni』オープンその後

信國太志|テーラーサロン『THE CRAFTIVISM taishi nobukuni』オープンその後

連載|信國太志テーラーサロン『THE CRAFTIVISM taishi nobukuni』スタートから半年経過第14回 3.11が訪れました一年を経て、長く短いその一年間をどのように過ごしたのか、またあのときはどのような日常で、あのとき以来それがどう変わったのか? 黙祷とともに自問された方も多いでしょう。僕はといえば、あのころ街の仕立て屋になるべく修行していたのですが、一年後のいま銀座のサロンで仕事しているなんて思ってなかったので、変化の早さというか自分の行動の早さに驚くような呆れるような――。Text by NIBUKUNI TaishiPhotographs by HOZUMI Hitomi (fixakey)サロンが直面した現実と、これからの課題そもそもテーラーにシフトしてきたこの僕の連載初期から読んでいただくと、どんな早い流れに僕が身を任せた(実際は主体的に時間を巻いていったんですが。だって急がないと仕立ての世界が崩壊しちゃうから)かがご理解いただけます。で、サロンなので...
連載・信國太志|第15回  詩人になったというより詩人であったことの宣言

連載・信國太志|第15回 詩人になったというより詩人であったことの宣言

連載|信國太志ある日ハートから言葉がわき出してきた詩人としてデヴューしました先日、神南のDictionary Clubにおける“ナンセンス2013展”において、詩人としてデヴューしました。写真は朗読中の僕ですが、顔を伏せがちなのは正直恥ずかしいからです(笑)。背景の絵は、展覧会の内容として吉岡雅哉氏と植田工伊氏の絵画で、期間中3日間会場に泊まり込みで製作がつづけられ、僕の朗読は彼らの筆使いのストロークの音と姿を背景におこなわれました。Text by NOBUKUNI Taishiさて何故僕がこんなキテレツな奇行に至ったのか?また何故詩人宣言をしたのか?それは暗に、ひとは皆詩人じゃないのか? という想いの裏返しで、詩人になったというより詩人であったことの宣言です。また詩人とはほぼ経済活動と無関係に存在していて職能というよりはある種役立たずであることの表明であり、逆に職業とは? 経済とは? という疑問の投げかけでもあります。しかし詩人になろうと詩を書きだしたわけではなく、詩を書こうと決...
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