連載・信國太志|第11回 僕が職人たちからいま学ぶべきこと
連載|信國太志
葡萄の飴しか舐めたことないひとには葡萄の味はわからない
第11回 僕が職人たちからいま学ぶべきこと (1)
仕立修業をはじめて数ヵ月。日中は、“自分のブランドの企画や某ブランドで何千着という製品の生産のうちわけ、色、素材、かたちを決定”し、午後遅くからは“針の持ち方について職人さんにどやされる”という奇妙奇天烈な日々。
文=信國太志写真=原恵美子(ポートレイト)
縫製士さんから、まじめに怒られています
「ロンドンで勉強済みやろ」とツッコまれそうですが、ここの緻密な職人に比べれば、ロンドンのテイラーはむしろ大雑把。独特な研究熱心さと、いまではロンドンでも失われた技術や技がリファインされて残っているのは、ここ東京だと断言できます。
そんな気持ちもあり、来季からの自分のタグには「TOKYO CLASSICO」と銘うちました。英国で格好良くそう呼ぶ“テイラー”と“カッター”は、戦後のわが国で言うと“縫製士”と“裁断士”。サヴィルロウのテイラー以上に日本の縫製士さんの職人気質はかたくなであり、僕がデザイナーだともよくは知らない縫製士さんは、この歳で勉強しなおそうという奇特な脱サラ失業者ふうの僕の将来を憂いて、基礎から叩きなおそうとまじめに怒ってくれます。
そんな縫製士さんや裁断士さんの平均年齢は70代。若手は60代。50代は皆無だそうです。注文服の隆盛により確立された職種と技能が滅びゆくさまを現実に体験しています。要はひとりのお客さんの体型を把握し裁断し縫製するということをできるひとがいない世の中になりつつあるわけです。
ところでこれからファッションスクールで教えるとか学ぶひとには、単純にそのようなひとりのひとに完璧を尽くしてつくるという作業を深く教え、学ぶことをお薦めします。そのなかにデザイン、パターン、縫製、フィッティングのすべてがふくまれているからです。
逆にいまの世界とは、誰でもないひとに対しての、なんとなくなデザインで、なんとなくなフィッティングで、なんとなくな縫製の製品だらけ、というか。結局プリミティブな仕立てという所作が大衆化した結果、できるもの変わってくるわけです。
葡萄(ぶどう)の飴しか舐めたことないひとには葡萄の味はわからないでしょう。
連載|信國太志
葡萄の飴しか舐めたことないひとには葡萄の味はわからない
第11回 僕が職人たちからいま学ぶべきこと (2)
手と脳と感性が一体になるとはすごいこと
最近発表されたノーベル賞を授与される日本の学者さんたちと、ちょうど同年齢の職人さんたち。5ミリの縫い代が7ミリであることに世の中がひっくりかえっちまうといわんばかりの大騒動するまじめな職人に接していると、この世代特有というか人間本来の誠実さを感じます。僕が学ぶべきことは技術というよりそんな心なのかもしれません。
そんな職人さんのなかに最初から“このひとが僕のグル”だと目をつけたひとがいます。Yさんというそのひとはとにかく姿勢がよく仕事のリズムがよくて、初めて会った当初から見ているだけで心地良くなるのでした。そんなYさんが、ここが肝だというところを突然僕に話しかけだしたことから関係がはじまりました。
360°の目をもつYさんが僕の作業中、気になることがあるとすかさず注意します。ひとつの技能を何十年にもわたり身につけたひとというのは、そこからずれたことへの違和感を第六感で嗅ぎ取るわけです。手と脳と感性が一体になるとはすごいことです。
“そもそも注文服のやり方を既製服(そもそもそんな区別もないくらい僕らの時代は既製服=服)に応用したいの?”と聞かれて僕は、“いやあ何十年か生きてきていろんな楽しみとかビジネスとか経験したけど、モノを手でつくること以上におもしろいことはないと気づきまして……”と答えると、“そうなんだ。たしかにそこには喜びがあるんだ”と、何千ものジャケットを縫ってきたひとがボソッと重くつぶやき、なんとなくそこからいろいろ教えてくれるようになりました。
Yさんは10代で丁稚奉公という名のただ働きを6年間(パンツ2年にジャケット4年)したあと、より高い技能を求めて四国から上京したそうです。手だけでお孫さんをもつまで家族を支えた偉いひとです。結局、志の高さがいまのアトリエに彼を導いたのでしょう。ここにたどりついたきっかけは新聞の求人広告だったそうです。いまでは縫製士募集といったこと自体がもはやないでしょうね。
そんな職人さんたちは質素な生活のなかで、淡々と仕事をされて、生活感といえば一昔前の僕らのおじいちゃんたちと変わりませんし、いまだパソコンがなにをするものかも知らず“ピコピコ”と呼んでいます。
作家先生ではなく無名の職人の手により美が生まれる
しかしそんな彼らの作業台の横にかかる製作途中のジャケットは、ハンガーにかかる佇まい、袖の雰囲気といったものと素材の相性が大変美しいです。
昔のジル サンダーの既製服には仕立てが良いものがあったと記憶していますが、さらに美しいカシミアのジャケットがおじいちゃんの横に下がっているさまを見るにつけ、美しさとはセンス以上に年月に磨かれた無心の技能により生まれるのだと感じます。
作家先生ではなく、無名の職人の手により美が生まれるという柳宗悦の民芸の思想が、ここでは証明されています。僕も早く作家先生をやめて立派な職人になりたいです。Yさんのような。
しかし失われゆく技を早く吸収しないと──という焦りがちょっとあるので、ひとが3年かかることを1年で、10年を3年でと楽しく頑張っています。なんで焦るのかというと、皆ご高齢だからです。そんなおり僕が作業台をお借りしている自宅勤務のTさん(ここでは最年少の60代後半)が亡くなりました。台の上の針抜きを使うと“それTさんのなんだよ”と怒られてましたが,もう持ち主がいないので、大事に使おうと思います。
Tさんを最後に見たのは、長嶋茂雄氏のウィンドウペーンのカシミアのジャケットを仕上げてお持ちになられたときでしたが、肩甲骨のドレープがなんて美しいのだろうと感嘆しました。それでも作図上合わないはずの袖と身頃の柄が合っていることからマスターにやり直しを命じられました。そんな厳しいマスターのことをいずれは公にするかもしれません。