carnet de jardin タイムカプセルの庭へ
「carnet de jardin タイムカプセルの庭へ」に関する記事
MATSUNAGA Manabu|vol.9 ジャン・リナールの庭
MATSUNAGA Manabu|松永 学vol.9 ジャン・リナールの庭「空は屋根から」──発熱する魔法の庭今回はジャン・リナール(Jean Linard/1932-2010)という、アール・ブリュットの彫刻・陶芸家の庭へタイムトリップです。Photographs & Text by MATSUNAGA Manabuかの有名なフランス人アーティストのジャン・デュビュッフェが作ったとされる「アール・ブリュット」という言葉は、今日では英語表現で「アウトサイダー・アート」と言うらしい。今となっては定義はすでに多様化してしまっているが、アカデミズムにとらわれない自由な創造性が根底に流れている。今回のジャン・リナールもその一員である。1961年、まずは住まい兼アトリエを自ら作り陶芸に没頭する。最初はチャペルと名付けたが、増殖するイマジジネーションの末、ほぼ完成する1983年にはLa Cathédrale(大聖堂)と改名。このcarnet de jardinにすでに登場した「Vol....
MATSUNAGA Manabu|Vol.6 クロード・モネ 睡蓮の庭
MATSUNAGA Manabu|松永 学Vol.6 クロード・モネ庭「光のパレット」──作品のための外劇場印象派のなかでも精彩を放つ画家、自分の庭を作品のためにつくり上げたクロード・モネの庭(Claude Monet、1840年生まれ-1926年没)。フランス、パリからセーヌ川をくだり約80km、ジヴェルニー村(Giverny)にある。1883年以降はここジヴェルニーに移住、晩年の大作『睡蓮』を制作した地でもある。写真・文=松永学あるアーチストが私に言った。『ジヴェルニーに近くに来ると、光がちがって感じられる』と。この場所には光の撹拌による魔法がかけられていて、空気がきらきらと輝いてみえた。それは可視できる光でもあった。この場所を晩年の居にえらんだモネ。母屋の台所の装飾も美しく、黄色で統一されたダイニングもすばらしい。しかも春から秋にかけては花々が狂ったように乱れ咲き訪問者を魅了するが、やはりメインは睡蓮が浮かぶ池に尽きるだろう。空や雲、風、太陽の位置によって、しかも自分の動きに...
MATSUNAGA Manabu|Vol.2 シュバルの理想宮の庭
MATSUNAGA Manabu|松永 学Vol.2 シュバルの理想宮の庭郵便配達人の空想空間一見、アジアの古代遺跡のようにみえなくもないが、じつはそうではない。この宮殿の庭があるのはフランスだ。一度も住んでいた村からでたことのなかった郵便配達人シュバルが、なんと33年間もかけつくりあげたもの。日々配るポストカードから想像力を膨らませ、白日夢を見続けた男のねじれた庭の世界!写真・文=松永 学1879から33年間かけて制作された庭だ。33年間! フランスはドローム県,オートリーヴ近くにある。つくりあげたのは、Joseph Ferdinand Cheval(ジョセフ・フェルディナンド・シュバル。1836年生まれ - 1924年没)。ここは彼がたった一人で作り上げた宮殿だ。ユニークなのは、彼は郵便配達人だったこと。ポストカードの絵に空想を抱いていた彼は、毎日徒歩で郵便を配達していたという。孤独な世界に身をおき、変人扱いを受けつつも自分の夢には忠実であった。この宮殿は、かのアンドレ・ブルト...
MATSUNAGA Manabu|Vol.4 ジャン・コクトーの庭
MATSUNAGA Manabu|松永 学Vol.4 ジャン・コクトーの庭「私はあなたたちとともに」──芸術家が眠る幻想の庭今回はフランスのメゾン=ラフィット出身のフランスの芸術家 ジャン・コクトー(Jean Cocteau、1889年生まれ-1963年没)の庭。詩人、作家、劇作家、評論家、画家、映画監督、脚本家としてマルチに活躍した。この庭はフランス、パリから約70km南のミィ・ラ・フォレ(Milly-la-Forêt)村にある。ジャン・コクトーはここにある礼拝堂の土の下に眠っている。写真・文=松永 学ジャン・コクトーは生涯、常に芸術の最先端に身を置き1945年にミィ・ラ・フォレに住み着いた。1959年にはこの村のSaint-Blaise-des-Simples礼拝堂のフレスコ画を制作。庭にはハーブ類が豊かに茂っている。麦畑に囲まれた小さな街の閑静な住宅地にある、すごく小さな礼拝堂の壁に描かれているのは、1匹の猫と花を抱え天井までにも伸びたハーブ類。ここにジャン・コクトーは眠って...
MATSUNAGA Manabu|Vol.3 デレク・ジャーマンの庭
MATSUNAGA Manabu|松永 学Vol.3 デレク・ジャーマンの庭宇宙の波動が空気を震わす庭今回はデレク・ジャーマン(Derek Jarman、1942年産まれ-1994年没)の庭。デレク・ジャーマンはイギリス・ミドルセックス出身の映画作家、舞台デザイナー、作家である。この庭は、イギリス南部、ダンジェネス(Dungeness)村の広い平原にぽつねんとたたずんでいる。今はなき映像作家が滞在し、創作した庭である。 写真・文=松永 学海岸に面した細い道沿いにある小さな一軒家。周囲に近づくと空気が震え、ほんのりあたたかい空気を感じる。殺風景な原子力発電所が遠くに見え、なぜだかこんなだたっぴろいひと気のない場所に、「ハーフ・ポーク」や「フレッシュフィッシュ」と書かれた看板が点在しているシュールなロケ-ション。別世界……。そんな言葉が頭に去来する。偶然なのか意図的なのか、チェルノブイリ事故のあった1986年に、原発にほど近いイギリス南部ダンジェネス村のプロスペクトコテージ(prosp...
MATSUNAGA Manabu|Vol.5 レイモン・イジドールの庭
MATSUNAGA Manabu|松永 学Vol.5 レイモン・イジドールの庭「光の洪水」──墓守が33年かけてつくった庭の輝き今回はレイモン・イジドールの庭(Raymond Isidore、1900年産まれ-1964年没)。フランス、パリから約南西90km、シャルトル市(Chartres)郊外にある。父親を早くになくし、さまざまな仕事につき、最後は墓守として生涯をまっとうする。その間、墓地の近くに家をもち、33年間にわたりひとりでつくり上げた庭である。写真・文=松永 学彼の家はピカシェットの家(La Maison Picassiette)と呼ばれている。欠けた皿を収集しては、家を装飾しはじめる。まわりからはpic(盗む)+assiette(皿)=picassiette(タダ飯)のひとと侮辱されつづけた。それが家の名前の由来だ。シャルトル市には、私を引きつけるふたつの理由がある。ひとつはあまりにも有名なヨーロッパ最大級のゴシック建築、ノートルダム大聖堂。そのステンドクラスから溢れる...
MATSUNAGA Manabu|Vol.1 ル・シクロップの庭
MATSUNAGA Manabu|松永 学vol.1 Le Cyclop(ル・シクロップ)の庭地球に落ちて来た愛の宇宙船今回からはじまった新連載carnet de jardin。「庭ノート」のような意味だ。パリ在住20数年の写真家松永学氏が仕事の合間に訪れたヨーロッパの庭。第一回目の今回は、ル・シクロップの庭。前衛アーティストたち15人が森をスクワット(ひとの所有地に不法侵入&滞在すること)し、オブジェをつくり上げた、フランスのバルビゾン近くにある庭である。写真・文=松永 学1969年から20年間かけて制作した作品が並ぶ庭。Le Cyclop(ル・シクロップ)とは、ギリシヤ神話の巨人キュクロプスをフランス語であらわしたもの。場所はミレーの「落穂拾い」で有名なバルビゾン村の近く。前衛アーティストJean Tinguely(ジャン・ティンゲリー 1925~1991)と、パートナーのNiki de Saint Phalle(ニキ・ド・サンファル)を中心に、当時の現代美術アーティス...
MATSUNAGA Manabu|vol.7 ロベール・タタンの庭
MATSUNAGA Manabu|松永 学vol.7ロベール・タタンの庭『欲望と言う名の庭』ー旅の最後の終着庭ロベール・タタン(Robert Tatin、1901年生まれ-1983年没フランスの芸術家)世界中を放浪したあと郷里に戻って21年かけて自分の世界を庭で表現した。Photos & Text by MATSUNAGA Manabuロベール・タタンは生涯の大半を旅した芸術家でもあった。生まれた土地はかつてはロワール川の主要な街であったLavalという街、ブルターニュかロワール地方なのか、いまひとつアイデンティティーが薄いのは立地的な関係からなのだろうか。ここに生まれ育ったロベール・タタンは思春期までここで暮らし長い旅に出る。当時サーカスやハレー彗星を体験することで、のちの作風にも影響をもたらしたようだ。必然的にアール・ブリュットという名の旗手になったのちはジャンルの越えた表現者になっていく。旅を終えた彼は古今東西の神を楽園の庭に仕立て、ここで生涯を閉じた。vol.2シ...
MATSUNAGA Manabu|vol.8 ジャック・セルビエールの庭
MATSUNAGA Manabu|松永 学vol.8 ジャック・セルビエールの庭『白亜質の花粉』-終わりが無い四季の庭前回まではすでに亡くなっている方の庭を廻っていきましたが、今回は生存するジャック・セルビエール(Jacques SERVIERES)という彫刻家の庭へタイムトリップです。Photos & Text by MATSUNAGA Manabu1個人の想像力ってなんだろう。そんな事を思いながら庭を探して道に迷ったいた時この庭に辿り着く。1939年に空襲にあった場所、マルヌの川沿いにひっそり佇んでいる。ここに墓碑銘のように並んでいる遺跡にも似た光景が広がっていた。マルヌはセーヌ川の支流でありパリからそんな遠くないところで合流する。Jacques SERVIERESは40を越える彫刻をその場で今でも製作中。巨大な石は稲妻、雨、風,そして雪に曝されてこそ生命が息づくのだろうか?冬は殺風景で、春は野草のカラフルな色合いに喜び、夏は茂った木々に隠れ、秋はまた枯れ葉で覆われる。...
MATSUNAGA Manabu|vol.10 デレク・ジャーマンの庭 その2
MATSUNAGA Manabu|松永 学Vol.10 デレク・ジャーマンの庭 その2見捨てられゆく庭今回はVol.3で触れたデレク・ジャーマン(Derek Jarman、1942~94年)の庭の続編。デレク・ジャーマンはイギリス・ミドルセックス出身の映画作家、舞台デザイナー、作家である。この庭は、イギリス南部、ダンジェネス(Dungeness)村のパワーステーション近く、広い平原にぽつねんとたたずんでいる。今はなき映像作家が滞在し、創作した庭である。Photographs & Text by MATSUNAGA Manabuフランス、カレーから海底トンネル抜けて93kmもしも晴れ渡ったらヨーロッパ=フランスも肉眼で見える。夜には大陸の灯火も数えられる。ここはフォークストン、聞いた話ではイギリスで最も古い海水浴場らしい。当時はヨーロッパから船で渡るしかなかったが、1994年に英仏海峡トンネルが開通して簡単にイギリスに渡れるようになる。デレク・ジャーマンが没した年も奇遇にも同...
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