MATSUNAGA Manabu|Vol.5 レイモン・イジドールの庭
MATSUNAGA Manabu|松永 学
Vol.5 レイモン・イジドールの庭
「光の洪水」──墓守が33年かけてつくった庭の輝き
今回はレイモン・イジドールの庭(Raymond Isidore、1900年産まれ-1964年没)。フランス、パリから約南西90km、シャルトル市(Chartres)郊外にある。父親を早くになくし、さまざまな仕事につき、最後は墓守として生涯をまっとうする。その間、墓地の近くに家をもち、33年間にわたりひとりでつくり上げた庭である。
写真・文=松永 学
彼の家はピカシェットの家(La Maison Picassiette)と呼ばれている。欠けた皿を収集しては、家を装飾しはじめる。まわりからはpic(盗む)+assiette(皿)=picassiette(タダ飯)のひとと侮辱されつづけた。それが家の名前の由来だ。
シャルトル市には、私を引きつけるふたつの理由がある。
ひとつはあまりにも有名なヨーロッパ最大級のゴシック建築、ノートルダム大聖堂。
そのステンドクラスから溢れる、いく筋もの光を浴びてみたいから。
そしてもうひとつが、墓守レイモン・イジドールの庭。輝くばかりに光り輝く皿のモザイクに触れてみたいから。
家の内部からはじまった装飾は野外の庭にも溢れ出し、造花のような花々と同化する。
イジドールはさまざまな宗教のデーマや、各地の建物、動物、花々のモチーフなどを、荒れ削りの壊れた食器の破片、ガラス、コンクリートを用いて、自由な発想で敷地内を封印してしまった。外部から自らの身を守る唯一の空間だったのかも知れない。
なにかへの愛を表現したかったのか? もしくは墓守として体験した死後のせかいなのか?
今は亡き彼の言葉は聞けない。
巨大なノートルダム大聖堂、透過するステンドグラスとともに、ここでまばやく反射する光の洪水を浴びれば、ピカシエットの破片に吸い込まれる覚悟が必要だ。
La Maison Picassiette
シャルトル市、公式サイト
http://www.chartres.fr/culture/les-arts/maison-picassiette/