MATSUNAGA Manabu|Vol.3 デレク・ジャーマンの庭
MATSUNAGA Manabu|松永 学
Vol.3 デレク・ジャーマンの庭
宇宙の波動が空気を震わす庭
今回はデレク・ジャーマン(Derek Jarman、1942年産まれ-1994年没)の庭。デレク・ジャーマンはイギリス・ミドルセックス出身の映画作家、舞台デザイナー、作家である。この庭は、イギリス南部、ダンジェネス(Dungeness)村の広い平原にぽつねんとたたずんでいる。今はなき映像作家が滞在し、創作した庭である。
写真・文=松永 学
海岸に面した細い道沿いにある小さな一軒家。周囲に近づくと空気が震え、ほんのりあたたかい空気を感じる。殺風景な原子力発電所が遠くに見え、なぜだかこんなだたっぴろいひと気のない場所に、「ハーフ・ポーク」や「フレッシュフィッシュ」と書かれた看板が点在しているシュールなロケ-ション。別世界……。そんな言葉が頭に去来する。
偶然なのか意図的なのか、チェルノブイリ事故のあった1986年に、原発にほど近いイギリス南部ダンジェネス村のプロスペクトコテージ(prospect cottage)を手に入れ、庭についてのノートを死の1994年まで書きつづけた。デレク・ジャーマンが、1993年のヴェネチアビエンナーレに映画『Blue』で登場したときは、エイズに蝕まれ痩せ細り痛々しくもあった。初映写の会場では、全編ブルーの映像だけでド肝をぬかれたことが印象深い。
晩年、デレク・ジャーマンはフランスのジベルニーにあるクロード・モネの庭を訪れたとき、「なんて言うコントラストだろう。私のダンジェネスの砂漠とくらべれば……」と印象的な言葉を残している。
囲いもなく砂漠のような風景にも、しっかり根づいた低い丈の草木が、雨と風にさらされながら永遠に広がっている。まるで、自然がつくり上げたごとく。空間すべてが一体となり、力強いエネルギーを放っている。時間の感覚が麻痺し、しばしば釘づけになる。ここはとても天国に近い庭なのかもしれない。デレク・ジャーマンはこの庭で、なにを求めていたのだろうか。