アメリカン・ヴィンテージテーブルウェアの魅力
「アメリカン・ヴィンテージテーブルウェアの魅力」に関する記事
第7回 ウォルト・ディズニーとアンカーホッキング
第7回ウォルト・ディズニーとアンカーホッキング文=金澤アリアードナPhoto by Jamandfix構成=竹石安宏(シティライツ)ディズニーとの幻のコラボレーション今回ご紹介するのは私の永遠のプリンセス、白雪姫です。思い浮かべるのは原作であるグリム童話のプリンセスではなく、やはりディズニーのアニメーションでみた、あのいきいきと輝く姿。女の子なら、誰もが一度は憧れたのではないでしょうか? 私もそのひとりでした。はじめて買ってもらった時計も、赤いバンドの白雪姫のものだったことを憶えています。『白雪姫』は1937年に公開された、世界初の長編アニメーションでした。それはウォルト・ディズニーが全財産をつぎ込み、勝負に出た作品ともいわれています。人の動きをいちから勉強するため、独自の学校までつくってアニメーターの再教育をしたという徹底ぶりに、作品への強い情熱を感じます。1939年にはアカデミー特別賞でおなじみのオスカー像とともに、小人になぞらえた小さな7体のオスカー像も贈られました。とてもチ...
オウプナーズ宣言
小さな感動との出会い私たちを魅了し、そして魂までも揺さぶり続けるモノ。それらを手にしたとき、心の底で輝きはじめる思い――。幼少の頃から、ロシアやヨーロッパの生活に密着している古きモノに魅了されていた私は、のちに東京へ戻って歳をかさねるたび、アメリカに現存する「ヴィンテージ・テーブルウェア」に興味をもち、収集していくようになりました。さまざまな時代や場所で、多くの名もないプロダクツデザイナーによって製作された品々は、時を超えて今日また人々の日常に溶け込みながら、少しずつ目に見えない思い出を刻んでいます。オウプナーズの連載では、アメリカの歴史や文化的背景に大きく影響されながら製造されていた、現代デザインの核である1920~70年代までのキッチンウェアおよびテーブルウェアのなかから、私自身の解釈のもとにアイテムのもつディテールに迫り、その魅力をみなさんにご紹介していこうと思っています。どうぞお楽しみに。金澤アリアードナ
第1回 ファイヤーキングとの出合い
記念すべき連載第1回目。今回は私とヴィンテージテーブルウェアとの出合いについて、お話したいと思います。photo by Jamandfixtext by KANAZAWA Ariadnaedit by TAKEISHI Yasuhiroキッチンの宝石私は幼少の頃、ロシアと東京を行き来する生活を送っていました。当時祖母の家がサンクトペテルブルグにあり、そこに暮らすロシア人の家庭には、街自体もそうであるように、伝統的で美しいヨーロッパのテーブルウェアがあったのです。私は必然的に、それらの美しさの虜となりました。そんなロシアでの生活が伝統的な美しさに満ちていたとすれば、東京での生活は正反対にモダンでスタイリッシュだったように思います。そして図書館や本屋さんが大好きだった私は、日本語が読めない母の代わりをしつつ、私の興味の対象であるテーブルウェアの店に母をよく連れて行っていました。最初に行ったお店は、小学生の頃に雑誌で知った青山の「オレンジハウス」。無理やり母を誘い出し、一番安かったココッ...
第2回 オリエンタリズムに彩られたテーブルウェアたち
text by KANAZAWA Ariadnaphoto by Jamandfixedit by TAKEISHI Yasuhiroジェイドカラーの由来1994年のニューヨークにおける出合い以来、ミルクグラスの虜となった私は、その歴史を辿るうちに歴史書をひも解くような興奮や深まる謎への探究心を覚え、収集するたびにそれが何であるのか、どんな時代背景をもとに製造されたのかを整理するべく、さまざまなデータと格闘するようになりました。そして年に数回アメリカ各地で開催されるグラスショー(グラス関連ならなんでもあり)に出向き、各地のディーラーやコレクターと親交を深めていったのです。最初は皆、ロシア語が母国語の私を不思議がっているように思いましたが、本当は“ミルクグラスについて質問を浴びせる東京から来たロシア系日本人”に興味をもったようです。そのおかげか、私の知識は格段に飛躍し、コレクターの主人さえも知らなかった奥深い知識をたくさん吸収することができました。当時出会ったディーラーやコレクターと...
第3回 ブランドの変遷とブームの到来
text by KANAZAWA Ariadnaphoto by Jamandfixedit by TAKEISHI Yasuhiroマッキー社からジャネット社へマッキー社は1930年代、量産体制を整えて数々のシリーズやアイテムをリリースしていきます。その頃のアイテムは今でこそデザインにとてもトリッキーなイメージを感じますが、当時はヨーロッパのトラディショナルデザインに影響されていたようです。ミルクグラス以前のマッキー社製品にもそれらの影響が見てとれます。ただ残念ながら、マッキー社の繁栄もさほど長くは続きませんでした。1930年代後半には世界大戦の暗雲が立ちこめ、参戦した国々では兵器製造のために金属類が不足し、アメリカでも同様に各企業への接収が始まります。マッキー社を含む多くのグラスカンパニーは金型モールドを政府によって接収され、現実的に操業が不可能な時代に入っていったのです。いったいどのくらいの素晴らしいデザインモールドが、人を傷つけるための兵器となって生まれ変わったのかと考える...
第4回 ファイヤーキングブームとノベルティマグの魅力
text by KANAZAWA Ariadnaphoto by Jamandfixedit by TAKEISHI Yasuhiro日本におけるブームとノベルティマグ本国アメリカにおけるミルクグラスブームの側面と幾分か違い、日本では当初ファイヤーキングのみが大きく取り上げられてブームとなりました。圧倒的生産数、そして1960~'70年代に数多くノベルティとして無料配付されていたことも手伝い、ファイヤーキングは無尽蔵にストックが残っていると思われていたのです。こうした背景が'90年代後半から静かに始まっていったファイヤーキングブームにあったことも、さらにコンプリートを目指すコレクターの人口を増やす要因となったのでしょう。しかし、当時アメリカで出版されていたプライスガイドには、すでに1000ドルを軽くオーバーするアイテムが掲載されていたことからも、コンプリートするには“時すでにおそし”の感も否めませんでした。とくにシリーズの中で生産数が伸張しなかった、つまり当時不人気であったアイテム...
第9回 子供用グラスウェアが体現する家族の幸福
第9回子供用グラスウェアが体現する家族の幸福文=金澤アリアードナPhoto by Jamandfix構成=竹石安宏(シティライツ)豊かな時代のデザインとベビーブーム1950年代のアメリカは、黄金期と呼ばれる高度成長の道を進んでいきます。国民の購買率は'46~'64年で22%増加し、同年の出生率も過去最高となるなかで、グラスウェアカンパニーもそうしたベビーブーマー世代に向けた商品開発に着手していくのです。プロダクト自体はもちろんですが、それまでの一般家庭向き商品とそれらが大きくちがっていたのは、手に取られることを強く意識したパッケージデザインではないでしょうか。戦後のアメリカではドーナツ現象といわれた都市部郊外の拡大により、次第に大型ショッピングモールが買い物をする場所の中心となっていきました。そんな売り場のなかで、ディスプレー映えするチルドレンセットは、親になったばかりの若い層へ巧みにファイアーキングの新しさをもアピールしていくことになったのです。私自身、子どもが産まれてからあらた...
第5回 ジェーン・レイ――ファイヤーキングの成功
第5回ジェーン・レイ――ファイヤーキングの成功文=KANAZAWA Ariadna写真=Jamandfix構成=TAKEISHI Yasuhiro成功の牽引役、ジェーン・レイの魅力ファイヤーキングレーベルのなかでも、最初にジェイドカラーを印象づけたシリーズといえば、やはり「ジェーン・レイ」ではないでしょうか。“G-3800”とナンバリングされたこのシリーズは、時代によってアイテム数の減少はありながらも、シリーズ中もっとも長い期間である1945年から63年まで製造され続け、ファイヤーキング成功への足がかりとなったのです。現在でもいちばん手に入れやすいと思われるジェーン・レイですが、40年代に製造されたジェイド以外のカラーなど幻のアイテムもいくつかあります。とくにプロトタイプであるこのスーププレート(写真上下)は、まだ大規模なファイヤーキングブームがはじまる前だった2002年のプライスガイドでも、なんと$600(約7万2000円)もの高値を付けていました。また、デミタスコーヒーを飲む習...
第6回 レストランウェア――業務用グラスウェアへの挑戦
第6回レストランウェア――業務用グラスウェアへの挑戦文=金澤アリアードナPhoto by Jamandfix構成=竹石安宏(シティライツ)全米じゅうのレストランを席巻した巧みな戦略ファイヤーキングの名を知らしめた「ジェーン・レイ」の成功により、アンカーホッキング社はつぎなるマーケットを模索します。そして業務用グラスウェアの製造に乗り出すのです。こうして誕生した「レストランウェア」シリーズは、ジェーン・レイの繊細なイメージを払拭するかのように、肉厚でシンプルなスタイルに大きく変貌を遂げたファイヤーキングでした。それはたちまち、全米のレストランやダイナーの顔ともいえる存在へと進化していったのです。その牽引役となったのが、機能性を重視したプレート類(写真上)です。なかでも3コンパートメントプレートは、バイキングスタイルが多かったダイナーなどにおけるワンプレートのサービスにマッチし、改良をかさねながらセールスをのばしていきます。さらに同時期に製造された5コンパートメントプレートは真んなかの...
第8回 ボスコ社のノベルティとヴィンテージの真贋
第8回ボスコ社のノベルティとヴィンテージの真贋文=金澤アリアードナPhoto by Jamandfix構成=竹石安宏(シティライツ)BOSCO ―― チョコシロップの懐かしい甘さボスコはアメリカを代表するチョコレートシロップのブランドです。1928年に全米で売り出され、その甘さで子供たちを虜(とりこ)にしました。大人にもファンが多く、あのアルフレッド・ヒッチコック監督はボスコが大好物だったらしく、1960年の代表作『サイコ』では血のり代わりにも使ったそうです。そんな国民的チョコレートシロップのキャラクターが“ボスコ・ベア”。雪合戦ではアタマに雪玉を食らい、口笛を吹きながらスケートを楽しむその先には割れた氷の穴が待ち受け、スキーをすれば転び、蜂には追いかけられ、玉乗りにも失敗する。ボスコ社がアンカーホッキングに作らせた1940~'50年代のノベルティマグ(rumorsで販売中)やタンブラーに描かれているとおり、子供たちにとってボスコ・ベアはヒーローとして描かれていない分だけ、身近に感...
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