第1回 ファイヤーキングとの出合い
Design
2015年5月15日

第1回 ファイヤーキングとの出合い

記念すべき連載第1回目。
今回は私とヴィンテージテーブルウェアとの出合いについて、お話したいと思います。

photo by Jamandfixtext by KANAZAWA Ariadnaedit by TAKEISHI Yasuhiro

キッチンの宝石

私は幼少の頃、ロシアと東京を行き来する生活を送っていました。当時祖母の家がサンクトペテルブルグにあり、そこに暮らすロシア人の家庭には、街自体もそうであるように、伝統的で美しいヨーロッパのテーブルウェアがあったのです。私は必然的に、それらの美しさの虜となりました。

そんなロシアでの生活が伝統的な美しさに満ちていたとすれば、東京での生活は正反対にモダンでスタイリッシュだったように思います。そして図書館や本屋さんが大好きだった私は、日本語が読めない母の代わりをしつつ、私の興味の対象であるテーブルウェアの店に母をよく連れて行っていました。

最初に行ったお店は、小学生の頃に雑誌で知った青山の「オレンジハウス」。無理やり母を誘い出し、一番安かったココット皿を買ってもらったこと、いまでもたまに思い返しては不思議な気持ちになります。でも、そんな「キッチンの宝石」が後に仕事へと繋がる日がくるとは、当時はまったく想像もしていませんでした。

そしてその店にポツリと置いてあったのが、ファイヤーキングのDハンドルマグだったのです。それまで陶器の質感しか知らなかった私が、「ミルクガラス」と呼ばれる独特の透明感をもったテーブルウェアに出合ってしまった、最初の瞬間でした。

カラーは有名なジェイド(翡翠色)でもホワイトでもない、微妙なアイボリー。私はとっさに、それまでの銀食器から、連れて帰る対象をそのマグに変えていました。店主は私に「それはジャンクだよ」と言いましたが、なんともいえないやさしい温かさを感じたのです。当時そのマグに関することは、ブランドも含めてなにも知りませんでした。ただ分かったのは、ボトムにある“FIRE KING”という刻印だけだったのです。

ミルクグラスの奥深い世界

その後、ミルクグラスのコレクターだった主人と出会い、それがどんなモノでどんな歴史をもつのかを教わりました。それから私はさらに興味を駆り立てられ、ミルクグラスを求めて何度となく東京とアメリカ(とくに東海岸)を行き来することになります。

ヨーロッパの陶器と比べると荒削りなデザイン、大量生産でありながら統一規格レベルの謎――。私はいつしかミルクガラスの奥深い世界を探求するようになり、とくにジェイドカラーの歴史をさかのぼるようになりました。そして主人にも助けられ、数々の謎や歴史を少しずつ結びつけながら新たな発見を繰り返し、たくさんのアイテムをコレクションしていったのです。

そのかたわら、90年代後半から私は個人的に所蔵するコレクションのみで、アメリカン・ヴィンテージグラスウェアの写真集出版を考えるようになりました。それが2003年に実を結んだ『BREATH TAKING』だったのです。前年にオープンしたヴィンテージグラスウェアショップ「kitsch-n」は、もともと考えていた計画ではなく、本来なら写真集出版後のギャラリーとして考えていたものでした。

ともあれ、こうしてヴィンテージテーブルウェアは私の仕事と人生の一部になりました。次回からは、これまでに私が発見したことや感動したことについて、お話していきたいと思っています。まずはミルクグラスの代名詞でもある、ジェイドカラーについてお話しましょう。

           
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