Memories of 400 pair of shoes
「Memories of 400 pair of shoes」に関する記事
「オウプナーズ」オープンおめでとうございます
私がファッションに興味を持ったのは小学6年のときです。『メンズクラブ』、『男子専科』、そして『平凡パンチ』が創刊したのが1964年。アイビー全盛の当時、育った町で影響を受けたのは、アメリカの雑誌や映画で、まずアメリカの運動靴であるケッズやコンバースの輸入物に傾倒していきました。もちろん普通には流通していませんから、近所の子どもをつかまえて「ベースの購買部で買ってきてよ」と、私の靴の物語はそこから始まりました。それから約40年。捨てられない性格が幸いして、当時のケッズやコンバースもまだ所有しています。私は自分で「過去のない男」と言っています。過去を振り返るのは大嫌いですが、靴での思い出なら語っていけるかなと思っています。この7年間ぐらいはロングノーズばかり履いています。その前の10年間はオールデンのようながっちりした丸顔を好んで履いていました。その間にジョンロブやグリーンも履いています。ロングノーズはまだ飽きません。上からの見た目のスマートさから10年前には戻れません。中高時代の運動...
1足目&2足目
いよいよスタートする重松 理さんの「400足の足跡」。ファッションに目覚めた10代から、大学卒業後、原宿をベースに、若者のファッション文化をつくり、発信し、さらに新しい日本の生活と文化の進化と発展を目指したユナイテッドアローズを創業。そして代表取締役会長職の現在まで、実際に履いてきた靴は400余。そのほとんどを現在も所有しているという重松さんの一大「靴」連載。靴をベースに、ファッション人生も織り交ぜながら、特上の“モノと私”のストーリーをお楽しみください。では、1/400は、「今いちばんお気に入り」の靴から……。#1 今いちばん気に入っている靴GUILD/2006photo by Jamandfixギルド・オブ・クラフツを主宰する山口千尋さんにお願いした一足です。彼とは初めてのビスポークでしたが、仮縫いのときにちょっと話をしただけで、とても満足できる出来映えになりました。つい2、3ヵ月前の最近の靴です。僕は海外などでもいろいろ靴をつくってきましたが、製法上のクオリティはもちろん、客...
3足目&4足目
#3 コーディネートの足元の締め方Russell Moccasin/1996photo by Jamandfix10年ぐらい前ですね、当時のオールデンと同じように、細いパンツにキッチュに合わせる“ごっつい系”アイテムとして買いました。ハンドソーンの歴史がモカシンの歴史として残っているアメリカの、デザイン的にも製法的にも良かった時代を継承しているメイン州の工場のものです。今はアメリカ国内に工場はないはずで、残念ですね。自分で仕入れて店頭にも並んだ靴で、これは頻繁に履きましたね。履き心地はちょっと重いけどいいです。これは僕たちのファッションのルーツであるトラディショナル、日本で言うトラッドのもので、ラフなアンコンジャケットなどと、できるだけスラックスで履きたい。普通の男性は自分のスタイルを決めるとあまりブレないと思いますが、僕は極めて珍しく、新しいもの好きだから、すごくブレるんです。自分の気分次第で、ワードローブもガラッと替わる。洋服は躊躇なく捨てていきますからね、だから服は残っていな...
5足目&6足目
#5 “ヒラメ”みたいな靴JOHN LOBB/2001photo by Jamandfixジョン・ロブでビスポークした3足目です。僕はサイドレースと呼んでいるんですけど、メダリオンをつけてつくりました。5年ぐらい前に比較的よく履きましたが、今の気持ちはもっとロングノーズになっているので(#1と比べてみてください)、ちょっと遠ざかっています。サイドレースが好きで、エンツォ・ボナフェの外羽根の黒のサイドレースは持っていましたが、内羽根が欲しくなってつくりました。たぶんプレタでは内羽根のサイドレースの靴はないと思います。サイドレースはデザインの一つだから自分では違和感はなかったんですが、あるとき、友人から「普通は真ん中にあるレースが横に寄っちゃって、ヒラメみたいな靴だね」と言われて、それはそれで面白い感想だなと。外羽根だとヒラメには見えないんですよ、内羽根だと単純にズレた印象になってしまうんです。メダリオンは大好きで、なにかというと(笑)メダリオンを入れてしまう。実はずっとプレーントゥは...
7足目
#7 イタリア製の憧れの結晶ROSSETTI/1973photo by Jamandfix1973年、23歳のときですね。大学を出て1年目。銀座フタバヤ靴店で当時8万円も出して買った靴です。70年代に入ってロンドン・ポップが流行っていたんですが、一方でエレガントなシティウェアとしてはサンローランやレノマが全盛でした。当時、『L'UOMO VOGUE』を見ていて、広告に出ていたのがこの靴だったんです。ファッションショーのためのサンプルだったらしく、底にガムテープを剥がした跡があって、これ1足しかありませんでしたがサイズはぴったり。今はもう小さくて履けないですね。昔は纏足(てんそく)のように履いていたんですね。細くてヒールがあって、まさに70年代調の靴。この頃からコンビネーションとかメダリオンが好きだったんですねぇ(笑)。同じ時期にタニノ・クリスチーのワインレッドの靴も持っていたんですが、それもフルブローグで、本当にこんな感じの靴が大好きでした。大学を卒業して婦人アパレル会社で営業を3...
8足目&9足目
#8&9 ビームス誕生秘話理記/1973&1975photo by Jamandfix大学を卒業して入った婦人アパレルの会社では鈴屋を担当して、かなりいい営業成績で、2年半ほどで副部長になったんですが、企画責任者と企画の方向性が合わなくなって、それでストレスが溜まって、辞めたくてしょうがなくなって、転職を考えて、友人に相談したりしていました。同じ逗子に住むサザビーの鈴木陸三さんを紹介していただいて、面接を受けて採っていただいたんですが、サザビーは当時洋服をやっていなかったんですね。バッグと輸入アンティーク家具と生地屋と、カットソーの小さなメーカーはあったんですが、やはり服がやりたくて最終的には断念しました。それで、中学時代の1級先輩で、当時『平凡パンチ』のファッションページを担当していた土橋昭紳さん(講談社『チェックメイト』記者や、日之出出版『ファインボーイズ』編集長などを歴任)の新宿の飲み友達が先代の設楽社長で、土橋さんに紹介してもらって初めて会いました。当時、設楽社長の(株)新...
10足目~16足目
#10~16 大好きな運動靴(1)60年代、70年代のこれらの運動靴からは、運動靴一足にさえここまで手間をかけたという豊かなアメリカが垣間見えます。戦勝国であり、生産国として世界一を誇った、アメリカの恩恵を受けたプロダクツたちは、自分が思い描いていたアメリカの黄金期を代弁してくれるものです。RANDY/1965~67photo by Jamandfixphoto by Jamandfix 上の「RANDY」のかかと部 16歳から18歳の頃に履いていたもので、もう40年以上前ですね(笑)。僕がカタチとして一番美しいと思っていたのが、この「RANDY」社の運動靴です。当時、ケッズ、コンバース、トップサイダー、それと“赤ポチ”と呼ばれていたボールブランドなどがありましたが、歴代のアメリカのレースアップのテニスシューズの中で「RANDY」社製が最高の製品だと思います。 レースアップの羽根の長さ、履き口の長さ、そしてトゥの長さのバランスが整って、履いたときにもきれいで、美しく完成されて...
17足目~21足目
#17~21 大好きな運動靴(2)TOPSIDER/1982photo by Jamandfix この「トップサイダー」は珍しいベージュです。1982、83年頃、グレーフランネルのパンツと合わせてよく履いていましたね。このシリーズは、ベージュと、ブラッドレッド(赤い血)、ネイビー、ホワイトがありました。 Keds/1965~photo by Jamandfix 上のケッズは“デッキシューズ”で、下のケッズは“テニスシューズ”と呼んでいました。かかとには「US Keds」とあって、好きなバランスの運動靴です。 photo by JamandfixGOODYEAR DIST.CO/1965~67photo by Jamandfix これは60年代の中頃のものでしょうね。アメリカンスクールに通っている子供に頼んで米軍の購買部に買いに行かせたものです。 前回と今回で運動靴を紹介していますが、「昔のモデルを復刻したい」というお話もよくいただきます。前回紹介した左足を紛...
22足目
#22 「ジョンマー」から、アメリカ今と昔JOHNSTON&MURPHY/1983photo by Jamandfixこれはビーフロール(コインストラップの両端に付いている縫い目)ではないタイプの「ジョンストン&マーフィー」(1880創業)のペニーローファーです。シャンパンゴールドという色が好きで買いましたが、ほとんど履いていませんね。ビームスFで販売していて、買っておかないと‥‥と思った靴です。当時、フレンチアイビースタイルと呼んでいたのは、ブレザーにジーンズかフランネルパンツにローファーのドレスダウンしたプレッピーのことでした。中学時代、『メンズクラブ』を通じての「TAKE IVY」が僕のバイブルで、TAKE IVYに載っている服がVANで買えなかったのが、ビームスの始まりと言ってもいい。というのも高校のとき、ハワイに住んでいた姉に服を買って送ってもらっていたんですが、明らかにVANのものとは違う。あるとき姉がボストンに行って買ってきたハーバード大学の「Champion」社製の...
23足目&24足目
#23 今だから話せることJ.FENESTRIER/1982photo by Jamandfixシップスがフレンチトラッドの最高峰である「J.M.ウエストン」を扱い始めて、確か「コールハーン」も先にやられてしまって、それでビームスが取り組んだのはフランスの「J.フェネストリエ」(1895創業)と、「JEAN BADY(ジャン・バディ)」(1889創業)でした。この「J.フェネストリエ」は、パリのエスプリを残したトラディショナルな靴でありながら、ウエストンよりもっと華奢でスマートで美しいという謳い文句で、当時の雑誌などでもかなり掲載してもらいましたね。ニューヨークのおしゃれな人がウエストンを履くようになったタイミングで、元ウエストンのスティリストが手がけていたのを、パリの展示会で見つけて、飛びついたという。スエードのモンクストラップなどデザインのバリエーションも豊富で、インターナショナルギャラリーで大々的に販売したんですが、当時のお客様には申し訳ありませんが、バイヤーとしては失敗でし...
25足目&26足目
#25&26 GUCCI好きGUCCI/1985photo by Jamandfixグッチのフィレンツェ本店で85年ぐらいに当時8万8000円で買いました。高かったですねー(笑)。どうしてグッチのビットが欲しかったかというと、60年代のアイビーリーグの学生たちは避寒でマイアミに行くんですが、マイアミのグッチショップでビットを買って裸足で履いていたと、『メンズクラブ』の堀洋一さんに聞いたんです、インターナショナル・ギャラリーがオープンした頃に。自分としてはプレッピーに近い流れで買い求めたんですが、ここから長いビット歴が始まります。当時グッチは4つぐらい違うファクトリーで生産していて、それぞれ特徴があって見ればわかるんですが、これの履き心地は比較的良かったですね。ビームスFでイアリア物のシャツやカットソー、ニットを扱っていて、ヨーロッパの買い付けは78年頃に始めました。バイヤーは私だけでしたね。85、6年まで一人でやっていて、その後バイヤーを一緒に連れていきました。それとデザイナーズは...
29足目&30足目
#29 ユナイテッドアローズ創業の年に……SUTOR MANTELASSI/1989photo by Jamandfix「ストールマンテラッシ」(1912創業)のモンクストラップのメダリオンです。ユナイテッドアローズの1号店を出す前年、オープン時の品揃えに加えるために自分も履いてみようと、フィレンツェのストールマンテラッシの店で購入した一足です。メダリオンが入っていて、ストラップ付きで、スクエアトゥと、自分の好みをかなり満たしているデザインです。イタリアの典型的なシェイプで、よく履いていましたね。履き心地は比較的良いほうだと思いますが、グッドイヤーではないので、それと比較すると地面のアタリはあります。ユナイテッドアローズは、米・英・伊の中で我々がもっとも良いと思うものをピックアップしてスタートしました。アメリカのスーツなら「サウスウィック」、イタリアは「キートン」や「イザイア」、シャツは「ロレンチーニ」などで、イタリアの靴も既にいろいろ入っていましたが、この「ストールマンテラッシ」...
27足目&28足目
#27 クローラ・クラール・バロールバロール/1982photo by Jamandfixこうやって続けて見ていくと1982年ぐらいが多いですね。インターナショナルギャラリーがオープンしてから売場ができたので、デザイン性のあるものを販売できたんですね。この「バロール」は、ビームスオリジナルで、自分がデザインしていたブランドです。「シターラ」というインド綿を使ったヘンリーネックシャツなどを作っていたトップスのブランドもありましたが、もちろん社長の名字からとったもので、先代もこれなら文句言わないだろう(笑)というそういう時代でした。ロンドンで「クローラ」が出た頃で、実はビームスとロンドン在住の日本人デザイナー、コージ タツノ氏のコラボで「クラール」というブランドを立ち上げたんですが1シーズンで終了してしまって、インドや中国、ベトナムなどの民族衣装をモチーフとしたブランドを「バロール」という名前でやろうと。それでデザイナーがいなくなっちゃったので、自分で始めたわけです。でも、ビームスのオ...
ALDENの魅力を語る(1)
ALDENとの出会いとその魅力を語る(1)#31 NY・ALDEN・吉田カバン&シャンパンの思い出ALDEN/1979~ユナイテッドアローズといえば“オールデン”。ということで、ニューヨークでの出会いから物語は始まります。お楽しみください。構成=梶井 誠(本誌)写真=Jamandfix40年から50年代の復刻の木型に、アッパーを乗せ替えた珍しいモデル。6アイレットも目を引く。当時4万8000円「オールデン」を最初に履いたのはブルックス ブラザーズのタッセルローファーです。28年前ですね。シップスの前・副社長だった中村 裕さんはもっとはやくから履いていましたよ。私たちの世代はトラッド育ちなので、当時ニューヨークへ行ってまず買うものというと、ブルックスのコードバン(馬の尻革)のローファーなんです。ニューヨークには77年から定期的に買い付けに行っていて、79年頃からラルフ・ローレンを中心としたニューヨーク・ファッションが一気にクローズアップされます。ちょうど80年に平凡出版(現マガジンハ...
ALDENの魅力を語る(2)
ALDENとの出会いとその魅力を語る(2)#32 全部なくなって、オールデンだけが残ったALDEN/1979~1957年、オールデン社はブルックス ブラザーズのために特別に“かかと部にデコレーションを施した”タッセルローファーをつくったという。いまでいうコラボレーションの嚆矢といえよう。構成=梶井 誠写真=Jamandfixビームス時代に愛用していたタッセルシューズ「オールデン」は小売店とのコラボでもダブルネームでしかつくらない、完全OEM(Original Equipment Manufacturer=相手先ブランド製造)は一切やらない希有なブランドです。当時オールデンは、パリのセレクトショップのエミスフェールが扱って有名になって、フレンチアイビーの人たちがこぞって履いていたんですね。それがビームスの品揃えと客層に共通していたんですよ。ある靴屋の社長がオールデンのことを話していて印象に残った言葉が「うまヘタ」なんですよ。――美しくもあり醜くもあり。「うまい」というのは、製法と履き...