7足目
Fashion
2015年5月19日

7足目

#7 イタリア製の憧れの結晶

ROSSETTI/1973

photo by Jamandfix

1973年、23歳のときですね。大学を出て1年目。銀座フタバヤ靴店で当時8万円も出して買った靴です。

70年代に入ってロンドン・ポップが流行っていたんですが、一方でエレガントなシティウェアとしてはサンローランやレノマが全盛でした。当時、『L'UOMO VOGUE』を見ていて、広告に出ていたのがこの靴だったんです。ファッションショーのためのサンプルだったらしく、底にガムテープを剥がした跡があって、これ1足しかありませんでしたがサイズはぴったり。今はもう小さくて履けないですね。
昔は纏足(てんそく)のように履いていたんですね。細くてヒールがあって、まさに70年代調の靴。この頃からコンビネーションとかメダリオンが好きだったんですねぇ(笑)。同じ時期にタニノ・クリスチーのワインレッドの靴も持っていたんですが、それもフルブローグで、本当にこんな感じの靴が大好きでした。

大学を卒業して婦人アパレル会社で営業を3年していました。よく「どうして婦人服からだったんですか?」と聞かれますが、僕はずっと輸入物で育ったので、当時の男性の服でいいと思ったものがなかったんですね。
いろんな会社を受けましたよ。当時、ワールドは“ワールドコーディネート”というフルコーディネートのニットファッションをやっていて、それはものすごく良質なものを作っていました。あと、キャラバンというニットメーカーとか、鈴屋、モリハナエ、オンワードなど全部落ちて、それで学校推薦の神田の小さなアパレルに入ったんです。
ちょうどマンションメーカーが出始めた頃で、岩本町の古い生地問屋から発生したアパレル会社だったんですが、これからの時代はマンション問屋をやらないとダメだということで、原宿に事務所を出したんですよ。そこに配属が決まって、神宮前に通い始めました。たまたま原宿に配属されたんです。

73年には、もうアメリカには何度か行っていました。でもヨーロッパには行ったことがなくて、行くチャンスもないし、『L'UOMO VOGUE』を見て、なんて美しいのだろうと。このイタリア製の靴なんか憧れの結晶でしたね。ここからですね、ヨーロッパに傾倒していくのは。あの頃は、ヨーロッパに買い付けに行っている人か、日本人デザイナーで生地展に行っている人ぐらいしかヨーロッパに行けませんでしたから。
当時、東京にもヨーロッパの輸入物の靴を売っていたのは、ブランド物ではサンモトヤマさん、それと銀座のフタバヤさんと、あと代官山のヒルサイドテラスに1軒あって、そこは斬新なかっこいい靴を売っていました。

これは何度も底を替えて履きましたね。当時、こんなのを履いていたら先生でしたからね(笑)。服装は今とほとんど同じですね、グレーのフランネルのスーツとか。当時は、上野衣料というところが出していたサンローランやレノマ風ブランドの「チェントフォンテ」というのをよく着ていました。輸入物生地で、デザインはコンケープでワイドラペルなどそっくりで、それが一番輸入物っぽかった。それにシャツとスカーフで営業していました。

その頃の思いがすごく強くて、サンローランのエレガントを超えるものは今まで出てこなかった。「サンローランの再来はない」と思います。
実はトム・フォードは好きなんですよ。だからトム・フォードがサンローランを手がけたときはすごくうれしかったんですが、トム・フォード自身がサンローランの商品に非常に似ていたので、サンローランとして見ては良くなかったですね。
(1973年/8万円)

           
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