伝統芸能

『山姥』に見る、“妄執”に囚われ続ける凄まじさ

『山姥』に見る、“妄執”に囚われ続ける凄まじさ

日本の伝統芸能のひとつである「能」は難解だと捉えられがちだが、実はその難解なところにこそ魅力が潜んでいるという。能を通して様々な気づきが得られるのではないかという思いから、『もう一度楽しむ能』(淡交社)の著者である喜多流シテ方能楽師・友枝真也さんと、自身も喜多流を修める歌人・馬場あき子さんに対談をお願いした。その内容を3回に分けてお届けする。第1回目のテーマは、山に住む鬼女“山姥”が山廻りするという言い伝えを主題にした世阿弥の傑作『山姥』。
OPENERSたちの言葉 「尖った部分を削ぎ落として、残ったものが、個性」

OPENERSたちの言葉 「尖った部分を削ぎ落として、残ったものが、個性」

知識人と呼ばれる人たちや経済の中心を担う人たちには、能を嗜む向きがある。能には脈々と受け継がれてきた独自の様式が備わっており、それを読み解くと現代に通じる普遍性が見て取れる、という。ならば、能の世界を知ることで様々な気づきが得られるのではないか――。雑誌『LEON』編集長を経て現在は『OPENERS』のクリエイティブディレクターを務める前田陽一郎が、能楽シテ方喜多流職分・友枝真也さんに話を訊いた。
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