鬼とは一体何者か? 能楽から鬼の正体を読み解く
LOUNGE / FEATURES
2025年8月1日

鬼とは一体何者か? 能楽から鬼の正体を読み解く

歌人・馬場あき子さん×能楽シテ方喜多流・友枝真也さん 特別対談付記①

能には鬼神という神と鬼の両側面をもちあわせた存在がある。他方、現代の鬼とはしばしば「鬼の仕業」など人知を超えた凄惨な物事の表現の一部として登場し、あるいは世界で人気を博したアニメーションのように、人間の変容の果てとして描かれる。果たして鬼とは何なのか。広く知られる著書『鬼の研究』とともに、古くから鬼が描かれていた能楽に携わる歌人の馬場あき子さんと、能楽シテ方喜多流の友枝真也さんに、特別対談の付記①として「鬼」について語っていただいた。
※第1回の特別対談はこちらよりご覧ください。

Text by AMARI Mio|Photographs by TAKAYANAGI Ken

友枝:今さらといえば今さらの話ですが、馬場さんはご著書『鬼の研究』の最後のところで『山姥』を話題にされました。
馬場:『山姥』で描かれる鬼は特別ですから。他の作品に出てくる鬼とは異質だし、使用する能面もひとつだけ。中世になってからことに一般庶民に愛された鬼ではないかしら。
ところで、鬼と言えば、能の世界には神の側面と鬼の側面を持った “鬼神(きじん)”が存在するところが面白い。聖徳太子は十七条憲法を作った徳の高い人物ですが、世阿弥の『風姿花伝』には、その聖徳太子が翁としての表面と鬼としての裏面を併せ持っていたと書かれています。それから、あれは黒川能(※山形県の庄内地方に伝わる伝統芸能)だったかしら。『翁』を上演する時に、鬼の面もだすときいています。要するに、何かあったらすぐ鬼になれる。人間には表と裏があるということ。
友枝:鬼神が登場する作品でわかりやすいのは『野守』でしょうか。
馬場:大好きです。印象的な台詞があるのよ。「思い思わず……」。
友枝:「……よそながら見ん」。
馬場:そう。鬼神なんだけど、鎮魂されてしまったので、野の番をする野守に姿を変えている。だけれども、鏡を通して天界から地獄まで様々なものをよそながらだが、しっかり見ている怖い存在。それから『氷室』にも鬼が出てくるわね。
友枝:はい。面は小癋見(こべしみ)。口を固く結んでいて、主に(大)地の鬼神を表します。
馬場:夏の盛り、氷室守の老人が帝に献上するために丹波国の氷室から氷を切り出して持ってくる。かつて上級貴族たちは手や頬を氷で冷やして涼をとっていたことは『源氏物語』にも描かれていますが、あれは鬼たちの支えがあってこそのこと。鬼は汗だくだくになりながらも、けして文句を言わない。
友枝:絶対に開かない口であるがゆえにかえって恐ろしいですよね。
馬場:面だと悪尉(あくじょう)にも惹かれます。作品で言うと、神話の海彦山彦兄弟伝説を題材にした『玉井(たまのい)』。彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)は失くした釣り針を求めて海中に入ると海神の娘である豊玉姫(とよたまひめ)と玉依姫(たまよりひめ)に出会い、そのうち豊玉姫と契りを交わす。さらには潮満玉と潮干玉をもらうという話。これは何を意味しているかと言うと、娘もろとも海の権限をすべて渡したのだから、洪水を起こそうと、潮干にしようと、どうぞご自由になさってください、ということ。この海神を悪尉の面を付けて演るには相当な胆力が要ると思います。
友枝:ツレなら過去にやりました。
馬場:いつかシテもお演りになってください。『野守』と同じに「思ひ思はずよそながら」ずっと見つづけますよ。この海の国をどう待遇なさるかという怖い言葉を無言で示すにがい威力を示した「悪尉」の面。これはもう鬼であり、神でもある人間の心を同時に表現したような面ですよ。悪尉楽は大好きなので、『大社(おおやしろ)』も『白鬚(しらひげ)』も『綾鼓(あやのつづみ)』『道明寺(どうみょうじ)』もみんな見ましたね。
馬場:能には鬼の顔をしていない鬼がたくさん出てきます。飛出もそうよね? 神の化身を表す大飛出なんてまさに大鬼だし。
友枝:もちろん『高砂(たかさご)』とか『絵馬(えんま)』みたいに天照大神が出てくるような作品では神様ですが。
馬場:能『絵馬』に出てくる天照大神は一般的に女神と認識されていますが、喜多流では男姿よね。これは当時まで、なお決着していなかった天照のことを考えさせられる大切な証でもあります。
友枝:女体という小書もありますが、鬼と神をそれほどきちんと区別していないお能も多いです。
馬場:かつての芸能者は「河原者」と呼ばれましたが、彼らは悟っていたはずです。鬼と神は同じなのだと。
友枝:演る方から言わせていただくと、そもそも能楽には民衆に理解してもらおうという発想に欠けるような気がします。
馬場:貴人上方様にさえわかってもらえば、あとは綺麗な装束や面、動きが見られればよかったのよ。
鬼に話を戻しますが、江戸時代以降は鬼が認識されなくなり、忍者という存在が現れました。あれも鬼の化身ではないかしら。それから江戸時代末期は混乱に満ち盗賊がたくさん現れましたけど、盗賊も鬼でしょう。だから、盗賊を捕らえる火付盗賊改方の長谷川平蔵は、池波正太郎の小説の中で「鬼平」と呼ばれた。今もこの世は鬼だらけです。いつ何が起きてもおかしくない。ニュースの中ではよく、鬼の仕業を目にすることになります。結局、何かが引き金になり情念が爆発して人知を失い鬼になる。昔も今も、そういうことが絶えないんですね。
馬場あき子(ばばあきこ)
歌人。文芸評論家。1928年生まれ。東京都出身。日本女子専門学校(現・昭和女子大学)国文科卒業後、歌誌『まひる野』に入会し、窪田章一郎に師事。1972年、夫・岩田正とともに短歌結社誌『かりん』を創刊。朝日新聞歌壇選者。2025年3月末、47年続けてきた朝日歌壇の選者を退任。日本芸術院会員。文化功労者。1947年に喜多流十五世宗家喜多実に入門。新作能を手がけ、能楽の評論活動も行う。歌集のほか、和歌・能楽・民俗学・古典関係の著作多数。
友枝真也(ともえだしんや)
能楽シテ方喜多流職分。能楽協会会員。重要無形文化財総合指定。1969年生まれ。東京都出身。喜多流職分 故 友枝喜久夫の孫。3歳の時、仕舞『月宮殿』にて初舞台。能楽シテ方喜多流15世宗家 故 喜多実師に入門。喜多流宗家内弟子を経て、現在は伯父の友枝昭世に師事。2004年『猩々乱』、2008年『道成寺』、2011年『石橋(赤獅子)』を披く。「燦ノ会」同人。「洩花之能」主宰。2025年9月28日の喜多流自主公演ほか、年間のスケジュールはこちら
                      
Photo Gallery