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Chapter4:インターナショナル・エイズ・デーに寄せて

Chapter4:インターナショナル・エイズ・デーに寄せて

Chapter4インターナショナル・エイズ・デーに寄せて2006年4月……アフリカ/マラウイ共和国の地に降り立った。今年本格的に始動したAfrican JAG Project(http://www.jag81.com/africa)のアフリカにおけるエイズ患者の緊急支援とエイズ孤児の自立支援を行うため、その実態をリサーチするものだった。マラウイ共和国の首都・リロングウェイは、ナイロビやヨハネスブルグのように高いビルが立ち並ぶわけでもなく、雑多な感じもしない、どちらかというとのんびりとした空気の流れる心地の良いアフリカの田舎・・という感じの街だった。そもそも何故マラウイ共和国に行ったかというと2005年の秋に前年の旱魃で食料もなく、その上、25歳~45歳の働く世代にエイズが蔓延し、働き手がいないことから子供たちが学校に行かずに畑に出なくてはならない・・というニュースを耳にしたからだった。実際、マラウイの現実は、のんびりとした街並み、人々の笑顔からは、全く考えられないものだった。マラウ...
Chapter3:アフリカン・リズム

Chapter3:アフリカン・リズム

Chapter3:アフリカン・リズムアフリカのリズムは大地を揺るがし、天と地を結ぶナイジェリア・オシュン(Osun)州で、8月の第3金曜日に開催される「オシュンフェスティバル」のスナップ南アフリカ南アフリカでアパルトヘイトが終結し、やっと自由を手にした黒人のおじいさんが、「今はこうやって楽器として音楽を奏でているけど、昔は会話の手段として使われたんだよ」と言って、股に挟んだ大きな太鼓で強烈なアフリカン・ビートを刻んだ。ナイジェリアバータードラムを叩くドラムマスターたちは、大昔から継がれてきた神との交信のリズムを叩いてくれた。生贄を捧げるリズム、雷神と交信するリズム、豊作を喜ぶリズム……etc.そのリズムは、本当に赤土の大地と共鳴しあっていた。暫くすると空が真っ暗になり雷が鳴り響き大粒の雨が降ってきた。ナイジェリアトーキング・ドラムの音色が変わると、子供たちの言葉が変わる。ドラムと子供が会話する。ドラムマスターがニヤッと笑った。そういえば、友達が言っていた。コンゴ(旧ザイール)では、...
Chapter2:アフリカの色彩

Chapter2:アフリカの色彩

Chapter2:アフリカの色彩ルーファス・オグンデレ『A Mask Man』(写真1)アフリカの“光”に最初に出会ったときのこと94年、初めてアフリカの大地を踏んでから既に30回以上、12ヵ国のアフリカ諸国を訪ねた。そこでいつも驚かされてきたのが、アフリカの人々の音楽やアート、ダンスなどの才能だ。アメリカナイズもヨーロッパナイズもされていないオリジナルがそこにあり、驚くべき才能があちらこちらに様々な形で存在している。その才能は、未知数。今回は、私がそのアフリカの“光”に最初に出会ったときのことを記そうと思う。最初に衝撃を受けたのは、ケニアのナイロビにある『アフリカン・ヘリテージ』というアフリカン・アートや民芸品を一堂に集めたギャラリーでのこと。所狭しと並べられた様々なアフリカン・アート。タンザニア出身のアーティスト“ムパタ”の一番弟子“リランガ”が瓢箪に彫った線画アート(写真3)。ナイジェリアのオショボ派を代表する“アフォラビ”(写真4)、フェミ・アロ(写真2)の作品等々……アフ...
Chapter1:アフリカとの出会い

Chapter1:アフリカとの出会い

Chapter1:アフリカとの出会い1994年5月……エリトリアという紅海に面した国に行った。この国は、93年に30年間の独立闘争の末、隣国エチオピアから独立したアフリカ大陸 53番目の国だ。独立1周年の記念日に招かれて初めてアフリカ大陸の土を踏んだ。そこは、それまで私が思い描いていたアフリカ大陸とは、全く違うものだった。1年前まで戦争をしていた国。木で作られた空港は、銃撃戦の痕がくっきりと残っていてあちこちに穴が開いていた。市内にある博物館には、多くの銃器が並び、1年前まで使われていた戦車が不気味な姿を堂々とさらしていた。兵器の操作管や通信機の中には、MADE IN JAPANの文字が数多くあった。知らないうちに戦争に加担している事実……。博物館の中には、戦時中の写真はなく、その時のことが、絵画で描かれていた。その絵の中に兵士に羽交い絞めにされて胸を切り落とされている女性の絵があった。アフリカの民族闘争では、将来の報復を恐れて、お腹に子供がいる女性が殺されたり、子供にお乳をあげる...
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