Chapter1:アフリカとの出会い
Chapter1:アフリカとの出会い
1994年5月……エリトリアという紅海に面した国に行った。この国は、93年に30年間の独立闘争の末、隣国エチオピアから独立したアフリカ大陸 53番目の国だ。独立1周年の記念日に招かれて初めてアフリカ大陸の土を踏んだ。そこは、それまで私が思い描いていたアフリカ大陸とは、全く違うものだった。
1年前まで戦争をしていた国。木で作られた空港は、銃撃戦の痕がくっきりと残っていてあちこちに穴が開いていた。市内にある博物館には、多くの銃器が並び、1年前まで使われていた戦車が不気味な姿を堂々とさらしていた。兵器の操作管や通信機の中には、MADE IN JAPANの文字が数多くあった。知らないうちに戦争に加担している事実……。
博物館の中には、戦時中の写真はなく、その時のことが、絵画で描かれていた。その絵の中に兵士に羽交い絞めにされて胸を切り落とされている女性の絵があった。アフリカの民族闘争では、将来の報復を恐れて、お腹に子供がいる女性が殺されたり、子供にお乳をあげる女性の乳房を切り取ったりすることが平気で起こるのだそうだ。DNAの断絶。平和・単一民族である私には考えられないことだった。
独立1周年の前夜祭は、人々が民族衣装を着て、手には蝋燭を持ち、戦死者の魂を思い、厳かに、しかし念願の独立を勝ち取った喜びに包まれたものだった。あちらこちらから女性の「ア・ラ・ラ・ラ・ラ……」という甲高い声が上がる。この頃のエリトリアは、電力が不足し、夜になっても電気がついているのは、一部のエリアだけだった。そのため、暗闇に浮かぶ数千の蝋燭の光は、幻想的な空間を作っていた。人々の顔は、明るかった。その顔には、30年の戦争で命を落とした人たちへの追悼の気持ちと平和な未来に対する祈りが込められていた。私は、この国の未来が明るくあることを祈った。
一週間、エリトリアに滞在した後、この独立闘争の敗戦国であるエチオピアに足を伸ばした。乾いた空気に砂埃が舞う。この年、エチオピアでは、大旱魃が起こるかもしれないという危機に瀕していた。もし、このまま雨が降らなければ600万人が死に至るという報道がヨーロッパでなされていた(情報過多のはずの日本では何も触れられてはいなかったが……)。
アジスアベバは、標高2400メートル。坂道が多く、普通に歩いていても息が苦しくなる。それに砂埃が加わり、より一層、景色がかすんで見えた。……ある日、昼間なのに外が真っ暗になっていった。ホテルの部屋から見る景色は普段のそれとは明らかに違っていた。……と、まもなく、とてつもない大粒の雨が降り出した。地鳴りのような音。バリバリ……という音もまじり、空を見上げると稲妻が走っている。その稲妻は、縦に走るのではなく、延々横に光を走らせていた。雨音がジェット機のエンジン音に似たものに変わる。初めての経験。
……私には、それはまるで大地が怒っているとしか思えなかった。足がすくんだ。すると突然、あちこちから“ピー、ピー”という指笛が聞こえてきた。子供たちが、外に駆け出し、雨を歓迎しているのだった。人々が待ち望んでいた雨季がやってきたのだ。高地であるアジスアベバに雨が降っても多くの農民が住む低地に雨が降るとは限らない。水路が整備されていない大地は、すぐに雨水を吸収してしまう。……それでも雨が降ってきたことへの喜びを抑えきれない様子だった。私はそれまで“水”は、そこにあるのが当然だと思い、節水したこともなかったし、水の大切さを考えたこともなかった。しかし、この地では全く事情が違っていた。水に“命”がかかっていたのだ。なんか、自分が凄く恥ずかしい存在に思えた。生きることの根本さえ理解していなかった。
エチオピアでは、もう一つ、生きること……生き抜くことについて教えられることがあった。……当時、首都アジスアベバには、数万人のホームレス・チルドレンが路上にあふれていた。手足のない子供もいる。聞けば、一流の物乞いにするために両親が手足を切り落としたのだという。手足がないほうが憐れんでもらえるから……。ホテルを一歩出れば、延々と子供たちの「マネー!」という声と小さな手がまとわりついてくる。その光景に慄いた。数人の子供にわずかなお金をあげたところでどうにもならない現実。痩せ細り、生死をかけた物乞いの子供たちの顔を直視することが出来なかった。同じ地球上にリアルタイムの時を過ごしているにもかかわらず、あまりにも違う現実がそこには存在していて、常にすぐ近くに“死”が存在していた。私は、初めてのアフリカ大陸訪問で足元を救われた。広大なアフリカ大陸で魂が迷子になってしまったような感覚に襲われた。
初めてアフリカ大陸の地を踏んでから12年が過ぎた。情報化社会といわれ、そのド真ん中で 全てを知った気になっていた私の横っ面をぶちのめしてくれたアフリカ大陸。迷子になってしまった魂を捜し求める旅は、今も続いている。生きているうちにどれだけの現実を見るのだろう、感じるのだろう、触れ合うのだろう……。そして、それをどれだけの人に伝えることが出来るのだろう……。そう考えると時間がない。
アフリカ大陸には、53もの国がある。しかし、その大陸には、5000とも、6000ともいわれる民族が自らの言語を持ち、文化を持ち、暮らしている。アフリカ大陸は本当に53ヵ国なんだろうか……。少なくとも53に線を引いたのは、アフリカの人々ではない。