Chapter4:インターナショナル・エイズ・デーに寄せて
Chapter4
インターナショナル・エイズ・デーに寄せて
2006年4月……アフリカ/マラウイ共和国の地に降り立った。
今年本格的に始動したAfrican JAG Project(http://www.jag81.com/africa)のアフリカにおけるエイズ患者の緊急支援とエイズ孤児の自立支援を行うため、その実態をリサーチするものだった。マラウイ共和国の首都・リロングウェイは、ナイロビやヨハネスブルグのように高いビルが立ち並ぶわけでもなく、雑多な感じもしない、どちらかというとのんびりとした空気の流れる心地の良いアフリカの田舎・・という感じの街だった。
そもそも何故マラウイ共和国に行ったかというと2005年の秋に前年の旱魃で食料もなく、その上、25歳~45歳の働く世代にエイズが蔓延し、働き手がいないことから子供たちが学校に行かずに畑に出なくてはならない・・というニュースを耳にしたからだった。
実際、マラウイの現実は、のんびりとした街並み、人々の笑顔からは、全く考えられないものだった。マラウイ政府からの情報と後にアシスタントとして活躍してくれたドライバーのマッキーからの情報をたどり、私は約1週間マラウイ国内を車で走った。約3000キロの道のり。
2006年11月、エイズの実態
あえてここに「ステージ4」の患者さんの写真を載せることにした。
何故ならこれが同じ地球上にリアルタイムで起こっている現実だということを知ってほしいから……。目を覆いたくなるかもしれない。でも、これが彼らの現実。左側の写真は、病院内で撮影したもの。彼女は、ベットに寝かされていなかった。コンクリートの床に一枚のタオルを引き、寝かされていた。マラウイは、国内に60の病院しかない。NGOなどが運営するクリニックが30。計90の病院しかなく、遠方の人は約300キロの道のりをやってくる。今の政府になって病院に行けば無料で薬を貰えるようになった。でも、貧困層の人たちは、病院まで行き着くトランスポートのお金を持ち合わせていない。加えて旱魃の影響で食料がなく、エイズの進行は加速した。栄養も摂れず、薬も飲めない人のその先にあるのは “死” だ。
右の写真の彼女は、私が初めて出会った「ステージ4」の患者さんだ。彼女のお腹が膨れているのは妊娠しているのではない。腹水が溜まっているのだった。2年前に御主人をエイズで亡くし、子供が3人いた。お金もなく、勿論、食べ物もない。側に置かれていたのは、茶色の水。家の中には、本当に何もなかった。そして彼女もまた、コンクリートの床にゴザ一枚を引いただけの場所に下着も着けず、寝かされていた。病院までのトランスポート費、日本円にして約20円がないと言っていた。すさまじい現実がそこに存在していた。
この11月、私は彼女の元を再訪した。4月に撮った写真を専門家に見せたとき既に手遅れだということは言われていた。でも、心のどこかで生きていてくれることを信じていた。本当にもう一度彼女に会えると思っていた。……でも、やはり彼女は既に他界していた。近所にある孤児院の園長先生が教えてくれた。彼女は、私たちが4月に行った時に手渡した僅かなトランスポートのお金を使って病院に連れて行ってもらったのだそうだ。3週間入院し、少し回復したところで家に戻れたのだそうだが、4日間家に居ただけでまた、容態が急変し病院に逆戻り。結局、マラリアと肺炎を併発して7月下旬に病院で息を引き取ったのだそうだ。
彼女の人生は、どんなんだったのだろう……。涙が止まらなかった。
増え続ける孤児
近年に紛争があったわけでもないのにこれだけの孤児がいる国は初めてだった。どこのエリアに行っても孤児で溢れている。ブランタイアの孤児院では、2つの15畳ぐらいの部屋に120人の子供たちが預けられていた。その半数がエイズ孤児。母子感染で自らもエイズに冒されている子供たちもいる。この孤児院の園長先生は、ここの他にも2つの孤児院を持っていて合計で約300人の子供たちの面倒を見ている。1歳~6歳までの子供たち。ここの経営は、大半が寄付で政府からの援助はごく僅かだという。リロングウェイの孤児院も約100人の孤児がいた。ここは、政府からの援助は全くなく、一切をボランティアと近所の人たちが賄っていると言っていた。
これからも、もっと孤児は増え続けるだろう。私が会ったエイズの患者さんのほとんどが既に伴侶を亡くしていて、もしその患者さん本人が亡くなった場合、子供たちだけが残される。どこの孤児院も定員オーバーで先が見えない。一日平均$1以下で暮らしているこの国の人たちにとって孤児を養うことは、簡単なことではない。
孤児院の園長先生は、悲痛な面持ちで子供たちの将来を心配していた。このままの状態が続いたらストリート・チュルドレンが路上を埋め尽くし、ギャングになる子供も増えるだろう。
今、マラウイの孤児院は子供たちの食糧、洋服、そして居場所の確保さえ難しい。
私たちに何が出来るのか……
マラウイ湖の湖畔にチェンベという人口約1万人の村がある。この村の50%がエイズだと言われている村だ。ここには、アイルランドのNGOが運営するプライベート・ホスピタルがある。しかし、治療費が日本円にして約50円することもあって貧しい人々は、病院に行かれない。国営の病院までは、約90キロ、往復の交通費が約800円。血液検査を受ける施設までは約20キロ、約300円。到底支払える金額ではない。それを4月に行った時に知った。
そこで今回、原宿のストリートブランドLUMP、映像集団03、Es・遊・Es、ナトゥーア、その他、個人寄付などで2800人の人が無料で診察を受けられるクーポンを作り、プライベートクリニックに手渡した。それと、血液検査を受けるためのトランスポート・チケットを200枚、重症の患者さんが国立病院へ行くためのトランスポート・チケットを200枚手渡した。
お金を渡せば、貧しい人たちは、それを違うことに使ってしまう。でもクーポンという形であればそれを防げると考えたからだ。クーポンは、ドクターのサインがないと無効になる。ともかく、病院に行くことが重要なのだから。その他、取材をさせてもらった重症の患者さんたちには、主食のメイズの粉を2キロとオレンジジュース、砂糖、ビスケットなどとトランスポート費を直接手渡した。後、孤児院にも子供たちの食料費を少し。
……今は、まだこんなことしか出来ないけれど、いつか世界中の人が手を繋いでもっと大勢の人がこの過酷な状況から解放されれば……と思う。
後記
アフリカの子供たちは、元気だ。どんなに貧しくても、どんなに過酷な状況でもみんなで助け合っている。だからどんな場所にも笑顔が溢れている。ちゃんと叱ってくれる大人もいる。
日本に帰ってくると親殺し、子殺し、虐待、いじめ、自殺……etc。心が重くなる。きっと子供たちは、もっともっと心が重いのだろう。物は溢れている。何をするにも便利だ。でも何かが欠けている。確かにアフリカには、多くの問題が山積されている。でもキチンと教育をし、プロテクトし、助け合っていけば未来に “光” がないわけではない。よく判らないけど……心の闇を持つ日本人のほうがよっぽど状況が悪いように感じる。
アフリカに行きだして私は救われた。アフリカの状況は、決して簡単に解決出来るものではない。でも、彼らは、苦しい状況の中でも前を向いていたし、生きることの根本を知っている。今日を懸命に生きることが明日に繋がる。あまりに “死”が身近にあるから生き抜く術を身に付ける。本当は、不安で一杯なはずだけど、みんなが居るからきっと平気なのだと思う。
日本も、大人がもっと心をオープンにして笑顔でいれば、子供たちの心も暖かくなると思う。
苦しくなったらアフリカにでも行ってみたらいい。きっとアフリカの子供たちの笑顔が伝染するから!!