Chapter3:アフリカン・リズム
Chapter3:アフリカン・リズム
アフリカのリズムは大地を揺るがし、天と地を結ぶ
南アフリカ
南アフリカでアパルトヘイトが終結し、やっと自由を手にした黒人のおじいさんが、「今はこうやって楽器として音楽を奏でているけど、昔は会話の手段として使われたんだよ」と言って、股に挟んだ大きな太鼓で強烈なアフリカン・ビートを刻んだ。
ナイジェリア
バータードラムを叩くドラムマスターたちは、大昔から継がれてきた神との交信のリズムを叩いてくれた。生贄を捧げるリズム、雷神と交信するリズム、豊作を喜ぶリズム……etc.
そのリズムは、本当に赤土の大地と共鳴しあっていた。
暫くすると空が真っ暗になり雷が鳴り響き大粒の雨が降ってきた。
ナイジェリア
トーキング・ドラムの音色が変わると、子供たちの言葉が変わる。
ドラムと子供が会話する。ドラムマスターがニヤッと笑った。
そういえば、友達が言っていた。
コンゴ(旧ザイール)では、乾季には道だった所が雨季になると川になってしまう。その川をカヌーを使ってゆっくり上がっていくと、川の両岸からドラムの音色が聞こえてくる。満天の星空の下、カヌーの上でトーキング・ドラムの会話を聞く。その音はとっても楽しそうだったって。
セネガル
ゴレ島は、アフリカ最西端の島。
植民地時代には、ヨーロッパ諸国が奪い合いをした島。この島から多くのアフリカ人が奴隷としてアメリカやヨーロッパに送られた。
今でもスレイブハウス(奴隷の家)が残る島。
欧米の観光客は皆一様にこの家を訪れる。中に居る時には、神妙な顔をして涙を流す。でも一歩外に出ると大声で笑い出す。
「こんなもんさ。」と、悲しい目をしてセネガル人の友達が言った。
この島の一番高い丘の上に住むバイファルの人たちは、ドレッド・ヘアーにパッチワークの服を着て昼の12時と夕方の6時になるとジャンベのリズムを刻む。
優しい日差しの中、ゆったりとしたリズムが島のあちこちから聞こえてくる。このリズムには、平和への祈りが込められているのだそうだ。
セネガル
ダカールにあるセネガルを代表する世界的ミュージシャン“ユッスン ドゥール”が作ったクラブ。
週末になると生のLIVEが楽しめる。ちょうどその日は、ドラムだけのセッションがあった。名前も知らないアーティスト。でもその迫力は、圧倒されるものがある。小ぶりのトーキングドラム(2人)とジャンベ(3人)の掛け合い。客は、黒人ばかり。……………熱狂!!
エリトリア
初めてのアフリカで出会ったビート。
それは、まるで盆踊りを髣髴させた。音頭そのもののリズムで踊るこの国の人たちの顔は、とても楽しそうだった。
そういえば、エチオピアのホテルでは、何故か“都はるみ”がかかっていた。
マリ
古木で作ったバラフォンは、とても優しい音がする。
形は木琴だが下に瓢箪が付いていて、その中に砂が入っている。その砂の量で音階を付けるのだそうだ。
木の枝にゴムを巻いたバチで、乾いた木を軽やかに叩くと子供たちの顔に笑顔が溢れた。
マラウイ
ちょっと驚いた。何故かと言えば、この国の音楽は、カリビアン・ミュージックに酷似していたから。そうマラウイの人に伝えたら「きっとこの国の人が、カリブの島に渡ったんだろう」と明るく言われた。
マラウイ
マラウイ湖畔の小さな村は、電気も水道も通っていない。村人の半数はエイズに冒されているという。だからエイズ孤児の数も多い。そのエイズ孤児の子供たちは、木に空き缶をくくりつけ、それに糸を張ってギターを作り、流木で木琴を作り、缶をドラムの代わりに叩いて……って具合で楽器を作り、バンド活動をやっていた。
南アフリカ
全く言葉も判らないのに彼女の歌を聴いたとき、涙が止まらなくなった。
魂の塊のような歌。聞けば、アパルトヘイトの時に彼女一人が海外に逃げ、母国に残した自分の娘に捧げた歌だという。
“寂しいのは、貴女だけじゃない。ママも寂しいのよ……”。
母国の言葉でそれを歌うのが彼女の夢だったと言う。
南アフリカ
ソエトの少年たちが、アパルトヘイト終結後に入り込んだ新しい音楽スタイル“ラップ”で自分たちの現状を世界に届けようとしたその曲は、鬼気とした迫力で鳥肌が立った。
スラムと言われた危ない街。でも そこには、本物のメッセージが存在し、「ソエト!ソエト!!」と叫ぶ少年たちの目は真剣で、今、世界で一番アツイ街だと感じさせてくれた。
Africa
そのどこに行っても音楽は人々の中心にある。
電気も水道も無いような場所にさえ太鼓が鳴り響く。太鼓が鳴り響けばダンスが始まる。子供から老人まで腰でリズムをとる。テレビが無くても平気。コンピュータも、携帯も、何も無い。でも、どんなに貧しい場所にもリズムがあり、笑顔がある。
アフリカの人々にとって音楽やダンスは、言葉であり、安らぎであり、悲しみであり、過去と未来を繋ぐものであり、貧しくても頑張れば、アフリカン・ドリームを手に入れられる唯一の“光”なのかもしれない。
いつか、アフリカ53カ国を一同に会して、リズムとダンスのアフリカのNo.1を決めるコンテストをやって、No.1になったらワールドツアーが出来る……なんて本当のアフリカン・ドリームを実現出来たら良いと思う。