連載エッセイ|#ijichimanのぼやき「座敷で胡坐・立膝で酒を酌み交わす。庶民の文化を粋に嗜む」

ぼたん

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2024年8月29日

連載エッセイ|#ijichimanのぼやき「座敷で胡坐・立膝で酒を酌み交わす。庶民の文化を粋に嗜む」

連載エッセイ|#ijichimanのぼやき

第54回「座敷で胡坐・立膝で酒を酌み交わす。庶民の文化を粋に嗜む」

「座敷」で食べるのが好きである。それも「小上がり」ではなく、広間的な座敷で他のお客さん含めてみんなで畳に座して食べるのがこよなく好きだ。「履物を脱いで床に座す」というのは、古来から続く日本ならではの文化。最近は見かけなくなったが、子どもの頃はどの家も畳と襖の和室があった。フローリングにソファがあってローテーブルが置かれて整然とされたダイニングも悪くはないけど、やっぱりイ草や和紙の独特の匂いは心地いい。

Photographs and Text by IJICHI Yasutake

昔の庶民文化は、現代のラグジュアリーかもしれない

和室での座り方というと「正座」が想起されるが、江戸時代には正座はさほど一般的ではなく、普及したのは近代以降のことらしい。実際、大河ドラマでも位が高い人は、足裏をつけて膝を大きく開いて足先を前に出しているし(足を組まない胡坐(あぐら)に近いスタイル)、古い絵巻などでも胡坐や立膝で描かれていることが多い。昔の人たちは現代人より股関節が柔らかったという説もあるが、横幅が広がって大きく見せることで位を示すという意味合いもあったようだ。立膝においても、今では行儀が悪いとされるが、貴族が歌を詠むときは膝を立てて短冊を置いて、筆を走らせるのが作法となっていて、江戸時代までは最もポピュラーな座り方だったという。
そういう日本人独特のDNAが埋め込まれているのかどうかはわからないが、体で感じる心地よさというのが、座敷での胡坐や立膝にはある。むろん、高齢で膝が悪くて座れない方も多くなっている昨今、座敷の店も減りつつあるけど、赤子を抱える食事のときは逆に適していたりもする。テーブルと座敷で座敷を選ぶと珍しいと言われることも近頃増えたけど、座敷があるなら、やっぱり胡坐をかいて酒を飲み、ほろ酔いになったら立膝ついてくつろぎたい。
座敷の店となると、やはり日本橋から見て東側・北側のいわゆる下町界隈になる。今さらここで語るまでもない老舗と呼ばれる名店揃い。こうしてみると、江戸や明治の庶民たちが、安価で栄養価が高いものを気軽にサクッと食べる、というのが起源のように感じる。そのマインドやスタイルをかみしめながら、味わいたい。
■どぜう飯田屋 東京都台東区西浅草3-3-2
浅草でどぜうと言えば、駒形どぜう、ひら井、そして飯田屋。駒形は観光客も多く初心者向けの様相もあるが、飯田屋の方は比較的ローカル感が漂う。どぜうは、安価で栄養価が高いことで江戸の庶民たちに親しまれてきた。中国の百科全書的な本草綱目によると、「どぜうは、体を暖め、生気を増し、酒をさまし、痔を治し、さらに強精あり」と書かれていて、井原西鶴の好色一代男でも主人公がしこたまどぜうを積み込んで出帆するそうだ。若い頃、友人らと飯田屋でどぜうを食べていたら、隣のステキな初老のご夫婦に「お兄ちゃんたち若いのに粋だね。どぜうは精がつくからこのまま吉原でも行ってきたらどうだ」なんて言われて、調子に乗った友人が右も左もわからぬ吉原にひとり乗り込み痛い目を見て帰ってきた……なんていう若かりし頃の思い出もある。
ちなみに、表記としては「どぢやう」または「どじやう」が正しいそうだが、四文字は縁起が悪いとのことで「どぜう」となったらしい。飯田屋は明治35年創業。唐揚げや南蛮漬け、どぜう汁、柳川、そして鍋。鍋はやっぱり丸でいただきたい。酒につけたどぜうを甘辛い割下で煮込みねぎをたっぷり乗せて七味と山椒をかけていただく。江戸の庶民はなんて贅沢だったのか。酒で流し込めば、悶絶する。
■米久 東京都台東区浅草2丁目17-10
明治19年創業の老舗牛鍋屋。浅草ですき焼きなら今半やちんや、牛鍋なら米久である。はたして、牛鍋とすき焼きの違いは何かと言うと、すき焼きは牛肉を焼くというプロセスを踏むのに対し、最初から牛肉を煮るのが牛鍋だそう。個人的にはどちらでも構わない。米久はメニューが牛鍋のみという潔さ。あとは米と汁と香の物。酒とともに粋にかっくらえば、ドーパミンがどんどん溢れ出てくる旨さを味わえる。
■ぼたん 東京都千代田区神田須田町1-15
甘味処の竹むら、あんこう鍋いせ源などが立ち並ぶ、偽物のレトロではない、本物の趣が垣間見れる一角、神田須田町。明治30年創業の鳥すき焼き。関東大震災で倒壊した建物は昭和4年に再建され、戦災も免れ現存し、「都選定歴史的建造物」に認定されているそう。「ぼたん」は牡丹じゃなくて釦だそうだから時代背景がうかがえる。こちらも米久同様多少のつまみはあれど、鳥すき焼き一本勝負。もも、胸、ささみ、皮、砂肝、レバー、ハツ、軟骨、すべての部位を食べ尽くす。昔からの変わらぬ味を継承するためガスは使わず、備長炭の入った火鉢と鉄鍋で肉にじっくりと火を通す。〆の親子丼もおみやのそぼろも柑橘まで抜かりはない。文明開化と富国強兵の時代、欧米列強に追いつけ追い越せと躍起になって、酒を酌み交わしながら議論を重ねていたであろう、当時の日本の気概と熱量に感謝したい。
■みの家 東京都江東区森下2丁目19-9
明治30年創業、森下の馬肉専門店。さくら鍋、さくら刺し、あぶら刺し、安価で高栄養価で低カロリーの馬肉は、どぜう同様に精がつく食べ物として古くから庶民たちを魅了してきた。なぜ馬肉は「さくら」と呼ばれるのか、肉食禁止の文化が強かった江戸時代に隠語で「さくら」と呼ばれた説、馬肉は春が美味しい説、馬肉の鮮やかな色あいが桜を連想させる説、千葉県佐倉に幕府の牧場があった説、高価な牛肉の偽もの=さくら説、諸説あるらしいが、定かではない。なんにせよ、初任給が出たときに両親と吉原にさくら鍋を食べに行ったくらい、自分の中でさくら鍋は好き。何よりこの佇まいは、店の暖簾を眺めるだけで酒が飲めそう。
伊地知泰威|IJICHI Yasutake
1982年東京生まれ。慶應義塾大学在学中から、イベント会社にてビッグメゾンのレセプションやパーティの企画制作に携わる。PR会社に転籍後はプランナーとして従事し、30歳を機に退職。中学から20年来の友人である代表と日本初のコールドプレスジュース専門店「サンシャインジュース」の立ち上げに参画し、2020年9月まで取締役副社長を務める。現在は、幅広い業界におけるクライアントの企業コミュニケーションやブランディングをサポートしながら、街探訪を続けている。好きな食べ物はふぐ、すっぽん。好きなスポーツは野球、競馬。好きな場所は純喫茶、大衆酒場。
Instagram:ijichiman
                      
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