INTERVIEW|『ジゴロ・イン・ニューヨーク』公開記念インタビュー
INTERVIEW|俳優ウディ・アレンの才能を開花させた男!?
『ジゴロ・イン・ニューヨーク』監督・脚本・主演
ジョン・タトゥーロ 公開記念インタビュー(1)
「心の隙間、愛と優しさで満たします」。そんな謳い文句を掲げて、二人の中年男が“ジゴロ・ビジネス”を開業。大都会ニューヨークを舞台に。物語はウディ・アレン演じるマレーが、代々つづく本屋を潰してしまったことに端を発する。ジョン・タトゥーロ扮する、友人のフィオラヴァンテに「ジゴロ(=男娼)になれ」と持ちかけるマレー。最初こそ「冗談だろ、ルックスもよくないし」とへっぴり腰だったフィオラヴァンテも、次第に女性を虜にするジゴロに成長していく──。コーエン兄弟ら奇才監督の元で独特の存在感を見せてきた個性派俳優、ジョン・タトゥーロが監督・脚本・主演の三役を務めた『ジゴロ・イン・ニューヨーク』。たまたま耳にしたこの話に心奪われたというウディ・アレンが、脚本にあれこれ口を出し、実に14年ぶりに自身の監督作以外への出演を果たした。本作の公開を記念して、ジョン・タトゥーロに電話インタビューを敢行。ウディとのあいだに芽生えた友情から、女性に対する考え方まで、たっぷり話を聞いた。
Interview & Text by TANAKA Junko (OPENERS)
ウディ・アレンとの友情物語
――いまはどちらに?
イタリアのマルケ州に来てるんだ。『ジゴロ・イン・ニューヨーク』で撮影監督を務めてくれた、マルコ・ポンテコルヴォと一緒にね。映画のロケをしてる。今回は彼が監督という立場なんだ。彼は仕事仲間であると同時に、親しい友人でもあるから、これはぼくが一肌脱がなくちゃと思ってね(笑)。
――友情といえば、本作ではウディ・アレンの親友という役どころでした。共演者としてのウディはどんな感じでしたか?
ものすごく勤勉でまじめな人だよ。みんながイメージするような、シニカルで批判的な部分も持ち合わせているけど、それさえうまくかわせれば、仲良くなるのは難しいことじゃない。
――たまたま理容師が一緒だったとか。
そう、この映画で共演するまで、ほとんど面識はなかったんだ。だけど、その理容師がいつも「君とウディはなにか一緒にするべきだ」って熱心に言うもんだから、真剣に考えるようになってね。「うまくいくかもしれない。試してみようじゃないか」って思ったんだ。いずれにしても相性がすべてだね。今回は撮影に入る前に、それを確かめる時間がたっぷりあったからラッキーだったよ。
ある日、即興で思いついたアイデアを、その理容師に話したことがことのはじまりだった。彼がウディにその話をしたら、すごく気に入ってくれたってわけ。ぼくが脚本を書いて、ウディがそれにフィードバックする。そんなやり方で仕上げていったんだ。ときには厳しい意見もあったけど、きっとウディは彼なりの方法で、ぼくがこの話を掘り下げていけるように、励ましてくれていたんだと思う。贅沢な時間だったよ。
ロケがはじまってからも、ウディはずっとぼくの支えになってくれた。あんなに働きやすい俳優はいないよ。カメラの前でも構えることなく、いつも通りの彼でいてくれるから、ぼくもすごくリラックスして撮影に臨むことができた。
――だけど、ウディに「NG」を出すのは、ちょっと勇気がいりそうですね。
もし「ちょっと違うな」と思ったら、優しい口調で伝えるんだ。「ここは、もう少し繊細な感じで」とか「この台詞はやめようか。でもこれは言ってほしいな」って。すると、次の瞬間にはパン! 完璧にその通りの演技をしてくれる。かなり過小評価されている俳優だと思うよ。
――ウディとあなたの息の合った演技も見ものでした。なにか秘訣は?
映画に入る前にブロードウェイで舞台の仕事をしたんだ。ウディとイーサン・コーエン、エレイン・メイが脚本を書いた『Relatively Speaking』の舞台監督にどうかって声をかけてもらってね。二つ返事で引き受けたよ。ウディのことを知る、またとないチャンスだと思ったからね。オーディションにリハーサル、プレビュー。舞台って本当に長い時間をかけて準備するから、終わったときにはすっかり気心の知れた仲になっていた。それが映画のなかにも出ていたんじゃないかな。
――二人の間に芽生えた友情は、いまでもつづいていますか?
もちろん。まあ、お互いに忙しいから、なかなか頻繁に会えるわけじゃないけど。このロケが終わって、ニューヨークに戻ったら、連絡を取ろうと思ってるよ。また一緒に仕事もしたいね。
――ところで、どんなきっかけでジゴロ=男娼というテーマに辿りついたのでしょう。
どうしてだったかな(笑)。最初に頭にあったのは、とにかくウディと一緒に映画を作りたいってこと。カメラの前で二人の相性がどう化けるのか試してみたかったんだ。
いろいろアイデアを模索していくうち、廃業寸前の商売というものに興味が沸いた。本屋でも映画館でもレコードショップでも、店の形態はなんでもよかったんだけど、大きな街の小さな店が廃業に追い込まれるという話。そこで仕事を失った人は、一から自分を立て直すことになるわけだ。今回の主人公、マレー(注・ウディ演じる本屋の元店主)とフィオラヴァンテ(注・ジョン演じる本屋の元店員)みたいにね。
年齢を重ねれば、誰でも一度や二度は、そうやって自分を立て直さなくちゃいけない場面に遭遇する。特にいまは、ロボットとか機械に仕事が奪われるっていう話が、現実のものになりつつあるからね。面白いことに、そんな時代にあっても、決して廃業に追い込まれない商売があるんだ。それがセックス産業というわけさ。
――そんな話を聞くと、原題の『Fading Gigolo(=消えゆくジゴロ)』というタイトルが意味深に感じられます。
ちょっと皮肉な感じのタイトルにしたかったんだ。『Not Too Pretty(=容姿不格好)』でもよかったんだけど(笑)。普通はジゴロって聞くと、若くてセクシーな男を想像するだろ? 今回はあえて“それっぽくない男”をジゴロに仕立てようと思ってね。だけど実際、人の魅力って容姿だけじゃないと思うんだ。中身を知れば知るほど、魅力が増していく人もいれば、どれだけ容姿端麗でも、話してみるとものすごく退屈な人だってこともある。
INTERVIEW|俳優ウディ・アレンの才能を開花させた男!?
『ジゴロ・イン・ニューヨーク』監督・脚本・主演
ジョン・タトゥーロ 公開記念インタビュー(2)
だれだって少しはジゴロ的要素をもっている
――なるほど。それで「非・美男子ジゴロ」が誕生したわけですね。
そうだね。あと女性を奉仕する立場じゃなくて、サービスを享受する立場で描きたかったというのもある。売春婦より、男娼の方が希少な存在ではあるけど、確かにマーケットは存在する。男娼を主役にした映画というのも、少し風変わりで面白いんじゃないかと思ってね。
――フィオラヴァンテは、決して美男子とはいえない容姿にも関わらず、女性にモテモテ。マレーに乗せられて、軽い気持ちではじめた“ジゴロ・ビジネス”も鰻のぼりの人気です。聞き上手で繊細。目の前にいる女性に誠心誠意尽くす。女性たちがそんな彼に魅了されるのは、当然といえば当然かも知れません。だれかモデルにした人はいたのでしょうか? たとえばあなた自身とか?
(笑)だれだって少しは、ジゴロ的要素をもっているんじゃないかな。でもフィオラヴァンテは、ぼく自身じゃないよ。もちろん自分のなかにあるものを、幾分か反映させているけどね。だけど一番参考になったのは、ぼくの周りにいる男友達。女性と真剣に付き合ったことがない奴。日曜大工も料理も、なんだってできるすごい奴。そいつは地に足がついていて、自分を売り込んだりしないんだ。彼を見ていると、往年のカウボーイとか侍を思い出すよ。それから聞き上手な奴。女性を前にしたとき、変に気負うことなく自分らしくいるのって結構難しい。口では「ガールフレンドがほしい」と言っていても、いざ女性の前に出ると、構えてしまう奴がいっぱいいるから。
――みんなのいいところを寄せ集めた“理想の人物”だと。
そういうこと。オリジナルの要素も多分に加えてるけどね。
――このフィオラヴァンテという人物、普段の役より物静かな感じがしましたが。
結構いろんな役を演じてるよ。エキセントリックな役のイメージが強いかもしれないけど、『Box of Moonlight』(1996年)とか『The Truce』(1997年)では、おとなしい男の役だったしね。一つの役に縛られたくないんだ。フィオラヴァンテに関して言えば、昔からカウボーイとか侍の映画が好きだから、古風で物静かな男にしたのかも知れない。ちょっと現代の侍みたいだろ。自分を変に買いかぶったりしない。肩の力が抜けていてかっこいいよ。ぼくはああいう男が好きだね。
――監督をしながら演じるという経験はいかがでしたか?
すごくやりやすいときもあれば、難しいときもあった。時間の制約があったからね。6週間ですべて撮り終らなくちゃいけなかったんだ。もし8週間あれば、楽勝だったと思うけどね。準備はバッチリだったし、スタッフも撮影監督のマルコや、衣装デザイナーのドナ・ザコウスカといった、何年も一緒に仕事してきた面子だったし。彼らには随分助けてもらったよ。
――今回は全編ニューヨークで撮影されたとか。
ああ。ニューヨークでの撮影は楽しいけど高くつく(笑)。ちょうどそのころ、ニューヨークは撮影ラッシュでね。テレビや映画の撮影が日夜おこなわれていたんだ。そうなると腕のいいスタッフを揃えるのが難しくなる。ぼくらはメイクアップアーティストからヘアスタイリストまで、素晴らしい人たちに恵まれて、すごくラッキーだったね。
――髪型といえば、ヴァネッサ・パラディのイメチェンには驚きました。
彼女は素晴らしいよ。女優としても人としてもね。ぼくにとっては彼女こそ、この映画における最重要人物なんだ。
――今回、彼女が演じたのは厳格なユダヤ教徒の未亡人、アヴィガル。これまでとは違う一面を見せてくれました。
そうなんだ。ヴァネッサ自身がもってる繊細さを、見事に役柄に投影してくれた。アヴィガルのミステリアスな雰囲気も、彼女自身がもっているもの。彼女とは『Rio, I love you』(注・『パリ、ジュテーム』『ニューヨーク、アイラブユー』につづく、街を舞台にした短編オムニバス映画)という短編映画で、再度共演を果たしたんだ。またぼくがメガホンを取って、二人が演じるというスタイルで。彼女と一緒に仕事をするのは、本当に楽しいよ。
――監督として、どうやって彼女のあたらしい面を引き出していったのでしょう。
気をつかわなくてもいい相手だと、働きやすいというのはあるね。脚本を書いていたとき、ユダヤ教のコミュニティについて調べるために、何人ものユダヤ教徒の人と会ったんだ。ヴァネッサがアヴィガルを演じるって決まったとき、すぐに彼らと引き合わせた。そして最終的に彼女が作り上げたアヴィガルという人物は、ぼくが想像していたより、ずっと素晴らしい出来だった。これからも一緒に仕事したいナンバーワン候補だね。
――楽しみにしています。最後に。ジゴロから連想されるセクシーな感じとは違って、明るく軽快なタッチで描かれていたのが印象的でした。これにはなにか特別は理由があったのでしょうか?
シャロン・ストーン演じるDr. パーカーとのセックスシーンは、もっと長い時間をかけようと思ってたんだ。でも結局短くすることにした。さっきも言ったけど、時間に余裕があれば、もっとそういったシーンも盛り込んでいたかもしれない。面白いのが「よくできてる」と思うセックスシーンには、なにかしら障害があるもんなんだ。なにか別のことが起こっているから、そのシーンが引き立つ感じ。だけどほとんどの場合、うまく機能してないね。ただ撮っただけという感じで、ストーリーになんの意味ももたないものが多い。今回は時間がなかったし、かといってチープなものにしたくなかったから、あえて“ほのめかす”ことにしたんだ。それはそれで、面白いものになったかなと思ってるよ。
John Turturro|ジョン・タトゥーロ
1957年、米・ニューヨーク生まれ。イェール・スクール・オブ・ドラマで学んだあと、ジョン・パトリック・シャンリーの『ダニーと紺碧の海』で舞台デビュー。オビー賞とシアター・ワールド賞を受賞。映画では1991年にコーエン兄弟の監督作『バートン・フィンク』でカンヌ国際映画祭の男優賞を受賞。翌年には『マック/約束の大地』で監督デビューを果たし、カンヌ国際映画祭のカメラ・ドール賞を受賞した。そのほかの出演作に、スパイク・リー監督の『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989年)、ロバート・レッドフォード監督の『クイズ・ショウ』(1994年)、コーエン兄弟の『オー・ブラザー!』(2000年)、マイケル・ベイ監督の『トランスフォーマー』シリーズなど。
『ジゴロ・イン・ニューヨーク』
TOHOシネマズ シャンテほか全国公開中
監督・脚本|ジョン・タトゥーロ
出演|ジョン・タトゥーロ、ウディ・アレン、ヴァネッサ・パラディ、リーヴ・シュレイバー、シャロン・ストーンほか
配給|ギャガ
2013年/アメリカ/90分/原題『Fading Gigolo』/PG-12
http://gigolo.gaga.ne.jp/
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