Secrets behind the Success|連載第8回 「スティーブンスミスティーメーカー」代表 スティーブン・スミスさん
ビジネスパーソンの舞台裏
第8回|スティーブン・スミスさん(「スティーブンスミスティーメーカー」代表)
ポートランドが育んだ“紅茶の神様”(1)
ビジネスで成功を収めた成功者たちは、どう暮らし、どんな考えで日々の生活を送っているのだろう。連載「Secrets behind the Success」では、インタビューをとおして、普段なかなか表に出ることのない、成功者たちの素顔の生活に迫ります。
ライフスタイルの発信地として、近年注目を集めるアメリカ・オレゴン州のポートランド。この街に世界各地の茶葉を知り尽くし、各種メディアに「数千年にひとりの逸材」と評される製茶のスペシャリストがいる。世界中のスターバックスで愛飲されている「Tazo Tea(タゾ・ティー)」の生みの親こと、スティーブン・スミスさんである。40年以上製茶業界に携わってきた彼が2011年、満を持してスタートさせたブランドが「STEVENSMITH TEAMAKER(スティーブンスミスティーメーカー)」。ショップを兼ねたアトリエで、ブレンドからテイスティング、パック詰めまで、すべてをおこなうというユニークなコンセプトは、一体どんな経緯で誕生したのか。そしてそこに隠されたスミスさんの哲学とは?
Photographs by NAKAMURA Toshikazu (BOIL)
Text by TANAKA Junko (OPENERS)
オーガニックの世界から革命を起こす
――スミスさんは「アメリカの製茶市場を10年で7倍にした」と評されるなど、アメリカの製茶業会で輝かしいキャリアをおもちですが、お茶作りに関わられる前は、どんな活動を展開されていたのでしょう。
1971年、パートナーと一緒に、穀物やフルーツといったオーガニック食品を販売する店をはじめました。植物専門の店も併設してね。店の名前は「Sunshine Natural Foods(サンシャイン・ナチュラル・フーズ)」。 ポートランドではじめてのオーガニックの店だったんです。それからハーブ専門の店も開業しました。それが「The Gates of Eden(ザ・ゲーツ・オブ・エデン)」。我ながらなかなかいい名前を思いついたものです(笑)。
――「ザ・ゲーツ・オブ・エデン」もおなじようにオーガニックの店だったのでしょうか?
ええ。紅茶や緑茶は置いていなくて、花びらや葉っぱを使ったハーブティーだけを取り扱っていました。主に医療目的のね。ゆくゆくはおなじような趣旨の店に、ぼくたちが取り扱っている商品を卸売りしようと考えていたんです。ですが、少し時代を先取りしすぎてしまったようで、ぼくたちのような店は当時どこにもなかった。そんなわけで、ぼくたちはいったん店をたたんで、ハーブティー作りに専念することにしました。それが「The Stash Tea Company(スタッシュティーカンパニー/以下、スタッシュ)」(※)のはじまりです。
※スタッシュティーカンパニー=世界各国の紅茶とハーブを扱うアメリカ最大の製茶ブランド
―― ポートランドといえば、オーガニックが街に根付いているというイメージがありますが、スミスさんたちの店はその先駆けだったわけですね。
そういうことになりますね。
――もともとは、どんなきっかけでオーガニックに目覚められたのでしょう。
意外に思われるかもしれませんが、大学ではジャーナリズムを専攻していました。そのあとベトナム戦争に徴集されて、アメリカに帰ってきたときに、友達から「オーガニックの店を開くんだ。一緒にやらないか?」と誘われたのがきっかけです。ときは1970年代。若者たちは既成概念に囚われない、あたらしい考え方を身につけ、世界中で大きな革命が起きていました。ぼくもその流れに身を投じたかったんです。
――それもオーガニックの世界から革命を起こそうと。
はい。ただ当時は、店で扱っている商品のすべてがオーガニック、というわけではありませんでした。ナチュラル・フード(無農薬野菜)が、ようやく登場しはじめたころの話ですから。スーパーではまだお目にかかれない存在だったんです。
――スタッシュをはじめたのは、いつごろのお話ですか?
1972年ですから、ぼくが23歳のときのことでした。いまより随分と若かったですね(笑)。ぼくを入れて3人で立ち上げた会社でしたが、だんだん製茶業界とその周辺で起きていることにウンザリしてきてしまったんです。現状を打開するにはとびきりフレッシュで斬新なアイデアが必要だと思いました。愛と情熱、それに品質を高める努力も。それから1993年までの21年間は、まさに試行錯誤の日々でした。
そのひとつが、1985年にはじめたペパーミントの収穫です。オレゴン州の農家と契約を結んで、リプトン(スコットランドで誕生した世界的な紅茶メーカー)やセレッシャル・シーズニング(アメリカで誕生したハーブティーメーカーの老舗)といった、大手の製茶メーカーに卸すことにしました。そういったことが功を奏して、数年後にはレストラン業界にハーブティーを卸すメーカーとして、アメリカで第2位の売り上げを誇るまでになっていました。
――順調に成長をつづけていたスタッシュですが、1993年に日本の食品メーカー「山本山」に売却されますね。この決断にはどういった経緯があったのでしょう。
これまでとまったくちがう、あたらしいお茶作りに挑戦したくなったというひと言に尽きます。山本山は売却の話が出る数年前から、すでにビジネスパートナーとして名を連ねていましたし、お互いへの信頼もあったので「会社を買いたい」という話をいただいたときも、「山本山になら」という思いで決断しました。
最終的に話がまとまり、山本山に売却したのが1993年のことでした。それから早速、自宅のキッチンであたらしい製茶ブランドのコンセプトを、ああでもない、こうでもないと考えはじめました。当初考えていた名前は「Elixir(エリクシール=万能薬の意)」。体に優しいお茶を作ろうと考えていたので。その時点では、紅茶を濃縮したものやトニックウォーターなど、リキッドタイプのお茶に特化したメーカーになる予定でした。それがのちに「Tazo Tea(タゾ・ティー/以下、タゾ)」(※)に進化していくのですが。
※タゾ・ティー=紅茶とハーブティーの製造および卸売りをおこなう製茶ブランド。1994年、スミスさんと2人のビジネスパートナーによって設立された。現在はスターバックスの子会社となっている
――リキッドタイプのお茶というと、どういったものを指すのでしょう。
ぼくが試作していたのは、お茶をいろいろなものと掛け合わせること。たとえば、紅茶とラズベリージュース、緑茶とトロピカルフルーツ、ハイビスカスのハーブティーとリンゴジュースといった具合に。水で薄めて飲む凝縮タイプのシロップです。ガス入り、ガスなし、お湯。どれで割ってもいいのですが、その割合はシロップと水で1:5がベストですね。試作を繰り返しているうちに、1万ガロンの容器がいっぱいになるほどのシロップができあがりました。それにお酒を混ぜたらおいしいカクテルができると思ったので、小分けにして、バーやレストランに販売することにしました。
このシロップのようなお茶を作った背景には、いろいろな文化を掛け合わせたいという思いがありました。東ヨーロッパ、日本、中国、イギリスの要素を、少しずつ掛け合わせていく。それがタゾの原形になりました。
――お茶からいろいろな国の文化を感じられるというのは素敵ですね。
そうですね。発売と同時に大きな反響を呼んだのも、そうしたコンセプトが時代とマッチしていたからかもしれません。発見や驚きをもたらすお茶と称され、大ヒットしました。その後は、ティーバックや冷凍紅茶、アイスキャンディーなど、あたらしいラインナップを増やしていきました。
――発見や驚きをもたらすお茶というのは、いまの「STEVENSMITH TEAMAKER(スティーブンスミス ティーメーカー/以下、スミス)」にも通じる考え方なのでしょうか?
もちろん。ぼくがタゾをはじめたときから追求しつづけているのは、まさにそこなんです。ただタゾをスターバックスに売却したあとは、少しずつやりたいことが実現しにくくなっていきました。そんなわけで売却から7年後に、ぼくは会社を去ることになるのですが……。いずれにしても、タゾとして最初に手がけたリキッドタイプのお茶が、いまでも市場では一番人気なんですよ。
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第8回|スティーブン・スミスさん(「スティーブンスミスティーメーカー」代表)
ポートランドが育んだ“紅茶の神様”(2)
スミスさんのお茶作りを支える7つ道具
――先ほど、のちにタゾを去られることになったとありましたが、その後はどんな活動をされていたのですか。
2006年3月、その年の終わりにタゾを去ることを決めました。お茶に関してはタゾでもスタッシュでも随分成功を収めてきましたし、決断までに少し時間はかかりましたが、この時点で製茶ビジネスはもういいかなと考えていたんです。ですが、そのあとフランスのアヴィニョンに移住して、1年ほど滞在していたとき、チーズやワイン、ショコラなど、小規模ながら自分の手でいろいろ作っている人たちと出会って、少しずつ考えが変わってきました。彼らに影響を受けて、ぼくももう一度なにかビジネスをはじめたくなったんですね。
そこでタゾを去る前に考えていたアイデアを、実行に移すことにしました。そのアイデアとは、一カ所で製茶のすべてをおこなうというワンストップのサービス。ブレンダーからティーバックを作る人まで、紅茶作りに携わる職人がみんなそこで働いている。まるで小さな工場みたいにね。アヴィニョンからポートランドに戻って、実際に店を立ち上げようとなったとき、すべてそこでおこなっているように見えて、どこか別のところに工場があるなんて冗談みたいな話は、絶対に避けたいと思った。それって子どもだましっぽすぎるからね。ぼくがやりたかったのは、本当に製茶のすべてがそこで完結する店。それがスミスのはじまりです。
――フランスで出会った職人に影響を受けたり、製茶のすべてをおこなう工場のような店というコンセプトを思いつかれたりしたのは、スターバックスのような大企業で働いた経験があったからこそ、湧いてきたものだと思いますか?
おっしゃる通りです。自分の手でいろいろ作っている職人たちと話をするうちに、その商品が本物であるということ、大企業で働いた経験があったらからこそ、そういったことの大切さに改めて気づいたんです。実際に店をはじめてからは、自分たちですべてをコントロールできることの素晴らしさを実感しましたね。
――ここでスミスさんの7つ道具についてうかがいたいと思います。今日は実際に7つの道具を持ってきてくださったそうですね。
ええ、これが文字通りぼくの7つ道具です。ぼくたちの創作活動を支えてくれるもの。いまお店で出している商品はすべて、この道具を使って生み出したものです。
1つ目はお気に入りのスプーン。スミスのホームページとか、いろいろなところに登場しているマスコット的存在です(笑)。お茶をテイスティングするときには、バランスのいいスプーンが欠かせない。お茶をこれですくって、色や香りを確かめたら、飲み込みます。それを吐き出したときに、お茶のもつ複雑な味わいが一気に口のなかに広がるんです。
テイスティングに欠かせないふたつの道具。それはこのスプーンと昔ながらのティーポット。このなかにお湯を入れて、紅茶の葉を入れて、ふたをしてちょっと蒸らしたあとに、それごとカップのなかに入れて少しシェイクするんです。さっきのスプーンを使うと、それを何人もが同時にテイスティングできる。最初はぼく、次は君、次は君という具合に。
それで何度も何度もテイスティングして、どの紅茶が気に入ったか、気に入らなかったか、それぞれ感想を述べていきます。正確にテイスティングするには、スプーンのへりが薄くとがっていることが重要です。これはインドではなく、イギリスで作られたシルバー製のスプーンなんですが、最終的に南米に流れ着いて“発掘された”という特別なスプーンなんです。手に持ったときのバランスがよくて、いまのところ一番のお気に入りですね。
それからこれは、エチオピア帝国最後の帝王として知られている、ハイレ・セラシエのお墓の近くで見つかったケルト十字の首飾りです。ジャマイカを中心とする黒人運動では、救世主として崇められ、特にボブ・マーリーをはじめとするレゲエのミュージシャンには彼のファンが多かったといいます。金属の種類はわからないんですが、かなりの年代物ですね。ぼくのオフィスにあるキャビネットには、これ以外にもチベットやネパールなど、世界各地から集めてきたアイテムがたくさんあるんです。
――首飾りは実際に身に付けられているのでしょうか?
身に付けていたこともあったんですが、いまはもうないですね。1970年代には、ぼくにとっての「チェーンネックレス(※)」だったんですが(笑)。
※チェーンネックレス= ヒップホップのアーティストが身に付ける、成功や富を誇示するためのギラギラ光り輝くネックレス。俗名ブリンブリン
――(笑)このお碗もかなり年季が入っていますね。
まさにその、ヒビが入っていたりする感じが気に入っているんです。これで紅茶も飲むんですが、主には緑茶を飲むことが多いですね。飲むときにこうやって、両手でしっかりもって飲むのが好きです。お茶ってとてもパーソナルなもので、人によって飲み方が全然ちがう。ぼくがこのお碗でお茶を飲むときは、まだ“完全にできていない”状態で飲みはじめることが多いです。本当は緑茶なら3分、紅茶なら5分待つのが鉄則なんですが。だけどお茶って“完全にできていない”状態でも楽しむことができる。タイミングを見極めるのはあなた自身の裁量なんです。
――お茶を嗜むというのも奥深い世界ですね。
はい。そんなぼくとお茶の歩みが刻まれているのが、このレシピノートです。いろいろなブレンドを試していくなかで、「これはいける」「店で出せる」と思ったものには、こうやってお気に入りのハンコを押しています。以前は「これはどうかな?」と思うものには、「ここのバランスをちょっと落として」みたいなひと言メモを書いて、そのページを四角で囲うみたいなことをやっていたんですが、段々分かりづらくなってきたので、いまはもう少し分かりやすいハンコに変えました。
――これは日本で作られたものですか? それとも中国で?
中国です。お店で出している商品や、商品化にはいたらなかったけど、アイデアとしては面白いものなんかもここには書かれています。そしてこのレシピノートを書くときに、重石に使っているのが6つ目の道具。ぼくのラッキーアイテムでもあります。インドのナガランド州という場所で作られたゴールド製の重石です。
――どうやって持ち歩いているのでしょう。
これは身に付けるというより、どちらかというとポケットに入れて持ち歩くことが多いです。家やオフィスにいるときは、いつもそばに置いています。ほかにもラッキーアイテムはいくつかあるのですが、もってくるには重たすぎたり大きすぎたりして、これが今回カバンに入った唯一のアイテムだったんです。
もうひとつの道具というより、いつも持ち歩いているのは妻の写真です。それ以外にも息子や娘、孫と、家族全員分の写真を持ち歩いているのですが、今日は7つ道具ということだったので、妻の写真を選びました。
ビジネスパーソンの舞台裏
第8回|スティーブン・スミスさん(「スティーブンスミスティーメーカー」代表)
ポートランドが育んだ“紅茶の神様”(3)
製茶ビジネスで生きていこうと決意した瞬間
――この時間にはこのお茶というような、スミスさんお薦めの飲み方はありますか?
まずはお茶を毎日飲むことです。紅茶は景気づけや気合を入れたいときに、緑茶は考えごとをするときに、そしてハーブティーはなにかに集中したり、心を落ち着かせたいときにお勧めです。なかでも「バンガロー」と「ブラフミン」は目覚まし代わりにいいですよ。それから「メドウ」と「レッド・ネクター」はお休み前の寝酒代わりに。ペパーミントは消化を助けてくれるので、食前・食後にお勧めです。
――ポートランドでお気に入りのカフェがあれば教えてください。
1つ目はもちろん「スミス」です。ポートランドに来られたときは、ぜひ遊びに来てください。それからコーヒーを飲むなら「Stumptown Coffee(スタンプタウン・コーヒー)」。朝食や紅茶を片手におしゃべりするのにぴったりなのが「Besaw's(ビソーズ)」。ここではスミスの紅茶を飲むこともできます。小さな街なので、みんな仲間意識が強くて、お互いの店を行ったり来たりしていますよ。
――ポートランドという街は、スミスさんのお茶作りに欠かせない存在ですか?
ええ。ぼくにインスピレーションを与えてくれる場所です。食文化が非常に活気づいているので、街に繰り出すと、いつもあたらしいアイデアが浮かんでくる。間違いなく欠かせない存在ですね。
――ところで、アメリカの人たちにとってお茶とはどんな存在なのでしょうか?
アメリカでは日用品のひとつとして考えられています。しかもアイスティーで飲まれることがほとんどで、ホットのおいしさを知る人はほとんどいません。ぼくたちがスミスでやろうとしているのは、お茶そのものの存在価値を高めること。お茶のおいしさや面白さに触れてもらうことで、少しずついまの図式を変えることができるのではないかと思っています。
――実際そういった地道な努力が実を結んで、アメリカの製茶市場は過去10年間で7倍に膨らんだといわれています。それにしても、すごい成長ぶりですね。
ええ。これまでアメリカで人気の飲み物といえば、ソーダや砂糖がたっぷり入ったドリンク。ところが最近では、紅茶や緑茶、ハーブティーなど、“それ以外のもの”を求める人たちが増えている。これはアメリカ人の嗜好が、少しずつ洗練されてきたことをあらわしているのだと思います。
――スミスさん自身が最初にお茶と出合ったのはいつごろのことですか?
お茶は物心ついたときからいつも身近な存在でした。20代前半まで、一度もコーヒーを口にすることがなかったほど。祖母がすぐ隣りに住んでいたので、学校から帰るとすぐに彼女の家に直行して、一緒に紅茶や緑茶を飲んでいたんです。これがお茶との最初の出合い。「ザ・ゲーツ・オブ・エデン」を立ち上げてからは、カモミールとかローズヒップ、ペパーミントといったハーブティーを嗜むように。そして1995年、ぼくの生活はさらにお茶一色に染まることになります。ポートランドではじめてのお茶とコーヒー、スパイスの小売店をオープンさせたのです。
すでに「スタッシュ」を開業していたので、いわば副業のような感じでした。とはいえ、準備期間中はかなりの時間をこの店に費やしましたね。お茶とコーヒー、スパイスについて、徹底的に勉強しなければいけなかったので。このときに、改めて紅茶と緑茶の魅力を再発見したんです。豊かな香りと味わい。これはもっと突き詰める価値がある分野だと思いました。そして最初に編み出したオリジナルの茶葉が「ジャスミン・スパイス」。ジャスミンはとても香り高い花ですが、そこにシナモンとかショウガなどのスパイスをくわえると、単体で飲んだときとはまったく異なるテイストに生まれ変わる。製茶ビジネスで生きていこうと決意した瞬間でしたね。
――それから40年以上、スミスさんは製茶ビジネスに身を捧げてきました。一度は引退を考えられたこともあったそうですが、そのとき、なにがスミスさんを再びお茶の世界に向かわせたのでしょうか?
そうですね。これまで2つの製茶ブランドを作って、そのときに考えつくベストな方法でお茶作りに取り組んできたつもりです。だけどひとつだけやり残したことがあるとするなら、完全なトレーサビリティー(※)を実現できなかったこと。その後悔の念が、ぼくを再びお茶の世界に導いたのだと思います。そのあとに立ち上げたスミスでは、これまでにないまったくあたらしいお茶の作り方を打ち出しました。
※トレーサビリティー=食品の安全を確保するために、栽培や飼育から加工、製造、流通などの過程を明確にすること
――スミスを立ち上げて3年が経ちました。これからどんなブランドに育てていきたいですか?
これからも小売店やレストランに向けて、質のいいお茶を提供しつづけていきたいと思っています。さらに今後は、東京やパリ、ニューヨーク、サンフランシスコ、ロンドン、ソウルでも、もっとスミスの商品を知ってもらえるように、プロモーションを仕掛けていきたいですね。
それから、タゾの時代にはじめたことで、いまもつづけていることのひとつが、ビジネスパートナーのエイミー・ボーンとはじめたチャリティ活動。インドにある2つの村を自分たちの傘下に置いて、茶葉などのお茶の原料を提供してもらう代わりに、舗道や公衆衛生、教育といった村の人たちの生活を豊かにするための資源を提供しています。いまではインド以外に、グアテマラなどでも活動していて、今年で12年目になりますが、約5万人の人たちに手を差し伸べることができました。この活動はこれからもつづけていきたいですね。
穏やかな口調でお茶の魅力を語ってくれたスミスさん。紅茶、緑茶、ハーブティー。そのすべてを知り尽くした彼が生み出すブレンドティーは奥深く繊細。ただの飲み物というよりは“芸術作品”と呼ぶにふさわしい。40年以上のキャリアをもつ紅茶の神様は、今日も7つ道具を手に、ポートランドのアトリエでブレンドに勤しんでいる。