伊藤嶺花×鈴木康広|スピリチュアル対談(後編)
スピリチュアル対談 Vol.15|鈴木康広
伊藤嶺花が“視た”ゲストの肖像
「自然と人とモノの“心”をつなぐ正義の味方、クリエイティブメッセンジャー」(後編)
さまざまなステージで活躍するクリエイターをゲストに迎え、スピリチュアル ヒーラーの伊藤嶺花さんが、ひとが発するエネルギーを読み解くリーディングと複数の占星術を組み合わせ、クリエイターの創造力の源を鑑定。現世に直結する過去生や、秘められた可能性を解き明かし、普段は作品の陰に隠れがちでなかなかおもてに出ることのない、クリエイター“自身”の魅力に迫ります。
Photographs by JAMANDFIXText by TANAKA Junko (OPENERS)
第15回目のゲストは、前編で戦場の医師だったという意外な前世が明らかになった、アーティストの鈴木康広さん。後編では、“人生の相棒”であるけん玉との運命の出合いから、インスピレーションの源、鈴木さんの現世での使命についてさらにくわしく解き明かしていきます。
――前世は戦場の医師だった!?スピリチュアル対談(前編)を先に読む
「“特別な人”なんて言われる日がくるとはおもってなかった」(鈴木さん)
伊藤 現世ではいろんなことができちゃうとおもいますよ。「なにをする人か?」って聞かれたら答えられないぐらい、いろんな顔を持つようになるとおもうんです。大きくは、生き方も含めてクリエイターですよね。「あたらしいものをつくる」っていう。でもパイオニア的に切り込んでいくっていうのとはちょっとちがっていて。大事なものを、いまの時代に生きる人たちに響くかたちでリリースして(出して)いくという感じ。そういう意味では、そのやり方自体が“パイオニア”なんですよね。すごく大事なものを持っている特別な方だとおもいます。
鈴木 また、見えない鳥肌が……。
鈴木 計算? 数学とかですか? たしかに、学生時代は「数学が苦手」っておもっていたんですけど、じつは数学は大好きだったんですよ。あらかじめ答えの用意された問題を解いていく数学ではなくて、世界へのアプローチの仕方そのものが。
伊藤 そうそう、ロジカルなもの。それがつねに働いているから、ピンときたアイデアにウワッといくときって、考えずにいくというよりは、意識的に分析や計算をしながら向かっていきますよね。
鈴木 へええ。すごい頭よさそうじゃないですか(笑)。
伊藤 そうですよ。頭いいですもん。いいんですけど、自分のなかで「それは頭いいって言わないだろー」っていうのがどこかにあるんだとおもいます。「一般人には理解できないぐらいの天才か、変人か」って言われるでしょ? 見方によっては天才だけど「意味がわからない」っておもわれてしまうこともある。そういう意味では天才と変人って紙一重ですよね。
鈴木 美大に入ったころから個性を意識しはじめて、名字も鈴木だし「ものすごく普通だし、どうしよう」っておもっていたのに、そんなふうに“特別な人”と言われる日がくるとはおもってなかったですね。
伊藤 その「鈴木で普通だし、頭がいいわけじゃないし……」っておもっちゃっているところと、実際の姿とのギャップがまたおもしろい。それも鈴木さんの魅力ですけど。
鈴木 いまでも、そうやっておもいつづけてますけどね。活動をはじめて10年以上経つんですが、ぼくのやっていることって、必ずしも生活に必要とされているものではないのに、いろんな方が活動する場を与えてくれたり助けてくれる。それがほんとにありがたいとおもう反面、同時に不思議におもうんです。だから「ぼくはちゃんと役に立っているのかな?」ってたまに不安におもってしまって。
伊藤 理解されにくいかもしれないけど、鈴木さん自身が「いまの時代に響く、あたらしい着眼点やアプローチで、なにかしら役に立ちたい」っておもっているから大丈夫ですよ。
鈴木 そうですかね?
伊藤 えぇ。だから「役に立ってくれてるよ。こうすれば、もっと役にたてるんじゃない?」っていう人が自然と周りに集まってきます。シンプルだし、邪念がなくピュアだから、どんどん人が寄ってきますよ。
鈴木 そうですか。不安におもう理由のひとつが、ぼくは最後の最後、ほんとに「ヤバイ」とおもったときに、ようやくちゃんと動き出せるんです。学生時代からずっと。逆に「ヤバイ」とか「これはやるべきだ」って自分で認識できないと動きだせなくて、最後の最後まで迷ってしまうというか……。
自分なりの瞑想方法を見つける
「あーでもない。こーでもない」って、人はどうしても不安が大きくなっちゃうんですけど、それを考えるのをいっさいやめて、「もともとなにがしたかったのか?」っていう気持ちを取り戻すためにリラックスしてください。そうすると、おもしろいようにことが進みはじめますから。
鈴木 それはどのくらいの期間ですか? 一瞬でもいいんですか?
伊藤 一瞬でもいいです。1日に1回でも2回でも。人によって瞑想方法ってちがうので、だれでもヨガで瞑想するのがいいかっていうと、それはちょっとちがうんですけど。
鈴木 ぼくの場合、それはけん玉ですね。
伊藤 けん玉をやるっていうのが“無”になって落ち着けるのであれば、それが鈴木さんにとっての“瞑想”と言えるとおもいますよ。
鈴木 まさに。糸をまっすぐに引っ張ると、赤い玉が上に上がってくる。ただそれをやるだけで、自分の心が静まってひとつに一致するような気がするんです。
スピリチュアル対談 Vol.15|鈴木康広伊藤嶺花が“視た”ゲストの肖像
「自然と人とモノの“心”をつなぐ正義の味方、クリエイティブメッセンジャー」(後編)
“人生の相棒”けん玉との運命の出合い
伊藤 けん玉にはいつごろ出合われたんですか?
鈴木 いま持っているけん玉は、中学のときに先生からもらったものです。先生がクラスに持ってきて「遊んでいいよ」と言うので、休み時間に10人ぐらいで集まって遊んでたんですけど、あるとき先生が「『灯台』っていうむずかしい技を一番はじめに3秒間できたら、その人にけん玉あげる」って言いはじめて。
伊藤 チャーミングな先生ですね!
鈴木 いや、ほんとにだれもできないとおもってたんですよ。盗まれないように自分の名前を書いてたりとかして(笑)。そしたら、その「灯台」って技をぼくが一番最初にできたんです。先生はすごく驚いていました。自分の名前の横に「康広」って書いて、約束どおりけん玉をくれたんです。
伊藤 それはうれしかったでしょうね!
鈴木 それはもう。小学校のころは、運動はクラスで一番だったのでがんばる場所があったんですけど、中学校になると普通になってきて……。勉強も真ん中ぐらいだったので、そのころのぼくには人に誇れる取り柄がなかったんです。それが、このときばかりは「ぼくにも一番があった!」とおもえてほんとにうれしくて。それ以来、ずっと“トロフィー”として部屋の棚に置いています。
いまでも、(けん玉と)目が合うと「じゃあ、やるか」って感じではじめます。必ず「10回連続でやって、10回とも成功させるぞ」って、そのときの自分が「ちょっと難しいな」とおもう目標を設定して、成功するまで集中してやるんです。で、終わったらいつもの定位置に戻すっていう。そうやって“トロフィー”と目が合うときっていうのは、当時のうれしかった気持ちとか、成功したイメージを「現在」に蘇らせるためのものなのかなっておもったりしています。
伊藤 このけん玉は「灯台」を成功させたときの鈴木さん自身なんですよ。
鈴木 そうだったんですね……。
自分自身が一番のパワースポット!?
伊藤 だから、できれば毎日やった方がいいですよ。目が合ったときだけじゃなくて、「いつも見守ってくれていてありがとう」という気持ちで、できれば毎日やった方がいい。
鈴木 そっかー。いま毎日はできていないんですけど、あれから何十年たったいまもここにあるから、大事な存在だったのかなっておもいますね。だけど、モノってどうしても古くなっていくから、このけん玉もすこしずつ古びてきました。ずっと赤いままだとおもっていた赤い玉の色がすこしずつはげて、もとの木の色になってきちゃったんですよ。
伊藤 けん玉が木でよかったですね。もともと生きているものだし、一緒にいるうちに愛着が湧いてくるでしょ?
鈴木 ほんとに木でよかったなとおもっています。ぼくの名字も「鈴木」だったりして、木にはなにかと縁があるんです。
伊藤 じつは、鈴木さん自身、木のエネルギーがすごく強いんです。だから「ちょっと不調だな」とか迷いがあるときには、緑の豊かなところで1日ボーッとするといいですよ。
鈴木 ふだんはいろんなことに追われているから、作業を止める勇気がなくて、なかなか1日ボーッとできないんですけどね。
伊藤 そうでしょ? また、ここでもお医者さん(※)が出てくるんです。前世で戦地のお医者さんだったから、つねに「自分が動いてないと、助からない人が増えちゃう」っていう不安があるんですよね。
(※)編集部注:前編で「戦場のお医者さん」だったという鈴木さんの前世が明らかになった。
鈴木 へええ。これから戦地のお医者さんを意識するようになりそうー。
伊藤 もちろん締め切りとか、発表に追われるときもあるとおもいますけど、受信アンテナ(感受性)がものすごいので、とにかく精神的に毎日忙しい。だからこそ、リラックスするとか解放することが大切なんです。解放するというのは、頭と心と体をピタッと一致させること。「大きな宇宙のなかの自分と一体で生きていますよ」という状態に持っていくことです。その時間を定期的に取り入れていくと、もともと持っているものすごい力が爆発的に活きてきますから。
鈴木 じゃあ、木の下でけん玉やればいいんですかね?
伊藤 あ、すごくいいとおもいます。大地のエネルギーを感じたほうがいいので、土のあるところで裸足になって、土の感触とかを感じながら、木の下でけん玉をやったら最高ですよ。もうそこがパワースポットになっちゃう。
パワースポットとかスピリチュアルスポットがブームになってて、みなさん行かれるでしょ? 神社とか秘境だったりに。でも、ほんとは自分自身がパワースポットなんです。自分の波動が高いかどうかの問題なんですよ。「(波動が)下がっているな」っていうときに、みんなそういったスポットに行くけど、そういうものではなくて、自分が「居心地がいい」とおもえる場所で自分を感じ直すことが一番の充電なんです。だから、木の下でけん玉をするのは最高じゃないですか?
「よく一緒にいる人に『いま、どっか行ってたよね?』って言われます(笑)」(鈴木さん)
伊藤 鈴木さんは、とにかく潜在意識の引き出しが多い。人間の意識というのは、10%ぐらいが「顕在意識」という思考や行動をつかさどる領域で、残りの90%ぐらいが、感情や感覚、感触など五感をつかさどる「潜在意識」という無意識の領域なんです。さらに、その潜在意識のなかに、10%ぐらいインスピレーションを受け取る“第六感”の意識があるんですね。
鈴木さんの場合は、その顕在意識と潜在意識のあいだを、自由自在に出たり入ったりできるし、アウトプットする力も強い。そうやって「考えてもいないのにできちゃった」っていうのは、アルファ波が強くなっている証拠で、顕在意識と潜在意識の境目にある「変性意識」の状態なんです。「自分なんだけど、自分なのかわかっていない」みたいな。爆発的な集中力や超人的な能力を発揮しやすい状態なんですよ。
鈴木 よく一緒にいる人に「いま、どっか行ってたよね?」って言われます(笑)。ぼくだけですかね?
伊藤 みんな多かれ少なかれ経験しているとおもいますよ。たとえば、一生懸命料理をつくってるときは、子どもが泣いてても聞こえなかったりとか。
鈴木 ですよね。ぼくは「どこでもそうしていい」とおもっているので。慣れもあるとおもうんですが、ほんとはみんなそういう時間が必要なんじゃないかなとおもっているんです。
伊藤 そうです。じつは、それがほんとの瞑想の時間なんですよ。
スピリチュアル対談 Vol.15|鈴木康広伊藤嶺花が“視た”ゲストの肖像
「自然と人とモノの“心”をつなぐ正義の味方、クリエイティブメッセンジャー」(後編)
「『みんなもこうしたらいいな』っておもいながら自分で実行してる」(鈴木さん)
鈴木 ぼくは「みんなもこうしたらいいな」っておもいながら自分で実行しているところがあって。たとえば、街中でなにかを考えはじめたときは、どんなに人ごみであっても立ち止まっちゃうんですよ。そっちを優先するんです。「なにかメモしなきゃ」っておもったときも、「ここで止まったらみんなとぶつかっちゃうかな?」って一瞬おもいつつ、「いま書かないと消えちゃう」とおもってメモするんですよ。
伊藤 いまの感覚を感じている自分の状態で書いておかないとね。そこに時間も空間も凝縮して落とし込んでおかないといけないから。
鈴木 そう、そこがすごい重要なんです。大学生のころにいろんなアイデアや考えをメモしていたメモパッドがあって。それを「もう1回見たいな」とおもって、自分用にスクラップしたんです。日付も当時のものが入っています。これが残っていることが重要で。1個1個見ていくと、当時考えていたことがすごくよくわかるんですよ。
伊藤 絵日記みたいですね。いつも、こうやってスケッチしてから作品をつくりはじめられるんですか?
鈴木 そうですね。いろんなタイプのスケッチがありますけど、ハッとしたときにメモするタイプのスケッチもあれば、作品をつくるために、自分のなかにあるイメージをスケッチしながら探っていくこともあります。たとえば、クルマに興味を持ったら実際にクルマは見ないで描いていくんです。現実のクルマを見てしまうと、イメージが固定化してしまうので。自分の頭のなかにあるクルマは、別のなにかと結びつけたいクルマなので、すごく都合がいいクルマなんですよね。
伊藤 「結びつける」というと、既成のものと既成のものをくっつけて、あたらしい別のものにしちゃうイメージですけど、鈴木さんはくっつけないですよね。それぞれの良さを最大限に引き出す方向に持っていくじゃないですか? そこがすごいんですよ。だから温かくて優しさを感じるんです。
鈴木 ぼくはくっつけないですね。(瀬戸内国際芸術祭2010に出展した)「ファスナーの船」も、「ファスナー」でも「船」でもないんです。だから「の」がつくんですよ。「ファスナー船」だと「船」になっちゃうし、「船ファスナー」だとファスナーになっちゃうじゃないですか? 「の」でふたつをくっつけているようで、くっつけていないっていう。ふたつの概念が対(つい)になってあるんですけど、分けちゃった時点でそのまま固まるんです。等価の状態にしておくと、間にいろんなものが入ってこれる気がして。「あるかもしれない」っていう領域を残すことが大事というか。
伊藤 いやすごい。来世でやることがなくなっちゃいそうですね。作品の魅力を、もっと大勢の人にいろんな方法で届けていってほしいですね。作品というかたちで展示して興味のある人が観にいく、ということで終わらせてほしくないし、終わらせようとおもって現世に生まれ変わってきていないので。これからそうやって進んでいくときも、けん玉が一番の相棒になってくれますよ。
伊藤 このけん玉も買ってきたんじゃなくて、先生からもらえたっていうエピソードもいいですよね。ほんとにいい意味で純粋無垢で、そのときのけん玉をいまでも大事にするぐらいピュアな部分を持ってらっしゃる。そこがいつも働いて、インスピレーションをキャッチしてくれるんじゃないですか?
鈴木 ピュアって聞くとなんか恥ずかしい気がしますけど(笑)。
伊藤 いや、まっさらでないと、あたらしい発想が降りてきても受け止められないですから。
鈴木 つねに、そのインスピレーションを受け止められる自分でいたいという想いはありますね。そのために最善の自分を保つみたいな。<
伊藤 そうですよ。「棚ぼた」じゃないですけど、棚の下にいないとぼた餅はとれないですよね? 望んでることとか欲しいものとかっていうのは、ただなにもせずに待っているだけじゃ降りてきてくれないですから。
「視覚で『見る』だけじゃなく、感じる方の『視る』感覚も、鈴木さんにはある」(伊藤さん)
鈴木 自分でも気づかないうちにそこに出合えている気がするんです。作品をつくっているときはつねに急いでいて、時間の無いなかでつくっているんで、決められた時間にキュッと集約していく感じなんです。基本はピンチなんですよ。でも、その限られた時間のなかで必死でやれば、あとから見ても成立したものになっているんですよね。本気で「ヤバイ」とおもっているから。
伊藤 「なんとかしなきゃ!」みたいな想いですよね。
鈴木 自分を超える瞬間というか……。締め切りが迫ってきて、最後の最後で覚悟を決めないといけないとき、危機感があればあるほど、自分の能力を超えて、そこにふさわしいかたちがちゃんとできあがるんです。油断してるときは、全然そんなこと叶わないんですけど。
(※)まばたきの葉/Blinking Leaves(2003)=開いた目、閉じた目がプリントされた白い紙の葉が空中で回転し「まばたき」をしているように見える作品。観客が散った葉を集めて円筒に差し込むと、高さ6メートルまで吹き上がり空間に降り注ぐ。
伊藤 あとから理由が紐解かれて、自分で納得していく感じですよね?
鈴木 そうですね。このときも「白にこだわっていたのは、色ではなく光の明滅を表現したかったんだな」ってことが、あとからわかったんです。「目のある葉っぱ」って普通はありえないけど、ぼくのなかでは成立したんです。これをつくっていたころはちょっと不思議な世界が見えていたのかな。
伊藤 視えていたんじゃないですか? 視覚で「見る」だけじゃなく、感じる方の「視る」感覚も、鈴木さんにはあるんだとおもいます。わたしには視えてますよ。紙の葉1枚1枚に精霊が入っています。
鈴木 視えていたんですかね? 「おもいつく」とか「ひらめく」っていうのは、ぼくにとって創作のすごく重要な瞬間なんですけど、その瞬間だけは「視えた」ってことだとおもっています。
伊藤 そうそう。その「ピッ!」っていうのは降りてきたっていうことですよ。そのことが自分を突き動かしもするし、自分でも理解できないくらいの力を発揮することをちゃんとわかっていらっしゃる。
鈴木 でもインスピレーションが降りてくる瞬間って、なにも考えていないじゃないですか? 瞬間だから速すぎちゃって。
伊藤 それはけん玉と一緒ですよね。どっちも理屈じゃないので。「ここにこうして、こうしたら必ずできる」っておもいながらやってないですよね?
鈴木 そっかー。(赤い玉が)乗るか乗らないかわからない一瞬。それがインスピレーションとおなじだから飽きないんですね。インスピレーションの瞬間を、けん玉で再現していたんですね。たったいま気づきました。
伊藤 だからけん玉は毎日やってほしいんです。毎日やっていると、本来もっている力をもっといいように伸ばせるから。鈴木さんは第六感が生まれながらに強いんです。インスピレーションは第六感ですから。けん玉はそのための道具っていうか相棒になってくれますよ。
スピリチュアル対談 Vol.15|鈴木康広伊藤嶺花が“視た”ゲストの肖像
「自然と人とモノの“心”をつなぐ正義の味方、クリエイティブメッセンジャー」(後編)
「『怪我人と病人に敵国と自国もないんだよ』みたいな、すごい正義感が働いてる」(伊藤さん)
伊藤 こんなにおもしろおかしくお話くださってますけど、鈴木さん苦手な人とはまったく口をきかないですよね?
鈴木 そう、ぼくけっこう反論しちゃうんですよ。空気を読まず……。たぶん、自分のなかにある、ある種の「正義」のようなものがそうさせているんだとおもいます。その場にとっては、ぜんぜん正義じゃないかもしれないんですけど、なんかこう、許せなくなっちゃうんですよね。
伊藤 権力とか権威主義だったり……。
鈴木 そういうの大の苦手なんですよ。権威のある人がいる会議には、そこに従わないといけない人が集まってくる。でもぼくは外の人だから、好きなことを言える立場にあって、怖がる必要がないというか。
伊藤 それは、前世で戦地のお医者さんをやっていたからですよ。「怪我人と病人に敵国と自国もないんだよ」みたいな、すごい正義感が働いてるからなんです。
鈴木 ひょんなことからそういう場に呼んでもらえることが多いんですよ。前世が呼ばれているんですかね?
伊藤 前世のときから出会ってる人としか出会わないですからね。「あのときはありがとう」っておもっている人が、現世では助けてくれてるんですよ。逆に現世で意地悪されちゃったら、「きっと前世のときに意地悪しちゃったんだな」っておもうようにしてます。ちゃんとツケは払うように出来ていますからね。
鈴木 そうなんですね!
リンゴのモチーフが多いのはなぜ?
伊藤 ところで、どうしてリンゴのモチーフが多いんですか?
鈴木 うーん、考えたことがないですけど、リンゴってちょっと怖いじゃないですか? 毒リンゴの話とかもあったり。もしかして、リンゴって木から落ちたときに「人間の頭に当たってやっつけよう」とかおもっているんじゃないかって。
伊藤 そうですね。おいしそうに見えますもんね。
鈴木 悪いやつだけど気になるみたいな(笑)。ぼくは、いつ襲いかかってくるかわからないリンゴを、木の枝でサクッと射止めたいとおもっているんです。
「自分がやってきたことを人と話せるようになってきた」(鈴木さん)
伊藤 んーおもしろい。ほんと独特の感性をおもちですね。これからがさらに楽しみです。いろんなことをやってください。
鈴木 いろんなこと? 作品をつくる以外にもですか?
伊藤 作品はつくりつづけるんだけど、作品で終わらせないということになっていきます。老若男女問わず、受け入れられやすい表現に落とし込まれたら、すごく広がるとおもいますよ。自然とそういう方向に導かれていきますよ。このタイミングにお話させていただくというのも必然で。
伊藤 いや、もうどんどんされていきますよ。広めていきたい人ですからね。毎日いろんなセンサーでインスピレーションを受け取って、ほんといろんなネタを考えているし。
鈴木 そうですね。はじめから「人に伝えるもの」として考えているというのが重要で。「知識を自分のなかに溜めておくのは意味がない」っておもっているところがありますね。
伊藤 その考えてるときとか、インスピレーション受け取るときっていうのは、どっか自分だけの世界でしょ? 真空パックのなかにいる。だけど、鈴木さんは「それをどうリリースしたらわかってもらえるか?」ってところまでちゃんと考えている。
鈴木 むしろそこからが本番ですね。
伊藤 「あ、自分は地球人なんだった。この人たちのわかる言語で伝えなきゃ、誰もわかってくれるわけなかったわ」みたいな。そういう感じじゃないですか?
鈴木 そうですね。あたらしい「言葉」を考えるというか。宇宙からインスピレーションが降りてきたというか。いままでにない伝え方を見つけたときに、宇宙から地球にきた感じがするんです。宇宙からきたことはないので、もちろんたとえ話ですけど(笑)。はじめてここにきたっていう感じがするんです。
伊藤 そうでしょ? それを宇宙語でそのまま伝えたら、みんなわからないですからね。これからのさらなるご活躍、楽しみにしています。インスピレーションを受け止められる人の代表としてかたちにしていってください。
鈴木 そっか、代表なんですね。
伊藤 もっとたくさんの人に見てほしい。鈴木さんの作品は、作品という枠に留まることなく「一家に一台」という存在になりえる気がするんです。そういう意味で、実業界にかかわっていく人なんじゃないかなって。クリエイション自体をクリエイトする人っていうのかな? これからクリエイターになりたいっておもってる、なにかをつくって表現したい人たちのために道を切り開いていくし。みんなの代表になるんじゃないですか?
鈴木 伊藤さんのお話には、ぼく自身おもい当たる節がたくさんあって、なんども鳥肌が立ちました。今日はじめて明らかになったこともいくつかありましたし、これからの活動の参考にさせていただきたいとおもいます。ありがとうございました。
鈴木康広| SUZUKI Yasuhiro
1979年静岡県浜松市生まれ。2001年東京造形大学卒業。2001年NHKデジタル・スタジアムで発表した公園の回転式遊具「グローブ・ジャングル」を利用した映像インスタレーション『遊具の透視法』が年間の最優秀賞を受賞。オーストリア・リンツで開催されるメディアアートの祭典「アルスエレクトロニカ・フェスティバル」への出品をきっかけに、国内外の多数の展覧会やアートフェスティバルに招待出品。2002年、『椅子の反映 inter-reflection』がフィリップモリス・アートアワードにて大賞を受賞。同年より東京大学先端科学技術研究センター岩井研究室特任助手を務め、同研究所を拠点に活動を開始する(2006年より廣瀬・谷川研究室特任助教)。現在は中邑研究室特任助教。2003年に発表した『まばたきの葉』は、スパイラルガーデンでの発表後、美術館のみならず多くのパブリックスペースへ展開をつづけている。2009年、羽田空港で開催されたインスタレーション「空気の港」のアートディレクションを担当し、作品『出発の星座』はグッドデザイン賞を受賞。2010年、瀬戸内国際芸術祭2010では『ファスナーの船』を出展し話題を呼んだ。2011年、浜松市美術館での個展を中心に、浜名湖での『ファスナーの船』展示、商店街や市役所でプロジェクトをおこない、浜松市教育文化奨励賞「浜松ゆかりの芸術家」を受賞。初の作品集『まばたきとはばたき』(青幻舎)を刊行した。
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