伊藤嶺花×鈴木康広|スピリチュアル対談(前編)
Lounge
2015年3月4日

伊藤嶺花×鈴木康広|スピリチュアル対談(前編)

スピリチュアル対談 Vol.15|鈴木康広

伊藤嶺花が“視た”ゲストの肖像

「自然と人とモノの“心”をつなぐ正義の味方、クリエイティブメッセンジャー」(前編)

さまざまなステージで活躍するクリエイターをゲストに迎え、スピリチュアル ヒーラーの伊藤嶺花さんが、ひとが発するエネルギーを読み解くリーディングと複数の占星術を組み合わせ、クリエイターの創造力の源を鑑定。現世に直結する過去生や、秘められた可能性を解き明かし、普段は作品の陰に隠れがちでなかなかおもてに出ることのない、クリエイター“自身”の魅力に迫ります。

Photographs by JAMANDFIX

Text by TANAKA Junko (OPENERS)

第15回目のゲストは、ファスナーをかたどった巨大な船で大海原を切り開くという壮大なプロジェクトを成功させ、瀬戸内国際芸術祭2010の話題をさらったアーティストの鈴木康広さん。けっして奇抜でない、ミニマムとも言えるほどシンプルで静かにそこにたたずむ彼の作品。それらはしかし、長い間眠っていた感性を優しく呼び覚ましてくれるような確かなパワーを携えている。前編では、そうした作品の原点だという“パラパラ漫画”づくりのお話から、過剰なほどモノに気を遣っていたという子ども時代のエピソードまで、いまの鈴木さんをつくっているヒト・コト・モノについてたっぷりとうかがいました。

すべての作品は“パラパラ漫画”に通ず!?

伊藤嶺花(以下、伊藤) わぁ、パラパラ漫画がいっぱい(笑)。

鈴木康広(以下、鈴木) 大学時代、メモパッドに描きつづけていたパラパラ漫画を、昨年の展覧会用に複製したものなんです。もともとメモ帳サイズ(B7)だったものを、手のひらサイズに縮小しました。

伊藤嶺花×鈴木康広|スピリチュアル対談(前編) 02

伊藤嶺花×鈴木康広|スピリチュアル対談(前編) 03

伊藤 じゃあ、これは大学のときからずっと作りためてきたものなんですか?

鈴木 そうですね。興味のあったものを、ぜんぶパラパラ漫画化してきたという感じです。

伊藤 おもしろい! サイズ感とか、バランスがちょうどいいですね。このカルタぐらいの大きさがかわいい。それに『落ちるととべるりんご』や『指先コーヒー』『ぶつからない車』『意識のカーペット』……どの作品もタイトルが素敵です。

鈴木 タイトルは重要です。ぼくがいなくても成立するためには、タイトルが必要なんですよ。

伊藤 タイトルであらわしていることがテーマですもんね。

鈴木 「それでもわからない」って言われることもありますけどね。最初、パラパラ漫画は、ぼくがこうやって自分でめくって見ていただいていたんです。そんな経緯もあって、たぶん、パラパラ漫画をめくることにかけては、日本で10位くらいに入るとおもいます(笑)。

伊藤 わたしも小学校のときに、さんざん(パラパラ漫画を)描いては、それをめくってというのをやっていました。

鈴木 パラパラ漫画をやってた人って多いんです。でも、みんなそのあとにやめちゃうんですよ。ぼくもやめちゃいました。やめたけど、中学のときにもう一回目覚めてまたやめて。高校のときにまたもう一回目覚めてまたやめて……。大学のときに、本格的に目覚めたんですよね。全部で百冊ぐらい描きました。

伊藤 大人になってから目覚めるって最高ですね!

鈴木 大学のときは、このパラパラ漫画のほかにアウトプットする手段がなかったんですよね。

伊藤 一枚ずつ、ちょっとずつ絵を変えながら描いていくのって難しくないですか?

鈴木 めくりながらアイデアを考えていくんですよ。描いてはめくり、次に浮かんだアイデアをまた描く……それを繰り返していくと、モチーフ同士で予想外の結びつきが生まれたりして。その世界観がおもしろくて病みつきになったんです。

伊藤 めくりながら次を考えていくんですか。すごいですね!

鈴木 はじめから描きたいものが見えていると、おもしろくなくないですか? そうすると、もう作業になってしまうので。だから、アニメーターの方は根性あるとおもいますよ。仕事だからっていうのはもちろんありますけど、すべて計画した上で描いていくじゃないですか。ぼくの場合は、最後どうなるのかわからない状態で描いていくので、そこに大きなちがいがあるとおもいます。

伊藤 たしかに、さきにストーリーが完結しちゃうと、あとは作業になってしまう。テクニック的なものを極めているだけになってしまいますもんね。

鈴木 一冊ずつ厚みが違うんですけど、そういうのも、ぼくの場合は遊びでやっていて、アニメーターの方みたいに「一秒間に24コマ」とかっていうそういう縛りがないからできることなんですよね。

スピリチュアル対談 Vol.15|鈴木康広

伊藤嶺花が“視た”ゲストの肖像

「自然と人とモノの“心”をつなぐ正義の味方、クリエイティブメッセンジャー」(前編)

「ひそかに『このアイデア、だれかが実現してくれないかな』って」(鈴木さん)

伊藤 (パラパラ漫画を手に取りながら)あぁ、ものすごい味がある。人間的な味っていうか、深さがあるっていうのかな。

鈴木 「味」ですか。じっさいは、ペンでただ描いているだけだから、タッチもなにもないんですけどね(笑)。

伊藤 字もかわいいですもん。線の柔らかい感じとか、太さ的にちょうどいい。これ以上太いペンで書いちゃうと、ポップになっちゃうでしょうね。鈴木さんのは、カフェのメニューとかにしたい感じ。

鈴木 うれしいですけど、なんか、かわいい子ぶっているみたいじゃないですか(笑)。ぼくは、読みやすいように書いているだけなんですけどね。できるだけたくさんの人に読んでもらえるようにってところも含めて。でも、字のことをそんなふうに指摘する方はあまりいらっしゃらないので、おもしろいです。どちらかというと、グラフィックデザイナーの視点ですよね?

伊藤 わたし、大学のときにビジュアルデザインの勉強をしていたんですよ。だから、どうしてもそっちに目がいっちゃって……。これ、ぜったい女の子は好きですよ。

鈴木 へええ。意識したことなかったです。姉と妹に挟まれているからですかね?

伊藤 あ、そうかも。ほんとやさしい柔らかさを持ってる。(頭の上にリンゴを乗せて走る“リンゴタクシー”を描いた一冊、『リンゴタクシー』を見ながら)これとかも、ほんと素敵ですね。

鈴木 あ、これはリンゴタクシーが開業した瞬間なんですよ。リンゴタクシーっていう、リンゴが上に乗っているタクシー会社です。

伊藤 発想が最高におもしろいですね!

伊藤嶺花×鈴木康広|スピリチュアル対談(前編) 05

鈴木 偶然、車体にリンゴがボトンと落ちた瞬間、開業したというストーリーだから、リンゴタクシー会社。リンゴは固定していないんです。だから、リンゴが落ちないように運転するテクニックが必要なんです。すごく緩やかに、最高速度は低く、止まるときやカーブを曲がるときも、つねにリンゴが落ちないように走らないといけない。安全運転が売りです。じつは、ひそかに「このアイデア、だれかが実現してくれないかな」っておもっているんですけど。

伊藤 いいですね。動画にも向いていそう。

鈴木 ずいぶん前になるんですが、ぼくがパラパラ漫画をめくっているのを撮影して、映像にしたことがあるんです。トークをするときには、その映像を流したりして。ナレーションとまではいかないですけど、解説するとよく伝わる気がするので、その都度、映像を流しながらぼくが話すようにしています。

伊藤 それ、おもしろい! そのまま、企業のテレビコマーシャルになりそう。

鈴木 ほんとですか? ぜひお願いします(笑)。

伊藤 (笑)いやいや、ほんとに。たとえば、以前だったら、アニメーションと言えばCGだったのが、最近は鈴木さんが作られているような、素朴さの光る作品に戻ってきていますから。

「子どものときに自分のなかにあったものをつなぎとめておきたい」(鈴木さん)

鈴木 たしかに、みんなCGに飽きてきたみたいですね。

伊藤 CGを作るプロセスにも、間違いなくハートが詰まっているとおもいます。でも完璧すぎると、一般の人が見たときに、その奥が想像できなくなってしまうんですよね。

鈴木 最後の最後まで完成しきっているというか。「もうちょっと見たい」というところまで見せてしまっているような……。

伊藤 そうそう。プラスしすぎちゃうと、人間ってお腹いっぱいになってしまうので、あえて引き算していった方がいいんですよ。だから、子どものころにだれもが経験したり、やったことがあるシンプルなものを出していく方が、「この人はなにを考えてるの?」とか「ほかにどういうのがあるの?」とか、どんどん興味が出てきますよ。

鈴木 じゃあ、ついにぼくの出番がやってきましたね(笑)。ある意味、ものすごく当たり前のことをやっている感じがするんですけどね。

伊藤嶺花×鈴木康広|スピリチュアル対談(前編) 06

伊藤 あ、そうです。すごくシンプル。だけど、シンプルなものこそ奥が深いじゃないですか。たとえば、モノがなにもなかった時代に生きていた昔の人は、生活のなかからいろいろなモノを生みだしていました。すべてに「ありがたいな」という気持ちで生きていたわけで。そういうものが、鈴木さんのシンプルな作品のなかに全部詰まっている気がするんです。モノを大切にするとかね。このパラパラ漫画にしても、タイトルと絵の中に、人として大切にしたい“想い”みたいなものが詰まっています。

いまはテクノロジーが発達して「これも人間が作ったの?」って驚くものが世の中にどんどん出てきていますけど、そこから「さらに先へ」という進化と引き換えに、人として忘れてはいけない大切な“こころ”が薄れつつあるとおもうんです。

鈴木 そう言われてみると、「子どものときに自分のなかにあったものを、必死につなぎとめておきたい」という想いがあるのかもしれません。自分が「おもしろいな」とおもったことを、わかりやすく人に伝えたいとおもったときに、自然と自分のなかにある大事なものが出てくるんです。パラパラ漫画を描いているときも、そうやって自然に引き出されてくる感じがおもしろくて。アイデアをかたちにして、人に伝えるおもしろさと、「自分はこんなことに興味があったんだ」という発見。そのふたつがちょうどいいバランスにあって、はじめてパラパラ漫画ができあがるんです。そうじゃないと、こんなに長続きしなかったとおもいます。もともと、ぼく飽きっぽいので。

スピリチュアル対談 Vol.15|鈴木康広

伊藤嶺花が“視た”ゲストの肖像

「自然と人とモノの“心”をつなぐ正義の味方、クリエイティブメッセンジャー」(前編)

「ピンときたものにたいしては、爆発的な力を発揮しますから」(伊藤さん)

伊藤 そうですよね。興味の対象が変わるというよりは、大きくは一緒なんだけど、興味をもった“とある疑問”を追求しはじめると、追求していくうちに“とある疑問”も枝分かれしていくじゃないですか。「これどうなってるの?」ってあたらしい疑問が浮かんできたら、そっちにいきますよね。さらに進んで、「これどうなったの?」っておもったら、また違う方向に進んでっていう……。

鈴木 なんで知ってるんですか!?

伊藤 (笑)グワーッとどんどん突き詰めていくので、納得がいくところまで進むと、その時点でもう元の答えは出ているんですよね。だから、わざわざ元の地点に戻る必要がなくなるっていう。その繰り返しですよね?

鈴木 ……驚きです。もう言い当てられてしまったんですけど、10年以上そうやってきた結果、できたものがこの作品集(『まばたきとはばたき』/青幻舎)なんです。おもしろかったのが、これをはじめて会った人に見てもらったら「おもしろいですね」って興味を持ってもらったんですけど、「ところで、鈴木さんの作品はこのなかのどれですか?」って言われて(笑)。

伊藤 (笑)なんて答えていいかわからなくなっちゃいますね。

鈴木 もう、びっくりしてしまって。仮に「全部です」って言うと、「全部作ったんですよ。すごいでしょ?」っていうニュアンスになりそうだったので、「これぼくの作品集なんです」って答えたんです(笑)。でも、たしかに作品ごとに全然ちがうことをやってきていて、それはそれで事実なんですよ。自分の興味はどんどん移っていって、走り去ったあとに前のことが気になっているんですけど、いった先のことで手いっぱいになってしまって……。

伊藤嶺花×鈴木康広|スピリチュアル対談(前編) 08

伊藤 でも、突き詰めていくことで、最初のとっかかり部分の答えは出ているとおもいますよ。

鈴木 出ているんですかね? ぼくにはまだその自覚がないんです。どちらかと言えば、「これさえやっていれば、きっとなにかできるようになっているだろう」っていう期待感で進んできた感じです。映画によくありますよね? 「あることに熱中していたら、こんなこともできるようになっていた」みたいな。たとえば、掃除するバイトをやっているうちに、気がついたら日本一のなにかのチャンピオンになっていたとか。そういうふうに、あることを目的にしつつ、別のこともできるようになっている。間接的な努力が意外とうまく機能してくれたという気がしています。

伊藤 しかも、ピンときたものしか、そうやって向かっていけないですよね?

鈴木 そうですね。向かっていくときは、ものすごいピンときていますね。

伊藤 ですよね。鈴木さん、ピンときたものにたいしては、爆発的な力を発揮しますから。そのエネルギーがものすごく強いので、これから大成功されますよ。

鈴木 ほんとですか? 油断しそう(笑)。

「ビジネスとうまく融合させれば、良さがブワーッと広がっていく」(伊藤さん)

伊藤嶺花×鈴木康広|スピリチュアル対談(前編) 09

『ファスナーの船/Ship of the Zipper』(2010)
瀬戸内国際芸術祭2010に出展

伊藤嶺花×鈴木康広|スピリチュアル対談(前編) 10

伊藤 いわゆる“オタク”ではあるんですよ。マニアックなところに着眼して、自分の世界を追求していく感じですから。興味の対象が動きつづけているので、なかなか人に理解されにくいかもしれません。

鈴木 そうかも知れないですね。それこそ、ある一定の方にすごく興味を持ってもらえたことで、いままで活動できたんだとおもうんです。

伊藤 何次元もの世界を同時に行き来する能力を持っています。だけど、いろんな人たちが生活しているこの3次元の思考中心の世界のなかで、多くのひとたちの心に響くように伝えることは、マーケティングビジネスを展開している企業が上手じゃないですか。そことうまく融合させれば、鈴木さんの良さがブワーッと広がっていくとおもいますよ。

鈴木 へぇぇ! いま目に見えない鳥肌が立っています。

伊藤 じっさいに、実業家的な能力は持っているとおもいますよ。自分で実業家になるというより、鈴木さんのアイデアに目をつけた実業界の人たちと一緒に、そのアイデアをよりマスマーケットに向けて落とし込むみたいな能力が高いですね。そこでキーワードになってくるのが、人との「出会い」です。

鈴木 たしかに「出会い」ですね。出会いをきっかけに、自分のアイデアでビジネスをしてもらうことも受け入れられるようになってきました。以前は、ビジネス的なものにたいして、すごく抵抗があったんですよ。

伊藤 鈴木さんご自身がそれを考えるんじゃなくて、そういうのが得意な方がたにアレンジしてもらって、鈴木さんの良さをそのまま引き出してもらう方がいいとおもいますよ。そのなかで、自分の意図とはちがうアレンジの仕方や伝え方、届け方をしようとする人も出てくるとおもうんですけどね。

鈴木 それも、ぼくの予想を超えておもしろければいいですよ。

伊藤 そうやって「おもしろい」と感じれば大丈夫です。その辺はピンとくるのでわかりますよ。いずれにしても、好き嫌いが激しいから、とっさに顔に出ちゃいますしね(笑)。

鈴木 ほんとぼく顔に出るんですよ。なんか嘘をつくと、鼻の穴がひろがるらしいんで。ピクピクッて(笑)。

伊藤 (笑)えぇ、嘘はつけないですよ。曲がったことが大嫌いですもんね。善良な道徳観や倫理観を持っているので。人としてシンプルに大事にするべきことっていうのを、ゆるぎない信念として持っているんです。そこにピンとこないことには怒るでしょ? で、怒るとものすごいですから。

鈴木 そうなんです。いまはだいぶ大人になりましたけど……。

伊藤 飄々(ひょうひょう)として、爽やかではつらつとして見えますけど、内面はものすごく繊細だし、ものすごく自我も強いですし。

鈴木 自我ですか?

伊藤 自我の強さというのは、大事な目標を設定して、意志を貫くときにも必要なことですから。なんでも表裏一体で、自我をいい方向にいかせば、意志の強さとか、善なるものにたいして極めていく力とか、いろんなふうにいかせるわけです。もちろん、若いときには、内面のコントロールが大変なときもあるとおもいますが、同時に、それほど内面に強いエネルギーを持っているということです。

“第六感”と呼ばれるインスピレーションを受信するアンテナも、生まれながらにものすごく強いです。そうして受信したインスピレーションを、この世界にあるかたちあるさまざまなモノに置き換えられる力が強いんです。クリエイターやアーティストの方というのは、みなさんそういう力を強く発揮されている方がたなんですけど、鈴木さんの場合は、現世はクリエイターになるために生まれてきているので、どれだけみんなのハートをキャッチして楽しんでもらえるモノを作れるか、挑みつづけているんです。

スピリチュアル対談 Vol.15|鈴木康広

伊藤嶺花が“視た”ゲストの肖像

「自然と人とモノの“心”をつなぐ正義の味方、クリエイティブメッセンジャー」(前編)

「『三つ子の魂百まで』。子どものころにすべてが詰まっている」(伊藤さん)

鈴木 いま作品で作りつづけていることって、物心がついた幼稚園のころから全然変わっていない気がするんですよ。

伊藤 変わっていないとおもいますよ。子どものときって、知識とか雑念とかがあまり働いていないので、目が止まったもので心が躍動したものを、「ぼくも(わたしも)あれやってみたい」って無邪気に出しているわけです。そこに全部のヒントがあって、それを人は毎日叶えつづけようとするんですね。なぜなら、心が無邪気にひろがったこと自体が生きる喜びだから。

鈴木 へええ!

伊藤 無意識のうちに、その喜びを「もっと」って膨らませつづけようとしているんですよ。だから子どものころにすべてが詰まっているんです。

鈴木 ぼくはどうだったんだろう……。工夫するときの喜びとか手応えみたいなもの、ピンとくる感覚はほとんどずっとおなじです。それがあったから、高校3年生の夏に美大に行くことを決めたんです。理系のコースにいたのですごく迷ったんですけど。

伊藤 迷いや葛藤はすごく大きいですよね。それだけこだわりが強いということだとおもうんですが。

鈴木 そうですね、答えが出ないことにたいして真面目に考えすぎると、なにも動けなくなるんです。それでただ時間が迫ってきて、ここで進路を決めなきゃっていうときに、美大という選択肢もあることを知ったんですよ。理系のコースにいたのに数学がどうしても苦手で、ほんとに向いていないことがわかっていたので、美大のことを知ったときは、避難場所を見つけたような気分になりました。

伊藤 いつも葛藤するポイントって、追いつめられている不安感だったりで、ネガティブに聞こえちゃうんだけど……。

鈴木 基本的にはいつも不安なんです。

 伊藤嶺花×鈴木康広|スピリチュアル対談(前編) 12

伊藤 漠然とした不安ですよね。「こういう悩みごとを抱えていて、こうだから不安」とかじゃなくて、なにか漠然とした大きな不安感を持っています。モラルとか倫理観をしっかり持っているがゆえに、周りと比べて「これってどうなの?」って、いつもどこか客観的に自分を見ている部分もあって。だから「いいのかな?」っていう不安に感じる部分と同時に、「ここにピンときていないのにやるのはどうなの?」っていう自問自答もあるんですよね。そこが葛藤するポイントだとおもうんですけど、健全な葛藤ですから大丈夫です。

鈴木 そうなんですか。いろいろとチャンスもいただけますし、自分がおもいついたものを作っていくという部分も含めて、楽しいことには間違いないんですけど、おなじぐらい不安なんですよね。じっさいに作品というかたちにしなくちゃいけないので、頭のなかでおもいついたものだけじゃだめじゃないですか。実現しないといけない。その難しさもあってヒヤヒヤするんですよ。「おもいついたものが実現できないかもしれない」怖さ。いつも怯えているというか。だからがんばれるんですけどね。

伊藤 そうですよね。それが、まさに鈴木さんの原動力になっている。

鈴木 「絶対に実現したい」っておもっているとだんだん近づいてくるんです。それってすごく不思議で、振り返ってみると、絶対にできそうになかったものが、いつのまにかできる雰囲気になってきて「あれ、なにか変わったのかな?」って。

伊藤 いやいや、強いんですよ。引き寄せる力も。実現する力も。それだけ、ほんとにシンプルで自分に正直だということです。曲がったことが嫌いで嘘がつけないっていうのは、自分にたいしてもそうなので。

鈴木 そうなんです。油断したくないんですよね。

伊藤 だから迷っているときは自分にも厳しくなってしまうけど、その分、ハマったときはグワーッと一気にいけますから。それに賛同する人、協力する人も勝手に引き寄せてしまう力も持っているので、最後には必ずかたちになってきます。

「子どものころ、モノにたいしてすごく気を遣っていた」(鈴木さん)

鈴木 モノを作っているようでいて、あんまりそういう気分がしないところがあるんですよね。子どものころ、モノにたいしてすごく気を遣っていました。モノを投げたりすると、悪いなっておもったりして。あるとき、それが過剰な時期があって、ずっとモノに謝りつづけていたんです。

伊藤 みんなそれぞれの役割で、それぞれの宿命で生きているっていうことを意識しはじめると、そういう気持ちになりますよね。わかります。

鈴木 でも、あまりに度が過ぎたので、すごく苦しくなってきちゃって。椅子に座っただけでも椅子に謝って、肘ついただけで机に謝ってたりしていたので、「これじゃあ生きていけないな」っておもったんです。

伊藤 わたしもアリをよけて歩いていたことがありましたよ。でも公園に行ったときなんかは、あまりにいっぱいいるのでよけきれないですよね。だから「はい、いこうね~」って声かけて逃がすんです。

鈴木 ほんとですか? それはすごい!

伊藤 動物とかはほら、言語とか思考がないじゃないですか。ある意味、第六感のみだから、そこで会話しちゃえばいいだけの話なので。そうやって、一緒に生きている生き物たちと会話するんです。

鈴木 そっかー。ぼく、そういうこと忘れていたような気がします。

伊藤 子どものころには、必ずそういうことを無意識にやっていますからね。

鈴木 ぼくも、子どものころにNHKで放送されていた「それいけノンタック」という教育番組に影響を受けて、モノと会話できると信じ込んでいました。おでこにメガネがついていて、「おでこのメガネででこでこでこりーん」と言ってピュッとメガネをかけると、電信柱とかと会話できるようになるんです。それで「お母さんどこに行ったかな?」って聞くと、電信柱が答えてくれるんですよ。それにすごく影響を受けていて。

伊藤 そういった想いが鈴木さんの作品のなかに詰まっていますよ。

鈴木 そうですか? でも、そういうふうにモノと話せるものだと信じ込めたというか。「これは作り話だよ」みたいにはおもわなかったんですよね。

伊藤 それこそ、なにかを信じる純粋な想いがあれば、その人には見えるっていう奇跡みたいなことが起きちゃうことも現実にあるので。小さいころは余計なものがなかっただけに、信じる気持ちっていうのも大きかったでしょうから、そういう昔話的なことはよりリアルなものとして身近に存在していたとおもうんです。

鈴木 そうですね。むしろそっちの方が比率的には多かったです。

伊藤 鈴木さんは、大人になったいまでもそれに近い状態で生きていらっしゃる。純粋な心や信じる気持ち……そういう大事なことを、どんどん子どもたちに伝えつづけていってほしいです。

スピリチュアル対談 Vol.15|鈴木康広

伊藤嶺花が“視た”ゲストの肖像

「自然と人とモノの“心”をつなぐ正義の味方、クリエイティブメッセンジャー」(前編)

子どものころの感覚を取り戻した美大時代

鈴木 そうですね。よく「子どもたちにも」って言われるんですけど、自分ではあまり子どもたちのことを意識していなくて。じっさい、子どもと大人ってかなりちがう世界に生きているとおもうんです。大人が考える子どもの気持ちは、もう子どもの視点ではなくて、大人になった自分の主観。子どものころの気持ちや感覚がほんとにいまの自分のなかにあるのかわからないですね。ぼくは20才くらいまで「当たり前」と言われている世界を知ってきました。でも美大に入ったころに、ある意味、突然幼稚園のころの感覚に戻ったみたいになりました。高校まではひどいじゃないですか。受験とか競争ばっかりで。それが美大に入ったとたん、急に自分が幼稚園とおなじ状態になったんですよ。

伊藤 一応基準がありますけど、基本的には自由ですよね。

鈴木 もしかしたら、大学によってはシステマチックなところもあるかもしれないですけど、ぼくが通っていた東京造形大学は、あまりガチガチしたところがない大学で、けっこう自由だったんですよ。

それがよかったとおもうんですけど、大学が子どものころのことをもう一度強烈に思い出させてくれる装置みたいになって、子どものころの純粋な想いや情熱がガーッと加速したんです。そこで、こういうパラパラ漫画が生まれたりして。ぼくにとっては、大学での生活が、社会のなかでまだどこにも属さない安全なエリアみたいな、自由に遊べる遊び場みたいなものに感じていたんです。それこそ、クラフトデザインからスペースデザイン、ファッションデザインまで全部やりました。職人になりたかったんですよね。

伊藤嶺花×鈴木康広|スピリチュアル対談(前編) 14

伊藤 鈴木さんは、前世で伝統工芸職人をされているんです。だから、現世ではもういいとおもいますよ。

鈴木 あ、そうなんですか? 言われてみると、職人になりたかったんですけど、おなじことをつづけていると半年ぐらいで飽きちゃうんです。

伊藤 そう、飽きちゃうの。ひとつのことを極めることは、もう前世でやっているから。いまもピンときてハマると極めたくなっちゃって、「答えが出るまでやるぞ」ってなるのは、前世の職人気質が出てきてしまうんでしょうね。

鈴木 期間限定で職人気質はすごく出ます。ひとつのことに極端にハマる経験をいろんな分野でひととおりやったことで、そのあと、自分でいろいろなタイプの作品が作れるようになったんです。

伊藤 それはすごいですね。うらやましいです。わたしの場合は、いろいろやって全部楽しかったけど、スペースデザインとかおもいきり単位落としましたからね(笑)。

鈴木 ぼくも学校の課題とかはすごく苦手だったんですよ。そこは全然だめで。いったん完成すると飽きちゃうんですけど、1個目まではちゃんと職人並みにやるんです。もちろん「自称」ですけど。木型から靴づくりをして、靴が自分の中で職人並みにできたとおもったらやめるんですよ。

「いまの心の波動に一番影響を与えている前世は、戦場のお医者さん」(伊藤さん)

伊藤 ほかにもいろんな前世を経ていますが、いまの心の波動に一番影響を与えている前世の姿が、パーンと一番クリアに視えてくるんですね。鈴木さんの場合は、それが戦場のお医者さんなんです。つねに動いていないと落ち着かないというのは、そこからきているとおもいます。生きるか死ぬかの戦地で、ひとりでも多くの命を助けようと奮闘しているわけですから。

鈴木 へええ!

伊藤 医薬の材料もすくない時代だし、いまみたいに病気それぞれに対症療法があるわけじゃないですから、ある意味クリエイティビティが必要になってくる。「目の前で血だらけになっているこの戦士を、一番痛くない方法と苦しみを取る方法で、ひとりでも多く助けたい」って必死なわけです。「いつも自分にたいして半信半疑の大きな漠然とした不安がある」というのは、一歩間違えば人が死んでしまうという状況で生きていた前世が関係しているんですね。「あのとき、こうした方がよかったのか?」って掘り下げたいけど、次々と患者がやってくるから迷っている暇もない。自分なりに薬草とかを調べては「これが応用できる」「これが代用できる」って、既成のものに縛られない発想と緊急処置で対応してきたんです。そのときは、余計なことはいっさい考えず必死にやっていますよ。じゃあ、なぜ鈴木さんがいまの時代に日本に生まれて、クリエイターとして活動されているかというと……。

鈴木 わーちょっと怖いなぁ。でも聞きたいです。お願いします。

伊藤 (笑)いま日本は幸い戦地ではないじゃないですか。大戦が終わってから生まれた世代ですから、戦争をリアルに体験していない。じゃあ“平和ボケ”して生きればいいかというと、そうではなくて、ほんとに人として大事なことを、いかに楽しくおもしろく、興味を持って伝えていけるかというのが、鈴木さんの現世での使命です。だから、ひとつの職業では収まらないですよ。興味を持ったこと、疑問を持ったこと、ピンときたことをいろんなやり方で実現していく人。既成概念にとらわれず、固定観念をとっぱらって、ありとあらゆる次元を縦横無尽に行き来できる人です。それが鈴木さん独自の世界感をつくりだしているんですね。どんどんあたらしい方法や手段も生み出していきますよ。仕事が趣味だし。興味を持ったことに向かって動きつづけること。それがそのまま仕事になっちゃう人です。だからいろんなことをやりますよ。

鈴木 ぼくですか?

伊藤嶺花×鈴木康広|スピリチュアル対談(前編) 15

伊藤 そう、約70億人の人が世界中にいて、さらに自然界に目をやると植物や動物もいるけど、これらは全部ひとつなんだよって伝えること。それが鈴木さんに与えられた仕事です。

鈴木 なるほどー。

伊藤 そのことを、よりわかりやすいかたちにして世の中に発信しつづけていく人。そういう意味では、霊能者としての役割もあります。

鈴木 ああ、そうなんですね。

伊藤 これはクリエイターの方みなさんに言えることですけど、独自の世界感を人の目に見えるかたちに落とし込める表現力というのが桁外れにすごい。

鈴木 モノにすると、とたんに人に伝わるんですよね。

伊藤 ですよね。だから、クリエーターやアーティストの方こそ、宇宙からの使者であるわたしたち人間の“代表”だとおもっています。地球上に大切なことを伝えるために生きていると。鈴木さんの場合は、引き出しがもともと多いんですけど、それをさらにアップデートもしつづける人だから、どんどんリリース(出して)いかないと。

鈴木 そうですね。アーティストとして活動をはじめたばかりのころは「こういう作品を作る人」として展覧会とかに呼ばれていたんですけど、だんだんなんでも出せるようになってきたんです。

伊藤 そうですよ。戦場のお医者さんのときとは真逆の方向で、いまの時代におなじことを伝えようとしているわけですから。

鈴木 まさにメスをいれていく感じですね。以前、雑誌『装苑』でいろんなクリエイターが紙を使った作品を作る、「ペーパーファンタジー」という企画に呼んでいただいたことがあって。みんな帽子や靴を作ったりしていたんですけど、ぼくが作ったのは、ファスナーのかたちをしたペーパーナイフだったんです。紙が1枚だけ切れる分量の刃が出ていて、それでロール紙をカットするんですけど。ロール紙って曲がろうとするじゃないですか? それを伸ばしてから切ると、クルクルッとなってからパーッて開いていくんですよ。

伊藤嶺花×鈴木康広|スピリチュアル対談(前編) 16

雑誌『装苑』の企画「ペーパーファンタジー」に掲載された鈴木さんの作品。ロール紙をカットする、ファスナーのかたちをしたペーパーナイフだ

ファッションがテーマの企画だったんですけど、素材にあたらしい切り口を入れるという行為が、ファッションのはじまりを象徴しているなとおもって。それに、これをメスにして手術のときみたいに皮膚に触れたら、人体を開くチャックにもなるんです。超怖いですけど(笑)。さっき前世でメスを入れていたかもしれないというお話を聞いて、すごくおもしろいなとおもいました。

伊藤 そう、直結しています。使命感が強いとかね。前世の延長で奮い立たされるものがあるとおもいます。


前編では、戦場のお医者さんという意外な前世が明らかに。後編では、“人生の相棒”であるけん玉との運命の出合いから、インスピレーションの源、鈴木さんの現世での使命についてさらにくわしく解き明かしていきます!

――けん玉との運命の出合い
スピリチュアル対談(後編)へ

鈴木康広| SUZUKI Yasuhiro

1979年静岡県浜松市生まれ。2001年東京造形大学卒業。2001年NHKデジタル・スタジアムで発表した公園の回転式遊具「グローブ・ジャングル」を利用した映像インスタレーション『遊具の透視法』が年間の最優秀賞を受賞。オーストリア・リンツで開催されるメディアアートの祭典「アルスエレクトロニカ・フェスティバル」への出品をきっかけに、国内外の多数の展覧会やアートフェスティバルに招待出品。2002年、『椅子の反映 inter-reflection』がフィリップモリス・アートアワードにて大賞を受賞。同年より東京大学先端科学技術研究センター岩井研究室特任助手を務め、同研究所を拠点に活動を開始する(2006年より廣瀬・谷川研究室特任助教)。現在は中邑研究室特任助教。2003年に発表した『まばたきの葉』は、スパイラルガーデンでの発表後、美術館のみならず多くのパブリックスペースへ展開をつづけている。2009年、羽田空港で開催されたインスタレーション「空気の港」のアートディレクションを担当し、作品『出発の星座』はグッドデザイン賞を受賞。2010年、瀬戸内国際芸術祭2010では『ファスナーの船』を出展し話題を呼んだ。2011年、浜松市美術館での個展を中心に、浜名湖での『ファスナーの船』展示、商店街や市役所でプロジェクトをおこない、浜松市教育文化奨励賞「浜松ゆかりの芸術家」を受賞。初の作品集『まばたきとはばたき』(青幻舎)を刊行した。

www.mabataki.com/

           
Photo Gallery