日産GT-R50 by Italdesignに試乗──日伊の自動車史を駆る愉しみ
CAR / IMPRESSION
2021年4月28日

日産GT-R50 by Italdesignに試乗──日伊の自動車史を駆る愉しみ

目に見えないバリュー

トリノを象徴するランドマークのひとつ「バジリカ・ディ・スーペルガ」で撮影していると、通りがかる人々から、次々と車両について尋ねられた。クルマと一緒に自撮りする若者もいる。
思えば筆者が四半世紀前イタリアに住み始めた頃、自動車イベントに訪れると「日本車なんて、イタリア車のデザインのコピーじゃないか」と宣う高齢者がいたものだ。
近年、日本ブランドのイメージはずいぶんと変わりつつあるのは意識していたが、こうしたウルトラリミテッド・モデルは、さらにそれを加速させるかもしれない。
価格は、すでにさまざまなメディアがセンセーショナルに伝えているとおり、税別・オプション別で99万ユーロ(約1億2700万円)である。
日産GT-R50 by Italdesignを所有し、走らせる喜びとは何か?
それは日本とイタリアにおいて自動車史の一部を彩り、今もリアルタイムで刻み続けている2ブランドの一里程を共有することと筆者は考える。
まず筆者の脳裏に浮かんだのは、歴史的な日産車2台だ。
1台はスカイラインのシャシー上にイタリアのジョヴァンニ・ミケロッティによるデザインのボディを載せ、60台が製作されたといわれる1962年の「プリンス・スカイライン・スポーツ」だ。
プリンス・スカイライン・スポーツ(1960年プロトタイプ)
もう1台は1989年に「スカイラインの父」桜井眞一郎氏率いるオーテック・ジャパンが200台限定で発売した「オーテック・ザガート・ステルビオ」である。日産とイタリアのカロッツェリアとの超限定生産車のコラボレーションの歴史に、またひとつ新たな1台、それも最もスタイリッシュな作品が加わった。
一方、イタルデザインは冒頭で記したようにジョルジェット・ジウジアーロが創立した自動車デザイン&エンジニアリング企業である。
共同設立者でエンジニアのアルド・マントヴァーニと、デザインだけでなくメーカーに生産プロセスまで提案可能な頭脳集団として、イタリアのカロッツェリア界に新たな地平を拓いた。
そして1972年「アルファ・ロメオ・アルファスッド」、1974年初代「フォルクスワーゲン ゴルフ」、そして1981年、後に映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の劇中車となる「デロリアンDMC-12」など、200台以上の自動車を手掛けてきた。
その傍らで、毎年ジュネーヴ・ショーで、数々のアイディアに満ちたコンセプトカーを放ち、業界にインパクトを与えてきた。
プロジェクトリーダーのポルタ氏についても記しておこう。1974年生まれの彼は、少年時代からアニメをはじめとする日本のポップカルチャーに親しんで育った。やがて日本の自動車文化にも関心を抱くようになる。
今も“ケンメリ”といった愛称が、たびたび会話のなかで自然に登場する。高校を卒業すると日本への語学留学も経験。日本語検定にも合格した。トリノ大学で学んだのちイタルデザインに入社。 以来、10台以上のジュネーヴ・コンセプトカーのプロジェクトに参画した。
今も社内きっての日本通である。日産GT-R50 by Italdesignのプロジェクトリーダーには、彼をおいて他にいなかったことはたしかだ。
「今回の日産GT-R50 by ItaldesignのサイドのデカールはR34型のもの、手塗りのフロント用はR35型のものをモティーフにしています」とポルタ氏は熱く説明する。
グッドウッドのコンセプトカー以来、ポルタ氏自身が世界のポテンシャル・カスタマーたちとコンタクトを取り続けてきた。
前述の2つのブランドのヒストリーに加え、こうした熱き造り手と始まるつきあいに価値を見いだせる人なら、その超弩級といえるプライスも充分納得できるものに違いない。

Spec

NISSAN GT-R50 by Italdesign|日産GR-R50 バイ イタルデザイン

  • (イタルデザイン社発表スペック)
  • 全長×全幅×全高|4784×1992×1316mm
  • ホイールベース|2780mm
  • エンジン|3799cc V6 DOHC 24バルブ ターボ
  • トランスミッション|6段デュアルクラッチ式AT
  • 最高出力|720ps/7100rpm(推定値)
  • 最大トルク|780Nm/3600-5600rpm
  • 駆動方式|AWD
  • タイヤ|(前)255/35R21/(後)285/30ZR21
  • 価格|990,000ユーロ~(税・オプション別)
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