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2022年10月31日
ブサかっこいいデザインが魅力な1960年代の国産セダン4選
デザインで選ぶ1960年代の国産セダン
ボディサイズの大きさがステイタスだった1960年代。まだシャープなエアロフォルムが導入されるはるか以前の当時の国産セダンは、“デカ顔”や角ばったボディが特徴の大らかなデザインが、いまのクルマにはない独特な魅力を放っていた。ここでは、そんな観点からセレクトした60年代の国産セダンを紹介する。
Text by OGAWA Fumio
制約のなかから個性あるデザインが生まれ、日本車のオリジナリティとなった
1960年代の日本車は魅力的だ。そう思っている人は、少なくないのでは? まあ、スタイリッシュとはいいにくいモデルもある。でもブサかっこいいデザインが、逆に、存在感を醸し出しているではないか。
クルマがスタイリッシュになったきっかけ(のひとつ)は、1980年代初頭“エアロフォルム”導入から。空気抵抗が低そうに見えるなめらかなボディスタイル。アウディや独フォードがリードをとるかたちで広まっていったのだ。科学が(クルマを)デザインする、なんていわれたりもした。
エアロフォルム前のクルマは、空気抵抗がいかにも大きそうなデカ顔。大きくカサばって見えることに、メーカーはむしろ価値を置いていた。初代カローラが、全長3.8メートル、全幅1.4メートルと日本車はコンパクトだった時代である。大きさがステイタスだった。
もうひとつ、60年代のクルマに魅力を感じるのは、北米を大きな市場ととらえていたため、彼の地で売れるようなデザインの個性ゆえ。当時の日本では、全長5.5メートルなんてクルマ(例えばリンカーン)は、工場の生産ラインや、道路事情ゆえ、つくれない。
アメリカ車的。でも独自。制約のなかから個性あるデザインが生まれ、日本車のオリジナリティとなっていく。そこが、60年代の日本車の面白さだと、私は思う。
1) トヨタクラウンスーパーデラックス(1967年)
個人ユーザーを視野に入れるようになった3代目クラウン
1955年発売の初代と、62年の2代目と、「トヨタ・クラウン」は法人需要がメインだったが、67年の3代目からは個人ユーザーを視野に入れるように。
いまの目でみると、室内などは合成樹脂が多用されているばかりで、当時の欧州の高級セダンとは較べるべくもない。でも、がんばっているなあという感じは、確実にある。魅力はそこ。
エンジンは2リッター直列6気筒。ボディは4ドアがメインだったものの、ハードトップもこの第3世代で初めて設定され、以降、クラウンの看板となっていく。
中古車市場ではさすがにタマ数が少なくなっている。とはいえ、探せばまだ出物に出合える可能性も。ボディは、当時のトヨタの“高級車はかくあるべし”の信念に従ってセパレートフレーム式。このソフトな乗り味もまたよし。
2) 日産プレジデント(1965年)
古典建築にもどこか通じるような趣きがある
初代「日産プレジデント」は驚くほどの長寿だった。1965年から90年まで35年にわたって造り続けられたクルマである。
ぜんぜん変わらなかったわけでなく、77年に直列6気筒から4.4リッターV型8気筒にエンジンが変わったし、82年にはヘッドランプが丸型4灯式から角形4灯式へと変更されている。
全長は5,280mmもあり、当時街で見かけると、威風堂々ぶりが印象的だった。別の言い方をすると、70年代後半にはすでに古色蒼然。メルセデス・ベンツが79年にはスムーズな面作りが美しいSクラス(W126)を出したり、アウディが82年にエアロフォルムと言われた100を出すなか、ゴツゴツしたようなボディ面は違和感すらあった。
それでも時代がたってみると、クロームで要所要所を飾りたてたスタイリングはなかなかよい。古典建築にもどこか通じるような趣きすらある。インテリアも同様で、特に高級仕様「ソブリン」の後席などぜいたくなモケット張り。いいなあと思う。
最近まったくごぶさたなので、いまの目からみて、ドライビングはどう評価できるか申し上げられない。ただし、80年代当時すでに、足まわりがソフトすぎたり、エンジンはトルクはあるものの、あまり回りたがらなかったりで、イケイケムードの時代には合わなかった。私はそれを覚えている。
でもいま、そんなところも”味”として許容できそう。70年代の横バー式と言われたメーターパネルを眼の前に、やたらグリップが細いステアリングホイールを握って粛々と走ったら、と考えると興味が湧くのである。
3) 三菱デボネア(1964年)
クラシカルなスタイルは雰囲気抜群
初代プレジデントに負けず劣らず長命だったのが、三菱自動車の初代「デボネア」だ。64年に発売されて86年まで生産された。80年代当時からクラシカルなスタイルは雰囲気ばつぐんだった。
実は、4,670mmの全長に2,690mmのホイールベースのパッケージをうまくまとめてあり、躍動感すら感じられる。小さなテールフィンがついていたのも、当時の眼には古くさくて笑っちゃったが、いまでは、個性的でよい感じ。
先に触れた通り、ボディのプロポーションがよく、かつ、ボディ側面ではショルダーの面取りがされていて、それが全体に緊張感を与えている。GMでスタイリングを担当していたハンス・ブレツナーの手腕が冴えているのだ。現代からすると、それに加えて、往年の米国車的な雰囲気も魅力。
エンジンは2.5リッター4気筒。ここまでの大排気量の4気筒は珍しかった(ポルシェは「944」に3リッター4気筒まで搭載していたが)。足まわりがソフトで、エンジンは回らず、三菱グループの重役のショファーカーとして以外、まったくマーケットがなさそうなクルマだったが、いまの私は、欲しいなあという気がする。すでに人気もそれなりに上がり、中古車市場での価格も予想以上に高いけど。
4) いすゞフローリアン(1967年)
ブサかわいいデザインがいまでは魅力
味のある、一説によると、味しかない、なんて言われたのが、いすゞ自動車が、67年から82年まで生産していた「フローリアン」。でもこれもまた、いま見ると、ブサかわいくていいではないですか。
パッケージングがユニークで、全長4,430mmと中ぐらいサイズのボディに、2,500mmと比較的長い(当時としてはかなり長い)ホイールベースの組合せ。1930年代に創業し、太平洋戦争後は、大型商業車のトップメーカーだった、いすゞ。フローリアンは、15年のあいだ、役員車として活躍した。
そもそも、117セダンとしてカロッツェリアギアがボディデザインを手がけたモデルだ。しかし、(ギアといすゞの関係としては珍しく?)いすゞからのパッケージング要件を入れたせいか、プロポーションは崩れてしまい、見るからに、もさーっとしている。
やたらぶ厚く見えるボディは、とうていスポーティとはいえなかった。ライバルメーカーがどこも、低く長く見えるボディデザインと、エンジンや足まわりなどエンジニアリングを煮詰めて走りのよさを追求している一方、生きた化石みたいな印象だった。
80年代初頭は、いすゞが得意としたディーゼルエンジンの燃費のよさで人気を博したが、いま乗ろうとすると、東京都など多くの自治体が実施しているディーゼル車規制のせいで、登録しにくいだろう。1.8リッターガソリン車を探すしかない。