『少年は残酷な弓を射る』 エズラ・ミラー インタビュー|INTERVIEW
INTERVIEW|話題の映画『少年は残酷な弓を射る』
エズラ・ミラー インタビュー(1)
ティルダ・スウィントン、ジョン・C・ライリー、 エズラ・ミラー、3人の圧倒的な演技は、眩暈(めまい)がするほどすばらしい(デイリー・テレグラフ紙)――衝撃的な内容と、400ページを超える長さから「映画化は困難」といわれてきた、英国女性作家文学賞の最高峰、オレンジ賞受賞のベストセラーがついに映画化。残酷さと美しさをあわせもつ息子ケヴィンを演じた新星エズラ・ミラーは、最旬のヤング・ハリウッドスターとして大きな注目を集めている。映画『少年は残酷な弓を射る』は、6月30日(土)よりTOHOシネマズシャンテにて公開される。
Text by KAJII Makoto(OPENERS)
ロスの路上で合格の知らせを聞いて、うれしくて踊り出した
――最初にこの映画のオファーがあったときの印象を教えてください。
すばらしいアートになるとおもいました。感情の視覚的・聴覚的な表現が書かれていた脚本がすばらしかったんです。息子ケヴィンのキャラクターもすごいし、この役を演じられたらすごいなとおもっていましたが、オーディションを受けてから役が決定されるまでは1年半もかかりました。
――オーディション時のおもい出はありますか?
オーディション6回目の最後に、ケヴィンのマスクが外れるラストシーンのスクリーンテストをしました。そのテストが終わったときにスタッフみんなが涙を流していて、2週間後に「きみに決まった」と連絡がありました。合格の知らせを聞いたときにはロスの路上にいて、うれしくて踊り出しました。道行人は“なに、このひと?”みたいな目で見ていたけど。でも、その1時間後には水をかけられたようにサーッと血の気がひいて、プレッシャーが襲ってきました。これを自分がやらなきゃいけないんだという責任を感じたんです。
――ケヴィンはどんな子どもだったとおもいますか?
ケヴィンはとても頭が良くて、赤ちゃんのときから周囲を認知する能力が人並み外れて高かったんです。そもそもケヴィンのハイパーな知性が原因で、両親と自分の力学にも気がついてしまうし、母親が自分に対してしていることが心からのものではなく、虚構なのだと気づいています。ケヴィンは大きくなっても7歳の頃のTシャツを着ていて、母親にいい母親であるふりをさせません。食事も自分でサンドイッチを作って食べたりして、わざと母親に手をかけさせないんです。ケヴィンは誠実な母親の愛情がほしかったから、ケヴィンと母親が分かち合っているこの状況、この真実を感知して欲しかったんだとおもいます。
――ケヴィンの役作りはどのように?
悪を描いた物語でも、どれも人間であれば可能かもしれないことですよね。リアリティの半分は悪で、誰でもそうなりえることなので、その悪の部分を追求するようにしました。一番の恐怖は、ケヴィンが全面的な悪魔のようになってしまうことでした。そうなると伝わらなくなってしまうことを心配しました。僕がそれを演じて観客に嫌われるかもしれないという躊躇はありませんでした。実際の僕は、母親とはとってもいい関係で、なんでも話すんです。この映画の試写も母とふたりで行きました。母と僕は一回も険悪な感じになったことはないのですが、そんな僕でも今回ケヴィンを演じているときに幼いころのことをおもい出しました。
5、6歳のころ幼稚園のクルマの送り迎えをしてくれていた母が、「今日、幼稚園はどうだった?」と聞くので一生懸命幼稚園でやったことを話して、ふと母を見たら僕の話を聞いていなかった。母は振付師で、3人の子どもをもつワーキングマザーだし、運転していたし、やることも多かったんでしょうが、そのとき僕はものすごく激怒したんです。僕の話を聞いていないなら、何で聞くんだ!?と。子育ては母にとっても苦労の連続で、自分に犠牲をはらうことだといまはよくわかります。ケヴィンの場合は、本当はつねに無視されて愛されていないのに、母親が母性愛をデモンストレーションしていたらどうなんだろう?と考えながら演技しました。愛しているふりはしているが、じつは捨てられたも同然だと怒るでしょうね。人間は本能的に愛されるものだとおもっているわけなので、子育てにおいて親の関心が自分に向けられていないとおもう子どもはどんな怒りをもつだろうか、とおもいますね。親に注目されずに育った子は、なにをしてでも注目を浴びたいとおもうのではないでしょうか。それはケヴィンもおなじなんだとおもいました。
INTERVIEW|映画『少年は残酷な弓を射る』
エズラ・ミラー インタビュー(2)
自由奔放に生きてきた作家のエヴァ(ティルダ・スウィントン)はキャリアの途中で子どもを授かった。ケヴィンと名づけられたその息子は、なぜか幼いころから、母親であるエヴァにだけ反抗を繰り返し、心を開こうとしない。やがてケヴィンは、美しく、賢い、完璧な息子へと成長する。しかしその裏で、母への反抗心は少しも治まることはなかった。そして悪魔のような息子は、ついにエヴァのすべてを破壊するような事件を起こす……。
役を信じていないと演じられなかった
――この映画では母親とケヴィンの関係に比べて父親の存在が希薄ですが、それにかんしてはどうおもいますか?
もちろんケヴィンがああなったのは母親とおなじくらい父親にも原因があります。今回の映画のテーマとしても悪いひとができたときに、なぜか母親に原因があると言いがちで、母親にすべての罪を着せるのが都合の良い答えになるのでしょうが、本当にそうでしょうか? ほかのひとには責任はないんでしょうか? ケヴィンの父親にも原因がありますよね。母は息子の悪いところしか見えない、父は愛しすぎるあまりにいい子であってほしいとおもうあまり現実が見えない。愛で盲目になっている父はケヴィンと母親の戦いのなかではちっぽけな道具にすぎなかったのだとおもいます。
――なぜケヴィンは弓を選んだとおもいますか?
弓は正確に的を射なければならないものだから。そこが彼が弓を選んだ理由だとおもいます。彼自身の性格に合っていた。彼が弓を射たその的は母の心だったんです。でもこれは僕の解釈であって、その解釈はひとぞれぞれ。それが映画だとおもうので。
――一番印象に残っているシーンは?
この映画は記憶についての映画だとおもいます。ケヴィンの場合、自分のそれまでの記憶を堆積してきていつしか恐ろしい場所にたどり着いてしまったのだろうと考えました。ラストシーンでケヴィンはその必要があるとおもってモンスター化していたが、もうマスクを取らなければならないとおもうんですよね。そこは一番演じるのが難しかったシーンでした。
――そのラストシーンについての説明をお願いします。
キャラクターに共感しなければならない苦労はありました。役を信じていないと演じられなかったですね。なぜケヴィンはあんなことをしたのかを理解しなければならなかったんです。ケヴィンは愛情をあたえられずに育ち、その復讐心をぶちまけるのが母親なんです。自分の存在が認められないからあんな自分のモラルも正しいとおもって行動しています。何を正しいか探りつつ、自分の悪を母親に露呈します。最後に自分がもろくなって罪を認めますが、ラストシーンでは僕もケヴィンとおなじく現実を見つめなければいけなくて、ショックでした。
無理をしてまで自己主張をする思春期。ケヴィンを演じている僕もまさに思春期で、ケヴィンを理解していたつもりが、じつはわかっていなかったということに直面したラストシーンでした。子どもは全知全能だと思っていますが、思春期はとくにそうではありません。ラストシーンで彼は自分のやったことで自分を破滅させたと実感します。多くのひとを殺したという、自分の行為に直面する――まるでギリシャ悲劇です。僕はそのシーンを演じてから1時間は涙が止まりませんでした。ケヴィンみたいな子はたくさんいるのに、支えが得られずに自分の気持ちを爆発させてしまい、今度は毎日拷問のように自分と向き合うことになります。ケヴィンがそうなったのは本人のせいだけではなくて、社会のせい、周囲のせいでもあったと思います。
――試写はお母さんと観たとのことでしたが、、お母さんはラストシーンでどうでしたか?
最後にふたりが抱き合うシーンで、母が体を揺すって泣いていました。そんな姿を見たのは最初で最後でした。
――あなた自身の反抗期はどんな感じでしたか?
僕自身の反抗期は13歳のときだと思います。すべてのことが一瞬で嫌いになって、周りから言われることはすべて上から目線だと感じてしまうから、「何言ってるんだ! くそっ!」っていう感じになってしまうパンクが好きな共産主義者でした。僕は3人きょうだいの末っ子で、上のふたりの姉たちの反抗期を経験している両親には、姉たちよりハードルを上げないと反抗していると認知されないと思ったので結構強く反抗しました。
――この映画はあなたの顔のアップのカットが多いですが、どんな気持ちでしたか?
自分の顔のアップをスクリーンで観るのは本当に変な感じ。あんなにでっかい自分の口が画面に出たら、必要ないよねと思ってしまったり(笑)。自分でも気持ち悪っ! って思ってしまいました(笑)。
INTERVIEW|映画『少年は残酷な弓を射る』
エズラ・ミラー インタビュー(3)
この作品を支えるのは、唯一無二の存在感を持ち、『フィクサー』でアカデミー賞助演女優賞を受賞するなど、その実力が高く評価されているティルダ・スウィントン。悪魔のような息子への戸惑いと自己否定の日々での葛藤をこの上なくリアルに演じ、ゴールデングローブ賞ほか各映画賞でノミネートされ、多くの賞を受賞した。
この役を演じきったことで、自分も役者として生きていける
――母親役のティルダ・スウィントンはどんなひとでしたか?
ティルダはあんな桁外れの演技をするひとなのに、実際はすごく暖かくて愛情深い女性です。感受性が鋭くてつねにオープンで、いままで共演したどんなひとよりも“大きい”ひとでした。演技はどれだけその場でふりきれるかだとおもいますが、ティルダは「ローリング!」(用意スタート!)と言われた途端にぱっと変わって役に入る集中力がすごいんです。ふり(演技)をしている時間と人間同士で触れ合っている時間を、本当に分けられる女優です。普段は自分も楽でいることができるんです。僕はメソッドタイプなので、この役を演じるあいだは、オフのときでもティルダと険悪な関係をつづけなくちゃならないのかとおもっていたけれど、彼女はちがったし、僕を信じてくれた。とてもクリアな考えをもっていたティルダは自分にも勉強になりました。
――この映画に出演した感想は?
はじめてこの映画の脚本を読んだのは、映画に出はじめてから2、3年のときでした。それまではその場でうまく切り抜けてきた感じだったけど、この映画をやりたいとおもったときから、いろいろと考えはじめましたね。ティルダのことは以前からアーティストとして好きで、お手本だとまでおもっていたひとだったから、本気で取り組まなきゃいけないと真剣でした。それにケヴィンの役は、自分が役者業をやっていけるかどうかを試す役だとおもいました。この役を演じきったことで、自分も役者として生きていけるんだとおもわせてくれた作品です。
――まだ19歳ですが、若いころから仕事をはじめていますね。俳優の仕事にかんしてはどのように考えていますか?
世間は俳優をセレブと一緒にしてしまうところがありますよね。そうなると上から目線のひとになってしまうとおもいます。映画は多くのひとがかかわって作り上げるものだから、僕ら俳優はスタッフの一部に過ぎないんです。たまたま顔が出ているから代表しているかのように目立ってしまいますが、人間はストーリーテリングに価値を見出します。人間の本質にそれがあって、その表に出ているのが俳優だから、彼らをセレブがごとくに賛美してしまうのかなと。
誰にとっても難しい局面はジャッジされること。賛美も批判も受けますが、自分の本質をジャッジされているのではなくて一部の露出されている部分が賛美や批判にあうのは辛いですね。とくに子ども時代は周りからイメージを押しつけられて、そのイメージに合わせないといけないとおもっていました。他人のジャッジによって自分をどうこうするわけではないですが、まだ若い自分のわずかな経験でいうと、それが怖いですね。若いといろんなことに気づかないものですが、そういうことに影響されてしまいそうなときには、顔を知られて有名だということにはなにも意味がないんだ、と言い聞かせていました。こういう仕事をしている友だちにも、そのことを忘れないようにと、いつも思い出すように言っています。だからいまは他人が自分をどうおもうかということは気にしないですね。
――これから先のプランはありますか?
自分の将来のことは秘密です(笑)。作品のタイプを自分がかかわる企画の条件にはしたくないとおもっています。僕がインディペンデントな映画に向いているのはきっとたしかだけど、インディペンデントだからと言っても質の悪い作品には出たくないし、メジャースタジオだからやらないということでもなく……クオリティで作品を選びたいですね。
――俳優としてはどんな役を演じたいですか?
本当の自分からはなるべく遠い、ちがったタイプのキャラクターを演じたいです。そこからもっと先の夢はただ在ること。“BE”。自分自身のまま生きるというか、ただそこに在りたいです。僕はプライベートな自分と役者の自分をあまり考えていませんし……。
――日本の観客にメッセージをお願いします。
映画を観たあとにいろいろと考えて、自分に問いかけてほしいとおもいます。そういう反応が起こるとうれしいんです。この映画のケヴィンは、少し怖い気持ちにさせるかもしれませんが、ぜひ劇場で観てください。
エズラ・ミラー|EZRA Miller
1992年、米ニュージャージー生まれ。スクリーンデビューは2008年度カンヌ国際映画祭、09年度ベルリン国際映画祭に出品され批評家からの絶賛を受け、ゴッサム賞とインディペンデント・スピリット賞にノミネートされた『Afterschool』(日本未公開・08年)。本作で主演を務めたエズラ・ミラーはすぐに各国の映画業界で注目の存在となる。その後、アンディ・ガルシアと共演した『City Island』(レイモンド・デ・フェリッタ監督/日本未公開・09年)、リーヴ・シュレイバー、ヘレン・ハントらと共演した『Every Day』(リチャード・レビン監督/日本未公開・2010年)で主役を演じる。
エレン・バーキン、エレン・バースティン、ケイト・ボスワース、デミ・ムーア、マーティン・ランドーと共演した『アナザー・ハッピー・デイ』(サム・レヴィンソン監督・2011年度東京国際映画祭で上映)と、大物俳優を相手にしても一歩も引かない演技と存在感が評判を呼ぶ。本作『少年は残酷な弓を射る』でもブロードキャスト映画批評家協会賞の若手俳優賞、英国インディペンデント映画賞の助演男優賞にノミネートされるなど、その評価はますます高まっている。次回作は、アメリカのティーンのリアルライフを描いたベストセラーの映画化であり、エマ・ワトソンがヒロインの『The Perks of Being a Wallflower』(スティーヴン・チョボウスキー監督)。