Secrets behind the Success|連載第13回「ル・ブリストル・パリ」シェフパティシエ ローラン・ジャナンさん
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2015年10月21日

Secrets behind the Success|連載第13回「ル・ブリストル・パリ」シェフパティシエ ローラン・ジャナンさん

ビジネスパーソンの舞台裏

第13回|ローラン・ジャナンさん(「ル・ブリストル・パリ」シェフパティシエ)

直感と真心がおいしいデザートをつくる(1)

ビジネスで成功を収めた成功者たちは、どう暮らし、どんな考えで日々の生活を送っているのだろう。連載「Secret behind the Success」では、インタビューをとおして、普段なかなか表に出ることのない、成功者たちの素顔の生活に迫ります。

今回のゲストは食の都・パリを代表するパティシエのひとり、ローラン・ジャナンさん。14歳でパティシエの道を志して以来、この道一筋25年以上というベテランだ。まるで花火のように、楽しいサプライズに満ちたデザートは、どのようにして生み出されているのか。「私の生きがいは、ひとに喜んでもらうこと」と語るジャナンさんの創造力の源に迫ります。

Photographs (portrait) by NAKAMURA Toshikazu (BOIL)Text by TANAKA Junko (OPENERS)

あたらしいものにオープンな自分でいること

――「パティシエになろう」と決心したのはいつごろのことですか?

最初に決心したのは、中学の卒業を間近に控えた14歳のころでした。あまり勉強が好きではなく、かといってすぐに働く気にもなれなくて、これからどうしようかと頭を悩ませていました。そんなさなかに「パティシエになる」と宣言したんです。単なるおもいつきというわけではなくて、母親がお菓子をつくるのが好きだったので、タルトやガトーをつくる様子をよく見ていましたし、自宅に「ルノートル」のレシピ本があったので、暇さえあればそれをパラパラと眺めていました。お菓子づくりが身近にある環境で育ってきたんですね。

だけど、あまりにも突然の宣言だったものですから、父親は「パティシエというのは、朝早くから夜遅くまで仕事をしなくちゃいけないし、みんなが休みをとっているあいだも休めない。大変な仕事なんだよ」と忠告してくれました。私はそれを聞いても「やっぱりパティシエになりたい」と言って、パティシエになったわけなんです。

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じつは当時のフランスでは、パティシエやシェフといった食べ物関係の仕事は、世間からあまりよい印象をもたれていませんでした。にもかかわらず、私のやりたいことを応援してくれた両親には心から感謝しています。毎日「神様、ありがとう!」と叫びたくなるほどに、パティシエになって本当によかったとおもいますから。

――とはいえ、お父様の忠告どおり、パティシエの仕事というのは大変な側面もありますよね。途中でくじけたりすることはなかったですか?

まだ若かったし、なにもわかっていなかったんでしょうね(笑)。いくら「大変な仕事だ」と言われても、当時はこれほど大変な仕事だとはおもっていませんでした。だけど、無知だったからこそ、おもいきってチャレンジできたのかもしれません。

――ジャナンさんの手がけるデザートは、見た目のうつくしさ、ユニークさにも定評があります。こういったアイデアはどこから湧いてくるのでしょう。

決まったやり方はありませんが、強いて言うなら、つねにあたらしいものにオープンな自分でいるということでしょうか。たとえば、はじめて鶴の折り紙を見たとき、すぐに「これでなにかおもしろいデザートがつくれそうだ」とおもいました。すぐに具体的なアイデアが出てきたわけではありませんでしたが、直感でビビッときたんですね。それから3、4年たったころ、突然完成図が頭に浮かんだのです。それが最終的に「オリガミ」というデザートになりました。

――ヒントは日常生活のなかにあると。

アイデアを探しつづけるのも、パティシエにとって大切な仕事ですからね。もちろん煮詰まることもときにはあります。それに、いくらアイデアがあっても、数学みたいにすぐにかたちになるわけじゃない。大切にしているのは、なにかの拍子に「あ!」となる瞬間です。

私の代表作に「ショコラ・ニャンボ」というチョコレートを使ったデザートがあります。その人気ぶりといったら、「ル・ブリストル・パリ(※)」に来られる方の80パーセントが頼まれるほど。本当はほかのデザートも試していただきたいのですけどね(笑)。このデザート、じつはいくつか“コピー品”が出回っているんです。もちろん、あまりよい気はしません。だけど、コピー品が出回るということは、ある意味でみんなが真似したくなるような作品を生み出した証拠。有名税みたいなものだとおもうようにしています。

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※ル・ブリストル・パリ=1925年、アール・デコ全盛期のパリで創業した老舗ホテル。世界中から選び抜かれた「最高傑作のホテル(Masterpiece Hotels)」9軒が加盟するホテルグループ「オトカーコレクション」のひとつ。

Page02. だれでもおいしいデザートをつくれる本

ビジネスパーソンの舞台裏

第13回|ローラン・ジャナンさん(「ル・ブリストル・パリ」シェフパティシエ)

直感と真心がおいしいデザートをつくる(2)

だれでもおいしいデザートをつくれる本

――「ショコラ・ニャンボ」はどんなきっかけで生まれたのでしょうか?

ある日、ヴァローナ社(※)から「あたらしいチョコレートができたので、食べてみてください」と呼ばれて試食にうかがったんです。悪くなかったんですが、なにか足りないように感じて、カカオをくわえるというアイデアをおもいつきました。それをかたちにしたのが「ショコラ・ニャンボ」(写真上・左)です。

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まず目に入ってくるのは、穴の空いた球体のチョコレート。なかにはチュイルというビスキュイでつくった筒が入っていて、さらにそのなかに軽い口当たりのショコラのムースとカカオのソースが入っています。黄金色に輝くオブジェは、ショコラのソルベ(シャーベット)。ニャンボというのは、アフリカ産カカオの品種の名前。そのニャンボを使ったソルベを金箔で覆ってあるんです。先日発売したレシピ本のなかに作り方が載っているので、ぜひ自宅でつくってみてください。

――ほかに自宅でもつくれるおすすめのレシピはありますか?

イチジクを使ったショコラなんてどうでしょう? これも直感で生み出したデザートなんです。ある日、イチジクをテーブルに置いて「さて、このイチジクを使って、どんなあたらしいデザートができるだろう」と考えました。ロティ(焼いたもの)はすでにありますし、なにかでイチジクをおおうというアイデアも、もう出尽くしてしまっています。私はこれまでに見たことがない、まったくあたらしいイチジクのデザートをつくりたかったのです。

煮詰まってしまったので、オレンジの皮をむくみたいに、イチジクの皮をむいていたんですね。そしたら、なかから出てきた実が、まるで赤いトリュフみたいに見えたんです。そこでひらめいたのが、イチジクを木に見立てたデザート。皮をむいた状態の赤いイチジクをお皿にのせて、まるでそこに“トリュフの木”が生えているようなデザートに仕上げました。

――レシピ本のタイトル『パティスリー・オ・フィル・ドゥ・ジュール』には、どんなおもいが込められているのでしょうか?

じつは以前から「レシピ本をつくってよ」と言われていたのですが、ずっと断りつづけていたのです。少なくとも3回は断りましたね。それを聞いた「ル・ブリストル・パリ」の総支配人から、「どうしてつくらないんだ?」と聞かれたので、「本そのものが嫌なわけじゃなくて、ガストロノミーだけに特化したパティスリーの本はつくりたくないんです」と答えました。「子どもたちがクッキーを焼いたり、ショコラ・ドゥ・レ(ココア)やショコラ・ショー(ホットチョコレート)をつくったり。要はチョコレートと牛乳があれば、だれでもおいしいデザートをつくれるんだ、ということを伝える本。そういうレシピを載せてもいいんだったら、ぜひやりましょう」と。

そうして、できあがったのが『パティスリー・オ・フィル・ドゥ・ジュール』。フィルというのは線や流れをあらわす言葉。朝から夜まで食べられるデザート、という意味を込めてタイトルをつけました。タイトルどおり、紹介しているデザートの周りにたくさん線が描かれているでしょ? これはガストロノミーから連想される、お皿のうえにきちんとのせたデザートではなく、朝から夜まで自由に食べられる、もっと楽しくて自由な雰囲気を感じてほしくておもいついたアイデアです。

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――「ル・ブリストル・パリ」でシェフ・パティシエを務めることの醍醐味ってなんでしょう?

「ル・ブリストル・パリ」では毎月、「テ・ア・ラ・モード」というショーをおこなっています。ランウェイのように、モデルたちが館内を闊歩するんですが、毎回ショーの内容に合わせて、あたらしいデザートをつくっています。モデルが履いていたストッキングをかたどったものや、くちびるやドレスに見立ててつくったもの。それからジュエリーメゾンの「ピアジェ」がショーをおこなったときには、指輪のかたちをしたチョコレートのデザートをつくりました。こんな風に「ル・ブリストル・パリ」での日々は刺激に満ちています。もちろん、ときにはつまずいたり、嫌になることだってありますが、私にとってはこれ以上ないほど理想的な環境です。

※ヴァローナ社=フランスで1922年に創業した業務用チョコレートメーカー。クーベルチュールをはじめとする製菓用チョコレートは、世界のトップ・パティシエたちに愛用されている。

Page03. 家族とすごす時間が仕事への活力に

ビジネスパーソンの舞台裏

第13回|ローラン・ジャナンさん(「ル・ブリストル・パリ」シェフパティシエ)

直感と真心がおいしいデザートをつくる(3)

家族とすごす時間が仕事への活力に

――休日はどうやってリラックスされているのでしょう。

平日は朝から晩までみっちり働きますので、まずはしっかり睡眠をとって、身体を休めるようにしています。それから買い物とか洗濯とか、平日にはできない用事をすませまるのが1日目。2日目は家族で美術館やレストランに出かける日に充てることが多いです。息子はいまアメリカに留学中ですが、もうひとり11歳の娘がいるので、彼女とすごす時間を大切にしています。自分にとって一番のリラクゼーションになりますし、私はそうした時間から仕事への活力を得ているのだとおもいます。

ただ長期のバカンスとなると話はちがいます。この前も家族でスペインのマドリードに行って、美術館巡りをしてきました。ピカソやゴヤなど、スペイン人作家の作品を中心に見てきました。芸術に触れると心が奮い立つような気がしますね。ときには、仕事のアイデアが湧いてくることもありますし。いずれにしても、私の旅はいつも衝動的です。「やることリスト」をつくって、それをこなしていくようなことはしません。なにかおもいついたらやる、というのが私の旅のスタイルなんです。

――公私を問わず、いつももち歩いているラッキーアイテムがあるとうかがいましたが。

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そうですね。この2000円札が私のラッキーアイテムです。別にお金が好きだからというわけではないですよ(笑)。「セルリアンタワー東急ホテル」と技術提携を結んだ年(※)、当時の総支配人から譲り受けたものです。「これをもっているといいことあるよ」というひとこととともに。その方の名は二宮さん。私の知るかぎり、世界でも指折りの優れたホテリエのひとりです。カリスマ性があって、ジェントルマン。心から尊敬しています。その二宮さんからいただいたものだから大切にしている、ということもありますが、じつはこの話にはまだつづきがあるんです。

就任して2年ぐらいたったころでしょうか。ホテルの美術館に招待していただく機会があったんです。東急グループの創業者である五島慶太さんが、旅先で見つけてきた美術品を宿泊客にも楽しんでいただこうということでつくられた美術館だといいます。案内してもらっていると、なんとそこに2000円札の裏に描かれた「源氏物語絵巻」の本物の絵が飾られていたのです。このとき「やっぱりこれはラッキーアイテムだ」と確信したので、以来ずっと財布のなかに入れてもち歩いています。

――思い出が詰まったラッキーアイテムなんですね。二宮さんといまでも交流はつづいていますか?

5年前に退職されて、いまは鎌倉で隠居生活を送っていらっしゃいますが、ときどき彼を訪ねていきますよ。おかげで鎌倉のことがすこしだけ詳しくなりました。寺院とか弓道場とか、いろいろなところに案内いただきましたから。

――若手の育成にも熱心に取り組んでいらっしゃるとうかがいました。ジャナンさんは、ご自身のことをどんな上司だとおもわれますか?

ひとことで言うなら、嘘のない上司だとおもいます。どれだけつくろっても、ボロって絶対に出ますから。だれにたいしても、正直でいるように心がけています。部下にたいして、厳しいことや口うるさいことを言うときもあります。もちろん、心根はとても優しいですけどね。部下からよく「どうしたらひとを感動させられるほど、おいしいデザートがつくれるようになるんですか?」と聞かれるんですが、そんなとき私はこんな風に答えています。「心を込めて誠心誠意つくればいいんだ」と。デザートに限らず、心を込めてつくったものは、必ず受け取ったひとに伝わりますから。

たとえば、メルセデス・ベンツのクルマ。型番がちがっても、どのクルマにもちゃんと統一感があります。「今年はこうだから、来年はこうしよう」ということではなくて、メルセデス・ベンツの世界観に合ったクルマをつくりつづけているわけです。それはつくるものにしても、サービスにしても、いっしょだとおもうんです。ですから「今日のランチはよかったけど、ディナーはだめだった」なんていうのは、絶対にあってはならないこと。つねに統一感のあるものを出しつづけなければいけない。それが私たちの使命だとおもいます。

――将来、パティスリーの世界で成功したいというひとに、どんなアドバイスを送りますか?

パティシエというのは、生産者がいてはじめてなりたつ仕事です。毎日、果物や野菜をつくってくれる生産者がいるから、こうしてデザートをつくれるわけです。つまり、パティシエというのは彼らにとって“媒体”なんです。ぜひそのことを念頭において、仕事に励んでもらいたいなとおもいますね。私は毎日、彼らのためにデザートをつくっているし、お店に来られたお客様のためにデザートをつくっています。そうしてみなさんによろこんでもらえることがうれしいから、私はいまもこの仕事をつづけているんだとおもいます。

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大切なのは、なにか自分がやりたいとおもったら、それを根気よくつづけること。それから、自分なりのスタイルを追求することも。そうすれば、いつか必ず道はひらけるとおもいます。

――それが、ジャナンさんの成功の秘訣でしょうか?

そうですね。いまでも毎日が勉強です。たとえば、先ほどお話しした「ショコラ・ニヨンゴ」。最初にお披露目してから6年間、一度も酷評されたことがなかったんです。ところが、7年目にしてはじめてマイナスの評価をいただいたんですね。ものすごくショックを受けました。だけど、ショックを受けたからといって、そのままずっと落ち込んでいても仕方がない。人生はつづくわけですから。評価はきちんと受け止めたうえで、つくりつづけなければいけない。

映画の世界もいっしょですね。クロード・リッシュさんは、すでに30年以上のキャリアがある名監督ですが、彼がいまの地位を築きあげられたのは、どんな酷評がくだされたとしても、ずっと映画をつくりつづけてきたからだとおもうんです。私もそうありたいとおもいますね。

※セルリアンタワー東急ホテル=セルリアンタワー東急ホテルは2002年、開業1周年の記念事業の一環として、ローラン・ジャナン氏と技術提携を結んだ。彼がつちかってきた技術やアイデア、パティスリーにたいするおもいを同ホテルのパティシエに伝授し、日本の若きパティシエ育成のために尽力。“日本で唯一、ローラン・ジャナンがプロデュースするデザートを楽しめるホテル”として知られるように。年に一度の来日イベントには、日本各地からファンが訪れる。


お菓子づくりの話になると、まるで少年のように目をキラキラさせて語り出すジャナンさん。情熱、愛、遊び心。彼のデザートに込められたこうしたおもいこそが、ひとの心を震わせるのではないだろうか。はたして“少年の心をもったパティシエ”が手がける次なるデザートとは。これからも彼の一挙手一投足から目が離せない。

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Laurent Jeannin|ローラン・ジャナン

「フォション」「オテル・ド・クリヨン」「フォーシーズンズホテル・ジョルジュサンク」のシェフパティシエを歴任してきたパリを代表するパティシエのひとり。現在は高級ブティックが軒を連ねるサントノーレ通りに建つ老舗ホテル「ル・ブリストル・パリ」のデザート部門を一括している。2002年からセルリランタワー東急ホテルと技術提携を結び、毎年パリの最新デザート事情を東京に発信しつづけており、その機会を楽しみにしているファンも多い。2011年に「パティシエ・オブ・ザ・イヤー」を受賞。2013年にシュヴァリエ受賞。著書に『PATISSERIES AU FIL DU JOUR』がある。http://www.lebristolparis.com

           
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