ここにあった。夢にまでみた「心から満足できるアフタヌーンティー」 La Maison de la Bergeronnette GINZA|EAT
LOUNGE / EAT
2024年5月14日

ここにあった。夢にまでみた「心から満足できるアフタヌーンティー」 La Maison de la Bergeronnette GINZA|EAT

EAT|La Maison de B

様式も作為もない ただ素材との対話から生まれる料理

みゆき通り沿いにオープンした「ラ・メゾン・ド・ビィ(La Maison de B正式名称:La Maison de la Bergeronnette GINZA)」は、デザートとアフタヌーンティーに特化した高級店である。そしてここは、食通が夢見るに違いない、素材から調理まで、徹底的に妥協を排したら料理はどうなるのか?を体験できる場所である。

Text by SUZUKI Fumihiko|Photographs by NAKAMORI Makoto

アフタヌーンティーは贅沢である

1870年代になっても、イギリスでは400軒の貴族が農地の17%を所有し、国土の5分の4を7,000人の王族・貴族を含む地主層が所有していたらしい。彼らにとって社交は重要な仕事だったのだけれど、アフタヌーンティーというのは1840年ごろに、そういう階級の、おもに女性の社交の場として生まれた、とされている。
そこから1.5世紀。社交は民主化し、平民階級にとっても仕事となった。そして大体、そこにはピンからキリまで、なんらかの飲食が伴う。高級な料理店での夕食、立食のパーティ、カフェでのティータイム……純粋に飲食の快楽に集中するものに災いあれ。汝らにビジネス的成功は訪れないであろう。
しかし歴史的に考えればいささか不思議でもあるけれど、私はこれまで、直接・間接を問わず「アフタヌーンティーをしながら仕事の話をしましょう」という誘いを受けたことがない。現代のアフタヌーンティーはタイパとかコスパとかいうものとの相性がかなり悪いからか?
では、いま我々がアフタヌーンティーをするというときに、求めるものはなんだろう? それは「贅沢」ではないだろうか。
それで思い返してみるのだけれど、私はアフタヌーンティーにおいて完全な贅沢を経験したことがおそらくない。大体の場合において「ああ、これはすでに知っているな」「おそらく店はコスト(客の都合でも店の都合でも)を考えて、この程度で留めたんだな」という思いをしていた。
でも、それは仕方のないことだ。世の中には事情があるし、人間、長く生きれば経験は増え、舌も肥える。理想は、理想なのだ。
「La Maison de la Bergeronnette」なる銀座に最近オープンした店で、私は考えをあらためた。ここには本当の「贅沢」があった。
パフェ・アフロディーテ
有機煎茶のアイスクリームを中核に庭園をイメージしたパフェ。素材は金柑、はちみつ、生姜、甘夏、バラ、イチゴ、コショウ、ハーブなどで、化学的なものを使わずに生産されたものだけを使用

クリエイティビティのギリギリ

提供される食の質は、三つ星レストランに優るとも劣らないだろう。その上で、面白いのは、それが様式をぱっと言いづらいところだ。
アシエットデセール 新ジャガとビーツのラヴィオリ
まるで料理のようだがデザートに属する。ビーツにアニスの香りがついた生地を使うラヴィオリが下に隠れている。イメージは牛皮に近い。実際は未精製のオーガニックシュガーが使用されているがジャガイモの甘みが主調をなすアイスクリームには、乳化剤を使っていない有機ホワイトチョコレートが加わっており、最後に蜜蝋ラップで16カ月熟成したコンテチーズをふりかけている。ジャスミン茶のジュレも入りアジアンテイストも感じさせる初夏のデザート
料理の世界では時に、手の込んだ料理にクリエイションなる言葉が使われるけれど、それは大抵は、特定の様式内での高度な技術的達成を指すから創造とはちょっと違う。あるいは、単に失敗作だ。フランス料理の料理人がフランス料理以外で、寿司職人が寿司以外で成功することはほとんどない。
「関シェフは特定の様式を持たない、白紙とも言える人物です」
La Maison de la Bergeronnetteのシェフ、関 啓吏氏を見いだした、起業家の富田 拓朗氏は、関 啓吏氏のスタイルをそう表現する。
La Maison de la Bergeronnetteが出すのは、様式外れというのか、常識外れの料理。例えば「黒騎士のピクニック」と名付けられている、アフタヌーンティーの中段の皿に乗った円柱形のサンドイッチのうちグラスフェッドローストビーフのもの。
冒頭のアフタヌーンティーの写真にも写っているが、単品でもオーダー可能な「黒騎士のピクニック」 文中にもあるグラスフェッドローストビーフのほか、たまごサンドと、季節の野菜として春は菜の花と春菊のムースに四万十鶏のコンソメのジュレを添えたサンドイッチが付く。パンが黒いのは、竹炭による
何の気無しに口に運ぼうとして、その複雑な香りに動きが止まる。普通、サンドイッチからこんな香りはしないし、そもそも、香りを愉しむ、という行程は、焼き立てのパンでもない限り、サンドイッチでそうそう発生しない。
えいやと齧れば、味わいはドラマチックだ。序盤、中盤、終盤、余韻と進展があり、比較的、簡単に感じ取れる塩味さえも、精密に制御され、どのタイミングでどの塩味が出るべきかが計算されているとしかおもえないのだ。サンドイッチにここまでするのか……と唖然とする。
そして、ここで提供される味覚は、一事が万事、こういう調子だ。
可能・不可能でいえば、確かに可能なことだとは想像できる。その時その時の素材の状態を把握し、試作を繰り返し、理想と現実のズレを修正していく。やることはおそらくそれだけ。高級なワインやコーヒー、茶、あるいは機械式腕時計の作り方と似ているとおもう。
ただ、おそらく高級な和食やフランス料理の料理人でも、この精密さですべての料理を制御するのは、いくらなんでもコストに見合わないと判断し、派手な味付けや比較的わかりやすい素材の個性に頼るはずだ。
ここでは、その手段を封じている。いくらデザートとアフタヌーンティーだけとはいえ、やり切る関シェフもすごいし、それを求める富田氏もすごい。ここまでやられてしまえば、ぐうの音も出ない。
La Maison de la Bergeronnetteのシェフ、関 啓吏氏

運命的な出会い

あとは余談みたいな話だけれど、誰とも知らない人の営む店で高級な食を味わうことに躊躇するのは当然だとおもうので、少し、この店のことを説明する。
La Maison de la Bergeronnetteは訳せば「セキレイのメゾン」となる。セキレイのうちでも清流を好むキセキレイをイメージして、ナチュラルな食材しか使用しない、というコンセプトを表現する一方で、日の本の国のおめでたい国産みの神話とも掛け合わせているそうだ。
店内は都会にありながら音響的にはとても静やかな空間になっている。座席数は24席。壁面の白は漆喰塗り、青は和紙を貼り込み、間の金属フレームは打ち出し。テーブルには上質な革を張っている
関 啓吏氏は料理で家族を喜ばせるのが好きな愛情深い少年で、青年期に料理の道を志したという。ところが、いざ勉強してみると、デザートに強く惹かれたのだそうだ。
日本のフランス菓子の歴史的偉人、河田 勝彦氏が世田谷に「AU BON VIEUX TEMPS」を開いたのが1981年。そこで衝撃を受けた次世代が、やがて世界のトップパティシエとして活躍するわけだけれど、「AU BON VIEUX TEMPS」でキャリアをスタートした、リロ・クック 代表取締役の塩谷茂樹氏に弟子入りし、その後は「パティスリー・カカオエット・パリ」のジェローム・ケネル氏といったスターの下で経験を積んだのが、関 啓吏青年のプロフェッショナル・キャリアのスタートラインだそうだ。
厳しい世界ですよね?と水を向けてみると
「私は弱かったとおもいます。店で寝泊まりするような毎日に、気持ちが落ち着かないことも多かったですから。料理への興味も捨てられず、結局、レストランとパティスリーを交互に渡り歩くような働き方になっていきました」
しかし、飲食の世界を離れることは考えもしなかった。
「これが私の選んだ世界。楽しさ、喜び、これ以外に自分に出来ることはない、というおもいはずっとあります」
その後、デセールだけでなく本格的なフランス料理も学ぶべきであるといった考えから、南青山にあったとあるフランス料理店のデザート担当として働いていた頃に、富田氏は客として現れた。そして、デザートに出したシンプルなプリンが、関 啓吏氏の人生を変えた。富田氏はプログラマーとして成功し、数々の会社を経営する人物だが、料理ジャーナリストを母に持つ食通という顔を持つ。その出会いを富田氏はこう言う。
「僕も少ない経験ですが、国内外でいろいろなお料理を頂いており、そろそろ作為的な、あざとく感じるような料理にはうんざりしてきていました。そんななか食した関シェフのプリンには、驚くほど作為がなかったんです。卵って、白身と黄身の分量が全部違うから、毎回、ルセットには微修正が必要だし、火入れも本当は細かく制御したほうがいい。でも、そんなことは普通はしませんよね? 関シェフはそれを全部やっていた。正直にうまいものを作る、そのために途方もない細かい仕事をされていたんです」
一目惚れである。それで関シェフに激賞をおくったのだそうだ。関シェフからすれば寝耳に水
「正直、本当かな?と思いました……」
と言う。それはそうだろう。世界中の一流店を食べあるいているような人物が、単なるプリンに大感動しているのだから
「でも嬉しかったです。質に対するこだわりは修行時代に叩き込まれたものですが、その後は独学で、それこそWebの記事とかYouTubeとかを見ながら、独りでひたすら何度も何度も試行錯誤してきて、でも誰からも評価されなかった」
それもそうだろう。そんな細かい仕事、ビジネス的には誰も求めないものだ。
この運命的な出会いから、富田氏は関シェフとあらゆる名店を訪れ、あらゆる名品を味わった。そこから、関シェフだけの独創的な料理を作り上げていった。
「いまでも、富田さんに自分の作ったものを食べてもらうときは、生きた心地がしないくらいに緊張します」
関シェフの名が最初に世に知れたのは「バーニーズ ニューヨーク銀座本店」内のカフェを、当時出資していた富田氏の会社が担当したときだった。そこで関氏が誕生させたナチュラルなアフタヌーンティーは、千代田・中央区エリアで最高額でありながら最高の評価を獲得し、関シェフのシグネチャー、希少なアマゾンカカオを惜しみなく使ったパフェ「カカオ王国の空中庭園」はリピーターが続出するほどの大ヒットとなった。
カカオ王国の空中庭園
希少なアマゾンカカオとハレヤ(カカオの親戚・マカンボのジャム)に加え、フィリピン奥地で自生している特別なバナナを使ったチョコバナナパフェ。添加されている甘みはわずかで、素材の味を堪能できる。関シェフのシグネチャーとしてLa Maison de la Bergeronnetteで提供されている
そして、満を持してバーニーズニューヨークカフェから独立し、さらに惜しみなく手間暇をかけ、素材を厳選して、関氏の理想を極限まで表現する場所としてLa Maison de la Bergeronnetteは誕生した。
ラ・メゾン・ド・ビィのスイーツは香り豊かで鮮やかな色合いだが、着色料や香料は一切使っていない。ビーツとハイビスカスを使った春のクッキーはまさにクッキーの宝石箱
最後に、関シェフに自分のスタイルを表現してもらった。
「素材に最大限の敬意をはらって、その食材や生産者さんの歴史や取り組みを最高のスイーツとして昇華し伝えていく。この姿勢は、100円で売るものを作れ、と言われても変えない、100万円のアフタヌーンティーをやれと言われても変わりません。レシピは同じでも選ぶ食材ですべてが変わります。また、メニューのネーミングが面白いね、とよく言われますが、これはその料理やスイーツが生まれた物語を伝えるためには必要な、味の一部だとおもっています。毎日勉強して、新しい生産者さんと出会って、もっと出来ることがある、もっと先がある、ラ・メゾン・ド・ビィとしてその道を進んでいきます。そして私のスイーツをとおして、一人でも多くのお客様が自然のもっている素晴らしさを、味わうことから感じ取っていただきたいとおもっています。」
LA MAISON DE B|ラ・メゾン・ド・ビィ
場所|東京都中央区銀座5丁目5-12 HULIC&New GINZA MIYUKI5 9階
営業日|火曜日〜日曜日 11:00〜20:00
定休日|月曜日
完全予約制

問い合わせ先

LA MAISON DE B
Tel.03-6264-5536
https://bergeronnette.jp/

                      
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