「語られていないベトナムを、料理で伝えたい」 ― Nén Tokyo シェフ・サマーが語る “体験としての食” と、トランジットとの共創
LOUNGE / EAT
2025年8月27日

「語られていないベトナムを、料理で伝えたい」 ― Nén Tokyo シェフ・サマーが語る “体験としての食” と、トランジットとの共創

Nén Danang|ネン・ダナン

ベトナム初のミシュラン・グリーンスター受賞店「Nén Danang」が2025年9月2日、東京・代官山にオープンする。幼馴染み同士のシェフ・サマーとレオンが手がける"Sto:ry Menu"は、99%ハイパーローカル食材と手描きカードで「語られていないベトナム」の物語を料理に翻訳。トランジットとの共創で実現した「Nén Tokyo」が、フォーやバインミーを超えた真のベトナム食文化を体験として伝える。

Text & Photographs by AKIYOSHI Kenta

代官山に誕生する “Nén Tokyo” という体験

ベトナムの中部にある海沿いの都市・ダナン。ここは約50kmの長さの砂浜のビーチとフランス植民地時代に栄えた港の歴史で知られ、近年は人気の観光地となっている。
イノベーティブなベトナム料理を提供するファインダイニング「Nén Danang(ネン・ダナン)」は2017年オープン。
「Nén Danang」の入り口にて
ここは、Nénブランドの旗艦店であり、MBAの学位を持つシェフ・サマーの哲学を表現した料理、パートナーであるレオンが設計したユニークなダイニング体験、スタッフよる心のこもったプレゼンテーション、高品質な地元食材の使用により、オープン当初から国際的な注目を集めた。
2021年から2022年にかけてCOVID-19の影響で一時休業したが、2023年8月には再オープン。それから1年後の2024年6月にはサステナビリティに優れた飲食店に贈られる “ミシュラン・グリーンスター”をベトナムで初めて受賞した。
「Nén Danang」の入り口に飾られているミシュラン・グリンスターのトロフィー
そんな「Nén」がベトナム建国80周年となる今年、建国記念日である9/2に東京・代官山に日本初の店舗「Nén Tokyo」をオープンする。
それに先駆けた7月、筆者はダナンにある「Nén Danang」とホーチミンにある「Nén Light Saigon」を訪れる機会をいただき、現地でサマー・シェフとクリエイティブディレクターであるレオンの二人に話を聞くことができた。
Nénのクリエイティブを担当するレオン(左)、Nénの哲学を料理で体現するシェフ・サマー(右)
本稿ではサマー・シェフの実際の言葉を軸に、共同創業者であり夫でもあるレオンとの歩み、そして日本側パートナー トランジットグループ と紡いだ共創の軌跡を追う。
「Nén Danang」は、食材の研究とブランドの持続可能性を担うNén Farmに隣接している
「Nén Danang」

出会いの物語:サマーとレオン、そして大分・APU

「私はダナン出身です。レオンとは高校からの付き合いで20年以上の関係」――この一言に集約されるように、サマー・シェフとレオンの物語はダナンの高校で始まった。
「高校生の頃、サマーは隣の席だったんです」(レオン)
高校を卒業し、二人が大学の進学先に選んだのは、日本・大分にある立命館アジア太平洋大学(APU)だった。
生まれ育ったベトナムから日本を訪れ、多国籍の学生が集まるAPUでの生活を経て、ダナンでは得られなかった多様な視点と、“外からベトナムを見つめる”というフィルターを二人は手に入れた。
「Nén Danang」の2階にある「Nén LAB」でNénの哲学について話をするサマーシェフ
サマー・シェフとレオンの二人がAPUで得たネットワークは、のちのNén創設に直結する。
というのも、現在Nénで働くコアメンバーはほぼ全員APUの卒業生だ。ストーリーテーリングが特徴のメニューを手がけ、メニューについてのストーリーカードを描くのはシェフであるサマー、静謐でありながらも内なるエネルギーを感じさせるNén独特のエクスペリエンスデザインを担当するレオン、戦略やマーケティングを担当するでピーターなど、肩書きは違っても、価値観の根っこは同じ。
ベトナム産のホタテを使ったメニューは強い風味が特徴
「(その方が感覚が同じで)早い」とレオンは笑う。大分のAPUで学んだという共通のバックグラウンドを持つ仲間だからこそ、意思決定のスピードが段違いに速く、ストーリー性の高い料理を迅速にブラッシュアップできるというわけだ。
APUで学んだ「多文化共生」の理念は、Nénの“Consciously Vietnamese” の思想とも重なる。自国のローカルを深く掘り下げつつ、世界の文脈で再提示する――その原型は、APU時代に交わした夜通しの議論の中で形づくられた。ダナンの海風と大分の山霧、二つの土地の記憶が交錯して、今日のNénへと結実しているのだ。
Nén Danangの入り口前の道路に植樹されていたのは切った断面が星の形になる熱帯樹・スターフルーツ

なぜ “料理” だったのか:サマーがシェフになるまで

「当初はレストランをやるつもりはなかった。でも、周囲に勧められてシェフになりました」とサマー・シェフ。
「ゼロから料理を学び、今では若手を育てる立場に」(サマー・シェフ)
実はサマー・シェフは学生時代から ベトナム料理を紹介する人気ブロガー として知られていた。
キャンパスの寮キッチンで撮影した家庭料理のレシピや、ダナンのローカル屋台をめぐる記事は多言語で発信され、同世代の留学生の間でバイラルヒットとなる。帰国後はその発信力を活かし、2014年から「ファンタスティックダナンフードツアー」を創設、ダナン市内でグルメツアーを主宰。ツアー客を連れて市場へ行き、食材の背景を解説しながら食べ歩くスタイルが評判を呼んだ。
しかし——「人の店を案内するだけでは、ベトナムの食文化を“自分の言葉”で伝え切れない」という思いが芽生える。そこで彼女は「自分でストーリーを持つ店をつくろう」と決意。
「Nén Danang」は、食材の研究とブランドの持続可能性を担う「Nén Farm」に隣接
レストラン運営の経験は皆無だったが、ブログとツアーで培った“語り部”としてのスキルをアドバンテージに、料理をゼロから学び始める。そして2017年、レオンと共にファインダイニング「Nén Danang」をダナンに開業したのである。
“食”を通じて人とつながる喜びは、グルメツアー時代から変わらない。けれど、いまや彼女は料理人として、さらに若手シェフを育てる立場にも立っている。ブロガーからツアーガイド、そしてレストランオーナーへ——サマー・シェフのキャリアは、ベトナム食文化をより深く、より主体的に発信するための必然的な進化だった。
「Nén Danang」に入ってすぐの場所にはミシュランから贈られた盾が置かれている

姉妹店「Nén Light Saigon」 もガイド掲載

Nénブランド2番目となるレストランがホーチミンにある。2022年にオープンしたファインダイニングレストラン「Nén Light Saigon」だ。
「2021年に『Nén Danang』がCOVID-19の影響で営業を停止した後、Nénチームはホーチミン市に移り、1区に『Nén Light Saigon』を2022年6月にオープンしました」(サマー・シェフ)
オープンして一年足らずの2023年に発表された『ミシュラン ハノイ&ホーチミン』では “選出店(MICHELIN Selected)” としてリスト入り、「境界なしの料理を掲げる若きシェフが、物語を語る7コースまたは9コースのテイスティングメニューを監修している」と紹介されている。
「Nén Light Saigon」は、Nénのすべての革新と最も先進的なアイデアが集まる場所

ベトナム・ダナンで生まれた “Nén” という思想

取材時、ブランド名である「Nén」について尋ねると、ベトナムでもあまり知られていない食材のことだと教えてくれた。
「“Nén” は、ベトナム中部の食材で、日本語で言うと、ネギの家族。一つの食材を選んで、レストランの名前にしました」とレオン。
「知られざるローカルの可能性を伝える象徴」 として「Nén」 を冠に据えたのだそう。
ネギの球根の部分が「Nen」

ベトナムを伝える“Sto:ry Menu” とは

『Nén』の料理は毎回テーマを掲げる “Sto:ry Menu” 形式で構成され、皿ごとにサマー・シェフ自らが描いた 手描きカード が添えられるのが大きな特徴だった。筆者が「Nén Danang」で味わった Sto:ry Menu #0〈JOURNEY〉 は、海、山、川などのベトナムの自然や風景にインスパイアされたテイスティングメニュー。
皿ごとに手渡される 手描きカード は、サマー・シェフ自らが線画と短い言葉で綴り、「なぜこの食材か」「どんな記憶を呼び起こすか」をベトナム語と英語で解説されていた。
「ホタテ、田んぼのカニ」
「Nén」最大の特徴であり、サマーシェフの想いや哲学に触れることができる “Sto:ry® Menu”とは「テイスティングメニューに“物語”を織り込む仕組み」であり、光・時間・旅・起源など抽象概念を軸に、半年ごとにフルリニューアル、数か月おきに微調整される。
今回味わった Sto:ry Menu #0「Journey」 ではウニ、マンゴスチン、バナナ根茎を使ったカナッペ、ベトナム産ホタテ、田んぼのカニを使ったメニューなどが出され、それぞれの料理にカードが添えられていた。
ベトナム中部の特産品であるウナギを使用した「ウナギと豆腐」
エビの殻と卵の殻から自家製麺を作った「ブルースキャンピトと卵の殻」
「Sto:ry Menuは、ベトナム料理をこの土地の文化的、歴史的な価値とともに表現する方法です。私にとって、1粒の米にはそれ自身の物語があり、それを育てた農民にも物語があります。『Nén』に来ていただいた皆さんにはSto:ry Menuを体験して、自分自身の物語をそこに見出してもらえたらと思います」(サマー・シェフ)
「最近の Sto:ry Menu #7は “時間” がテーマで、4年かかりました」
筆者はホーチミンにある「Nén Light Saigon」にも訪れ、2025年5月14日にローンチされたSto:ry Menu #7〈TIME〉 を味わうことができたが、「4年間という歳月をかけて、時間そのものを料理に封じ込めた」とサマー・シェフは語っていた。
“時間” “記憶” “風土”――Sto:ry Menu は、こうした抽象概念を料理へ翻訳する試みだ。完成まで数年を費やすことも珍しくなく、その緻密なリサーチと物語設計がミシュランの高評価(グリーンスター受賞)を支えている。

手描きのカードと言葉による説明

「Nén」では一品ずつ料理が提供される度に、サマー・シェフが自ら絵を描いたカードが渡される。
独創的なそれぞれの皿が生まれた背景――食材の来歴、シェフの記憶、文化的モチーフ――を、サマー・シェフによる線画と短い言葉を載せたカードを示し、客に“もう一段深い読み解き”を促す。
「美味しいだけじゃなくて、感じたり、考えたりしてほしい」(サマー・シェフ)
一皿ごとにカードを渡されることでゲストは 五感より先に“思考”を刺激され、自分自身の記憶までも物語に巻き込まれる。まさに “時間” “記憶” “風土” など抽象概念を料理へ翻訳するNénの真骨頂であり、ミシュラン・グリーンスター受賞を支えた緻密さの理由でもある。
料理を説明するカードはイラストもサマー・シェフが自分で描いている
Nénの特別さは、すべての料理を通じて物語を語るという独自の姿勢。一皿一皿がキャンバスであり、味の一つひとつが筆致となり、心に残る物語を描いている。

食材と時間、土地と記憶:料理の向こうにある風景

「Nén Tokyo のミッション、目標は多くのベトナム食材を選んで、ベトナム文化をちゃんと伝えたい」とサマー・シェフ。
ベトナム初のミシュラン・グリンスターを獲得した「Nén Danang」。評価理由は「物語性のある料理を、自社農園を含む国内各地から集めた “99% ハイパーローカル素材”で構築している点」だった。
「Nén Danang」は、食材の研究とブランドの持続可能性を担う「Nén Farm」に隣接している
ベトナム産素材を軸にしつつ、残り 1% に土地ごとのストーリーや発酵文化、アルコールペアリングを差し込むことで、ダナン・サイゴン・東京の 3 拠点それぞれに独自の文脈を与える――これが Nén 流シグネチャーである。
「ベトナム料理はフォーやバインミーだけじゃない。Nén Tokyo はベトナムのハブ(HUB)になりたい」(レオン)
「Nén Farm」で働くスタッフ。 「99%現地食材を使って、ストーリーメニューを作っています」(サマー・シェフ)

日本進出の理由と、トランジットとの運命的な出会い

「2019年にトランジットという会社を知りました」
いつかは日本進出をしたい、と考えていたサマーとレオンが目を留めたのは、当時トランジットジェネラルオフィス(現トランジットホールディングス)が手がけたモダンベトナミーズ「THE PIG & THE LADY」の記事だった。
トランジットは国内外 140店舗 以上の飲食ブランドを企画・運営し、クリエイティブとオペレーションを一体化した “ライフスタイル・プラットフォーマー” として知られる。
「最初に中村社長とお会いしたのは、一昨年のクリスマスごろ。ホーチミンの『Nén Light Saigon』に来ていただいて」(レオン)
日本を訪れたサマーとレオン。トランジットの皆さんと一緒に
その訪問をきっかけに交流がスタート。数カ月後、サマー・シェフは 「東京で My Dining をやりたい」 と具体的な構想を提示し、店舗の開発を手がけるトランジットクリエイティブ代表の木村学也氏らと半年以上かけてスキームをブラッシュアップした。
「このプロジェクトは、トランジットの皆さんがいなかったら絶対に無理でした。心から感謝しています」(サマー・シェフ)
ベトナムでの打ち合わせの様子
Nén Danang → Nén Light Saigon → Nén Tokyo へと続く “Consciously Vietnamese” の物語は、日本という新たな舞台に立ち上がろうとしている。
「Nén Tokyo」の開業支援をしているトランジットクリエイティブの代表、木村学也氏にNénチームについて話を聞いた。
「女性のシェフというだけでも珍しいのに、サマー・シェフはMBAの学位を持っているんです。そういう経歴も面白いなと思いました。しかも彼らは立命館アジア太平洋大学の仲間同士で、ダナンとホーチミンで既に成功している。そこもすごく興味深かったですね」(木村)
トランジットクリエイティブ代表の木村学也氏
「レストランって、複合芸術みたいなものだと思うんです。その一体感を、昔からよく知ったNénの仲間たちがリードするのはすごく面白い。自分たちの地元・ベトナムでやってきたスタイルを、どうやって日本のチームにも落とし込むのか。そのあたりはすごく興味がありますね」(木村)
「Nén Tokyo」のために工房に作ってもらった皿が並んでいた

「Nén Tokyo」 が目指す未来

「料理を通して、“ベトナムってこんなに深いんだ” と知ってもらえたらうれしい」とサマー・シェフ。
ミシュラン・グリーンスターの評価はゴールではなく、新章の序章にすぎない。サマー・シェフとレオンは、東京を起点に “Consciously Vietnamese” の物語を世界へ広げようとしている。
「Nén Tokyo」 は、代官山という街に「ベトナムのまだ語られていない物語」を根づかせ、食を通じて“時間と記憶”を編み直す。オープンまで残りわずか――その幕開けが、今から本当に待ち遠しい。
Nén Tokyo(9月2日オープン予定。予約可)
住所|東京都渋谷区代官山町14-18 4F
営業時間|18:00-22:30(20:00L.O.)追ってランチも開始する予定
定休日|月曜
https://nentokyo.jp/
問い合わせ先

Nén Danang/Nén Light Saigon
https://restaurantnen.com/

                      
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