連載エッセイ|#ijichimanのぼやき 第3回「昭和の残滓が散らばるサラリーマンの街・新橋」
連載エッセイ|#ijichimanのぼやき
第3回「昭和の残滓が散らばるサラリーマンの街・新橋」
「ひたすら肉体の安全無事を主張して、魂や精神の生死を問わないのは違う(三島由紀夫)」――日本初のコールドプレスジュース専門店「サンシャインジュース」のボードメンバーの伊地知泰威氏の連載では、究極に健康なサンシャインジュースと対極にある、街の様々な人間臭いコンテンツを掘り起こしては、その歴史、変遷、風習、文化を探る。第3回は、サラリーマンの聖地として知られる新橋の楽しみ方を提案する。
Photographs and Text by IJICHI Yasutake
新しい時代に残したい歴史ある街の記憶
新橋は一般的に“サラリーマンの街”とよくいわれる。それに違わず、ボクも社会人になるまで新橋に足を踏み入れた記憶はほぼない。銀座に行くことはあっても新橋は素通りしていた。
新橋が活動エリアのひとつになったのは、サンシャインジュースに携わるようになった30代から。いまはオフィスが新橋-虎ノ門にあるので、1日の大半をここ、新橋で過ごしている。
新橋が持つ“サラリーマンの街”という顔は、戦後から高度成長経済期にかけての昭和の変遷を匂わせる。それを象徴するのが、戦後闇市がルーツとなって発展し、技術革新と設備投資を背景にした日本経済の急速な発展を支えた労働力であるサラリーマンの聖地であったであろう、「新橋駅前ビル」と「ニュー新橋ビル」。
今もなおその聖地となっている両ビルは、新橋駅前ビルは電通や日テレ、資生堂などの大企業が立ち並ぶ汐留口で異質な存在感を放ち、線路を挟んで向かいのSL広場にはニュー新橋ビルがそびえる。
新橋駅前ビルは新旧問わず、使い勝手いい店が実に多い。「サンシャインジュース」も新橋店をこの1Fに構えているが、昔は電通で打ち合せがあった後はだいたいB1Fの純喫茶「パーラーキムラヤ」に立ち寄って脳内クレンズしてからオフィスに戻ったものだった。
サンシャインジュースの対面には玉ねぎたっぷりのハンバーグが後をひく「ポンヌフ」、隣は700円でロースカツがしっかり喰える「まるや」、2Fに行けば至極の稲庭うどんと最高のつまみでもてなしてくれる「七蔵」、ビーフンとちまきと言えばもはやここしか思い浮かばない「ビーフン東」、各階どこも昼時は常に行列をなしている。洋菓子のド定番、レーズンウィッチの「巴裡小川軒」がここに君臨しているのも忘れてはならない。打合せ手土産に持っていけば話の進み方は変わってくるだろう。
一方、ニュー新橋ビルの方がやや雑然と、そして混沌とした空気を醸し出す。1Fこそ小綺麗な喫茶店や立ち食いそば店が居を構えるが、他は異世界である。
B1Fは多くが飲食店だが、どこに入ろうか悩んでふらふらしてしまうと、そのうち薄暗いゲームセンターを見つけ、ストⅡや鉄拳が誘惑してくる。
2Fには残念ながら昨年閉店してしまったが「POWA」というナポリタンが美味い純喫茶があった。
たびたびそこを利用していたが、その向かいはアダルトショップ、さらに各種中国マッサージ店から誘われるのである。その誘惑はストⅡや鉄拳の比ではない。昼時から制服の警察官が巡回していることもあるし、行かずとも「ニュー新橋ビル 2F」とGoogleで検索するだけでその異様さは僅かでも知ることができるはず。
ちなみに、POWAがなくなった今、よく利用するのは3Fにある「カトレア」という純喫茶。
サンドウィッチをつまみながらディスカッションをすれば、会議室では出てこないアイデアが、このラウンジチックな空間の中なら不思議と湧いて出てくるであろう。
このニュー新橋ビルで第一想起される名店は1Fの「むさしや」だ。昼時は常に長蛇の列だが、カウンター横並びなので回転は早い。
列に並ぶと間もなくしてオーダーを促される。ボクは基本オムライス、またはドライカレーが卵に包まれたオムドライ。あとは大盛りか否か、ミニハンバーグを付けるか否かを検討する。
オーダー後10分弱並べば席に通される。少々スパイスの効いたトマトソースのスパゲッティが添えられたオムライスは、ふんわりとろりの卵ではなく、薄く柔らかく焼かれた卵に包まれたレトロスタイル。これが抜群の安定感を誇るのである。
ビジネスには突発的な事案、苦難、ときにリスクを背負った冒険や挑戦など、予期せぬ変化がつきものだ。だからこそランチに冒険は不要。ランチタイムの満足度は午後の仕事のパフォーマンスに多分に影響を及ぼす上、毎日じっくりランチスポットを考えているほど暇じゃないから、ランチに求めるのは絶対的な安定感なのである。
ボクが求める安定感では、米なら「むさしや」で、麺なら「蘭苑菜館」だ。なんてことない、いわゆる“街中華”だが、ここに通うのは訳がある。にんにく大腸麺である。もつ(内臓肉)をこよなく愛するボクにはたまらないメニュー。ランチのサービスメニューには表立ってラインナップされていないが、頼めば作ってくれる。いい塩梅で強めに効いた塩分とにんにくが染みこんだ大量のもつが、疲れた体にガツンと効いてくる。特に暑い夏にダラダラ汗をかいた時に食べるとサイコーなのである。
新橋は芝浦が近いからか、もつ焼き屋が充実している。
新橋でもつ焼きと言えば有名なのは麻布十番のあべちゃんの姉妹店「まこちゃん」だが、夜のもつなら「カミヤ」がいい。混んでいると外の立ち飲みで待つことになるが、テーブルは積み上げたビールケース。そして初めて行った時にまず戸惑うのは箸がないこと。串で喰うのである。
価格もお手頃、5本で400円。都内のもつ焼き屋はそれなりに色々行っているが、さすがに港区で1本80円の手頃感はなかなかない。ここで刺しと焼きで軽く一杯済ませてから一軒目に行く、なんてできる日は充足感に満ち足りた日である。
そして、仕事で疲れた体に活力と精力を与えてくれるものと言えば、すっぽんに他ならない。「しんばし和寿」で一尾丸ごといただく。
ここは事前に予約しておくと、来店直前の夕方にすっぽんをさばいてくれる。まず首をはねて生き血や胆汁を出し、それを酒で割って飲む。鮮度が高いから旨みが豊かで臭みがない。身や内臓、卵巣や精巣は、刺身、唐揚げ、鍋で味わう。
すっぽんの鍋=丸鍋のスープは見た目はまさしく黄金色のコンソメスープ。芳醇で滋味深く、筆舌しがたい極楽の味。最後は雑炊で締める。丁寧に供養されていただく命の有り難みが自身の体の隅々まで染みわたるのを感じながら、疲れを癒やすのである。
日本経済を支えるサラリーマンを昭和・平成と支え続けてきた街、新橋。武蔵小山飲食街、下北沢食品市場、中目黒高架下など、自然発生的に集まった小店が混然一体と長い年月をかけて偶発的に作ったマーケットはここ数年で一気に姿を消した。一度壊したらもう狙っては作れない。
どこもかしこも似たり寄ったりのコンセプトのもとで再開発されては変貌を遂げていく中、今なお残る昭和の残滓。新しいことだけを価値にすると、消費に次ぐ消費で何も残らなくなってしまう。古いことを価値にして、それを次の時代に継承し、資産としていくことも大切だと思う。願わくば、いまの形を残しながらずっと生き続けてほしい街が新橋である。
新橋駅前ビル
住所|東京都港区新橋2-20-15
ニュー新橋ビル
住所|東京都港区新橋2-16-1
蘭苑菜館
住所|東京都港区新橋3-20-8
TEL|03-3431-6988
営業| 平日11:30~28:00
土曜11:30〜23:30
祝日11:30〜21:30
日曜休
カミヤ
住所|東京都港区新橋4-19-1
TEL|03-3436-1391
営業|16:30~23:00 ※日曜祝日休
しんばし和寿
住所|東京都港区新橋3-11-1 イーグル烏森ビル2F
TEL|050-5594-4156
営業|平日17:00~24:00 ※土曜は5名以上の予約のみ
伊地知泰威|IJICHI Yasutake
株式会社サンシャインジュース 取締役副社長
1982年東京生まれ。慶應義塾大学在学中から、イベント会社にてビッグメゾンのレセプションやパーティの企画制作に従事。その後PR会社に転籍し、PR領域からのマーケティング・コミュニケーション・ブランディングのプランニングと実施マネージメントに従事。30歳を機に退職。中学から20年来の友人である代表と日本初のコールドプレスジュース専門店「サンシャインジュース」を立ち上げ、現職。好きな食べ物はふぐ、すっぽん。好きなスポーツは野球、競馬。好きな場所は純喫茶、大衆酒場。
Instagram:ijichiman