Secrets behind the Success|連載第12回「ヴァナ マルシ エステート」創設者 ヴィール・シンさん
ビジネスパーソンの舞台裏
第12回|ヴィール・シンさん(「ヴァナ マルシ エステート」創設者)
インド発、現代人のための幸福論(1)
ビジネスで成功を収めた成功者たちは、どう暮らし、どんな考えで日々の生活を送っているのだろう。連載「Secrets behind the Success」では、インタビューをとおして、普段なかなか表に出ることのない、成功者たちの素顔の生活に迫ります。
2014年1月、神々が住むという聖なるヒマラヤを望むインドのデュハラデュンに21エーカー(約2万5700坪)という広大な敷地を有するリトリート「ヴァナ マルシ エステート」(以下、ヴァナ)がオープン。創設者は、言語学、フラメンコ、音楽、アート、有機農業に関心を寄せ、イギリス、スペインで暮らした経歴をもつヴィール・シンさん。彼が独自のコンセプトをもつリトリート経営に行き着いた理由とは。経営哲学から見えてくるウェルビーイングへの思いに迫ります。
Photographs (portrait) by NAKAMURA Toshikazu (BOIL)Text by MAKIGUCHI June
ウェルビーイングとは、すなわち幸福であるということ
――初来日だそうですが、日本の印象はいかがですか。
もともと、日本にはとても良い印象をもっていました。子どものころから、この国は美、デザイン、エレガンス、自然、礼儀正しさ、精神世界に敬意を払っていると聞いていたんです。今回滞在していて、それが事実だとわかりました。もっと日本のことを知りたいです。
――イギリス、スペインで暮らし、多種多様なことに興味を抱いていらっしゃいましたが、なぜ、リトリートに行き着いたのですか?
常に最初に聞かれることです(笑)。実はその問いにはまだ答えが出ていませんが、はっきりとしているのは、私はこれまで、人が自分自身の価値を見出せるような場所をクリエイトしようと努力してきたということです。いろいろな経験をとおして、世界中の人びとが自然や社会との不調和を感じていると察してきました。ヴァナは、人が自分を取り巻く世界と調和できるように答えを探せる場所にしたいと考えています。
――世界では、多くの人がウェルネスの大切さに気づきはじめているように思います。
いま、ウェルネスという言葉は主に、食に注意を払い、エクササイズをすることとして使われています。私が定義するウェルビーイングとは、すべてが調和し満たされるということです。別の言い方をするなら、幸福であるということ。そこには、身体的、精神的、感情的、社会的、職業的な側面や、エコロジカル、スピリチュアルな視点が関わっていて、人生すべてに関係してきます。
自然な生活から遠ざかって行けばいくほど、いずれかのバランスが崩れ、ネガティブな面が表出してくるんです。栄養も、心の健康も損なわれ、感情面にも問題を抱えはじめる。多くの人が幸福でない、満たされないと感じるほど、ヴァナのような場所に答えを求める人が増えるのでしょう。
――本当の意味でウェルネスを求めるならば、ひとりひとり、必要なものが違うようですね。
そうです。ですからレディメイドのパッケージは提供していません。ヴァナはリゾート施設ではありませんので、5泊以上の滞在から予約をお受けしています。代金には、部屋、食事、スムージーやお茶など滞在中の飲食費、トリートメント、コンサルティング、グループアクティビティ、空港からの往復交通費などすべてが含まれています。お客様が到着してからしっかりコンサルティングをおこない、なにが必要なのか、なにがお好みなのかをうかがい、最高の専門スタッフがビスポークのプログラムを決めます。このアプローチはとてもユニークです。2日経って、もしプログラムが気に入らなければ、何度でもプログラミングをおこないます。その際も、追加費用は一切いただきません。
――何カ国からゲストがいらしているのですか?
これまで、インド国内をはじめ、ドイツ、イギリス、アメリカ、フランス、ブラジル、スイス、オーストリア、メキシコ、バーレーン、オーストラリア、日本からお客様をお迎えしました。
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第12回|ヴィール・シンさん(「ヴァナ マルシ エステート」創設者)
インド発、現代人のための幸福論(2)
ホスピタリティには、その裏側にある純粋な気持ちが必要
――インドにリトリートをもつ強みとはなんでしょう?
インドは多様性、複雑さ、広大さ、カオス、混乱を内包したクレイジーな国といえます(笑)。でも、インドには、伝統的な医学のアーユルヴェーダやヨガがあります。また、精神世界に造詣が深いということも強みです。現在、インドの価値観は精神世界とは逆の方向に進みつつあります。それでも、昔の価値観を伝える人びとや方法論はまだまだ健在です。そういった理由から、ウェルネスをおこなう上でインドはとても有利な場所だと言えるのです。
――ご自身にとって、ヴァナを運営することの意味は?
自分自身の旅と言えます。私のチームにとってもそうです。そして、ゲストにとっての旅でもあります。ゲストはもちろん、チームのメンバーはとても大切な存在です。多くの企業がそう言ってはいますが、実際に人材を大切にしている会社はどれほどあるでしょう。私はそれを実践すべく努力しています。310人のスタッフには、ヘルシーでオーガニックな食事が提供され、ヨガ、ダンス、楽器、ハイキング、ガーデニング、料理のレッスンが用意されています。素晴らしい成果をゲストに体験してもらうために、私とスタッフの幸福も追求することがとても重要なのです。
――最高のホスピタリティを実現させるために、すべきこと、していることは?
ホスピタリティには、その裏側にある純粋な気持ちが必要です。スタッフの誰もが、誠実さを共有し、ヴィジョンを実現する明確な目的意識をもたなければなりません。それが第一歩。次にリーダーとして、そのヴィジョンを忘れないようスタッフに常に注意喚起することです。多くのサービス業が、ホスピタリティの質を高めようと社員教育をしているでしょう。でも、それが実際にお客様の前で発揮されなければ意味がありません。利益ばかりに気をとられ、心とサービスが切り離されないようにしなくてはいけません。
次に、ヴァナではサービススタイルのバランスを重視しています。エレガントでフォーマル、お客様には敬意を払っていますが、同時にリラクシングで優しいムードを心掛けています。サービス業では、どうしてもその一方だけに偏りがち。ヴァナではそれがうまく実現できていると思います。日本のホスピタリティも素晴らしいですね。ヴァナの精神と共通したものを感じます。
――今後、なにか計画されていることはありますか?
ふたつのあたらしいヴァナの創業を計画しています。それぞれがウェルビーイングへの全く違ったアプローチをもつのです。ウェルビーイングは人生すべてに関わってくるのですから、焦点の当て方次第で、多様なリトリートを創ることができると思っています。そして、いずれもインド国外で、いまよりもやや規模の小さいものとなる予定です。
――リーダーとして大事なことはなんだと思われますか?
いろいろな人が、リーダーにはこれが大事、あれが必要と言います。人によって意見が違うのです。それはつまり正解がないということ。ですから、マネージメントの本は読みません。リーダーにとって必要なことは、国、文化、分野、時代によって違うと思うのです。私の父の時代のリーダーといまのリーダーでは大きく違うはず。まずは、それを知ることが大事だと思います。
私は常に、自分がどう考えるか、自分がやって来たことは正しいのかと問うようにしています。そして、懸命に働くこと。リーダー然とした華やかな生活をひけらかすために、いくらでも豪華なディテールにこだわることはできますが、いまの時代は特に、そのようなリーダー像は求められていないと思います。次に、自分自身の人間としての質を上げるために気を配り、努力することです。一番努力しているのは、忍耐力をつけることです。ストレス、プレッシャーにさらされることが多いので、実際に忍耐力を身につけつつあると感じています。そして、“いま、ここ”、に意識をむけること。そのうえで先を読み、過去の自分のおこないから学ぶことができる能力。それがリーダーに必要なことだと思います。
ビジネスパーソンの舞台裏
第12回|ヴィール・シンさん(「ヴァナ マルシ エステート」創設者)
インド発、現代人のための幸福論(3)
仕事から意識を切り離すことがリラックスに
――なにか決断をする際に思い出す格言や、座右の銘はありますか。
私はシーク教の家系で育ちました。一時は、ターバンを巻き、髪は足先まであったんですよ。人生のなかで、さまざまな信仰に接し、ここ3年ほどは仏教を少し学びました。そのなかで出合ったのが、「mindfulness」という考えでした。それは、いまに意識を向け、集中するということです。決断はその大小に関わらず人生にとって大事なものです。ですから、なにかを決めるときは、いまの自分にはどんな感情があり、それがどのように自分に作用しているのかを意識して答えを出しています。「compassion(思いやり)」という言葉も心にとめています。
ネガティブな感情に支配されたとき、怒り、混乱などが起きたとき、常に他者への思いやりを思い出すことで落ち着くことができます。
――いつも持ち歩くラッキーアイテムはありますか?
尊敬する方から祝福を受けた数珠を大切にしていて、いつも身につけています。あとは、お客様に手紙を書く際に使うヴァナの便箋と封筒。再生木材で作ったUSBです。タブレットのケースは友人が作ってくれたものでイニシャル入りです。また、インドのブランド、Abraham&Thakoreのスーツもビジネスシーンでよく身につけます。いま着ているものも同ブランドのもので、伝統衣装のバンドガラをベースにしたもの。インドの生地やテクニックを使い、パッドや芯地がなく、着心地がとてもよいので気に入っています。
――忙しい日々のなかでどうリラックスしていますか。
細部まで気になるという性格のせいでもあるでしょう。とても小さなことにも時間をかけて関わってしまうんです。食事のメニューやトリートメント、すべてまず自分で最初に試さなくては気がすみません。これでは、忙しいのも当然ですよね(笑)。ですから、睡眠には気を配ります。身体のためでもありますが、むしろ心のリセットのために。睡眠時間はだいたい6〜8時間です。食事は、気分やエネルギーに関わりが深いので大事にしています。ご馳走をたっぷり食べることもありますが、その後はバランスを取るようにしています。そして少しのエクササイズでしょうか。時間があるときに、ウォーキング、腕立て伏せをします。瞑想も効果的ですし、好きな音楽を聴き、映画を観て、仕事から意識を切り離すこともリラックスに繋がります。
――どんな映画をご覧になるのですか?
俳優、話の筋、演出が素晴らしければ、ジャンルにはこだわりません。いわゆる典型的なアクション映画以外なら。気に入っている映画のほとんどはスペインのものです。特にアレハンドロ・アメナーバルの『海を飛ぶ夢』が好きです。(実在の人物ラモン・サンペドロの自伝を元に、事故による四肢麻痺の末、尊厳死を望んだ30年近い闘いを描く。2005年アカデミー賞外国語映画賞受賞作)。主演のハビエル・バルデムが良かったですね。あとロマンス映画も好きです。
――ロマンティックな物語もお好きなんですね。
ヴァナのように、デザインや美、心に関わるなにかを創造するためには、ロマンティックな側面をもっていないといけないと思います。
いま、世界中のリーダーたちが注目し、こぞって実践している仏教概念“mindfulness”を、より深い部分で理解し、ビジネスそして自分自身に反映させているシンさん。人として周囲からの尊敬に値する自己を確立すれば、おのずと良きリーダー像が生まれるとする姿勢には、人間の心と身体に関わるリトリート運営への真摯な取り組みが感じられた。今後計画されている新展開にも注目したい。
Veer Singh|ヴィール・シン
1983年、インド・ニューデリー生まれ。学生時代にイギリス、スペインへ留学。イギリスでは物理学を専攻し、有機農業やエコロジーについて知識を深めたほか、アートや音楽に関心を寄せる。その後、サステイナブルな生き方を求めて、スペインで有機農業に取り組む決心をする。農園経営に携わったのち、インドであたらしい農業の普及に取り組む。幅広い経験を通して得た知識とスキルを携え、これまでにないリトリート「ヴァナ マルシ エステート」の設立を決意。数年の準備期間を経て、2014年1月にオープンした。
取材協力
TWO ROOMS グリル&バー
営業時間|ランチ 11:30~14:30、ディナー 18:00~22:00(日曜は21:00まで)、ラウンジ・バー 11:30~翌2:00(日曜は22:00まで)
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