Secrets behind the Success|連載第10回「ラ・ペルゴラ」総料理長 ハインツ・ベックさん
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2015年6月22日

Secrets behind the Success|連載第10回「ラ・ペルゴラ」総料理長 ハインツ・ベックさん

ビジネスパーソンの舞台裏

第10回|ハインツ・ベックさん(「ラ・ペルゴラ」総料理長)

ガストロノミー界の重鎮が日本で描く夢(1)

ビジネスで成功を収めた成功者たちは、どう暮らし、どんな考えで日々の生活を送っているのだろう。連載「Secrets behind the Success」では、インタビューをとおして、普段なかなか表に出ることのない、成功者たちの素顔の生活に迫ります。

2005年、ミシュランイタリア2006で三ツ星を獲得した「ラ・ペルゴラ」。ローマのレストランとして29年ぶりの快挙を成し得たシェフが、ハインツ・ベックさん。2009年からはイタリア国内に留まらず、ロンドン、ポルトガル、ドバイと次々とレストランをオープン。そしてついに11月7日、コンセプトが異なる2店舗を東京で同時オープンした。アーティスティックな料理で世界中を魅了するシェフが描く“ベック・ワールド”とは?

Photographs by JAMANDFIX
Text by NAGASHIMA Kyoko

料理人ではなく、絵描きになりたかった!?

──まず、ベックさんと料理との出合いについて聞かせてください。

実はわたしは料理人ではなく、絵描きになりたかったのです。子どものころから美術大学への進学を希望していましたが、「絵描きになってどうやって身を立てていくつもりだ。趣味にとどめておけ」と父に猛反対されました。

宝石商を営んでいた父は、わたしにも経済学を学んでもらい、後継ぎになることを望んでいました。父との意見の衝突、葛藤の末、自分で自分の道を切り開いていくしかないと、大学へは行かず家を出たのです。

──それはいつごろのことですか?

1980年8月1日のことです。その後、ひとりで暮らしていくために、週4日、レストランで働きながら学校に通います。稼ぎが必要で飛び込んだレストランでしたが、仕事は非常に厳しく、ほかのことを考える余裕もないまま、毎日が過ぎて行きました。なにしろわたしの家族や親戚縁者には、ひとりとしてレストランで働いた者がいないので、なにもかもがあたらしい世界。いまとなっては運命を決める選択でしたが、無我夢中で仕事に打ち込み、気づいたら今日に至っています。

Secrets behind the Success|ハインツ・ベック 02

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──ドイツからイタリアへ渡ったのは、「ラ・ペルゴラ」のシェフに抜擢されときでしょうか?

はい、料理の世界に入って14年目の1994年のことです。1963年にオープンした「ラ・ペルゴラ」のオーナーが「すべてのものをあたらしくしたい」という意向から、1994年にリニューアルオープン。そのタイミングに合わせて、わたしがドイツから呼ばれました。実はペルゴラの創業年は、わたしの誕生年。運命的なつながりを感じています。

──なぜイタリアへ渡る決心をされたのでしょう?

ドイツではさまざまなレストランで働いていましたが、すでにペルゴラから何度もオファーをいただいていました。一方、父からは「そろそろ、真剣に跡をついでもらわなければ困る」とも言われていたのです。なんとなく足を踏み入れたレストランの仕事でしたが、どちらの選択をするか、かなり悩みました。

そして、一度は父の跡を継ぐと決意しました。そもそも、イタリア行きを決めたのは、その後の人生の下地作りのためだったのです。父の顧客はほとんどがイタリア人だったので、「2年間ペルゴラで働き、イタリア語を身につけたら家業を継ごう。イタリア行きは、将来のビジネスパートナーを見つけるいい機会かもしれない」と考えたんですね。それがいつの間にか、こうなっていましたが(笑)。

──2009年から、精力的に海外へも出店されています。イギリス、ドバイに続き、日本への出店を決めた理由を教えてください。

日本へは個人的に何度か来ていました。来るたびに日本が好きになり、近い将来、日本に店を出したい、と思い描いていたところ、カトープレジャーグループからオファーをいただいたのです。

──ラ・ペルゴラでは、以前から鰹出汁などを料理に使われていますね。日本の素材、調理法などに特別なインスピレーションを受けたことはありますか?

日本の食材だから特別、というのではなく、そのほかの食材と同様、わたしの料理に欠かせない食材の一つとして昔から使っています。たとえばローマの店でよく使うのは柚子。ただし、新鮮な柚子が手に入らないので、ボトルの果汁を使っています。ドバイ店では新鮮な柚子の果実を使っていますよ。それから、みりん、醤油、山葵、葛(くず)。葛はソースによく使っています。

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ベックさんが手がけた料理の数々。左から「ピスタチオのクロスタを纏った仔牛のフィレ肉 タマネギとドライフルーツ詰め」「ファゴッテッリ ハインツ ベック」「赤い果実の冷製スフェラ お茶のクリーム 結晶化したラズベリー」

──葛ですか! イタリア料理に葛とは、とても興味深いです。

わたしの作るソースはバターやコーンスターチを使わず、すべて葛を使っているのですよ。それに、一言でイタリアンレストランといっても、いろいろな種類の料理があります。伝統料理、郷土料理、創作料理。そして、わたしの料理を言葉で表現するならば、“独自性のあるイタリアン”でしょうね。

でも、おなじことが和食にもいえます。海外では和食というと「寿司と鉄板焼き」をイメージされますが、外国にいる外国人には知らない料理が日本全国にたくさんありますよね。たとえば懐石料理などは素晴らしいと思います。イタリアンもパスタやピザだけではないことを、日本の皆さんにも知ってほしいですね。

ビジネスパーソンの舞台裏

第10回|ハインツ・ベックさん(「ラ・ペルゴラ」総料理長)

ガストロノミー界の重鎮が日本で描く夢(2)

弟子こそ自分の将来

──今回、日本でオープンするレストランについて、教えてください。

おなじビルの2フロアで、違ったコンセプトの店をオープンします。

上階(中2階)がファインダイニング「HEINZ BECK」です。こちらは、あたらしい技術と調理法を取り入れた料理を積極的に取り入れていきます。たとえば、遠心分離機やフリーズドライ、そして蒸留機。これらを使うことで、いままでにない、軽やかなイタリアンを提供します。

そして、下階(1階)の「sensi by Heinz Beck」はオールデイダイニング。カジュアルでありながら、最高の食材で、非常にレベルの高いクオリティの料理を目指しています。オープンキッチンでバーカウンターがあり、手軽に食べられるスマート・フード……小皿料理も用意しています。ぜひ、ハインツ・ベックの“小さな宇宙”を楽しんでほしいですね。

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ファインダイニング「HEINZ BECK」

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オールデイダイニング「sensi by Heinz Beck」

──大変お忙しいとは思いますが、休日の過ごし方と、お気に入りの本を教えてください。

はい、残念ながら、休日はほとんどありませんね(笑)。たまの休みの日は、美術館やギャラリーを巡ったり、オペラを観に行ったりします。海も好きなので、泳ぎや日焼けを楽しみます。潮の香りは鼻腔に良いんですよ。本当は海よりも700mぐらいの丘に行く方が、健康にはいいのです。

本は、ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサというイタリア人作家の『山猫(原題:Il Gattopardo)』が気に入っています。とても素晴らしいシチリアの物語です。

──お仕事で世界中を旅されていますが、贔屓(ひいき)にしているレストランはありますか?

わたしはおなじレストランには1度しか行きません。なぜかって? 世界各国には星の数ほどレストランがあり、味見をすべき料理もたくさんあるからです。より多くのレストランに足を運びたいので、おなじレストランに行く余裕がないのです。

──レストランで食事をするときも、常にシェフの視点で店や料理を見るのでしょうか?

いいえ! それはしません。シェフとして食べていたら、どこへ行っても純粋に食事を楽しめませんから。そして、料理が自分の好みではなくても、必ず、残さず、すべて食べています。それが、料理を作ってくれた料理人に対する敬意です。

そうそう、もしわたしが2回、3回と足を運ぶレストランがあるとしたら、それは自分の弟子たちがオープンしたレストランですね。

Secrets behind the Success|ハインツ・ベック 10

──お弟子さんの育成にも尽力されているとうかがいました。

はい。彼らこそ自分の将来だと思っています。わたしのキッチン……厨房は、一つの工房のようなものです。ハインツ・ベックの工房から、あたらしい料理人がどんどん旅立って行けば、あらたな料理の世界へと広がっていきますから。

たとえば、弟子やほかの料理人に料理をコピーされると怒るシェフがいます。しかし、わたしはまったくそんな気持ちにならない。なぜなら、コピーされるということは、いい料理だと認められたことを意味します。そしてコピーされることで、自分の料理の世界がますます広がっていくのですから、なんのジェラシーも感じません。

それに、レシピをコピーされたところで、あたらしい料理のアイデアは次々と生まれてきますからね!(笑)

──最後に、仕事で欠かせない七つ道具を教えてください。

スプーンです。なぜなら、味見なしには完ぺきな料理は仕上がらないからです。どんなスプーンかって? 味見ができれば、色も形も、なんでもでもいいんですよ! ハインツ・ベックの厨房では、すべてのスタッフが、いつでもすぐに味見ができるよう、大量のスプーンがあちらこちらに、バラバラと置いてあるのです。


終始、瞳をキラキラと輝かせて、料理への思いを熱っぽく語ったベックさん。インタビュー後、カメラマンの前に立ち、コシノジュンコさんがデザインする『HEINZ BECK』のコスチュームに袖を通してひと言。「日本の袴をイメージしたエプロンがカッコいいでしょう?」日本の料理界で、どんなイノベーションを起こすのか楽しみだ。

Heinz Beck|ハインツ・ベック
1963年11月3日、ドイツ生まれ。1994年、イタリア・ローマの「ラ・ぺルゴラ」にシェフとして招聘される。2005年、ミシュランイタリア2006で三ツ星を獲得。また、美食と健康をテーマにした活動にも精力的に携わり、14年4月から病院と共同で食生活をサポートするプロジェクトをスタートした。2014年11月7日、東京にファインダイニング「HEINZ BECK」、オールデイダイニング「sensi by Heinz Beck」を同時にオープン。

           
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