伊藤嶺花×諏訪綾子|スピリチュアル対談(後編)
Lounge
2015年3月4日

伊藤嶺花×諏訪綾子|スピリチュアル対談(後編)

スピリチュアル対談 Vol.17|諏訪綾子

伊藤嶺花が“視た”ゲストの肖像

「“いま”を生きているという幸せに導くライブ・アーティスト」(後編)

さまざまなステージで活躍するクリエイターをゲストに迎え、スピリチュアル ヒーラーの伊藤嶺花さんが、ひとが発するエネルギーを読み解くリーディングと複数の占星術を組み合わせ、クリエイターの創造力の源を鑑定。現世に直結する過去生や、秘められた可能性を解き明かし、普段は作品の陰に隠れがちでなかなかおもてに出ることのない、クリエイター“自身”の魅力に迫ります。

Photographs by SUZUKI Kenta
Text by TANAKA Junko(OPENERS)

前編では画家という意外な前世が明らかになった諏訪綾子さん。後編では諏訪さんの現世での使命について、さらにくわしく解き明かしていきます。

──本当の魔女かもしれない!?
スピリチュアル対談(前編)を先に読む

頭のなかにいつも「なぜ?」が渦巻いている

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伊藤 おそらく諏訪さんの考えや感情は、どんな言語にもうまく置き換えられないと思います。要するに一瞬の感覚的なことだから、置き換えられる言語が見つかりにくいという感じですかね。

だからこそ、それぞれが感じ考えるなかで「次の瞬間にあなたはどうしたいですか?」「どう生きたいですか?」「どんな人になりたいですか?」そんな大きいところにどんどんテーマを投げかけていく。

それをただ作品として、アートとして展示しますという発表ではなく、体感してもらうことが大事。「体をもって生きていますよ、生かされていますよ」そして「人間も含めた万物すべてが、自然界の生み出した産物ですよ」といった、すべての生あるものの核となる本質を発信していかれます。

諏訪 そうなんですね。

伊藤 「心と頭と肉体、それが重なってひとりの人間なんだ」というスピリチュアルの本質の部分、つまり“スピリチュアル=リアル”であるということ。そこをよりわかりやすく伝えたい。現代の人たちが忘れかけている肝心な部分を取り戻させたいという思いがあるわけです。

ただ、押しつけがましいわけではないのが、諏訪さんのすごいところ。それぞれが自由に感じて受け取って、より豊かな生活のためになにかヒントを得て、生きていることを幸せに感じてもらえたらそれでいい。そんな日常のプラスアルファを、リアルな交流の場を通じて「ともに感じましょうよ、ともに考えましょうよ」と投げかけているんですね。

みんなおなじ人間だという仲間意識、人間の核となる部分を伝える真のメッセンジャーです。ですから、つねにパイオニアでありつづけると思います。表現の仕方には一切こだわらず、諏訪さん自身が美しいと感じるもの、おいしいと感じるもの。あるいは真逆で、醜いと感じるものを生かしたアプローチも面白いと思います。ある人にとっては、それが美しいと思うかもしれないじゃないですか?

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「気詰まりのテイスト」 Photograph by Hiroshi Iwasaki

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「痛快さのテイスト」 Photograph by Hiroshi Iwasaki

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「後ろめたさのテイスト」 Photograph by Hiroshi Iwasaki

諏訪 ええ。

伊藤 頭のなかにいつも「なぜ?」が渦巻いている方。ですから、なにかを表現することよりも「なぜこれはこんな形をしているんだろう?」とか「なぜこれはこんなに美しいんだろう?」という「なぜ」が先にあると思うんです。それを探求しながら生きている感じです。探求していることに対して、そのつどなにかひとつ気づきを得られることが、諏訪さんの喜びなのかなと。

諏訪 うんうん。

伊藤 「みんなこれ見て。知ってる?」という感じですよね(笑)。子どものころって、おいしいものとかいいものとか、面白いものを発見したときに、みんなに伝えてたじゃないですか? そんな無邪気で純真無垢な心をおもちなのだと思います。

諏訪 そうかも知れないですね。答えがないものに惹かれるんです。答えが用意されてたり、すぐ答えのわかるものは、あんまり興味がないんですよね。

伊藤 つい探求したくなっちゃうんですよね。「1+1=2」みたいに決まっていることを、わざわざ掘り下げたいと思わない。それよりも、どうして「1+1=2」になるのかという哲学的な思想を、ずっと掘り下げていかれますよね。

諏訪 そうかもしれないですね。

伊藤 それって、さっきお話にあった「だれがこれを最初に食べたんだろう?」という探究心もおなじこと。それこそ毒キノコを最初に食べた人は、死んでしまったわけです。まさかそれで死んでしまうことになるなんて知るよしもなく。それでも試してしまうのは、お腹が空いていたり、養う家族がいたり、とにかく生きなきゃという本能、そしてそこから突き動かされた欲求じゃないですか。「食べられそう」という直感で食べてみたというのが最初だと思うんです。

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画家をやっていたころ、諏訪さんのなかにあったのは、美しいものを見つけて「いまこの瞬間を描き留めたい、記録したい」と感じたときのすべてを、そのまま動いているものとして伝えたいという思い。ですから、だれかが作ったもの、表現したものの表面的な美しさというよりは「どんな思いでこれを作ったんだろう?」「どんな思いでこれを表現しているんだろう?」という、ものごとの根底にある真実の部分を突き詰めていかれます。それが諏訪さんにとっての喜び。で、「もしかしたら、こういうことかも」と気がついた瞬間に湧き上がる、表現したいという気持ち。そのときに出てきたイメージを形にされている感じです。

諏訪 うん、そうですね。

伊藤 だからつねに前例のないことに挑戦していかれます。着眼点がそもそもちがうから。

諏訪 そうなんですね。でもわたし、作品作りに没頭している最中でハッとするんです。「なんでこんなことをやっているんだろう?」って(笑)。

伊藤 (笑)

諏訪 で、つづけているうちに「あ、そういうことだったんだ」って気づくというか。

伊藤 おそらく納得したいという衝動に駆られて、グワーッて突き詰めていく。その過程で、ようやく「あ、わたしこういうことを知りたいから、これをやっているんだ」って気づくみたいな、後づけのことも多々あると思いますよ。

諏訪 そうですね。だからゲリラレストランとか「感情のテイスト」とか、先ほどお話したようなことって、どうやって作ったか思い出せないんですよね。

伊藤 あ~やっぱり。すごいですね。

諏訪 で、やったあとに、それを作りたかった理由がわかるみたいな感じです。

スピリチュアル対談 Vol.17|諏訪綾子

伊藤嶺花が“視た”ゲストの肖像

「“いま”を生きているという幸せに導くライブ・アーティスト」(後編)

毎日が自分との勝負

伊藤 でもそうしたら、インタビューのときとか困っちゃいますね。「今回の作品に込めた思いについて」なんて聞かれても、答えられないですから。

諏訪 そうなんですよ。最初のころは、もっと感覚的に作ったり表現したりしていたので、しょっちゅう答えに困っていました。かといって、なんでもいいわけじゃなくて「これじゃないといけない」というのはあるんですけどね(笑)。だけど年を追うごとに、だんだんわかるようになってきました。自分でも整理しきれていなかった部分が、少しずつ輪郭を帯びてくるというか。その変化もなんだか面白いなと思いますね。

伊藤 それは面白いですね。前例がないことをされていくので、そういう意味では根っからのアーティストです。既存のものを破壊するというと、あまりいい表現に聞こえないかもしれないですけど、破壊と創造は一対って言いますよね。既存のものの奥にある真実を突き詰めたときに湧き上がってきたアイデアを、あたらしい独自の世界で表現していきます。

そのプロセスと着眼点、表現の仕方自体が諏訪さん独自のもの。ですから、自然と前例のないものになっていくんですね。それが本当の意味でのクリエイティブですから。無から有を生み出すという。最初は理解しがたいとかされないことがあっても、「あ、わかった」って納得するまでつづけることによって、すべてがいい方向に進んでいきます。なぜなら、だれもが手放しに共感できるものこそ、すべての核となっている部分だから。それを潜在的にご存知なので、信念をもってやりつづけられるのだと思います。

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諏訪 ありがとうございます。すごく勇気をいただきました。

伊藤 一度決めたことは絶対諦めない。緻密ですよね。

諏訪 あ、そうです。妥協はしないですね。

伊藤 ときに表面的なやり方を変えることがあるのは、その瞬間の自分自身に正直だから。「いまの人たちはこれを求めているわけじゃない」と、なにか自分のなかの葛藤や疑問に答えが出た瞬間に、ガラッとやり方を変えちゃう可能性もあります。

画家や彫刻家がよく自分の作った作品を殴り捨てたりするじゃないですか。で、またゼロから作りはじめる。そういうことは諏訪さんのなかにもあると思いますよ。だけどそれも自分が納得できたり、満足できるものを突き詰めなければ、本当に大事なものに行き当たれないというのを、潜在的に知っているから。

諏訪 そうですか。

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「Secret Restaurant」/Valveat81、東京/2011年 Photograph by Muga Miyahara

伊藤 戦略性と計画性は抜群です。作品を作っているときは、好奇心と本能、欲求でグワーッと行動に駆られますけど、潜在的に行きたい場所は決まっているので、そのためにどうするべきか、最後は自分自身に問いかけつづけます。すると次第に「じゃあ、こうしていこう」という道すじが見えてきて、感性と知性のバランスがピタッと一致して、体と心と頭と諏訪さん自身がピタッと一致した瞬間に一気にゴールに向かって走り出す。妥協を許さない真の芸術家という感じですよね。

諏訪 そうかもしれないですね。やることが決まったら、頭のなかにイメージがあるので、いつも淡々とというわけにはいかないですが、それに向かって積み上げていくという感じです。だけど、はっきり見えているイメージを探るのはときに苦しいこともあります。

伊藤 「最初のひらめきと感覚の先にしか答えはない」と知っているから、それを具現化するために、すさまじい勢いで詰めていかれます。女性的な外見からは想像できないですけど、性格的にもガッツのある男勝りな感じですよね。

諏訪 たしかに。それがいいのか悪いのか、自分ではわからないですけど……。

伊藤 明るく元気で男勝りで「絶対妥協しない」という意味での負けん気の強さもおもちです。毎日が自分との勝負という感じ。昨日の自分よりも今日の自分。今日よりも明日の自分という感じで、ずっと勝負しつづけている。

諏訪 たしかに、そうですね。

伊藤 ゲリラレストランで「感情のテイスト」を楽しんでいるお客さんを見ながら、諏訪さんはどんなことを考えられていますか?

諏訪 いつも感じるのは、反応したり、あじわっている表情や情景が美しいなと。そうやって感覚を研ぎすませているときって、ほとんどの方が無防備になるというか、自分の内側に意識を集中させるので、外側のことをあまり構わなくなるじゃないですか。その人の本当の姿というか表情が垣間見られる気がして。

そういう意味で、食べ物がどうというよりは、味わったり感覚を研ぎすませている表情や反応の美しさから目が離せなくなりますね。

伊藤 生あるものすべての美しさを追求しているので、着眼点がどうしてもそこなんですよね。絵のなかにあるリアルな世界を、そのまま一緒に感じるということ自体を、プレゼンテーションとして披露されているわけです。ちなみにいまも絵を描かれることはありますか?

諏訪 絵はスケッチを描きますね。

伊藤 作品集のなかにあるスケッチも諏訪さんが描かれたものですか?

諏訪 あ、そうです。ああいう感じのものが多いですね。基本的に絵を描くというよりは、プロジェクトに関わっていただく方たちとイメージを共有するために描くという感じです。言葉で表現することもあるんですけど、そうするとすごく感覚的になって……。

伊藤 伝わりにくいですよね。

諏訪 そうなんです。それでスケッチに行き着きました。

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伊藤 (スケッチを見ながら)素敵です。スケッチの域じゃないですね。

諏訪 ありがとうございます。設計図みたいな感じでしょうか。

伊藤 ひとつひとつの説明が、ものすごく細かく描かれていて、この辺に緻密さとか抜かりのなさが出ている気がします。

諏訪 たしかに絵を描く時点で、かなりはっきりとイメージができているので、実際にこれとほぼおなじものができあがりますね。

伊藤 かっこいい! ブレないんですね。こういうスケッチ以外に、プライベートでも絵を描かれることはありますか?

諏訪 プライベートでは、スケッチじゃなく文字なんです。

伊藤 その方がイメージしやすいんですかね。

諏訪 そうですね。小さいころから本を読むのが好きだったので、言葉から想像する方が慣れているというか。習慣的なものもあるかもしれません。

スピリチュアル対談 Vol.17|諏訪綾子

伊藤嶺花が“視た”ゲストの肖像

「“いま”を生きているという幸せに導くライブ・アーティスト」(後編)

ギリシャ神殿に勤めていた!?

伊藤 今後はさらにいろいろなことに取り組まれていきますよ。先ほどお話したあたらしいもの、面白いもの、美しいもの、既存にはないものをどんどん作り出していくこと。それ自体が諏訪さんの本業だし喜びなんです。表現方法があまりにも多岐にわたるので、出てきたものだけを見ていると「え、そんなこともやってるの?」ってなるかもしれないですけど、諏訪さん自身の軸はブレないですから。

諏訪 では、食ではない可能性も?

伊藤 ほかのものに移行する可能性もありますけど、前提として五感すべてを使って感じてもらいたいというのがあるので、体に入れるものや触れられるものというのは変わらない。そうすると食べ物に関する要素というのが、どうしても入ってくると思います。

諏訪 そうですか。

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「嬉しさと胸騒ぎが入り交じったテイスト」 Photograph by Hiroshi Iwasaki

伊藤 だって、体に取り入れられるアートってなかなかないじゃないですか? でもリンゴだってアートのひとつなんですよね。

それを口にできる、味わえる、そして栄養になるというありがたさ。そのことも諏訪さんは伝えようとされているので、ただ作品を作って見せたり、伝えるだけでは物足りなくなってしまうんです。ですから自然と、食べ物に関わることになってくると思いますよ。

諏訪 そうですね。食べ物に限らず、植物とか自然の造形美を見れば見るほど「かなわないな」って思うんです。いまおっしゃったみたいに、存在自体がアートになっている。ですから、わたしがその造形を作り出すんじゃなくて、どちらかというと素材そのものをそっと置くぐらいの意識でいます。

伊藤 机のうえに置かれた果物の絵とかあるじゃないですか? あれを描いた人が伝えたかったのは、まさにそういうことですよね。今後は、そこからさらにそぎ落としていく。よりシンプルに表現していかれるような気がします。素材の美しさやあじわい、そのものをもっと人に伝えたいという思いが出てくると思います。

諏訪さんのもうひとつの前世としていま視えているのは、オリーブの実とかギリシャ神殿みたいな場所。そういう時代を生きていらっしゃったと思います。オリーブというのは、食用にもなるし、薬用にもなる。それをオリーブオイルにして、大きな水瓶みたいなものに入れているところが浮かんできます。おそらく神殿にお勤めされているんだと思います。

オリーブの実やさまざまな素材をとおして、自然界の素晴らしさや万能さを伝える方。現代でいうところの薬剤師や医者みたいな存在でした。いまでこそ、ふたつの役割がはっきりわかれていますけど、昔はそうじゃなかった。いま視えているギリシャ神殿の諏訪さんは、食べることで体を癒して元気にする、痛いところを回復させるみたいなことをやっていらっしゃいます。

諏訪 面白い!

伊藤 いまでも、薬草とか漢方薬を煎じて飲んだりしますよね。その原点のようなことをやられていたわけです。産地によって種類がちがうだけで、東洋には漢方があるように、西洋でもハーブでおなじようなことをやっていますからね。ひとつひとつの香りを確かめながら「探してた薬草、これこれ」って五感で識別して、「これをこのぐらいの配分で混ぜていくと、お腹が痛いときにピタッと止まる」とか、そうしたちょっと実験っぽい試行錯誤を、まだなにもない時代に自然の知恵のなかでやられていた様子が視えてきます。

諏訪 そうですか。

伊藤 これからは原始的な美しさを生かしながら、それをどう取り入れて理解していくかというプロセスを、よりシンプルな形で表現されていくように思います。

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諏訪 その魂というのは、ずっと変わらないんですか? 自分の役割というか……。

伊藤 磨きつづけていく感じですかね。日本の石川県に、女性として、諏訪綾子さんという名前で生まれてきたことも、じつは諏訪さん自身が無意識に選んでいるんです。魂自体は普遍のものです。ただその魂の使命をどう果たしていくか、経験するかというのは、毎回おなじというわけではない。単純に言うと経験したいだけなんですよ。この大きな宇宙のなかで、行動することで経験を積み、そしてまたあらたなものを感じ考え、行動に移すということを繰り返したいのが人間なんです。

諏訪 魂にも「経験したい」という欲望があるということですか?

伊藤 あります、あります。魂自体は欲望というより希望にちかいです。肉体を持つことによってはじめて、あらゆる欲望や欲求というものが生まれるんです。生きていくために必要不可欠なものなので。それこそ神話の世界では、文化はちがえどみんなおなじことを言っていますよね。肉体をもって生きることで、はじめて宇宙と空間と繋がることができる。それは私たちが潜在意識という、生命という、すべての創造力の源となるエネルギーを宿しているからなんです。

諏訪 壮大なお話ですね。

伊藤 ここからは持論に入りますけど(笑)地球って丸いじゃないですか。土星も火星もいろいろ惑星はありますけど、全部惑星は丸いわけです。アポロが飛んで月に着陸したというのも物理です。でもそれ以外の空間って、いまだに人智のすべてを結集させても、宇宙のなかで解明できていることって、たったの3~4%なんですよ。で、人間も自分でその場ではっきり言葉に出せるぐらい自覚している意識というのは、じつはそれぐらいなんです。

諏訪 そうなんですか!

伊藤 宇宙の残りの96~97%というのは、ダークマターとかいろんな名称で呼ばれていますけど、いまだ科学の力では解明できない部分。人間もおなじで、自分でも自覚のない過去の記憶とか「子どものとき、お母さんに怒られた」なんていう一瞬の場面って、記憶としてありますけど、そのときの感覚や感触、コンマ何秒という瞬間を、言葉にしろって言われても難しいじゃないですか。

そういうのが全部、潜在意識にストックされていくんです。すべてを記憶して、思考にスライドできてしまうと、私たちパンクしてしまうので(笑)。その潜在意識という無意識の領域が、宇宙の解明できていない部分とほぼおなじ割合なんです。

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諏訪 興味深いですね。

伊藤 中国医学では、人間の体を小宇宙と呼んだりしますが、人間という存在そのものが、本当に宇宙そのもの。未知なるすべての創造力の源となるエネルギーが、私たちの肉体に宿っている。それをもって感じ考え行動して、さらにまた感じ考え行動して……。という喜怒哀楽の感情、思考、欲求というものを肉体をとおして経験していくことによって、肉体をもって生きるという喜びを知るわけです。

だから私たち人間というのは「いまの自分をしっかり生きる」ということが大事なんだと思います。いつも“いま、ここ”の自分次第、自由意思でいかようにも幸せを感じることができる。なぜ生きているのか。なぜこの地球の、なんとかさん家の、なんとかさんという名前で生まれてきたのかということも含めて。

前世で果たせなかった思いとともに、生きる希望とともに生まれてきた現世のありのままの自分を認めてあげれば、みんなもっと楽になると思います。

スピリチュアル対談 Vol.17|諏訪綾子

伊藤嶺花が“視た”ゲストの肖像

「“いま”を生きているという幸せに導くライブ・アーティスト」(後編)

なにか見えない力に流されている

伊藤 すべては必然なんです。宇宙という自然界の美しい調和のサイクルのなかで、人間も動植物もおなじように生きている、生かされている。動植物は本能的に調和のサイクルの反応で素直に生きていますが、ありがたいことに人間だけがあれこれ感じ考え行動しながら生きています。

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宇宙の創造力の源となるエネルギーから、それぞれがそれぞれの姿で分離して生きていると、自ら調和のリズムを歪めてしまうこともあります。ですが、本来すべては調和のサイクルのなかで生きている、生かされていることを知っているんです。そして、生きていること自体をもっと喜びたいと望んでいることも。諏訪さんは前世から変わらず、そんな大きなメッセージをどう伝えようかなと、無意識層でずっと考えつづけていらっしゃいます。

諏訪 メッセージですか?

伊藤 はい。わたしは諏訪さんご自身が無意識に発するエネルギーを、言語へと通訳しているだけなんです。

諏訪 そうですか。いつも必然だなと思います。すごく苦しいことや楽しいこと、いいこともあればそうじゃないことも、なにか理由があってそうなんだろうなと思いますし。

伊藤 そう。じつはどんなことも、経験したがっているから起きた必然なんですね。その経験をつうじて気づきたい“なにか”があるんです。諏訪さんも妥協しない方ですから、その気づきを得るために、自ら進んで棘道(いばらみち)を突き進むようなことも、若いときには多々あったと思うんです。「こっちの方が安全な道だってわかっているのに、なぜだかわからないけど、どうしてもこっちの棘道に突き進んでみたい」という止められない思いがあるから。パイオニアってどちらかといえばそういう方が多い。だから人よりも多く感じるし、多く傷つくし、多く悩む。内面の葛藤というのは、かなり激しいものがあると思います。

諏訪 そうですね。

伊藤 「棘道を突き進むことによって、どういう感覚、感情になるのかな」という好奇心と興味をおもちだから、辛いことも含めてやっぱり魂から湧きあがるニーズを叶えつづけていかれるんだと思います。

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伊藤嶺花×諏訪綾子|スピリチュアル対談(後編) 21

諏訪 たしかに辛いときも「その先を見てみたい」って思いますね(笑)。でもどこかで「そうするしかない」って思っているところがあるのかもしれない。なにか見えない力に流されている気がするんですよね。

伊藤 流されているというよりは、創造主から諏訪さんというご自身に生まれてきて、いつもともに生きていることを知っているから大きな流れに委ねている……というナチュラルな感じです。いろいろな感情に惑わされて揺らいでしまうことが一番ストレスだから「そんなの関係ないの、わたしは突き進むのよ」という強さもおもちなんです。

諏訪 本当ですか?(笑) 自分では強風が来たらこっちに吹かれて、水が流れて来たらこっちに流れてという生き方のような気がしているんですけどね。

伊藤 それもすべて、自然の流れにあえて抵抗しないという諏訪さんらしい一面。普通は強風が来たら「怖いから逃げよう」ってなる。でも諏訪さんは「いや、強風が来たら、そっちに流れてみたらいいのよ」っていう(笑)。

諏訪 (笑)

伊藤 みんな抵抗するから、突っ張って怪我しちゃったりするわけです。思い切ってそのままバーンって倒れてみると、意外に無傷だったりしますよね。

諏訪 あ、そういえば、思春期のころにクルマにぶつかったことがあったんですけど、わたし無傷だったんです。そのままピョーンって飛んで、パーンって着地したんですよ(笑)。乗っていた自転車はめちゃくちゃになったのに。すごい不思議だったんです。だけどいまお話を聞いて納得しました。たしかに抵抗しないんですよね。

伊藤 そうそう。だからものすごくナチュラルな方だと思います。逆に言うと、そのナチュラルさが保てない、マイペースぶりが保てない状況がもっともストレスなので。

諏訪 うん、そうですね(笑)。

伊藤 邪念がないから人を見抜く力もおもちです。計算高かったりなにか邪心を感じるような人には、笑顔で接しますけど心はシャットアウトしていますよ。

諏訪 そうですか? 自分でその意識はないですね。

伊藤 いまのは無意識レベルの話ですから。とにかくナチュラルなんですよね。強さと美しさを兼ね備えた天女みたいな方。年齢を重ねるごとに、どんどん美しさを増していかれると思いますよ。

諏訪 嬉しいです! そう言ってもらえると、勇気が湧いてきますね。

伊藤嶺花×諏訪綾子|スピリチュアル対談(後編) 22

諏訪綾子「Scent of woman」2014 Photograph by Hiroshi Iwasaki + ウシ頭骨 東京大学総合研究博物館

伊藤 いまはアンチエイジングとか、いろいろな手法がありますけど、それってあくまでも人工美じゃないですか。諏訪さんは天地が作り出した自然な美しさを大切にしていて、仕事でも生かしていらっしゃるので、自身の活動のなかでどんどん体現していかれると思いますよ。それが大勢の人たちに感動とか勇気とか生きる力とか、そういったものを与えつづけると思います。

諏訪 ありがとうございます。

伊藤 本当に美しいですものね。ビジュアル的にはもちろんですけど、なかに流れている軸の部分、エネルギーがとにかく神々しい。

諏訪 見透かされているんですね(笑)。

伊藤 オーラが太陽みたいに輝いていますよ。

諏訪 本当ですか?(笑)

伊藤 詩的な表現をすれば、燦々と降り注ぐ太陽と、奇麗な森のなかにあるオアシスで湧きつづける泉のような感じです。そのイメージがそのまま肉体をもって、人間として生きているという感じ。美しいでしょ? そういうエネルギーの持ち主です。

諏訪 嬉しいです。ありがとうございます。

諏訪綾子|SUWA Ayako
アーティスト/フードクリエイション主宰。石川県生まれ。金沢美術工芸大学卒業後、2006年よりフードクリエイションの活動をスタート。2008年に金沢21世紀美術館で初の個展『食欲のデザイン展 感覚であじわう感情のテイスト』を開催。現在までに東京、福岡、シンガポール、パリ、香港、台北、ベルリンなど、国内外でパフォーマンス「ゲリラレストラン」をおこなっている。人間の本能的な欲望、好奇心、進化をテーマにした食の表現で、美食でもグルメでもない、栄養源でもエネルギー源でもない、あらたな食の価値を提案している。2014年4月、初の作品集『フードクリエイション 感覚であじわう 感情のテイスト』(青幻舎)を刊行。現在、開館10周年を迎える金沢21世紀美術館で体験型の個展『好奇心のあじわい 好奇心のミュージアム』を開催中。
http://www.foodcreation.jp
http://www.ayakosuwa.com

『フードクリエイション 感覚であじわう 感情のテイスト』
出版|青幻舎
仕様|258×185×15mm、160ページ、ソフトカバー
定価|2800円(税抜)
http://www.seigensha.com/books/978-4-86152-437-0

           
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