伊藤嶺花×諏訪綾子|スピリチュアル対談(前編)
Lounge
2015年3月4日

伊藤嶺花×諏訪綾子|スピリチュアル対談(前編)

スピリチュアル対談 Vol.17|諏訪綾子

伊藤嶺花が“視た”ゲストの肖像

「“いま”を生きているという幸せに導くライブ・アーティスト」(前編)

さまざまなステージで活躍するクリエイターをゲストに迎え、スピリチュアル ヒーラーの伊藤嶺花さんが、ひとが発するエネルギーを読み解くリーディングと複数の占星術を組み合わせ、クリエイターの創造力の源を鑑定。現世に直結する過去生や、秘められた可能性を解き明かし、普段は作品の陰に隠れがちでなかなかおもてに出ることのない、クリエイター“自身”の魅力に迫ります。

Photographs by SUZUKI KentaText by TANAKA Junko (OPENERS)

第17回目のゲストはフードアーティストの諏訪綾子さん。人間の本能的な欲望、好奇心、進化をテーマに、美食でもグルメでもない、栄養源でもエネルギー源でもない、あらたな食の価値を提案している。彼女の代名詞といえるのが、2006年にスタートした活動「フードクリエイション」。「そのコンセプト、胃まで届けます」というテーマを掲げ、クリスチャン・ディオールやヴーヴ・クリコなど、多数のブランドとコラボレーションをおこなっている。今年4月には、初の作品集『フードクリエイション 感覚であじわう 感情のテイスト』(青幻舎)を刊行。さらに来年の3月まで、金沢21世紀美術館で個展を開催中と、ますます精力的に活動をつづける諏訪さんのクリエイションの源とは?

能登半島の自然のなかで培われた原体験

伊藤嶺花(以下、伊藤) 作品集読ませていただきました。諏訪さんの素敵な世界にだんだんと惹きこまれていくというか、じっくりと堪能させていただきました。

「あじわう」というキーワードが何度も出てきますよね。諏訪さんはどういうきっかけで、「あじわう」という感覚に注目されるようになったのでしょうか?

諏訪綾子(以下、諏訪) わたし、いまとおなじようなことを、小さいころからやっていたんです。

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伊藤 へー! 早熟ですね(笑)。

諏訪 まったくおなじではないんですけど、いまと近いことをやっていて。なので最初は理性でやったというより、すごく感覚的に……。

伊藤 こう湧き上がってくる感じ?

諏訪 はい。物心ついたときには、自然とやっていたという感じなんですよね。「なんで自分がこういうことをはじめたんだろう」っていうのは、あとになって考えてみたり、答えを探っていくような感じだったんです。

だけど食べ物って、食べることもそうですけど、食べなかったとしても想像であじわったり、あじを想像したりという意味で、表現の媒体としてすごく可能性がある、ということは前々から感じていて。その可能性を追及してみたいという思いで、いま活動しています。

伊藤 じゃあ行動が先にあったという感じなんですね。感覚的というか、直感的というか。

諏訪 はい。

伊藤 そのときの感覚って、いまでも覚えていらっしゃいますか? 目の前の食べ物が気になって、思わず手に取ってしまったり、混ぜてしまったりっていう感じを。

諏訪 なんでしょう。わたしが幼いころに感じていたのは自然の驚異。石川県・能登半島の自然のなかで、野生人みたいに生まれ育ったので、周りには自然しかないという状況だったんです。ですから、その驚異みたいなものを、つねに身近に感じていたんですね。

たとえば一見すると可憐に見える花も、よく見るとなかに花粉がびっしり詰まっていてすごかったり。あちらこちらに死んでしまった虫の死骸が落ちていたり。セミの抜け殻を見たときに、その美しさと構造の素晴らしさに驚いたり……。そういうものにインスピレーションを受けて、最初は遊びですけど、いろいろ組み合わせてはお料理ごっこをしていました。

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伊藤 食材ではなくて、自然のなかで見つけたものを使って“料理”していたんですね。それを口にすることはあったんでしょうか?

諏訪 基本的にはなかったですね。でも匂いを嗅いだり、食材に例えて「これはあじわったら、どんな味だろう?」というのを想像しながら、ある意味あじわうような感じで作っていたのを覚えています。

伊藤 そういった幼いころの原体験が、いまのフードクリエイションの活動に繋がっているのでしょうか?

諏訪 まさにそうだと思います。フードクリエイションというのは、わたしが幼いころからずっとつづけてきた、あじわうことについての表現を形にする活動。もともと美術大学では、広告とかデザインが専門だったんです。広告なので、メッセージとかコンセプトとかテーマを、あらゆる方法で人に伝えたり、コミュニケーションする方法について学んだんですね。

ひと言で広告と言っても、グラフィックデザイン、映像、音楽、テキスト、いろいろな方法があるのですが、わたしはそのなかで食べることとか食べ物とか、あじわうという体験を通して、コンセプトを伝えることができないかなと考えるようになりました。それではじめたのが「そのコンセプト、胃まで届けます」というフードクリエイションの活動なんです。

伊藤 すごくユニークなコンセプトですよね。それは学生時代に思いつかれたことだったのでしょうか?

諏訪 卒業してからでしたね。ただ学生のころも、食材を使って表現をしたりという活動ははじめていました。

伊藤 フードクリエイションの活動には、美術館で作品を展示したり、実験的なパフォーマンスをおこなうアート的な側面と、ブランドとタッグを組んでメッセージを発信する、広告やデザインの側面がありますよね。諏訪さん自身は、アート、広告、デザイン、そのどれを作っている感覚なのでしょうか?

諏訪 アートをやろうとか、デザインをやろうとか、広告をやろうとかいう風に決めて、はじめたわけではないんです。自分のやりたいことやできること、したいことをやっていくうちに、いまのような状況になったので、そこがちょっと曖昧ではあるんです(笑)。

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「taste of GUCCI」 Photograph by Hiroshi Iwasaki

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「scent of woman」(with Christian Dior haute couture) /commons&sense ISSUE45(河出書房新社)/2013年 Photograph by Hiroshi Iwasaki

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「scent of woman」(with Christian Dior haute couture) /commons&sense ISSUE45(河出書房新社)/2013年 Photograph by Hiroshi Iwasaki

伊藤 曖昧というか、特定の分野に属されていないというか、だからこそ次々とユニークな活動に繋がっているのかもしれないですね。作品集のなかでもうひとつ印象に残ったフレーズが「失われた五感」。いまの都会生活では失われがちな五感を、食べることやあじわうことを通して揺さぶり起こすという……。

諏訪 ええ。フードクリエイションでは、コラボレーションする企業とかブランド、わたし以外の方のコンセプトを、食べ物とかあじわうことを通して伝えます、という活動を展開しています。そういう意味ではデザインに近いんです。

それとは別に、個人的な活動としてやっているのが、わたし自身のメッセージとかコンセプトを形にすること。「失われた五感」を揺さぶり起こすというのも、そのひとつです。というのも、わたしが幼いころ、感覚の赴くままに自然のものを使ってあじわいを作っていたことって、よくよく考えるとすごく原始的だなと思っていて。

いま、こういう時代に都市で生活していると、基本的にこれがなんだというのをわかったうえで、ものを食べたりあじわったりしているじゃないですか。これはどこで作られたなにで、こういう料理でという。

でも太古の人たちはきっといろいろなものを食べたと思うんです。木になっているものを採ったかもしれないし、落ちているものを拾ったかもしれないし、捕獲したものを食べたかもしれない。しかも最初にそれを口にした人は、それがなんだかわからない状況で、ときには死のリスクを冒しながら、あじわったり食べたりしてきたと思うんですね。神経を集中させて、五感を研ぎ澄ませて、あじわってきたことによって、いまの進化があると考えています。

そういうことを考えると、いまの私たちって進化の最先端にいるような気がしているけど、太古の人たちとおなじ感覚をもっているのに、使っていなかったり眠らせているんじゃないかと思うんです。わたしのこういう活動を通して、いろいろなものを食べたりあじわったり、体験する方が、自分のなかに眠っている感覚とか欲望、感情に気づくことができたら、次の進化に繋がるんじゃないかなって。そんな風に考えているんです。

スピリチュアル対談 Vol.17|諏訪綾子

伊藤嶺花が“視た”ゲストの肖像

「“いま”を生きているという幸せに導くライブ・アーティスト」(前編)

目に見えない“記憶”を作っている

伊藤 実際に食べたりあじわったりする場として、2008年からパフォーマンス「ゲリラレストラン」を開催されていますね。これはどういうきっかけではじめられたものなのでしょうか?

諏訪 おなじ年に開催された金沢21世紀美術館の個展がきっかけでした。それまで自分のやっていることが、まさか美術館に展示されるとか、アートとして成立するというのを一度も考えたことがなかったんです。名前がないような活動をしていたので、美術館の学芸員の方から「展覧会をやりませんか?」と声をかけていただいたときに、はじめて「あ、そういうこともできるんだ。それならぜひチャレンジしてみたい」と思ったんです。

食べ物なので、実際に食べてあじわってもらいたいという思いがあったんですが、美術館って基本的に飲食厳禁なんですよね(笑)。展示室のなかに入らなくても、廊下ですらダメという状況。いくら展示室で「これは作品です」と言っても、実際に食べてもらうのはかなりハードルが高かったですね。そこをなんとか説得して、最終的には展示室のなかで食べてあじわってもらえることになりました。

そのときは、展示室のなかにレストランを出現させたり、食べたいと思った人が注文すると、展示室に出前で運ばれてきてあじわえるという状況を作りました。食べ物の面白いところって、完全に受け身じゃないんですよね。あじわう人や食べる人が「食べたい」と思わないと口にしない。ですから、わたしは基本的に無理やり口に入れることもしないですし、目の前にぽんと置くだけなんです。

もちろんそこで食べないっていう選択肢もあると思いますし、それも含めて食べたいと思うかどうかは、体験いただく方に委ねます。食べ物には「食べたい」とか「食べてみたい」という欲望や好奇心、人間の本能的な部分に働きかけるパワーがあると思うんです。

伊藤 過去の映像を拝見しても、委ねるという感じがとてもよく伝わってきました。こちらは提供しますけど、あとはご自由にという姿勢でいらっしゃるんですね。諏訪さんご自身も、そういう食べ方をするのが好きだから、体験者に委ねるという姿勢を徹底されているのでしょうか?

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「ゲリラレストラン UNDER THE ROOF」 /Direktorenhaus、ベルリン/2012年 Photograph by David Nassim of www.fizzfoto.eu

諏訪 そうですね。はじめて訪れた国のマーケットやスーパー、レストランに行ったりすると、見たことのない食材とか食べ物とかお料理とかに出合うじゃないですか。すると試さずにはいられないんです(笑)。そういうときの興奮とか感情とか、自分のなかのいろいろな思考って、ちょっと日常とかけ離れているというか、非日常的な部分もあって、インスピレーション源になることもあるので、そういうシチュエーションをわたしも作っていきたいというのはありますね。

伊藤 ゲリラレストランでは、まるで舞台セットのような、非日常的な空間を作り上げていらっしゃるのが印象的でした。

諏訪 最初は食べ物だけ作っていたんですけど、食べることとかあじわうことって“体験”なので、単に食べ物だけではなくて、どんなお皿に乗っているかとか、どんな光が当たっているかとか。だれが運んできて、それについてなにか言うのか言わないのか(笑)。その運んでくる人がどういう人なのか、あじわう人はどんなきっかけでそこに足を運んだのかというのも含めて、あじわいだなという風に考えるようになったんです。

そうすると、食べ物だけではなくて、空間とか時間とか、ストーリーも含めたあじわうシチュエーションを作っていくことで、究極的な“あじわい”が作れるんじゃないかなって。

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伊藤 “あじわう”というのは、ただ甘いとか酸っぱいとか感じることだけじゃない。諏訪さんの活動には、こんなあじわいもあるよという提案がたくさん登場します。

諏訪 食べ物って生ものなので、時間がたてばなくなってしまう。食べてしまってもなくなってしまう。わたし自身も、なにかものを作っているとか、空間を作っているというよりは、目に見えない“印象”とか“記憶”を作っているという感覚なんです。

伊藤 作品集ではゲリラレストランに登場するメニュー「感情のテイスト」についても、かなり詳しく解説されています。諏訪さんは絵や写真からも、あじわうという体験を得られると思いますか?

諏訪 もちろん実際に口に入れて、食べてあじわうというのは、すごくいろいろな刺激を受けます。味覚だけじゃなくて、匂いとか食感とか質感とか、喉ごしとか余韻とか記憶とか。いろいろなあじわい方ができると思うんです。だけど口に入れなかったとしても、想像であじわうという行為にもすごく可能性があって。本のなかにもあるんですけど「あじわいを想像した時点で、50パーセントはあじわっているも同然」だと思っています。

普段なにかを食べるときにも、食べ物を目の前にしたり、食べ物の写真を見た時点で、もう半分ぐらいは舌のうえに味を用意しているじゃないですか。で、物理的にあじわったときに「思っていたより、こうだった」とか「想像していたのとちがった」みたいな、比較してあじわうこともあるので、そういう意味では、たとえば写真を通してでも、口に入れなくても、想像であじわうということができると思っています。そういう可能性も追究したいんです。

伊藤 人間の感情をあじわうことで表現しようとする「感情のテイスト」というコンセプトも面白いですよね。考えられているときは、あじわいか感情かどちらが先に浮かんできますか?

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「後をひく悔しさとさらに怒りさえもこみ上げるテイスト」 Photograph by Hiroshi Iwasaki

諏訪 最初に感情があります。でもそれはあくまでわたしの主観なんです。感情もあじわい方も感覚も、感じ方って100人いたら100通りあると思うので、「これが喜びのテイストです」と言って提供しても、わたしとまったくおなじじゃないと思うんですね。普段は食べ物を甘いとか、辛いとか、まずいとか、酸っぱいという風にあじわっていると思うんですけど、そうじゃないものとしてあじわってみる。

美食でもグルメでも、栄養源でもない食の価値っていうのがあると思っていて。人ってどうしても、本能的にそういった感覚を求めてしまいがちなので、なかなかそちらに意識がいかないんですね。

だけど明らかにそういう価値もあるし、そういうものを追求したいと思っているんです。この「感情のテイスト」のメニューは、そのなかのひとつとして、私たちが食べ物に対しておいしさとかお腹がいっぱいになることを求めてしまう無意識な感覚を、切り替えるためのあじわいという感じ。ですから、おなじ感情をあじわっていただかなくてもいいんです。感情としてあじわってみていただければ。

たとえばこのお茶を「これはなんの感情だろう?」という風にあじわうことって、普段はないじゃないですか。それをやってみませんかという提案なんです。

伊藤 素敵ですね。アートにもいろいろ形があると思うんですけど、「わたしを見て!」という主張が強いものもあれば、ただそこにあって「感じたい人は感じてね」という心地よい距離感をもったアートもある。諏訪さんのされている活動は、明らかに後者ですよね。

諏訪 そうですね。食べ物自体がそういう存在なので、自然とそういう表現になるのかもしれません。

スピリチュアル対談 Vol.17|諏訪綾子

伊藤嶺花が“視た”ゲストの肖像

「“いま”を生きているという幸せに導くライブ・アーティスト」(前編)

本当の魔女かもしれない!?

伊藤 「感情のテイスト」を実際にあじわった方からの反応で、印象に残っているものはありますか?

諏訪 一番興味をもたれるのが「後をひく悔しさとさらに怒りさえもこみ上げるテイスト」。おいしそうじゃない名前とか、恐ろしいもの見たさからきているのかも知れないですね。だれにでもある好奇心とか欲望みたいなものが、刺激されるんじゃないかな。

伊藤 ビジュアルも刺激的ですよね。

諏訪 ありがとうございます。反応は本当に人それぞれですね。ゲリラレストランでは、この「感情のテイスト」をフルコースであじわっていただくんですけど、「わたしはあれが好き」とか「あれがもう一回食べたい」「あれがもう忘れられない」「あれは二度とヤダ」(笑)。人によって感想は全然ちがうんです。

伊藤 昨年、東京で開催されたTEDのプレゼンテーションでは、「感情のテイスト」の実演として、スプレーで参加者の口にシュッシュッて吹き付けていらっしゃったのが印象的でした。吹きつけられた男性の方は、「う~ん」って噛みしめていらっしゃいましたよね。

 

諏訪 「一瞬で沸き起こる怒りのテイスト」ですね。あれは本当に一瞬なので、インパクトは強いんですけど、もう一回確かめたいってなるみたいで、「もう一回、もう一回」って言う人が結構いるんです(笑)。

伊藤 さすが、一瞬というだけあって……。

諏訪 そういうときは「1日に一回まで」ってお答えしているんですけど(笑)。

伊藤 あれを見ているときに、ちょっと魔法使いみたいだなって思ったんですよね。で、実際に今日お会いするまで、リーディングする前の、活動されている内容などからイメージしただけですけど「もしかしたら、本当の魔女かもしれない」って思っていたんですよ(笑)。

諏訪 (笑)

伊藤 媚薬とか作っちゃう、おとぎ話によく出てくるような魔女をイメージしていたんです。だけど全然ちがいました。じつは前日に、事前にいただた生年月日から占星術も交えて、遠隔でリーディングさせていただいているんです。鑑定書という形でまとめてきたので、あとでお渡ししますね。そのなかには、いまからお話する内容というよりは「こういう気質で、こういう宿命傾向ですね」という、もう少し全般的な内容を書いています。

いまはこの至近距離ですから、もっと“生ライブ”の状態で、完全に諏訪さんのオーラのなかに入って視させていただいているんですね。そこで視えてきたことをお伝えすると、地球に生まれ落ちてから、何度も何度も転生して人間を繰り返すなかで、ずっとクリエイターであり、アーティストをやっていらっしゃいます。そして、いま一番強く視えてくるのが、画家をされている姿ですね。

諏訪 そうですか。面白い!

伊藤 さっき「なるほどな」って納得しちゃったんですけど、食に関する活動をベースとしながら、それがイコール、デザインでありアートでありという風に表面的に捉えると、前世でもなにか食に関することをやっていらっしゃったのかなと思いますよね。

だけど、実際には画家をされていた。そのときの諏訪さんの特徴として視えて感じてくるのは、「素敵だな、美しいな」という自然の美を愛でる感性、それからいろいろな感情に突き動かされ、思考し、そして体を使って動いている人や生き物といった動植物すべてを美しいと感じられる感性なんです。

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そよ風がフワーッと吹いたときにたなびく女性の髪と、風に気持ちよさそうにゆらゆら揺れている草花、そこで気持ちよさそうに寝ている動物……。要するに三次元を越えた四次元の世界観。におい、色、けむりという四次元以上のものの“瞬間的な美しさ”を、とにかく残したい、押さえたい、届けたい、伝えたいという思い。言葉に置き換えるような状態にない生の思いを、感情のままにグワーッと描いて、そしてそれをいかにリアルに表現するか、ということをストイックに突き詰めている様子が見えるんです。当時は写真とかないですから、それが絵だったというだけ。

諏訪 画家ですか!

伊藤 では現世でなぜこういう仕事をされるようになったのか。それは人間の感情とか食べ物とか、好奇心を満たすものを、その好奇心に沿ってあじわってみたり感じてみる。「“いま”という瞬間を、それぞれの感覚、感情をどうぞ感じてください」ということを伝えていかれる方だからです。

時間軸という考え方自体、存在しているのは人間界だけ。動物界は太陽とともに、自然に生活していますから。人間だけが知恵を使って生活のリズムを作り出し、体内のバランスと心の状態と、交感神経と副交感神経という波のバランスをうまく整える術を、生活のなかで築き上げてきたわけです。そんななかで「“いま”が大事なんだよ」というのを、“いま”を生きている私たちに伝えるというのが、諏訪さんの活動の軸になっていると思います。“いま”のなかには、過去も未来もすべてが詰まっていますから。

ベースにあるのは、おなじ空間、おなじ時間、おなじ地球(ほし)、おなじ大地のうえにいる私たち人間が、おなじものを口にしたときにみんな感じることがちがうという面白さ。「それぞれちがっていいんだよね。それでも私たち一緒にひとつの空間に生きている。それぞれがちがうことを考え、思うけれども、それでいいんだよ」という思いですよね。

諏訪 うんうん。

伊藤 そうやって世の中を構成している素晴らしい地球(ほし)、国、街、そして自分自身、大切な人たち。ともに助け合って、生かし合って、生きているというのが、人間の素晴らしさだよという、すごく深くてシンプルなこと、つまり“いま”を生きるということの本質を、ずっと伝えつづけていかれます。昔の人たちがずっと大事にしてきた「生かされている」「すべてのものに感謝しましょう」というような、日本古来の考えや魂。それを国はちがえど、おなじ人間としてここに生まれて、生きている全世界の人たちに、どうやって伝えていくか。そこが諏訪さんの現世における使命なんです。

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いまの時代って、自分の生き方を選べるじゃないですか。ひと昔前までは、生まれた家系とかいろいろな縛りがあって、自分の人生なのにどこかずっと抑圧された状態で生きている人が多かった。でもいまの時代はだれもが自分の生きたいように生きられる。望みさえすれば、自分の生き方ができるんだということを、ずっと訴えつづけていかれます。「いま、あなたはなにを感じていますか?」そう問いかけながら……。

諏訪さんも書いていらっしゃいましたけど、生きることというのは食べること。なぜなら私たちは、肉体という衣を着ている状態ですから。そこに宿された子どもたちなんですね。ですから本当に生きることと食べることはイコール。そしてあじわうこと、感じること。心と頭と肉体をひとつにして。それが生かされているということ。その命に感謝して自分を尊び、周りの人たちを尊び、ともにいきていきましょうね……という大きなテーマを投げかけるメッセンジャーです。

諏訪 そんな感じです(笑)。

伊藤 いま“生ライブ”の状態で、視えているものをうまく解説できなくて、ごめんなさい。

諏訪 でも本当にそんな感じです。わかります。

伊藤 ものが揃って、情報も揃って、なんの不便もない現代の世の中だからこそ、なにもなかった太古の時代、代々顔も名前も知らない何万年前の先祖たちが築き上げてきたこの尊い地球を、私たちが生きて動かすことによって、一緒に地球も発展していく、繁栄していく。そんな壮大なメッセージを伝えるために、わざわざ宇宙から地球にやってこられたわけです。まずは「そのために、ようこそお越しくださいました」とお伝えしなければいけませんね(笑)。


 

前編では、画家という意外な前世が明らかに。後編では諏訪さんの現世での使命について、さらにくわしく解き明かしていきます。

──ギリシャ神殿に勤めていた
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諏訪綾子|SUWA Ayako

アーティスト/フードクリエイション主宰。石川県生まれ。金沢美術工芸大学卒業後、2006年よりフードクリエイションの活動をスタート。2008年に金沢21世紀美術館で初の個展『食欲のデザイン展 感覚であじわう感情のテイスト』を開催。現在までに東京、福岡、シンガポール、パリ、香港、台北、ベルリンなど、国内外でパフォーマンス「ゲリラレストラン」をおこなっている。人間の本能的な欲望、好奇心、進化をテーマにした食の表現で、美食でもグルメでもない、栄養源でもエネルギー源でもない、あらたな食の価値を提案している。2014年4月、初の作品集『フードクリエイション 感覚であじわう 感情のテイスト』(青幻舎)を刊行。現在、開館10周年を迎える金沢21世紀美術館で体験型の個展『好奇心のあじわい 好奇心のミュージアム』を開催中。

http://www.foodcreation.jp

http://www.ayakosuwa.com

『フードクリエイション 感覚であじわう 感情のテイスト』

出版|青幻舎

仕様|258×185×15mm、160ページ、ソフトカバー

定価|2800円(税抜)

http://www.seigensha.com/books/978-4-86152-437-0

           
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