Secrets behind the Success|連載第5回 「アンリ・ルルー フランス」代表取締役 石井真己登さん
ビジネスパーソンの舞台裏
第5回|石井真己登さん(「アンリ・ルルー フランス」代表取締役)
意志あるところに道あり(1)
ビジネスで成功を収めた成功者たちは、どう暮らし、どんな考えで日々の生活を送っているのだろう。連載「Secrets behind the Success」では、インタビューをとおして、普段なかなか表に出ることのない、成功者たちの素顔の生活に迫ります。
創業37年目を迎えた、世界で唯一のキャラメルとショコラの専門店。どちらの世界からも第一人者と称えられる伝説の職人、アンリ・ルルーがフランス・ブルターニュ地方で旗揚げしたブランドだ。アンリ・ルルーの名が国境を越え、日本に伝わったのは2004年のこと。「サロン・デュ・ショコラ」の会場だった。その後も東京、パリへ出店するなど、快進撃をつづけている。うしろで舵を握るのは石井真己登さん。「意志あるところに道あり」とばかりに、あらたな目標に挑みつづける彼の素顔とは?
Photographs (portrait) by JAMANDFIXText by TANAKA Junko (OPENERS)
フランスのスイーツ界に一石を投じた男
──まずはアンリ・ルルーの「これまで」について聞かせてください。
創業したのが1977年。キブロンという、フランス・ブルターニュ地方にある港町で産声をあげました。キャラメルとショコラ、この二本柱でやっています。フランスではパティスリーを一切やっていないのですが、これは珍しいことですね。
創始者のアンリ・ルルーは、世代でいうと「ラ・メゾン・デュ・ショコラ」を創立したロベール・ランクスさんとおなじ世代。フランスでは「ロベール・ランクス&アンリ・ルルー」以前と以後というので、ショコラの世界はまったくちがうものになりました。それまで、フランスはどちらかというと後進国か中進国ぐらい。スイスが圧倒的な先進国だったので、あの世代の人たちはみんなスイスでショコラ作りを学んで、フランスのガストロノミー(美食学)の伝統をもとに、いまある「ショコラ・ア・ラ・フランセーズ(フランス風のショコラ)」を築き上げました。アンリ・ルルーはその第一世代に当たる人です。
──ほかのブランドと比べて、アンリ・ルルーのショコラには、どんな特徴があるのでしょうか?
ひとつには、素材の味をしっかりと出しながら、最終的にショコラとしておいしく仕上げるという「味のバランス」があると思います(※1)。個人的にいろいろなメゾンのショコラを試してみて感じるのは、たとえばライムを使ったガナッシュだと、ライムの酸味が強烈に出ていて、ライムを食べているのか、ショコラを食べているのかわからなくなってしまうことがあるんです。アンリ・ルルーの場合は「最終的にショコラなんだ」という考えがあって、ショコラの味をつぶしてしまうような素材の使い方はしません。
あとは非常に構築的ですね。ボンボン・ショコラのガナッシュだと、2層構造になっているものが多い。一例をあげると「マッチャ・フランボワーズ」というショコラ。これは1層目にフランボワーズのパート・ド・フリュイ(フルーツをゼリー状にしたもの)を使って、きれいな赤い色、優しい甘味と酸味を、そのうえに抹茶を使ったガナッシュで苦味を利かせ、最後にミルクチョコレートでコーティングしているものです。抹茶とフランボワーズという、普段だったら見当もつかないような異素材を組み合わせる。こうした複雑なものづくりをしているのが特徴ですね。
──手にした人も「こんな組み合わせ方があるんだ」と気づきを得られるでしょうし、食感だけでなく感性も刺激されそうです。
そうかもしれません。でもそれって、フランス料理が代々受け継いできた伝統だと思うんです。フランス料理の面白みは、素材をどんな風に構築していくかということ。イタリア料理なんかと比べて複雑じゃないですか。アンリ・ルルーのDNAにも、こうしたガストロノミーの伝統が組み込まれているということだと思います。
──アンリ・ルルーさんは、キャラメルの世界でも第一人者と称されているそうですが、具体的にはキャラメルをどのように変革したのでしょうか?
キャラメルと聞いてみなさんが想像するのは、水あめを固めたキャラメル。本来のキャラメルというのは、ああいうもので、アンリ・ルルーが登場するずっと前から存在しています。
水あめを160度ぐらいの高温度で熱すると、キャラメリゼされて、透明だった水あめが、茶色に変化して固まる。これがいわゆる伝統的なキャラメルです。
アンリ・ルルーが革新的だったのは、その方法を一から変えてしまったところなんです(※2)。たとえば、温度一つとっても、ずっと低い温度で煮詰めていきますし、素材もフルーツキャラメルだったら、本物のフルーツを使います。オレンジキャラメルだったらオレンジ、フランボワーズキャラメルだったらフランボワーズという具合に。それまでは、オレンジ味のキャラメルだったら、水あめを溶かしたなかにオレンジのエッセンスを入れたりして、オレンジの風味を作り出していました。
ご自宅で試していただければ、すぐにわかると思うんですが、オレンジやバナナを買ってきて、それに火を通すと、あっという間に黒くなってしまいます。でもアンリ・ルルーの商品というのは、オレンジだったらオレンジ色ですし、フランボワーズだったら赤色のまま。どうやったら素材の色を残したまま、商品化するのかというと……。それは大きな企業秘密なんです(笑)。
──(笑)本物の素材を使ってというのは、ブランドとして譲れない部分なのでしょうか?
そうですね。保存料とか着色料、香料といったものは使わずに、素材の味をそのままキャラメルやショコラに反映させる。これはブランドとしてつねに心がけている姿勢です。
──素材というと、抹茶だったり、柚子だったり、アンリ・ルルーでは日本の素材も積極的に取り入れていますよね。
ここ数年、和の素材というのは、料理の世界でも、パティスリーの世界でも人気があります。ですが、実際に味わってみると、素材の使い方や配分のバランスが悪いなという印象を受けることが多いんですね。たとえば柚子という素材は、ある意味くどい素材。ワサビなんかもそうですよね。寿司につけて食べる分には、ちょっと効いていてもいいんですが、これを甘いものと合わせたときに、入れすぎると奇妙な味になってしまう。えてしてフランス人のシェフだと、その塩梅(あんばい)がわからないで使っているなと思うことが多いんです。
(アンリ・ルルーでは)そこにわたしが味のチェックを入れることができます。2011年に「C.C.C.(※3)」の品評会で「イノベーション賞(革新賞)」を受賞した、「ユズマッチャ」というタブレット(板チョコ)もそうでした。ある日、柚子風味のお茶を飲む機会があったんです。面白いからショコラにしてみようと思って、そのアイデアをブルターニュ人のショコラティエに話しました。すると彼がブルターニュ人の味覚をもって、そのアイデアをショコラにしていきます。それをわたしが賞味して、意見交換をして……。そうして一緒に作り上げていったものが賞をいただいたということで、とても嬉しかったですね。
※2 アンリ・ルルーのキャラメル=ブルターニュ産の加塩バターを使った「キャラメル ムゥ」と呼ばれる柔らかいキャラメル。甘さのなかに感じる絶妙の塩味。「指にはつくが、歯にはつかない」という、なめらかな柔らかさ。日々素材の状態を見ながら、気温や湿度によって作り方や配合を微妙に変えていくという職人技が、ひと粒のキャラメルを作り上げている。
※3 C.C.C.=1881年に発足した「Club des Croqueurs de Chocolat」の略。フランスでもっとも権威あるショコラ愛好会といわれている。
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第5回|石井真己登さん(「アンリ・ルルー フランス」代表取締役)
意志あるところに道あり(2)
“ファミリーパワー”で革新を起こす
──チームで勝ち取った賞だったんですね。
ショコラトリーでもパティスリーでも、職人の名前を冠したブランドというのは、どうしてもその職人の個性が前面に出ていることが多いです。もちろんそれも魅力のひとつだと思いますが、アンリ・ルルーの場合は、創始者であるアンリ・ルルーの「ものづくりの精神」を継承した「チームデザイン」なんですね。
やはり人というのは、一人で考えるよりも、いろいろな人がアイデアを出し合った方が、より豊かな結果が生まれると思うんです。いろいろな経歴をもった、いろいろなアイデアをもった人が集まって、情報交換をしながら、ひとつの商品を作り上げていく。いわゆるメゾンですよね。創始者のアンリ・ルルーのエスプリ(精神)をきちんと共有したうえで、いろいろなアイデアを出し合いながらものづくりをするという。
たとえるなら、私たちは固い絆で結ばれた大きなファミリー。これはブルターニュという土地柄が大いに関係しているのですが、パリとはちがって、人と人の距離がとても近い場所なんです。ラボではみんな朝から晩まで一緒。人の移り変わりも極めて少ないですし、本当にファミリーのような感じです。お昼には販売員も、包装する人も、ショコラティエも、キャラメリエも一緒になって、食事をしながらいろいろな話をしています。
──作る人とか、売る人とかそういう境目がないと。
ええ。メゾンによっては、残念ながら、販売員なのにシェフの顔を見たことがないとか、そういうところもあると聞きます。私たちの場合は、パリの店で働く販売員であっても、必ずブルターニュへ研修に出かけて、ショコラ作りに参加します。2日間ラボですごして、自分の手を使ってショコラを作る。もちろん作るといっても、包装したりとか、そんな程度なんですが(笑)。まずはアンリ・ルルーのものづくりを、体で覚えてもらったうえで、店頭に戻ってお客様に接してもらうという。採用した人は全員、この道を通っています。
アンリ・ルルーというのは、いわゆるモード系のブランドではありません。スターシェフのルックスがいいとか(笑)、パッケージングのデザインがすごいとか……。もちろんそれがお客様に喜んでいただけるのであれば、それに越したことはないんですが、でも一番大事なのは味です。
いわゆる「アンリ・ルルーの味」というのは、私たちのなかにはあるんです。素材の味がしっかりと出ていて、その組み合わせが面白い。面白いんだけれども、ハーモニーがきちんと取れていて、ショコラとしておいしいという。それがものづくりの根底にあります。
──「ルルーの味」が生まれた背景には、ブルターニュという土地柄も関係しているのでしょうか?
そうですね。いまパリに2店舗展開しているんですが、そこに来られるお客様にもブルターニュ好きの方が多いんですね。というのも、うちにしかない商品というのは明らかにあって。それはブルターニュの素材なんです。
たとえばブルターニュ産のそば。いわゆる「ブレ・ノワール」または「サラザン」と呼ばれるものですが、これを使ったガナッシュであったり、プラリネであったり。それからゲランドの塩。塩の結晶を使ったガレットや、塩バターなんかもそうですし。果物でいえばリンゴ。
こうしたブルターニュ産の素材を、前面に出して使っているのは、特徴的だと思いますね。定番商品の「C.B.S.(※4)」というキャラメルは、その典型的なものですし。「タタン」というバターと砂糖で炒めたリンゴのキャラメルがあるのですが、最近のものはラボからクルマで10分ぐらい行ったところにある、果樹園から仕入れたリンゴで作っています。
作り方がどうだとか、テクニック的にどうだというのではなくて、その素材使いにブルターニュらしさが出ているというのが、アンリ・ルルーの特徴ですね。パリに出店しても、パリのショコラトリーではなくて、パリにあるブルターニュのショコラトリーという姿勢です。それは東京であっても変わりません。
──アンリ・ルルーの代表を務めているのが、日本人の石井さんだとはじめて知ったとき、本当に驚いたんです。特にブルターニュという、地方色の強い地域で生まれたブランドだったので、そのいきさつが気になっていました。
珍しいですよね。わたしは元々、百貨店に長い間務めていたので、日本の流通事情はある程度理解しています。フランス本国に来て12年になりますが、それまではタヒチのボラボラ島でリゾートホテルの立ち上げに携わっていました。総合すると、フランス語圏での仕事は、かれこれ16年になります。フランス人との仕事の仕方をわかっているというのと、日本の流通に通じているという、その両方を評価いただいて、この仕事に抜擢されました。
──日本人として、フランスのブランドを率いることの難しさと、逆にやりがいはありますか?
フランス人というのは、基本的にあたらしいものを拒否するという、非常に頑固なところがあるんです。ブルターニュは地方なので、おっしゃられたように、パリなんかと比べてその傾向がさらに強い。それからブルターニュ人というのは、アイデンティティが強いことで有名です。パリから来た人に対しても警戒心をもっていて、線を引くところがあるんですね。日本人なんていうと、テレビでしか見たことがないような、ほとんど宇宙人みたいな存在なんです(笑)。
わたしが入社する前、アンリ・ルルーにはすでに30年の歴史がありました。日本人がそこのトップになったというので、「一体どんな風に変わってしまうんだ」という、不安にも似た警戒心をもって迎えられました。特に長い間顧客だった人は、それまでの味を愛していたわけなので、「変えられちゃたまらん」とかなり警戒されていたようですね。
だけどそれから何年か経って、味がきちんと継承されていると理解された途端に、手のひらを返すように、これまでマイナスだったところが、急にプラスに転じたんです。トップが日本人であることで、あたらしい血が入って、商品が面白くなってきたと。クオリティも上がったし、いろいろな変化が出てきたと、逆にプラスの評価をいただくようになりました。
その点にかんしては多民族国家ですから、フランスという土地になじんで、それを受け入れれば、出身は特に気にしないという昔からの風習がありますよね。アーティストにしても、外国からやってきたピカソやゴッホらは、最終的にフランスのアーティストとして認められたわけですから。それとおなじように、いまは日本人だからどうだというのは、まったくなくなりました。
──実際に石井さんが代表になってから、2007年に東京、2011年にパリに出店と、アンリ・ルルーは大飛躍を遂げたように感じます。外に飛び出たことで、内部にも変化はありましたか?
ええ、ありました。わたしが入社するまでは、キブロンに1店舗しか店がありませんでしたから。それだとお客様はずっと変わらないわけです。お客様が変わらないまま、長くつづけていると、年齢層が上がってくる。そうすると、あたらしいものがどんどん受け入れられなくなって、店側もあたらしい商品を作らなくなっていってしまうんです。
これがパリに店があることによって、東京ほどではないにしても、強制的にあたらしい商品を出していかなくてはならなくなる。競合があるので、面白いものを作ったり、あたらしい挑戦をしないとお客様に飽きられてしまうんです。それが同時にビジネスとしてもなりたつのが、パリや東京という街。そういう意味で、ものづくりに与える影響は非常に大きいですね。
──アンリ・ルルーの「これから」については、どんな展望をおもちですか?
アンリ・ルルーを語るとき、よく「伝統を大切にしたものづくり」と表現されることがあります。これはたしかに一面をあらわした言葉で、私たちはフランスの手工業の一つ、ショコラティエのものづくりを伝承しています。
ですが、1970年代当時のアンリ・ルルーのものづくりというのは、非常に革新的だったわけです。あたらしい技術やあたらしい風味を革新していく──これはブランドのDNAに組み込まれていると思うので、しっかり継承していきたいと思っています。
私たちはチームで作っているブランドですから、創始者であるアンリ・ルルーの「ものづくりの精神」さえきちんと受け継いでいけば、 半永久的につづけていくことができると思うんです。レシピのストックも溜まる一方ですし。幸いスタッフも若いので、これからまだまだ面白い提案ができると思いますよ。
ビジネスパーソンの舞台裏
第5回|石井真己登さん(「アンリ・ルルー フランス」代表取締役)
意志あるところに道あり(3)
強く思いつづけていれば、いつか必ず手に入る
──ここからは、石井さんのプライベートな部分に迫っていきたいと思います。仕事をされるなかで、心の支えにしている言葉はありますか?
トルコ出身のノーベル賞作家、オルハン・パムク(※5)の小説に出てきた「なにかを手に入れるには、それを本当にほしいと思うだけで十分だ」という言葉です。プライベートであっても、仕事であっても、なにかを達成したいと思うことってあるじゃないですか。だけどほとんどの場合、みんな志半ばでやめちゃうんですよね。途中で飽きてしまったり、あきらめてしまったりして。そこをあきらめずに強く思いつづけていれば、最終的には手に入るんだというのがこの言葉。それって本当だなと思うんです。
わたしはフランスという国にずっと憧れを抱いていました。高校時代に興味をもって以来、大学でフランス語を専攻して、いつかフランスで仕事をしたいと思っていたんです。
海外で労働許可を取るのは至難の業で、ヨーロッパの場合は特に難しいんですが、それでもあきらめずに「いつか必ず」と思いつづけていました。最終的に34歳のときにフランスの労働許可が取れて、20年越しの夢がようやく現実のものになりました。もし日本でサラリーマン生活をしていて、その思いを忘れてしまっていたら、恐らくいまの生活はなかったと思います。
──そもそも石井さんがフランスに興味をもたれたきっかけは、なんだったのでしょう。
父親が商社マンだった関係で、小さいころから海外に出る機会があって、高校生のときにはアメリカに留学していました。そのとき、おなじクラスにいたフランス人留学生と仲良くなったんですね。当時ヨーロッパのことはなにも知らなくて、外国といえばアメリカみたいなところがあったんですが(笑)、能天気な明るいアメリカ文化のなかにあって、少し影があって教養のある彼がとても目立っていました。「この雰囲気はなんだろう」と思ったことがきっかけでしたね。
それからフランス文学に惹かれていきました。高校生のころは、夢中になって(ジャン・)コクトーを読んでいましたね。あとはフランス映画。はじめて(ジャン=リュック・)ゴダールの映画を観たときには衝撃を受けました。彼の作品は、パリを舞台にしたものが多いじゃないですか。それを観ながら「いつかここに住んでみたい」と思っていました。
──いまでも映画はお好きですか?
“映画の都”パリに住んでいるので、最低でも週に2本は観ています。映画館だけで、年に100本は観ていると思いますよ。最近観たなかで印象的だったのは、ラース・フォン・トリア監督の『Nymphomnic』(※6)。噂どおり強烈で、衝撃を受けました。
それから、おなじ映画を繰り返し観るんです。映画館で観て気に入ったものは、必ずDVDを買って観ますし。リチャード・リンクレイ監督の『ビフォア』シリーズ(※7)は好きですね。あとは『ゴッドファーザー』シリーズ(※8)。もう数え切れないぐらい何度も観ています。
登場人物たちが、大切なものを見失っていく話。観終わったあとには、自分にとって大切なものがなにかを考えさせてくれるというか。こういう風になっちゃいけないという、反面教師的に観ているのかもしれないですね(笑)。1作目から3作目までつづけて観るのが恒例で、ひどいときには朝から晩まで、10時間ぐらいぶっ通しで観ることもあります。(フランシス・フォード・)コッポラ監督は、黒澤明に影響を受けているから、日本人の感性に通じるところがあるんだと思います。映像の雰囲気がすごく好きですね。
──パリといえば、いわずと知れた“ファッションの街”でもあります。お気に入りのワードローブの店はありますか?
働いている職場がショコラトリーなので、タイド・アップして(ネクタイを締めて)スーツを着る機会というのは、じつはほとんどないんですね。ただ経営者という立場上、スーツを着ていない日でも、きちっとした印象を与えなくてはいけないと思っています。そういう意味で、靴だけはきちんとしたものを履くようにしていますね。パリ発祥の「ベルルッティ(※9)」がお気に入りです。
──洋服を選ぶときも、靴からということが多いのでしょうか?
そういう日も往々にしてありますね。特に「ベルルッティ」の靴は、色が赤だったり紫だったり、グリーンだったりして、どんな洋服にでも合うわけではないので、靴を中心にコーディネートすることは多いですね。なかでもお気に入りは、今日も履いている「紫」です。
目立ちすぎないけど、ちょっと変わっていて、もう一つの好きな色、紺と相性がいいので、よく一緒に合わせて全身コーディネートしています。あとよく言われることですが、ブルターニュもパリのように建築法が厳しくて、基本的に街の色がグレーと白なんですね。白壁にグレーの屋根という建物が多くて。そういうところにいると、自然と奇麗な色が着たくなるんですよね。
──ホテル業に携わっていた石井さんならではの、ホテル選びの視点はありますか?
そうですね。職業柄、食べるところと泊まるところは、こだわりが強い方だと思います。いろいろなところに泊まりましたが、最終的に「フォーシーズンズホテル」(※10)に落ち着きました。
チェーンなんですが、どこか手作り感があってアットホーム。一度会うと名前を覚えてくれますし、アメニティもゲストによって変えている。スタッフがつねに「どうすればお客様がくつろいでくれるか」を考えていて、それが伝わってくるんです。
プラハの「フォーシーズンズホテル プラハ」に泊まったときは、部屋に日本茶とゆかたが用意されていました。
「どうしてプラハにゆかたが?」と思って聞いたら、「日本人の名前があったから」と。そうした一人ひとりのゲストを大切にする姿勢が好きですね。
仕事でもプライベートでも、移動している時間が長いので、ホテルにはくつろげる場所であってほしい。そういう意味で、いわゆるデザイン系はまず選びません。かっこよさやデザインが、心地よさより重視されているというのは、本末転倒だと思うので。くつろぎというのは、スタッフのホスピタリティであったり、雰囲気作りだったり、見えない部分から得られることが多いもの。一度気に入ると、そこに通いつづけるというのがわたしのスタイルです。
好きなものにはこだわっているので、ものもあまり変わりません。靴も一足買うと20年以上履くので、あまりあたらしいものが必要ないんです。20代のころに買った靴を、いまだに履いていますしね。一途なんです(笑)。
── 一途に通いつづけているレストランはありますか?
パリでは「レストラン・アルページュ」です。偉大なアラン・パッサールさんの店。高価なので、行きつけといえるほど、頻繁に通えるわけではないですが、人生の節目には必ず足を運んでいます。目的は「グリーンサラダ」。一皿で70から80ユーロぐらいだったかな。恐らく世界で一番高価なグリーンサラダですね(笑)。パッサールさん自らの手で育てたグリーンの野菜を、とってきて混ぜただけのシンプルな一皿。余計なものがなにもなくて、哲学的な味がするんです。迷ったときにこれを食べると、「本質とはなにか」みたいなことを再確認できる気がします。
──「サラダで自分を見つめる」ですか。とてもユニークで素敵な方法ですね。
食べ物ってそういうところがありますよね。ワインも好きなんですが、いいものはいまの自分を知る「ものさし」になるというか。「自分はこのワインを口にする価値があるか。きちんとそれに値する仕事をしているか」って。自分で自分を評価することはできないですが、本当においしいサラダやいいワインというのは、そういう存在になりえると思うんです。
それからブルターニュを語るうえでは、やはりガレットが外せません。わたしはいつも、キブロンにある「クレプリ・デュ・ビューポー」へ向かいます。古い港に建つ昔ながらのクレープ屋さん。ここの「C.B.S.クレープ」が最高なんです。アンリ・ルルーの塩バターキャラメル「C.B.S.」がそのまま入った、ここでしか食べられないメニュー。ラングスティーヌ(手長エビ)の盛り合わせ、ブルターニュでは生きたままの状態で出てくるんですが、これを食べてからこのクレープを食べるというのが、わたしの定番コースです。
──東京ではいかがでしょう。
東京では逆に無国籍な場所が好きですね。ブルターニュでもパリでも、フランスは伝統を重視する傾向にあります。それがときどき重たく感じることがあるんです。その反動からか、東京に来たときは、伝統から切り離された、快適で美しくて都会的なものを求めてしまうんです。コンラッド東京のバー「トゥエンティエイト」はお気に入りです。天井が高くて、窓からはレインボーブリッジが見えて。訪れるたびにいい気分転換になっています。
※6 『Nymphomnic』=シャルロット・ゲンズブール演じる、色情狂(情欲がはなはだしく、常軌を逸した行動をとること)を患った主人公、ジョーの50年間を追った衝撃作。二部構成で、合計4時間超という上映時間もさることながら、過激な性描写で公開前から大きな物議を醸しだした。フランスでは1月に公開。http://www.nymphomaniacthemovie.com
※7 『ビフォア』シリーズ=イーサン・ホークとジュリー・デルピーが紡ぐ恋愛映画3部作。ウィーンでの運命的な出会いを美しい景色とともに描いた第1話『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)』(1995年)。出会いから9年後、パリでの再会を描いた第2話『ビフォア・サンセット』(2004年)。その後の2人を描いた第3話『ビフォア・ミッドナイト』(2013年)からなる。
※8 『ゴッドファーザー』シリーズ=マフィアのボス、ドン・コルレオーネと、彼に忠誠を誓う“ファミリー”の姿を描いたマフィア映画の金字塔。『ゴッドファーザー』(1972年)『ゴッドファーザー Part II』(1974年)『ゴッドファーザー Part III』(1990年)の3作品からなる。
※9 ベルルッティ=1895年創業のシューメーカー。エレガンスと独創性を両立するデザインと、“パティーヌ”と呼ばれる独自のカラーリングで、靴好きを魅了するフランス生まれのブランドだ。
※10 フォーシーズンズホテル=カナダ・トロントを拠点とする、世界的なホテルグループ。大規模なシティホテルとは違い、基本的に客室数は少なめで、豪華な設備と質の高いサービスを特徴としている。パリの「フォーシーズンズホテル ジョルジュサンク パリ」では、スイートルームに宿泊するゲストのための“ウェルカムギフト”として、アンリ・ルルーのショコラとキャラメルが用意されている。
「人生を楽しむ天才」という言葉がぴったりの石井さん。仕事もプライベートも全力投球。どんな質問にも、生き生きした表情で答えてくれたのが印象的だった。彼のパワーの源、それは「自分を、人生を信じる力」ではないだろうか。「いつかフランスで働きたい」という思いを、20年越しで実現させた彼。そこにはぶれない意志があった。それはアンリ・ルルーに舞台を移してもおなじ。チーム一丸となって挑戦をつづける、彼とアンリ・ルルーのこれからに期待したい。
石井真己登|ISHII Makoto
「アンリ・ルルー フランス」代表取締役。東京、ニューヨーク、パリの百貨店で、レディースファッション、化粧品、インテリアなどの企画、販売、仕入を担当したあと、タヒチ、ボラボラ島でラグジュアリーリゾートの立ち上げにかかわる。2006年より現職。二代目シェフショコラティエ、ジュリアン・グジアンとともに新しい美味の創造に努める。アンリ・ルルー本社のあるフランス、ブルターニュ地方とパリ、そして東京を飛び回る日々。スイーツのみならず、ファッション、文化、アート、旅など人生を華やかにしてくれるものを追求している。
http://www.henri-leroux.com