POGGY’S FILTER|vol.9 デイヴィッド・フィッシャーさん
FASHION / MEN
2019年8月30日

POGGY’S FILTER|vol.9 デイヴィッド・フィッシャーさん

ブログをベースにしたファッションメディアの先駆者であり、今や世界のファッションシーンにも大きな影響を持つ存在でもあるHighsnobiety(ハイスノバイエティ)。今ではデジタルメディアとしてだけでなく、雑誌や書籍も出版するなど、そのプラットフォームを広げ、さらに昨年からは日本でもウェブや雑誌を展開し、その勢いは止まらない。そのHighsnobietyの設立者であり、現在、ベルリンを拠点にビジネスを展開するDavid Fischer(デイヴィッド・フィッシャー)に、Highsnobietyが今のような成功を掴むようになるまでの流れや、デジタルメディアに対する彼自身の考えを聞かせてもらった。

Interview by KOGI “Poggy” Motofumi|Photographs & Text by OMAE Kiwamu

ベルリンへ移ったことで大きく変化した初期のHighsnobiety

POGGY まずはデイヴィッドがHighsnobietyを立ち上げた経緯から教えてください。

デイヴィッド・フィッシャーさん(以下、デイヴィッド) Highsnobietyは2005年にスタートして、今年で14年目を迎えたんだ。当時、僕はチューリッヒの大学で経済について勉強しながら、世界中のいろんなブログを読んでいた。その頃、ブログは新たなテクノロジーを伴った、今までにないタイプのコミュニケーションツールで、すごく魅力的なプラットフォームに思えたんだ。それで、blogspot(ブログスポット)というブログサービスを使って、自分自分のブログ(highsnobiety.blogspot.com)を始めることにしたんだ。
POGGY 2005年っていうと、HYPEBEAST(ハイプビースト)よりも前のこと?

デイヴィッド ほぼ同じタイミングで、3ヶ月くらいしか違わないはずだよ。ちなみにHighsnobietyという名前は、当時の自分の部屋の本棚にあった本のタイトルから取ったもので、もともとはアメリカで書かれた書籍の、ドイツ語版のみで使われていたタイトルなんだけど、言葉遊び(注:“High Society” と “Snob” を合わせた造語)としても面白いなと思って。それで、自分のブログのタイトルとして使うことに決めたんだ。ブログスポットで約1年続けてから、2006年の4月に今のサイト(highsnobiety.com)を立ち上げたんだ。

POGGY その当時はどういう記事をポストしていたの?

デイヴィッド 最初は単なる自分のパーソナルなブログとして始まって、ファッションだけじゃなくて、家具とか本とか、自分の興味のあるものを何でもシェアしていた。でも、特にスニーカーやストリートファッションに関する記事に対して、読者からの反応がすごく良いってことに気付いて。それからは、ファッションをメインに扱うようになっていったんだ。当時はまだFacebook(フェイスブック)も一般的ではなかったし、Instagram(インスタグラム)やTwitter(ツィッター)のようなソーシャルメディアも存在していなかった。5th Dimension(フィフス・ディメンション)やNikeTalk(ナイキ・トーク)、superfuture(スーパーフューチャー)といった、いくつかのインターネット上のフォーラムで一部の人たちが情報交換していたけども、まだまだ口コミで情報が広がっていくような時代だったんだ。

POGGY 日本だと、mixi(ミクシー)でみんなが情報交換していたのと同じような感じ?
デイヴィッド そうかもしれないね。そんな状況だったから、Highsnobietyで記事を投稿すればするほど、反響も大きくなっていって。僕自身も投稿することにのめり込んでいった。ちょうどストリートウェアのシーンがどんどんと大きくなっている時期で、新しいブランドもたくさん生まれたりして、マーケットが成長していている時期でもあったしね。Highsnobietyを続けながら、僕自身はチューリッヒでの学生生活を終えて、両親の住んでいた同じスイス国内のジュネーブに引っ越したんだ。POGGYはスイスには行ったことあるかな?

POGGY まだ行ったことないんだよね。

デイヴィッド スイスはファッションに関して本当に何もないんだ。Highsnobietyでスニーカーやストリートウェアについて書いていても、周りは誰も理解してくれない(笑)。当初、Highsnobietyの読者はほとんどがアメリカからアクセスしていて、例えばニューヨークに行ったりすると「Highsnobietyはいつも見ていて、大好きだよ!」って言われるのに、ヨーロッパでは全く知られていなかった。自分でも、何かすごく変な感じだったね。だから、ジュネーブから他の街へ移らないといけないって思っていたんだ。

POGGY 今の拠点となっているベルリンという街を選んだのはなぜ?

デイヴィッド 仲の良い友達たちがベルリンでいろいろと始めていたり、展示会の『BREAD & BUTTER』がバルセロナからベルリンへ戻ってきたことで、ベルリンのファッションウィークが再び活気を取り戻して、ベルリンがすごく魅力的に思えたんだ。それで2009年の5月にベルリンへ引っ越したというわけ。ジュネーブでは自分のベッドルームでHighsnobietyの仕事をやっていたんだけど、ベルリンに移って、初めてオフィスを開いて、完全にオフィシャルなものになった。2010年から2012年頃のベルリンはすごく良いエネルギーが溢れていて、誰もがベルリンで何が起きているかに注目していた時期だったね。POGGYもその頃に何度かベルリンに来てるよね?
POGGY そうだね。あの頃のベルリンはすごく盛り上がっていたのを覚えてるよ。ちなみにデイヴィッドがオススメするベルリンのスポットはどこ? 僕はdo you read me?(ドゥー・ユー・リード・ミー?)っていう本屋が好きなんだけど。

デイヴィッド あの店も良いね。僕のオススメは、まずはMartin Gropius Bau(マルティン・グロピウス・バウ)という美術館。アートスペースとして本当に素晴らしいところだよ。それから、Max Hetzler(マックス・ヘツラー)というギャラリーにも何度も足を運んでいるかな。レストランだとBrot & Butter(ブロット&バター)。伝統的なドイツ料理のレストランで、自家製のパンやバターが最高なんだ。Father Carpenter(ファザー・カーペンター)は素晴らしい朝食スポットで、オーストラリア人のオーナーがやっているインターナショナルな感覚のレストラン。Einstein unter den Linden(アインシュタイン・ウンター・デン・リンデン)はコーヒーハウス兼レストランで、ここのシュニッツル(注:子牛のカツ)はベルリンで一番だよ。ショッピングに関しては、Manufactum(マニュファクタム)はチェーン店なんだけども、売っている全ての商品が職人によって作られたもので、ヨーロッパ的な視点で品揃えがされている。セレクトショップだとVooStore(ヴーストア)はオススメだね。あとAndreas Murkudis(アンドレアス・ムルクディス)はスペースも広くて、ファッションだけじゃなくて、家具とか展示の仕方も美しいし、本当に素晴らしいお店だよ。たしか、POGGYも一緒に行ったよね?

POGGY そうだね! すごく良いお店だった。

既存のメディアが理解出来なかった新たなスタイル

POGGY HYPEBEASTやHighsnobietyに対して、日本では少し前まで、他のウェブサイトに掲載されている情報を単にコピーするだけの、転載サイトのように見られていたと思うんだけど、そういう偏見を受けていたことについてはどう感じていたのかな?

デイヴィッド 僕たちはそういう認識はなかったけども、一般的にはそう思われていただろうね。従来のファッション雑誌は、僕たちのやっているような新しいスタイルのコミュニケーションを理解するのが難しかったと思う。今ではHighsnobietyも中身の濃い独自の記事を出しているけど、10年、15年前はもっと違っていて、どんなニュースを集めるかっていう、キュレーションの部分がとにかく重要だった。読者も長い記事が読みたいわけじゃなくて、今何が格好良いかっていう情報を知るためにサイトを訪れていたからね。それに応えるために、毎日更新し続けていく。最初は分かってもらえなかったけども、次第にマーケットのほうが僕たちに追従するようになっていって。最終的には、誰もがこのコミューニケーションを理解するようになっていったんだ。

POGGY ここでファッションの話をしたいんだけども。2014年、Marcelo Burlon(マルセロ・ブロン)のルックのモデルとしてデイヴィッドも出ていたよね? マルセロ・ブロンも創立者の一人として関わっている、New Guards Group(ニュー・ガーズ・グループ)発のブランドについてはどう見ている?
デイヴィッド そんなこともあったね(笑)。マルセロは僕の友人でもあるんだけど、彼はデザイナーになる前には雑誌の編集者やDJをやっていたり、いわば社交界の人だった。そういった世界から、彼はファッションブランドの世界へ転身した。それまでファッションブランドはデザイナーのものだったけど、彼はそれを変えたんだ。マルセロが自分のブランドでやっていたことはすごく斬新だったし、彼の自分のライフスタイル全てをそこに注ぎ込んで、本当に格好良かった。それから、彼は自分と同じようなことが出来る人をニュー・ガーズ・グループへ招き入れて、それがVirgil Abloh(ヴァージル・アブロー)であったり、もともとは写真家だったFrancesco Ragazzi(フランチェスコ・ラガッツィ)、それから最近ではDJのPeggy Gou(ペギー・グー)を迎え入れて、Kirin(キリン)っていうブランドを始めたりもしている。必ずしもファッションデザイナーがファッションブランドをやる必要はなくて、明確なライフスタイルをキュレートすることが大事なんだっていう、新しいコンセプトを彼らは確立したんだ。

POGGY ニュー・ガーズ・グループによって、イタリアの若者のファッションも劇的に変わったと思うんだけど、デイヴィッドはどう感じている?

デイヴィッド そう感じる部分もあるね。ミラノは古い都市だけど、ニュー・ガーズ・グループがミラノに新たなエネルギーを与えていると思う。去年ミラノに行ったら、ファッションショーやパーティでいろんなことが起きていて、すごく興奮したよ。ここ2、3年は伝統的なブランドがニュー・ガーズ・グループみたいになっているし、彼らが完全にマーケットを変えたね。

POGGY 本国では2010年に雑誌をスタートして、日本でも昨年、日本版のウェブサイト(HIGHSNOBIETY.JP)に続いて、秋に雑誌(『HIGHSNOBIETY JAPAN』)がスタートしたけど、ウェブから始まったHighsnobietyが紙媒体を出す理由は?
デイヴィッド 実は雑誌を作ったのはたまたまなんだ。最初の雑誌を出したのが、2010年のこと。それまで数ヶ月の間に撮り溜めた写真を使って、小さいブックレットを作って、それを『BREAD & BUTTER』の会場でいろんなブランドへ配ったらどうかなって思ったんだ。最初は簡単なフライヤー程度のもののつもりだったんだけど、最終的には85ページのボリュームになって、それが僕たちにとっての最初の雑誌になった。雑誌を作ったことは、自分たちにとって、三つの新しいことがもたらされて。一つは、今まではブログに投稿するだけのデジタルメディアだったのが、ちゃんとした雑誌を持ったことで、僕たちのブランド力が向上した。もう一つは、雑誌はウェブとはクオリティの面で完全に違っていて、表現のアウトプットの質を高めるために、ライターや写真の質の向上であったり、いろんなことを経験した。最後の一つは、ラグジュアリーブランドと一緒に仕事をするためのプラットフォームを与えてくれた。ミーティングの席とかでも、雑誌を見せれば、すぐに話が通じる。僕たちにとって、最高の名刺代わりになったんだ。

POGGY OPENERSのような日本のウェブメディアについてはどう思いますか? 良いところ悪いところ両方交えて教えてくれるかな。

デイヴィッド まず、僕は常に日本のメディアのファンなんだ。Highsnobietyを始めた頃、プロダクト(商品)ばかり紹介していたけど、日本の雑誌を開けば、同じようにプロダクトの紹介がメインになっていて、プロダクトとスタイルを格好良くミックスして、すごくクールに編集していた。『EYESCREAM』、『POPEYE』、『smart』といった雑誌をいつも日本から取り寄せていたし、僕は日本のメディアにずっと魅力を感じていたんだ。だけど、残念ながら、デジタルメディアに関しては、日本はちょっと遅れていると思う。別にOPENERSのことを言っているんでなく、一般論としてね。キュレーションも良いし、紹介しているプロダクトも素晴らしいけど、デザインやページの見せ方が、まるで2010年くらいのウェブデザインを見ているような感じがする。特にウェブのテクノロジーという点では、物足りなさを感じることが多い。
POGGY 最後に、今のメディアの状況についてと、今後はどのように変化していくと思う?

デイヴィッド ここ10年、15年で、ブログの進化やインスタグラム、フェイスブックといったソーシャルメディアの進化など、急激にいろんなことを起きた。特に今はインスタグラムを通じて、誰もがメディアとして発信出来るし、自分をブランディングすることが出来る。ただ、誰もが平等かつ簡単に扱えることによって、逆に雑音のような不要な情報も多くなっているから、しっかりと自分のポジションを築いて、確実に伝わる言葉を発信することが重要で。さらに自分のオーディエンス(=読者、ファン)を理解することもすごく大切なことになっている。僕たちは今、Highsnobietyというブランドがどんどんと拡大していっている状態なんだけども、それは自分たちのオーディエンスが誰かっていうことを理解していて、どうやってコミュニケートすれば良いか分かっているからなんだ。僕たちだけじゃなくて、それさえ出来れば、誰にでも無限の可能性があると言える。それって、すごくエキサイティングな状況だと思うし、今後も続いていくと思うよ。
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