祐真朋樹・編集大魔王対談|vol.36 FPM 田中知之さん(後編)
LOUNGE / MUSIC
2019年3月27日

祐真朋樹・編集大魔王対談|vol.36 FPM 田中知之さん(後編)

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前回前々回に引き続き、ゲストにFPM=Fantastic Plastic Machine(ファンタスティック・プラスチック・マシーン)の田中知之さんをお迎えしてお届けする編集大魔王対談。FPMという名前の由来から現在制作中のアルバム、偏愛するヴィンテージまで幅広くお話を伺いました。ここでしか読むことができないエクスクルーシブな内容は必見です。

Interview by SUKEZANE TomokiPhotographs by MAEDA AkiraText by ANDO Sara (OPENERS)

9.11を機に活動拠点を日本へ移すとアジアでブレイク

祐真朋樹・編集大魔王(以下、祐真) FPMという名前になったいきさつは?

田中知之さん(以下、田中) デモを作り始めた94年に、ピチカート・ファイヴの小西さんと音楽プロデューサーの坂口修さんと僕の3人で、ソニーから選曲のコンピレーションアルバムを3枚出したんです。映画音楽のコンピレーション、バート・バカラック※1のカバーのコンピレーション、クリスマスソングのコンピレーションを同時リリースしました。制作当時、『The Fantastic Plastic Machine』※2という映画のサントラを持っていたんです。音楽が素晴らしかったので、アルバムに入れようという話をしていたら小西さんが「Fantastic Plastic Machineっていうバンドがあったらいいよね」っておっしゃったので、そうですね、なんて言ってて。そして音楽を作り始めた時、その名前をそのままちょうだいしたんです。デビューするなんて思っていなかったので、深く考えずに。

祐真 話を戻しまして、日本の音楽が世界に拡散していったのは2001年で一区切りがついたということですが。

田中 僕自身の話に限って言えば、そんな気がします。ラウンジというムーブメントが一段落したというか。そこから活動拠点を日本国内とアジア諸国に移して、エイベックスに移籍して、ラウンジミュージックと決別して。ファンクやディスコ、フィラデルフィアソウルなんかにフォーカスした「beautiful.」※3というアルバムをリリースしたら、アジアでブレイクしたんです。

祐真 その時点で日本ではなくアジアに目を向けたのは?

田中 たまたまです。それまでと違う音楽を作り始めたらアジアでのDJの依頼も増えていきました。そんな中、韓国のソウルにDJとして呼ばれたんですよ。どんなところでどんな風にDJをするのかなんて聞かされていなくて、韓国で自分のことを知ってるやつなんているわけないだろう、というスタンスでした。どこか小さいクラブにでも連れて行かれるのかな、なんて思っていたら、着いた先はホテルでした。まずはここにチェックインするのか、と思っていると奥のボールルームへ通されて、なるほど、何か大きなイベントの前座なのかと思いました。「では今から1時間半お願いします」と言われ、ステージへ。幕が上がると、3〜4000人ぐらいの人がいたんです。その時点でも、誰かほかの人のファンなんだろうなって思っていました。いざDJが始まってぱっと後ろを振り返ったら、自分のアルバムのジャケットが大きく映し出されていて、そこで初めて、全員が自分のお客さんだったことに気づいたんです(笑)。

祐真 すでに韓国で人気があったんですね。

田中 アメリカやヨーロッパでリリースしていたからですね。韓国には徴兵制度※4があるので、その影響で海外へ留学する人も少なくないみたいで。留学先の北米やヨーロッパで僕のレコードを買った子たちが、韓国へ持ち帰って流行っていたようなんです。日本で韓流ブームが起こる以前に、日本人DJブームが韓国で起きていました。一番人気があった時は、訪韓時には僕にSPが3人ついていたほどです(笑)。

祐真 それはすごい(笑)!アジアでウケる音楽とはなんだったのでしょう。田中さんがNYで廻していた頃とは違いました?

田中 アメリカ・ヨーロッパを頻繁に回っていた頃から時代も変わっていたし、僕自身の気分も変わっていたので、もう少しDJ的な4つ打ちハウステクノにシフトしていました。でも、韓国でウケていたのはメロディだったりハーモニーだったりとか、いわゆるヨーロッパで人気だったダンスミュージックとは違う音楽だったように思います。それを日本人が作っていることでウケていたのかなと。ほどなくEDMの登場で、立場が韓国と逆転していくわけですけど。僕が韓国で人気があった頃、VERBAL※5と一緒にFPM-floとして大きなフェスに出たんです。僕らの前の出演者のステージにはお客さんが5、6人しかいなかったので、これはマズいなと思っていたのですが、僕らが出たらどんどん人が集まってきて最終的に1万人ぐらいになってホッとしました。僕らの出番が終わると出てきたのがデビューしたてのビッグバン※6。当時は僕らのほうがウケてたんですよ。そういう転換期を韓国と日本で見ていた気がしますね。

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1 バート・バカラック
(Burt Bacharach/1928-)アメリカの作曲家、音楽プロデューサー、シンガーソングライター。ポピュラー音楽の世界において、作曲家として常にそのトップに立ち続けてきた人物で、音楽史に残る名曲を数多く生み出したことで知られる

2 『The Fantastic Plastic Machine』
1969年に製作されたサーフィンのドキュメンタリー映画。歴史的シェーパーとして、革命的ラインを描いたサーファーとして、レジェンドと呼ばれるスキップ・フライ、ナット・ヤング、ボブ・マクタビッシュ、ミッキー・ムーニョス等の原点を映し出した作品。Fantastic Plastic Machineとはサーフボードのモデル名のこと

3 「beautiful.」
田中知之氏のソロプロジェクトFPM(Fantastic Plastic Machine)が2001年1月にリリースした3枚目のアルバム

4 徴兵制度
国家が一定年齢の国民に兵役義務を課して、強制的に軍隊に入隊させる制度のこと。志願兵(募兵)制度の対義語

5 VERBAL
日本のMC/DJ/音楽プロデューサー/デザイナー。m-flo、TERIYAKI BOYZ、PKCZ®、HONEST BOYZ®のメンバー。アーティスト活動のほか、グラフィックデザイナーでパートナーのYOONと共にファッションブランドAMBUSH®も経営する

6 ビッグバン
2006年にデビューした、韓国出身の5人組男性アーティストグループ。日本では09年にCDデビューし、日本でK-POPブームを巻き起こした立役者とも言われる

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50歳を越えて文章を書くことが楽しいと思えるようになってきた

祐真 最近の話になると、田中さんは原稿も書かれていますよね。

田中 はい、僭越ながら。そもそも『サヴィ』へは、僕の原稿力を買われたわけでもなく、取材を受けた時にスカウトされたので元々自信はなかったのですが。

祐真 声をかけられた方は田中さんのどこを見て編集者に向いていると思ったんでしょうね?

田中 どこだったんでしょうね。僕が編集者として向いていたかはさておき、引っ張ってもらえてよかったです。編集という行為が、その後もためになっていったし、『サヴィ』で学べたことは大きかった。人の原稿を直すことがほとんどでしたが、自分で書かないといけないこともあり、自分にはつくづく文才がないなと思っていました。

祐真 いやいや、上手です。コラムを読ませていただきましたが、面白かったですよ。

田中 ありがとうございます。最近になってようやく書けるようになったのかもしれません。神戸新聞で連載の仕事をいただいて、真剣に原稿を書くことに向き合うことができました。字数の制限があって、あらゆる層の人が読まれるところに原稿を書くというのは、こんなに重責のある仕事なのかと思いましたね。

祐真 「自己満足な買い物」、刺さりました。

田中 ありがとうございます。自分が読みたいものや書きたいものを見極めるのは難しいですね。音楽はもう少しスムーズに取り組めるけど、原稿に関しては、なかなかそうはいかなくて。あの連載で祐真さんをはじめ、みなさんが面白いって言ってくれたのは自分の自信にもなりました。編集者時代、原稿を書くことはただ規定のマス目や字数を埋める作業でしかなかったので、楽しいとは思えなかった。でも、自分が書いた原稿が新聞になってフィードバックをいただけたことで、遅咲きながら50歳を越えて初めて、文章を書くのって楽しいんだと気づくことができました。

祐真 書いて読んでもらうのと、かけて聞いてもらうことの違いはなんですか?

田中 まったく違う部分とすごく似ている部分がありますよね。いい文章はリズムがいい。言葉におけるリズムみたいなものは、音楽に学んだのかなと思います。

祐真 やはりいろいろとつながるのでしょうね。

田中 何事も多様化しないと面白くならないと思うので。小さく凝り固まっていてはだめだなと。音楽に関しては、今、新しいアルバムを真面目に作っているところです。

祐真 それはどんなものになる予定ですか?

Page03. 現在、究極のリスニングミュージックと最強のダンスミュージック制作中!

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現在、究極のリスニングミュージックと最強のダンスミュージック制作中!

田中 これまでずっと時代の最先端にいなければならないとか、人を出し抜かないといけないとか、そういうことを背負ってやってきました。デビューしたての頃は初期衝動で楽しい気持ちが先行していたけど、注目を集めるようになってくると、常に世間の中での自分の立ち位置を意識せざるを得なくなった。特にダンスミュージックなので、時代と並走することが重要でした。僕はレコードを2万枚持っているけど、結局、聞き続けているのはたかだかそのうちの2〜30枚だと思うんです。ビル・エヴァンス※7だったり、エリック・サティ※8だったり、ドビュッシー※9だったり、チェット・ベイカー※10だったり。結局、飽きずに聞いている音楽は10代の頃と変わらないんですよね。

祐真 確かにそういうものだったりしますよね。

田中 死ぬ間際にハウスなんて聞きたくないわ!って思うわけですよ(笑)。そうなると自分が作れる音楽にも限りがあるだろうから、自分が一生聞き続けたいと思い、かつ、みんなも一生聞き続けてくれるような一生モノのアルバムを作りたいと思いました。僕がビル・エヴァンスやチェット・ベイカーを何十年も聞いてきたことでアウトプットできるものとして、ダンスミュージックとは全く違う、ものすごく静かできれいな究極のリスニングミュージック※11を作っている真っ最中です。

祐真 素晴らしいですね、楽しみです。リリースはいつになる予定ですか?

田中 だいぶ出来上がってきてはいるのですが、もう少しアウトラインが出たら、どうリリースするのがいいか考えようと思っているところです。メジャーなレコード会社からサクッと出すのがいいのか、豪華版で1000枚だけ作って売るのがいいのか、それとも聞いてほしい人に無料で差し上げるか。

祐真 それもハッピーな形ですよね。

田中 本当に聞いてほしい人だけに差し上げるっていうのも今となっては音楽の形かなと。その先は配信とかで広がっていくことを期待しないでもないですが、もはや僕の中で、音楽を作って何枚売れてどれだけのお金が入ってくるということは目的ではないんですよね。究極に気持ちの良い音楽を作ることだけに意識を向けています。何かから解き放たれている感じはありますね。DJはまた別ですけど。

祐真 ライブですからね。

田中 DJとしての僕は未だにダンスミュージックに興味しかないので、それに特化した業務用ツールとして最強のものを作ろうと今、dododod※12(ドドドッド)という別名儀でアルバムを制作しています。さっき話したものと2枚、まったく違う方法でリリースしようと思っています。

祐真 dodododはFPMとは違うんですか?

田中 洒落で思いついたんですけど、dodododをひっくり返すとpopopopになるんですよ。

祐真 ポップの反対という意味ですか?

田中 そうです。FPMはどうしてもポップなものを求められるので、そうじゃないものを作ろうって思った時に行き詰まってしまうんですよね。だから新しい名義を作って、思いっきりダンスミュージックをやろうと思いました。今は、思いっきりリスニングミュージックを作ったら思いっきりダンスミュージックを作ってバランスをとっています。ただ、FPMでリスニングミュージックをやったら勘違いする人も出てくるかなって悩んでいる自分もいて。

祐真 FPMとしての進化が面白いと思いますよ。

田中 そう言っていただけるとありがたいです。ファッションの世界でも、デザイナー交代などブランドに変遷がありますしね。僕、2000年頃に、誰かFPMの二代目を継いでくれないかなって思ってたんですよ。(高田)賢三さんのように、生きてるけど誰かにやってもらえたらいいなって。でもそこから19年やり続けてきてしまった。人気があった頃だったらFPMももうちょっと高く売れたかな、なんて(笑)。

Page04. 一言では語れない奥深さが魅力のヴィンテージに対する偏愛



7 ビル・エヴァンス
(Bill Evans/1929-1980)ジャズ史上最高の人気を誇る白人ピアニストとして知られるアメリカのジャズピアニスト。死後もなお絶大な人気を誇る

8 エリック・サティ
(Erik Satie/1866-1925)近現代西洋音楽に大きな影響を与えたことで知られるフランスの作曲家。ドビュッシーやラヴェルも影響を公言し、印象主義の作曲家たちにも影響を与えたとされる

9 ドビュッシー
フランスの作曲家、クロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy/1862-1918)フランス近代音楽を代表する作曲家であり、斬新な作曲技法により20世紀音楽の扉を開いたといわれる

10 チェット・ベイカー
(Chet Baker/1929-1988)アメリカのジャズトランペッターでヴォーカリスト。独自の音楽性を形成し、1950年代前半、ウエストコーストジャズの全盛期に一躍スターとなる

11 リスニングミュージック
くつろいで楽しめる軽音楽、イージーリスニング。 公共空間や商業施設等、生活空間の雰囲気づくりのためのBGMとして使用されることも多い

12 dododod
FPMの田中知之氏が、ストイックにダンスミュージックと向き合うことを目的としてスタートさせた別プロジェクト

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一言では語れない奥深さが魅力のヴィンテージに対する偏愛

祐真 田中さんのファッションへの興味についてはどうですか?

田中 僕は京都の人間なので、やっぱりずっと古着が好きですね。最近はアメリカのみならずヨーロッパの古着も面白いですし、ヴィンテージのバーバリー※13もずっと研究しています。どんなアイテムがどの時代に存在していて、それがどの国のどんな人がオーダーしていたのかってわからないんですよね。

祐真 バーバリーの本社自体がわかっていないぐらいですから。それが面白いところでもありますよね。

田中 最近、某古着屋の店主から1918年頃のバーバリーを買ったんです。

祐真 トレンチコートですか?

田中 はい、最初期の軍用のトレンチコートです。形がすでに完成されていて、細かいディテールは今と変わらないんですよ。

祐真 バーバリーのトレンチは何着ぐらい持ってるんですか?

田中 まぁまぁ持ってますね。今日着ている黒のコートは自慢の一着です。ライダー、もしくはベルテッドっていわれるタイプのものの一枚袖で、冬用の着脱式の裏地も付いています。この個体以外見たことがありません。

祐真 どこで手に入れたんですか?

田中 妻が持ってたんですよ。枕元のクローゼットに三年間も眠っていたのを知らなかった。こんなの持ってたの?ってびっくりしました。

祐真 状態もいいですね。バーバリーのヴィンテージにハマりだしたのはいつですか?

田中 ずっと好きで、20年ぐらい前からちょくちょく買っています。調べがいがあるから面白いんですよね。探すのも楽しいし。ヨーロッパの軍モノやワークウェアのヴィンテージに関しても、それぞれの時代でディテールが違うところが面白くて。

祐真 そういう古いものに対しての偏愛な趣味は一体なんなんですかね?

田中 なんなんでしょうね(笑)。楽器も本もレコードも車も好きですけど、古着に関しては、1910年代や20年代のものが大好きで、50年代のものを新しいって思ってしまうほどです。

祐真 10年代って100年前の服でしょ。アンティークですよね。それをまだ着られることもすごい。今日かけている眼鏡はどこのですか?

田中 ネイティブサンズ※14っていうブランドのもので、肉屋さんがかけている眼鏡をイメージしたモデルだそうです。

祐真 今日されている時計は?

田中 ロレックスのエクスプローラー※15です。これは90年代の終わり頃に買ったもので、一度盗まれているんですよ。その個体が運良く質屋で発見されたと警察から連絡があり、質屋さんが盗品と知らずに窃盗犯に支払った金額で買い戻すことができました。

祐真 縁起のいい時計ですね。

田中 一回出て行って戻って来ているので、大切にしています。

祐真 そういえば田中さんはブランドのディレクションもされていますよね?

田中 富山にあるヴィンテージショップの出村くん※16と、フルカウントの辻田くん※17と3人で、リストというブランドを2012年に立ち上げました。今は私一人で細々と続けています(笑)。古着マニアの間でものすごい価格で取引されているような、ヴィンテージの革ジャンのデザインをベースに現代的にアップデートして、友人である片山勇さん率いるバックラッシュとコラボして、雑誌『レオン』で先日も受注販売をしたらめちゃくちゃ好評でした。普通は絶対に洗わないような高級なイタリアンカーフを製品洗いしたりしてモード感とヴィンテージ感の間を狙ったんですよ。

祐真 こだわりが感じられますね。

田中 祐真さんの足元にも及びませんが。

祐真 お互い好き者ですね(笑)。

田中 お店なのかイベントなのか、祐真さんといつかまたお仕事でご一緒させていただきたいです。

祐真 我々にとって特別な京都でやりますか。今日はありがとうございました。

田中 こちらこそありがとうございました。楽しかったです。



13 バーバリー
創業者のトーマス・バーバリーが1856年に設立した、イギリスを代表するラグジュアリーファッションブランド

14 ネイティブサンズ
元DITAのクリエイティブデザイナーとしてキャリアを積んだTommy Ogara氏とNEIGHBORHOODの滝沢伸介氏が共同でデザイン、ディレクションを務めるアイウェア・アクセサリーブランド

15 ロレックスのエクスプローラー
1905年にドイツ人のハンス・ウィルスドルフがロンドンで創業したスイスの腕時計メーカー「ロレックス」が、冒険家のために発表したスポーツウォッチモデル

16 富山にあるヴィンテージショップの出村くん
日本屈指のヴィンテージディーラーで「Hayabusa Kat Klother」オーナーの出村淳也氏

17 フルカウントの辻田くん
デニムブランド「FULLCOUNT」デザイナーの辻田幹晴氏

           
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