連載エッセイ|#ijichimanのぼやき「麻布十番編」
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2021年2月8日

連載エッセイ|#ijichimanのぼやき「麻布十番編」

第26回「国際色と江戸風情が息づく街・麻布十番」

ひたすら肉体の安全無事を主張して、魂や精神の生死を問わないのは違う(三島由紀夫)」――日本初のコールドプレスジュース専門店「サンシャインジュース」のボードメンバーの伊地知泰威氏の連載では、究極に健康なサンシャインジュースと対極にある、街の様々な人間臭いコンテンツを掘り起こしては、その歴史、変遷、風習、文化を探る。第26回は、豊かな国際色と江戸の風情を併せ持つ街、麻布十番を案内する。

Photographs and Text by IJICHI Yasutake

気高さのなかに垣間見れる人間味

今さら言うまでもなく、上野~浅草以東や大井町-蒲田といった県境界隈が好きである。不必要に格好つけることなく等身大で、気構える必要がないからだ。だから本心は、食事に行くにも飲みに行くにもこの県境界隈がいい。
しかし、私自身も港区や渋谷区、千代田区がビジネスライフの中心で、さらに食事は相手あってのものとした時に、参加各人の職場や住まい、集合時間などを鑑みれば調和が必要である。毎度毎度県境ばかりを攻めるわけにはいかないのが実情だ。
とすると、ちょうどいいのが麻布十番だったりする。西麻布、元麻布、麻布台...冠に「麻布」と付くと少し気位の高い印象を受けるし、確かにトレンドのお店も多いけれど、スーパーは紀ノ国屋でも明治屋でもなく創業100年を超える地元に根付いたスーパー「ナニワヤ」だったり、1913年創業の天然温泉の銭湯「竹の湯」があったり、SMの老舗ホテル「アルファイン」があったり。麻布十番はどことなく人間味を醸し出している。その一番の要因は昔ながらの店が連なる商店街があるからだろう。
麻布十番商店街は、都内では浅草寺に次ぐ古刹の善福寺の門前町として栄え、江戸時代には多くの大名の下屋敷や家臣の住まいがあり、町人の街、庶民の街として発展してきた。「豆源」や「浪花家総本店」など長い歴史を持つ老舗が多く店を構えているのは、その名残である。
今でこそ南北線と大江戸線の麻布十番駅が開通されて至便になり、六本木ヒルズのオープンと共に賑わうようになったが、それまでは白金から麻布十番にかけては「陸の孤島」と呼ばれ、和やかで落ち着いたおしゃれな大人の街として独特の個性を形成してきた。その懐かしさと、どこからでも訪れやすい至便さが、先述した“ちょうどいい”所以である。
さて、僕にとっての麻布十番の回想は「三幸園」で始まる。1970年創業で麻布十番の焼肉と言ったらここ。初めて行ったのは地下鉄が開通される直前の頃の話。友人の親父さんによく連れてってもらった。焼肉=タン塩、ロース、カルビだった頃、まずはナムルとキムチ、センマイ刺しでスタート。それから、上ミノ、タン塩を経て、カルビをつまみ、コムタンスープまたは冷麺で〆る。
そんな焼肉のオーセンティックな流れはここで学んだ。タン塩というと最近は無駄に厚さばかりを競うようなところがあるが、老舗名店のタン塩は薄い。薄いタンをカリッと焼いて食べるのが実に美味い。そういえば、三幸園では、大物プロ野球OB選手によく遭遇したことも印象深い。シュートで内角をえぐって200勝した投手と連続試合出場の世界記録を持つ2人が隣のテーブルにいた時は、ひどく高揚した。そんな思い出も相まって、麻布十番と言えばこの店をまず想起する。
三幸園とあわせてよく行ったのは、1954年創業の洋食「edoya」。だが残念ながら閉店してしまった。
社会人になった時に勤めた会社で時折出前に頼んでいた「登龍」も忘れ難い。登龍と言えば何と言っても、ニラそばである。現在は2,000円くらいでそれなりにいい値段だが当時はそこまでではなかった気がする。とは言っても新卒社会人がランチ出前で頼むには高級だった記憶はある。ただ、値段は問題ではなかった。僕の好きな食感シャキシャキとコリコリ、このふたつの満足感を満たして余りあるたっぷりのニラと肉厚のきぐらげがたっぷり施されたニラそばに魅了されたのだ。ニラそばが市民権を獲得するのに一役買ったのは間違いなく、登龍だろう。
ちなみに、最近知人に教えてもらった「新福菜館」も好きだ。京都で1938年に創業した店だから、麻布十番を語る中で出すのは余談になるが、真っ黒いスープの中華そばと焼きめしは、コクは深いがさっぱりしていて、九条ネギを山盛りにして食すと尚美味い。
ちなみに麻布十番で夜に行く店は、新しい店を知らないだけかもしれないが、20代の頃からずっと変わらない。
商店街入口で明かりを灯す1933年創業というもつ焼き酒場「あべちゃん」や六本木側終着地点にある大衆酒場「たぬ吉」、そして、韓国料理「鳳仙花」が昔も今も活躍してくれている。鳳仙花の創業は1982年で僕と同じ年の生まれ。数年前に改修したようで、店内は清潔感にあふれている。昔はホルモン鍋や参鶏湯をがっつり食べたものだけど、年を重ねた今は、えごまの味噌漬けやもつ煮込みをつまみに飲んでいるだけでしっかり満たされる。ちなみに、煮込みはしっかりダシが出た深いコクと程いい辛さが相まった絶妙な味わい。この煮込みは数ある中でも指折りの美味さだと思っている。
それから前回東京オリンピックの1964年に創業したと言う家庭料理の「はじめ」も、どこに行くか迷うと必ず第一想起する。カウンターに並ぶおひたしやきんぴらなどのおばんざい、旬の刺身、かき揚げや厚揚げなど素朴であたたかい料理でほっこりもてなしてくれる。こういう店が一軒あるだけでその街に抱く安心感は増す。焼肉や焼き鳥、寿司や中華の美味しい店が街にあるのは僕にとって当たり前の価値。誰とでも気軽に行けて、フラッと寄れて、胃に負担がかからない美味しい料理が楽しめる家庭的なお店の存在は、その街全体のバリューをグっと上げてくれるのだ。
各国大使館や高級マンションが立ち並び、高級外車が行き交うような国際色、その一方で江戸時代から続く歴史とそれを背景にした老舗たちが今も残る伝統。それらがきちんと折り合って融合して共存しているのが麻布十番。麻布の冠名に驕ることなく、守るべきところを守りながら時代にアジャストしていくから、浮き沈みなく常に確固たるポジションをキープし続ける。僕たちにとって見習うべき点が多い街である。
三幸園
住所|東京都港区麻布十番1-8-7
TEL|03-3585-6306

登龍
住所|東京都港区麻布十番2-4-5
TEL|03-3451-0514

鳳仙花
住所|東京都港区麻布十番2-21-12 麻布コート 1F
TEL|03-3452-0320

はじめ
住所|東京都港区麻布十番1-5-4 藤田ビル1F
TEL|03-3404-8736
伊地知泰威|IJICHI Yasutake
1982年東京生まれ。慶應義塾大学在学中から、イベント会社にてビッグメゾンのレセプションやパーティの企画制作に携わる。PR会社に転籍後はプランナーとして従事し、30歳を機に退職。中学から20年来の友人である代表と日本初のコールドプレスジュース専門店「サンシャインジュース」の立ち上げに参画し、2020年9月まで取締役副社長を務める。現在は、幅広い業界におけるクライアントの企業コミュニケーションやブランディングをサポートしながら、街探訪を続けている。好きな食べ物はふぐ、すっぽん。好きなスポーツは野球、競馬。好きな場所は純喫茶、大衆酒場。
Instagram:ijichiman
                      
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