特集|シンガポールは屋台★天国|Day 1「屋台料理の祭典に潜入!」
特集|シンガポールは屋台★天国
2泊3日、食い倒れの旅
Day 1「『ワールド・ストリート・フード・コングレス』に潜入!」(1)
中国系、マレー系、インド系など、さまざまな文化が共存するシンガポール。東京23区が入るほどの小さな国だが、懐はとてつもなく大きい。自らのルーツは大切に守りながら、無理のない範囲で異なる文化も受け入れる。そんな肩肘のはらない民族同士のつながりが、この国を織りなしている。その縮図ともいえるのが食であり、それぞれの故郷の味をベースにした“ソウルフード”(=郷土料理)、屋台料理である。その魅力を探るべく、屋台を食べ歩いた2泊3日食い倒れの旅。どうか最後までお付き合いのほどを。
旅のはじまりは、世界中の屋台料理を集めた祭典「ワールド・ストリート・フード・コングレス」から。なんでもシンガポールで、屋台専門のグルメガイド誌を発行するMakansutra社が、今年はじめて開催するイベントだというから期待も高まる。まずはここで、屋台文化にどっぷり浸かってみることにしよう。
Photographs by JAMANDFIXText by TANAKA Junko (OPENERS)Special Thanks to Singapore Tourism Board
安い、早い、楽しい──3拍子揃った食べ物は?
あなたが食に求めるものはなんだろう。もしそれが「安い」「早い」「楽しい」。このいずれか(もしくはすべて)のキーワードに当てはまるなら、屋台料理に勝るものはない。台湾や中国、東南アジアを訪れたことがある人なら、一度は体験したことだろう。人と熱気にあふれたあの屋台独特の雰囲気を。
屋台の醍醐味は、なんといっても気軽にいろんな味を堪能できること。1件目で前菜を食したら、メインは2件目で、そしてデザートはまた場所を変えて……。そんな楽しみ方ができるのは、財布に優しくスピーディーな屋台だからこそ。そして一見さんもなじみの客も「みんなウェルカム!」というオープンな雰囲気も魅力のひとつだ。
世界10カ国の屋台料理が一堂に
その身近さゆえ、改めて見つめ直す機会の少なかった屋台の魅力。それを解き明かそうと、KF シートウ氏率いるマカンストラ社が、10日間の祭典「ワールド・ストリート・フード・コングレス」を企画。シートウ氏は屋台料理のエキスパートとして、シンガポール政府からも一目置かれている人物だ。屋台専門のグルメガイド誌『マカンストラ』を発行するほか、グルメ番組の制作、ホーカーセンター(=屋台村)の運営など、およそ屋台に関することはすべて手がけている。
マカンストラ社の使命はただひとつ。屋台の楽しさを伝えること。「ワールド・ストリート・フード・コングレス」は、そんな彼らの活動の集大成ともいえる一大イベントだ。記念すべき第1回の舞台は、マリーナ・ベイ地区にある「F1ピットビル&パドック」。毎年9月、市街地がサーキットと化すF1レース「シンガポールグランプリ」の会場である。マシンを整備するためのパドックが、実食会「ワールド・ストリート・フード・ジャンボリー」の会場へと様変わり。5月31日から6月9日までの10日間、世界10カ国から集められたホーカー(=行商人)たちが、自慢の料理を披露した。
横長のパドックにずらっと並んだ店の数は37店。酸味がかった魚介の味が夏にぴったりな、米麺を使った汁麺「サムラクサ」(マレーシア)や、ジャックフルーツのカレー、ココナッツミルクと香辛料で長時間煮込んだ肉料理を盛り合わせた「ナシカパウ」(インドネシア)、野菜と香辛料、ヨーグルトソースを絶妙なバランスで組み合わせた「バタタプーリ」(インド)など、アジア勢の勢いが目立つが、なかには北南米や北欧からの出店も。ピリ辛料理からバーガー、スイーツまで、バラエティ豊かな品ぞろえで私たちの目と舌を存分に楽しませてくれた。
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Day 1「『ワールド・ストリート・フード・コングレス』に潜入!」(2)
屋台の明日を考える
世界の屋台料理を満喫したあとは、パドックの目の前に建つピットビルのなかへ。イベントのちょうど中間地点にあたる6月3日と4日の2日間、屋台に精通した専門家たちがここに集結。屋台について学び、話し合う「ワールド・ストリート・フード・ダイアローグ」がおこなわれていた。
前方に設置された演壇には、東南アジアで活動する専門家をはじめ、米グルメ番組「アンソニー世界を喰らう」で世界に名を馳せたアンソニー・ボーディン氏、中国の英字新聞『チャイナデイリー』の編集局長ポーリン・ロー氏、デンマークのレストラン「ノーマ」の共同設立者クラウス・マイヤー氏など、著名なジャーナリストやシェフが登場。各国の屋台文化についてプレゼンをおこなったほか、パドックに出店していたホーカーたちも登壇し、いまの屋台が抱える課題、これからのあるべき姿について熱い議論を繰り広げた。
小さな希望の光
壇上で頻繁に飛び交っていたのは“継承”というテーマ。代々受け継がれてきたレシピや技を、途絶えさせることなく、どのように次の世代に受け継いでいくか、ということ。シートウ氏が「将来についてどう考えている?」と問いかけると、ホーカーたちは「数年後には、もうお店ができなくなっているかも知れない」「屋台は体力がないとできない」「24時間オープンしているファーストフード店には太刀打ちできない」「跡継ぎがいない」と次々に将来への不安を口にした。
屋台文化が失われつつある。観客席に向かって、そう警告を鳴らす人が多かったのも印象的だった。実際に屋台を営むホーカーたちが将来への不安を口にするたび、その警告も少しずつ現実味を帯びてくる。いまの屋台が抱える課題を解決しない以上、放っておけば、絶滅の危機に瀕した動物のように、減退の一途をたどるしかないということなのだろう。
厳しい現実を目の当たりにした一方で、小さな希望の光も。学位と屋台への情熱を持ち合わせた次世代のホーカーが少なからず存在するのだ。シンガポールの西側、クレメンティ地区で「インディアン・ロジャ」の屋台を営むアブダス・サラム氏もそんなひとり。4年生の大学を出たあとは、一般企業に就職するつもりだった。そんな彼の気持ちを動かしたのは父親の後ろ姿。「父は毎日13時間から14時間も働き詰め。大切に守ってきた店なのに、だれかが継がなければいつかは途絶えてしまう。がんばっている父の後ろ姿を見ていたら、ぼくの代で途絶えさせちゃいけないっておもったんだ」
そう笑顔で語る彼を見ていると、屋台の明日がほんの少し明るく輝いたような気がした。