INTERVIEW|写真家 大森克己が問いかける、いま写真ですべきこととは
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2015年1月21日

INTERVIEW|写真家 大森克己が問いかける、いま写真ですべきこととは

個展「すべては初めて起こる」開催中

写真家 大森克己が問いかける、「いま写真ですべきこと」

90年代より写真家として活動する大森克己氏の個展「すべては初めて起こる」が、メイン会場となる銀座の『ポーラ ミュージアム アネックス』と、浅草にあるマッチアンドカンパニーの書庫および『ギングリッチ』の、ふたつのサテライト会場で開催されている。
昨年3月11日に発生した大震災以後、我われの暮らしは出口のない不安のなかで、さまざまな点において変化を余儀なくされている。同時にわれわれはこれまでどおりつづく日常のなかに起こった変化を、あたかもフィクションのようにとらえながら、したたかに生きている。はじまりや、はじめての意味を終わりなき日常のなかで写真で問いつづける大森克己氏に、今回の展覧会についてきいた。

Photograph & Text by KATO Takashi

意味ありげな光、いままでどおり咲く桜。しかし、いままで通りでは意味がない

フィルムカメラで撮影され印画紙に焼き付けられ額装された写真には、震災後、桜に導かれ訪れた福島や東京などの風景が写っている。大森氏はこれまでも「Cherryblossoms」や「encounter」といった作品で、桜を被写体にした作品を発表してきた。ただ今回の桜がこれまでと少しちがうのは、穏やかな陽射しに照らされ、ただひたすら美しい風景に、唐突に焦点のぼやけた淡いピンク色の円形のシルエットが写り込んでいることだ。それは、目に見えるものや、そこにあるありのままの風景や景色を一変させてしまうような、なにやら意味ありげな光である。

震災とそれによってもたらされたいまだ出口の見えない原発事故の爪痕が残る福島。今回の作品には震災以後の福島で撮影されたものもふくまれているが、福島への特別な思いはあったのだろうか?

「それはあまりないですね。ことさら福島を語ることは、福島とほかの場所が断絶しているようにみえてしまう。今回福島に行く大きなトリガーは、震災であったり、原発事故であったりするのは事実としてありますが、福島も東京も僕が暮らす浦安も繋がっているし、写真で震災や福島を表現するということではまったくありません。変わったとすれば、それは人間のほうで、桜はいままでどおり、ひとの暮らしのすぐそばで咲いています。今回のプロジェクトでいちばん大切なのは“すべてははじめて起こる”ということだと思っています」。

では今回の作品はどのような思いで撮られたものなのだろうか。「撮影中ずっと思っていたことなのですが、いままでどおりでは意味がないと思って撮っていました。確信をもって写真の外から作為的に何かを介入させるという行為がない限り前に進めないと思いました」と語る大森氏は、昨年、写真撮影で訪れたL.Aのマーケットで手に入れ、そのとき撮影した作品のモチーフにもなったピンクのアメリカンクラッカーを手に被災地に向った。

「写真は方法があるものだから、あたらしいものに向っていくにあたって気持ちだけではだめで、写真そのものの見え方も直接的に変わらなければ意味がありません。そのときに3.11以前にもあったもので、なおかつ100円ショップで売っているようなありきたりなもの、そしてこれまでも用いていたモチーフである必要がありました」。

大森克己|すべては初めて起こる 02

大森克己|すべては初めて起こる 03

3.11以前と以後とではちがう世界を生きている

写真、あるいはカメラは、この世の中の自ら光を発するもの、あるいは光に照らし出されたものをキャッチし、それに具体的な像をあたえる行為であり装置だ。が、それは写し手により選びとられたものであり、文字どおりの「イメージ」として存在することは少ない。泡のように消え去りそうなピンクの光とハレーションが何を意味しているかの判断は、それを見るひとそれぞれに委ねたいが、ひとつだけ言えそうなのは、3.11以前以後にかかわらず、われわれが自覚していようといまいと、目の前にある現実に対し、それ以前と以後とではちがう世界を生きているということだろう。

タイトル自体にこめられた意味についてはこう語る。「今年の夏、ロンドンで個展を開催するにあたってのタイトルを考えていたんですが、偶然手にとったポール・セローという作家の『タオ・オブ・トラベル』という移動にかんするエッセイがあって、そこに引用されていたアルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスの詩の一節と出会ったんです。
そもそも自分の作品のタイトルがどうのという以前に、3.11以後に公の場で本来言葉を発しなければいけないはずの人たちからの言葉がない、と僕は思っていました。かたやTwitterなどのSNSのなかには何の指針にもならないような言葉が溢れていた現実がありました。そういった状況のなかでボルヘスの言葉は震災以後に発せられた言葉ではないのですが、「Everything happens for the first time」という言葉を読んだときに、まさにこれだとピンときました。「すべては初めて起こる」、そしてすべては繋がっているということを、この短い言葉で切実に実感しました」。

写真の中に映る、焦点がぼやけ、ときに光に反射しハレーションを引き起したような淡いピンクのイメージは、不可視を意識のなかで可視化しながら、写真をみる曖昧な存在であるわれわれにとって、本来見えるはずのないものを現実と紐づけするためのリンクである。写真撮影の手法としては、コラージュや、音楽のサンプリングを思わせるものだ。

たとえば、現実を写すことで未来に問いを投げかける存在が写真家であると仮定して、3.11を経験してしまったわれわれの未来は、写真家にはどのように写っているのだろうか。

「未来が本当にすばらしいものであるかは、誰にもわからないし、そこに豊饒な世界があるのか、あるいは砂漠のような世界が広がっているのかは誰にもわかりません。それでもひとつだけ言えるのは、どのような状況であれ、人間はいまいるとこから先に進んでいくんだ、ということです」。

大森克己|すべては初めて起こる 04

大森克己|すべては初めて起こる 05

世界はすべてはじめて起こる出来事の集積

会期をおなじくして「すべては初めて起こる」の一環として、偶然にも浅草にある大森氏とゆかりの深いふたつの会場でも作品が展示されている。ひとつは、この写真展の期間だけの限定公開となるマッチアンドカンパニーの書庫で、これまでの大森氏の作品のアーカイブをふくむ、大森氏の頭の中をのぞくような作品が展示されている「言語と音楽と情熱」。もうひとつは、ピンクのハレーションとの出会いともなった西海岸で撮影された写真シリーズ「Los Angeles / ロス・アンへレス」の展示が、オープンしたばかりのスペース『ギングリッチ(Gingrich)』で開催中だ。

桜は世界にどんなことが起ころうとも、毎年そこにはじめてつぼみを開くかのように、春になると芽吹き咲きほこる。止まることのない時間のなかにある瞬間を永遠のなかに切りとる写真家にとって、世界はすべてはじめて起こる出来事の集積に違いない。それはわれわれにとってもおなじだろう。そこにあるのは変わるものと変わらないことというふたつの相対する世界だ。そしてそのすべては繋がっているということもまた事実なのである。

大森克己写真展「すべては初めて起こる」
会場|ポーラ ミュージアム アネックス
東京都中央区銀座 1-7-7 ポーラ銀座ビル 3F
Tel. 03-3563-5501
日程|2012年1月29日(日)まで開催中
開場時間|11:00~20:00 (入場は閉館の30分前まで)
入場無料

「言語と音楽と情熱」
会場|マッチアンドカンパニーの書庫
東京都台東区花川戸 1-3-6 花川戸ビル B1-1
日程|開催中~2012年1月29日(日)の木曜日~日曜日
開場期間|12:00~19:00
要アポイントメント・入場無料
Tel. 080-3161-5211(担当:村中)

「Los Angeles / ロス・アンヘレス」
会場|Gingrich
東京都台東区寿 3-8-4 鎌田ビル
Tel:03-6425-7973
日程|開催中~2012年1月29日(日)の木曜日~日曜日
開場時間|12:00~19:00
入場無料

大森克己|OMORI Katsumi
1963年 神戸市生まれ。1994年 第9回キヤノン写真新世紀・優秀賞受賞。主な写真集に『ベリイ スペシャル ラブ』『サルサ・ガムテープ』『Cherryblossoms』(リトル・モア)、『サナヨラ』(愛育社)、『encounter』『STARS AND STRIPES』『incarnation』『Bonjour!』(マッチアンドカンパニー)など。今回のエキシビションにあわせて作品集『すべては初めて起こる』をマッチアンドカンパニーより刊行。
http://www.omorikatsumi.com/

           
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