POGGY’S FILTER|vol.14  Sneakersnstuff(SNS) エリック・ファーガリンドさん、ペーター・ヨンソンさん

左からペーター・ヨンソン氏、POGGY氏、エリック・ファーガリンド氏

FASHION / MEN
2020年2月29日

POGGY’S FILTER|vol.14 Sneakersnstuff(SNS) エリック・ファーガリンドさん、ペーター・ヨンソンさん

小木“POGGY”基史氏がホストを務める『POGGY'S FILTER』の今回のゲストは、スウェーデン発のスニーカーショップ、Sneakersnstuff(スニーカーズエンスタッフ、以下、SNS)の創業者兼共同経営者であるErik Fagerlind(エリック・ファーガリンド)氏とPeter Jansson(ペーター・ヨンソン)氏だ。1999年にスウェーデンの首都であるストックホルムにて1号店をオープンし、現在はロンドン、パリ、ベルリン、さらにアメリカではニューヨークとロサンゼルスでも展開し、今やヨーロッパのスニーカーシーンを代表する存在となったSNSが、昨年12月に東京・代官山にてアジア初出店となるショップ「SNS TOKYO」をオープン。単なるスニーカー好きであった彼ら二人が、今やスニーカービジネスで世界を飛び回るまでのサクセスストーリーを追ってみた。

Interview by KOGI “Poggy” Motofumi|Photographs & Text by OMAE Kiwamu

NYでのスニーカーショッピングから始まったSNS

POGGY ついに東京でショップをオープンしたわけですが、本当におめでとう! 素晴らしいお店ですね。

エリック & ペーター どうもありがとう!

POGGY まず最初に1999年にストックホルムで最初のお店を立ち上げた経緯を教えてください.

ペーター 80年代後半か90年代初めの頃、僕らは同じスポーツショップで働いていたんだ。当時はスニーカーブティックというものはなくて、スニーカーが欲しければスポーツ用品を扱っているお店に行くしかなかった。NIKE(ナイキ)とかAdidas(アディダス)が今みたいに人気になる、もっと前の時代だね。

エリック 僕はバスケットボールを通じてスニーカーに興味を持った。Michael Jordan(マイケル・ジョーダン)が活躍していた、あの時代だね。当時の僕にとって、バスケットボールが全てで、ストリートファッションやスニーカーを含めて、バスケにまつわる全てが好きだった。一方でペーターは音楽やヒップホップカルチャーからスニーカーに興味を持ったんだ。

ペーター 同僚としてエリックと4年ぐらい一緒に働いているうちに、お互い、他の誰よりもスニーカー愛が強いことが分かってきた。それで、意気投合して一緒にアメリカにスニーカーを買いに行くようになったんだ。スウェーデンでは売ってないようなスニーカーをたくさん買うためにね。
エリック そのうちに、友人や知り合いから「自分たちの分も買ってきて!」って頼まれるようなっていったんだ。それが10人、20人とどんどん増えていったから、「悪いけど、20ユーロぐらい手数料をもらってもいい?」って、そこからホテル代とか飛行機代とかを出すようになって。90年代のヨーロッパにはライフスタイル寄りのスニーカーショップというものが無くて、スポーツ専門店には機能性にこだわったスニーカーしか置いていなかった。けど、ニューヨークに行くと、ブルックリンやハーレムのスポーツ用品店には、いろんな種類のスニーカーがあった。友達にスニーカーをたくさん買って帰るうちに、機能性では無く、見た目の格好良さで僕らが選んだスニーカーを売りたいと思うようになったんだ。それが僕たちのビジネスアイデアの出発点だね。

POGGY 当時、ニューヨークへ買い付けに行った時は、どういうお店で買っていたんですか?

エリック ブルックリンだったらフルトン・ストリート・モールとかに行ってたね。けど、どの店も似たようなラインナップだったから、一軒目に入ったお店で交渉をして、「ノー」って言われたら次の店にという具合に回って。その中で、一番安い店で買うっていうことやって。「俺たち、賢いな~」なんて思いながら、1年ぐらいやっていたら、その辺りの店は全て同じオーナーだったということが分かったんだ(笑)。

ペーター 実は一人のオーナーが、同じストリートに20店舗ぐらいお店を持っていたんだよ。

エリック フルトン・ストリート・モール以外にも、Raspberry Sports(ラズベリー・スポーツ)やCity Sports(シティ・スポーツ)といった、クラシカルなお店が90年代はまだたくさんあって。マンハッタンでも、ブロードウェイとか8thアヴェニューを歩くと、5ブロックごとに必ず何かしらお店があったね。
ペーター コリアタウンでもスパニッシュハーレムでも、格好良いスニーカーがたくさん見つかった。ハーレムに行くと、125丁目みたいなメインストリートではソールドアウトになっていても、メインから数ブロック離れたところに行けば、まだたくさん売れ残っていた。当時、そんなところでスニーカーを買っていた白人は僕らだけだったんじゃないかな?

POGGY 当時、見つけて嬉しかったスニーカーとかはありますか?

ペーター 自分たちのお店で売る商品を仕入れるために、レトロなスニーカーを探すことに一所懸命になっていたんだ。ナイキのランニングシューズとかバスケットシューズとかだね。

エリック 「Air Force 1」とか「Dunk」とか。特にバスケットシューズを見つけると興奮したね。95年とか96年頃だと、ナイキの「Air Penny」や「Air Pippen」とか。見たことのないものを発見すると、すごくテンションが上がった。

ペーター スニーカー業界のことも徐々に分かってきて。Foot Locker(フット・ロッカー)とかDaily Sports(デイリー・スポーツ)、Foot Action(フット・アクション)といった大手のスニーカーショップでは、限定で特別なモデルが売られていることを知ったんだ。例えば、「Air Max」の「Triple White」というモデルはフット・アクションでしか売ってないとかね。しかも、ニューヨークにお店がなかったから、ニュージャージーまで行かなければいけなくて。マンハッタンからたった15分なんだけどね。今だったらネットで「Triple White Air Max 90」って検索すればすぐに手に入るけど、当時はそういったスニーカーを手に入れることは、とてもスペシャルなことだった。
エリック 当時はインターネットも発達してなかったしね。僕らが東京に初めて来た20年前も、グーグルマップなんて無かったからね。

ペーター 雑誌の『Boon』の広告ページに載ってる地図を頼りに、東京のお店に行ったりしたんだ。

POGGY 『Boon』を頼りにしてたんだ?(笑)

ペーター そうそう。なんて書いてあるかわからないけど、『Boon』に載っていたスニーカーが欲しくてね。「この店は原宿にあるのか!」って、行ってみたり。SKIT(スキット)っていうお店にも行ったな。

POGGY スキットって、吉祥寺の?

ペーター そう! 当時は英語の道案内とかもなかったし、行くのがすごく難しかった。スキットでは自分用に20足ぐらい買ったね。しかも現金で。ATMの使い方にも不慣れだったから、いろいろと大変だったけど楽しかったよ。

エリック 渋谷や原宿だったら英語でなんとかコミュニケーションが取れたけど、当時は吉祥寺辺りになると英語が通じなくて大変だった。英語のメニューなんてないし、しょうがないから諦めることがたくさんあった。けど、今ならばどこにでも行ける。それが20年前と今との一番の違いだね。
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