建築家 平田晃久による-amazing flow-とレクサスのデザイン|Lexus
LEXUS DESIGN AMAZING 2013 MILAN|レクサス デザイン アメイジング 2013 ミラノ
あらたなるステージに突入したレクサス ミラノサローネへ
建築家 平田 晃久氏にきく “-amazing flow-”
デザインの祭典、しかもデザインの根幹をなす概念、アイデアこそを重視するミラノサローネにレクサスが4年ぶりに帰ってくる。今回は、クルマの展示はなし。かわりにTOKYO DESIGNERS WEEKで予告されたように、レクサスが募集したクリエイターたちの作品展示と、巨大スペースに若手建築家 平田晃久氏のうみだしたインスタレーションが展示される。そこに見出される、レクサスの狙いとはなにか? ミラノでの展示直前に、OPENERSは平田氏のオフィスにて、インタビューの機会を得た。
Text by SUZUKI Fumihiko(OPENERS)Photographs by ABE Masaya & LEXUS
流れるものを軸とした発想
──まず、最初に、今回の作品の誕生にいたった経緯を教えていただけますか?
レクサス担当者 デザインを通じて社会を豊かにする、というレクサスの考えるデザインに共感していただける方で、デザイン領域で新しい価値を提案していただけるクリエイターの方と共に、新しいレクサスのブランドの世界観を表現したい、と考えていました。平田さんは、自然との調和を独自の視点でとらえており、自然と人工物を相反するものと捉えないその視点にレクサスは共感し、今回オファーをさせていただきました。
平田 面白いなとおもったのは、「今回はクルマを展示しない、レクサスの世界観を見せたい」とおっしゃっていたことでした。クルマ単体のデザインを良くしていくということも大事ですが、クルマが走っている環境、クルマは道路の上を走るわけですけれど、道路というのは自然の地形の上にできていくわけです。そういった、クルマそのものよりも、もうちょっと広い世界、環境と、クルマはつながっている、という意識だろうと想像して、それは面白いとおもいました。
──基本的なことなのですが、今回の作品は人がその上を歩くこともできるんですよね?
そうです。人が歩いたりできる場所が、全体の30パーセントくらいあります。
普段、僕はクルマとはちがった観点で、建築をやっていますが、建築をそれ単体でデザインするよりも、もうちょっとまわりとつながっていくとか、人間が住んでいる環境がどういうふうに変わっていくかっていうようなことを考えたいとおもっていました。そういう話とうまくつながると、自分が考えてきたことと、レクサスが考えていることが、うまく重なって、あたらしい展示がうまれるんじゃないか、とおもいました。
モビリティの変化
もっと大きな話をすれば、モビリティがどう変わるかが、都市を変えていくとおもうんです。
基本的に、ビルが垂直に立ち上がり、エレベーターが垂直方向をつないで、水平方向をクルマがつなぐ、というのが今の基本的な形だといえるとおもいます。
大体において、バリアフリーの問題が建物の内部空間を規定していて、フラットな床になりますし、エレベーターで移動してフラットな床につく、という形に拘束されていきます。今の社会ではそれで仕方がないことですけれど、でも移動手段が変われば、それは変わる。もっと都市の中を立体的に移動できるようになるかもしれません。
クルマの問題は、都市のインフラストラクチャーとか、インフラストラクチャーと自然の関係、自然の地形と人間がつくる地形のインタラクティブな関係、そういうことを考えていていかないと、面白くないし、あたらしいことになっていかないんじゃないか、と考えています。
道が地形の上にできるのは当然ですけれども、自然の地形というのは、水が流れていくことでできていく。その地形の上を風が流れていく。谷ができたら谷ぞいに風がふいて、そこをまた水が流れる。いろいろな流れるものが相互作用して環境ができています。
人間がつくっているものも、たとえば屋根は、水を流すための形なので、見方によっては実は人工物も、水が流れたり、風が流れたりするものの一部である。海のなかに魚が泳いでいるように、クルマも道の上を走っている。そういう流れるものの相互関係の一部ととらえると面白いんじゃないか、と考えました。
LEXUS DESIGN AMAZING 2013 MILAN|レクサス デザイン アメイジング 2013 ミラノ
あらたなるステージに突入したレクサス ミラノサローネへ
建築家 平田 晃久氏にきく “-amazing flow-”(2)
3つの地形の有機的なネットワーク
さしあたっては、会場に3次元的な道のネットワークをつくりたかった。道って普通、先程もいったように2次元的にできるんですけれど、仮に、会場のなかに3つの地形を想定して、それぞれABCとした場合、Aの地形からあるときBにうつって、Cにうつって──と、やると、立体交差する道のネットワークができます。そういう街の基盤となる道のネットワークはどういう姿をしているんだろうか? そういう想像をして、今回の作品をつくりました。
展示場をクルマが走ることはできないので、人が歩いたり、風が流れたり、水が流れたりすることができないかなと考えだして、最終的には、人が歩ける部分と、風をコントロールして、風が流れをつくっていく部分をつくりました。風は見えないので、水のミストをとおして、それがたなびいているような空間があり、風を体に感じることもできます。それはどこかで、乗り物にのっているときの身体感覚に通ずるものもあるでしょう。
日本的なもの 未来的なもの
──なぜ今回、素材として木を使ったのかを教えてください
レクサスを考えるときに、日本的なものというのは、どうしても考えにのぼります。つまり、日本から発信しているけれど、世界スタンダードである種の普遍性をもったもの、というのがレクサスの強い部分だとおもっています。
日本は、モノトーンで、ミニマリスティックで、シンプルなものとして、ヨーロッパでとらえられがちだとおもうので、もうちょっとちがう日本もあるんじゃないか? 造形的な美学よりも、世界のとらえかた、流れているものが干渉しあって、滲んだりしながら、おたがいに影響しあっている、そういうものをとらえる発想のほうが、いま日本が世界にたいして、ある種の普遍性をもった考え方として、輸出できるものではないか? そういうちがった日本、あるいは弥生式土器だけじゃなくて、縄文式土器もあるみたいなレベルの話もあるとおもうんですけれど、アルカイックな強さみたいなものも日本が古くから受け継いだもののなかにはありますし、僕らが日本だとおもっているものだけじゃない日本っていうのはもっと色々あるとおもうんです。
そういうものをちゃんと、日本の人間として引き継いでいきたいという気持ちがありますし、それが別の価値をもつ世界にひろがっていくといいなという気持ちがあります。
未来的なものというと、どうしてもツルツルピカピカのものになりがちですが、そういうものって魅力がないんじゃないか? いわゆる“未来的”一辺倒で未来ができていくと、非常につまんない未来になるんじゃないか? という気がしています。ですから、一見あたらしい考え方と、木のように古くからある、素朴で、触ったときに気持ちいい感じとか、その両方をそなえているようなものをつくりたいんです。
今回はヴェニスにある工場で作品をつくっているんですが、船底をつくるような、クラフツマンシップがのこっている場所で、手で精緻につくっていく感覚、そういうものを持ち込みたかった。
クルマをつくりこんでいくときにも、人の体と接触する部分をどうつくっていくか、素材は何をどう使うか、そういう問題があるとおもうんです。
いまはコンピューターのなかで形をつくると、3Dプリンターといって、立体でプリントアウトできます。近い将来、そういうものが、どんどん発達していくでしょう。けれど、プリントアウトされたものは単一の素材で、コンピューターの中にある形がそのままできているだけなので、そこに作成のプロセスや意味がはいっていないんです。
しかし、たとえば今回のような場合は、素材の使い方を考える過程があり、技術、どこでつくったか、といった情報がモノの中にはいっていきますよね。
そういうことの積み重ねが、街や家、自分たちが生活する空間を豊かにしていくんじゃないかなと思います。
そんなに今回は素材にこだわったわけではないですけれど、単純だけど深さもある、身体にもうったえる、いろんな情報をもっているものにしたいと、気を使っています。
LEXUS DESIGN AMAZING 2013 MILAN|レクサス デザイン アメイジング 2013 ミラノ
あらたなるステージに突入したレクサス ミラノサローネへ
建築家 平田 晃久氏にきく “-amazing flow-”(3)
からまりしろ
──では、今回の作品に込められた、いわゆる“未来的”な要素を教えていただけますか?
自然物は一個の目的ではできていません。なぜそういう姿になったかわからないのが特徴だとおもいます。
物は目的が見えた瞬間にプアにみえてくる。僕は“からまりしろ”っていってるんですけれど、人間の活動やさまざまな出来事が、まわりに絡まっていくきっかけをつくりたい。完成して、それがどういう目的でできているかわかっているものは、それ以外の使い方とか関わり方を誘発しない。だから、謎めいていて、きっかけをもっているものがいいんじゃないかとおもっているんです。
いっぽうで、道のネットワークが構造物としてできたときには、抽象的な概念だけじゃなくて、ひとつのオブジェクトとして、ある程度、精緻にできていないといけない。構造的に自立しているものでないといけないし、人も歩けて、風がとおるところは風がとおらないといけない。そんなにシビアなルールではないですが、いくつかの拘束条件があるなかで形をつくっています。
そこで、いったん、ベーシックな形が出来上がったら、こんどは、それをキープしたまま、ちょっとずつ形を変えたものを、無数にコンピュータの中でつくって、それらをくらべるんです。
遺伝的アルゴリズムといわれる方法で、構造的に、より強いものを生き残らせるというのを何度か繰り返し、淘汰していく。ほとんどおなじ形なんですけれど、ちょっとちがうだけで、構造的にずっと強いとか、そういうことがあるんです。
ですから、目的主義的に、目的からスタートして、形がきまっているわけではないんですけれど、どこからスタートしても説明できるし、どこからスタートすることもできないというものをつくるには、いったんつくってみたものを別の角度からいじっていって、それなりの合理性をもたせていくっていうやり方が有機的な方法かなとおもっています。
表現主義的に有機的な形だけをつくるというのではなくて、その形が別のことも意味している。たとえば構造的に強かったり、風がうまく流れたり、人が歩きやすいかたちだったり──そういうことが同時にあらわれている、というものをつくっています。
デザインの役割
──この作品とレクサスとの共通する世界観をどういうものとしてお考えですか?
レクサス担当者 レクサスは、よりプログレッシブに、よりエモーショナルに常に進化し続け、お客様の期待を超える感動を提供し続けています。人々のライフスタイルに感動をもたらす“AMAZING”を提案していく、というレクサスのブランドコンセプトを起点に、クルマのデザインを超えた、驚きや感動に満ちた体験を提供する展示になっています。
平田 具体的には、“-amazing flow-”という今回の展示のスーパーバイズをなさっている、建築家の伊東豊雄さんとのディスカッションのなかでうかびあがってきたものをつくってほしい、というのがレクサスの要望でした。
そのときに、先ほどの日本の話、僕がいったのは僕のバイアスがかなりはいっちゃっていますけれど、モノトーンな日本じゃなくて、もっとイキイキしたものをつくろうとか、視覚だけでなく五感で感じる展示のほうがいいんじゃないかとか、風が流れたり、水が流れたり、自然な状態にちかいようなことを表現できないかとか、そういった要素が決まりました。
また、レクサスの思想として、精緻なものづくりにたいする考え方をお聞きしたのもおおきかったですし、最近のモデルですと、グリルが風を考えて大きくなっている。ひとつのグリルで、2種類くらいの風にたいする解決がなされている。なぜそういう形になったか、わからないようなグリルかとおもうんですけれど、一個の理由から決まったわけではない。
それと、風をきって走る感覚。それらを、クルマではない、別の形に翻訳して、ちょうど、レクサスのオモテとウラをひっくり返して広げたようなものが今回の作品です。
デザインはテレビのような基本的な形がきまっているものに付加価値をつけるものでは、もはやありません。いまある技術をどう見える形にするか。その原型をつくるのがデザインの仕事です。
だから技術、全体的な視野、街、環境と一緒に考えないといけない。単体の建築だけをつくることが建築の目的なのか? そうではない建築家の役割があるのではないか? そういうことを建築界全体が考えなおしています。こういうときに、現在のレクサスのスタンスは共感できる、面白いのではないか? 僕はそうおもいます。
そして、レクサスは世界的な企業ですから、現実の風景を変える可能性を秘めています。生活そのものを本当に変えるかもしれないという、切実さがないと、飾りになりかねない。そうじゃないっていう強さが、世界で、世界スタンダードでの日本の発想が普及していくかどうかを決めるんじゃないかとおもっています。