あなたのクルマ 見せてください 第12回 イモラ篇
第12回 イモラ篇 ブルーノ・ブルーザ氏×メルセデス・ベンツ190 SL 1959年
サーキットの街に生まれて
各地に“クルマ好き”を訪ね、人びとのクルマにたいする考え方、ライフスタイルを拝見するシリーズ「あなたのクルマ見せてください」。今回はサーキットの街、イタリアはイモラを訪問。彼の地で知らぬ者はいない、古典車エンスージアストのガレージを大矢アキオ氏がたずねた。
Text & Photographs By Akio Lorenzo OYA
エンジンの大地でヒストリックカーと出会う
イタリアで「エンジンの大地(テッラ ディ モトーリ)」と呼ばれる地方がある。北部エミリア-ロマーニャ州だ。フェラーリ、マセラーティ、ランボルギーニ、デ・トマゾ、パガーニそしてドゥカティ――イタリアを代表する名ブランドの多くが、ここから誕生した。
同時に、かつてF1サンマリノ グランプリが開催された名コース、イモラ サーキットもある。
そのイモラで知らぬ者はいない古典車エンスージアスト、ブルーノ・ブルーザ氏(72歳)を訪ね、秘蔵車たちが眠るガレージで、自動車人生を振り返ってもらった。
――ブルーノさんは「ロマーニャ古典4輪2輪クラブ」の創立メンバーで、今や会長も務めておられます。背景には、イモラという自動車レースの“聖地”に生まれた幸運があったとおもいますが、とくに古いクルマに興味を抱くようになったきっかけは?
学生だった1960年代初めのある日、大学生の姉にくっついて学園祭を訪ねたときのことです。イタリアの大学ではバンカラ学生たちが廃車寸前のクルマを改造してパレードをするのは、いわば慣わしです。しかし、ギンギラに塗ったくられた第二次大戦前のフィアット「バリッラ」を見た途端、「ああ、なんてことを!」と嘆きました。じつは、それが私の古いクルマに対する慈しみの始まりです。
――免許をとって最初に手に入れたクルマは何だったのですか?
20歳のときです。往年のフィアット製大衆車「トポリーノ」のバルケッタでした。前オーナーがミッレミリアに出場するためボディを改造したものでした。その後しばらくして、1930年代前半ランチアの代表的モデルである「アウグスタ」も入手しました。
――馴れ初めからして、かなりエンスージアスティックですね。ところで、今日お乗りのクルマはメルセデス・ベンツの「190 SL」ですね。
1959年型です。初代オーナーはヘラルド・ニールセンというデンマーク人サッカー選手でした。1960年ローマ五輪に出場後イタリアに残り、エミリア-ロマーニャの「FCボローニャ」で活躍したプレイヤーです。当時は彼の活躍とともに、愛車であるこの190 SLも盛んに新聞紙面を飾ったものです。
第12回 イモラ篇 ブルーノ・ブルーザ氏×メルセデス・ベンツ190 SL 1959年
サーキットの街に生まれて(2)
サッカー選手の愛したSL
――そのクルマと、どうやって巡り合ったのですか。
最初の出会いは1968年、25歳のときです。勤め先の銀行で昼休みに外出したとき、偶然街角に停まっていたんです。オーナーの男性に声をかけると、ニールセンがミラノの「インテル」に移籍する際譲り受けたことを教えてくれました。そのときは、それで終わりでした。
――その後なにが?
20年以上経ったある日、私が勤めていた銀行に、あるご婦人がお客としてふらっとやってきました。やがて世間話をしてゆくうちに、例の190 SLのオーナーの未亡人であることが判明しました。そして「クルマはまだガレージに保管されている」というので驚きました。それを幸い譲ってもらうことができたのです。
――ところで「ロマーニャ古典4輪2輪クラブ」は、毎年イモラ サーキット全周を使った部品交換会を催すことで有名です。
まずクラブの始まりは1966年、私が23歳のときに地元のクルマ好きと設立した愛好会でした。ある晩仲間とピッツァをかじっていたときです。そこで浮上した共通の悩みは、クルマとゆかりの深い一帯にもかかわらず、古いクルマの欠品部品を融通しあう場がないということでした。
――インターネットなどない時代ですから。苦労を察します。
やがておもいついたのが、小さな部品交換会でした。1977年のことです。知り合いの工場倉庫を借りて、午前に交換会、午後は近所の軽食堂で食事会(笑)。
第12回 イモラ篇 ブルーノ・ブルーザ氏×メルセデス・ベンツ190 SL 1959年
サーキットの街に生まれて(3)
街を代表する自動車イベントに成長
――のどかな集いですね。
それでも大盛況でした。そこで同じイベントを今度はイモラ サーキットで開催することを企画しました。通常は入れないコースをみんなで歩けるようにしたら、喜んでくれると考えたのです。当時、サーキットはイモラ市の所有でしたから、実現は容易とおもいました。
――夢はたちまち膨らんだわけですね。
ところがいざ交渉を始めてみると、サーキット管理委員会から、なかなか許可が出ない。ようやくあるフィアットのエンジニアのつてを辿って、さきほどの部品交換会と同じ1977年、第1回「イモラ スワップミート」の開催にこぎつけました。
――今や、4万5,000人の来場者で賑わうイベントに成長しました。当日は、イタリアのラジオの全国交通情報でも「イモラ周辺で渋滞が起きています!」と伝えるほどです。でも、毎年イベントを手伝っている奥様のグラツィアさんに聞いたら、ご存じないとおっしゃっていました。
いつも彼女はサーキット内の業務に追われて、外がどのくらい混んでいるか、じつは40年近くやっていて見たことがないんです。少し前、私の趣味につきあってくれた彼女へのねぎらいと結婚40周年記念を兼ねて旅に出ました。二十数年にわたる一念が叶って手に入れた190 SLでね。