連載|気仙沼便り|2月「伝説の大船頭・前川渡さんと俳優・渡辺謙さんの対談を聞く」
連載|気仙沼便り
2月「伝説の大船頭・前川渡さんと俳優・渡辺謙さんの対談を聞く」
2014年4月、トラベルジャーナリストの寺田直子さんは、宮城県・気仙沼市へ向かった。目的は20年ぶりに造られたという、あたらしい漁船の「乗船体験ツアー」に参加すること。震災で大きな被害を受けたこの地も、3年の月日を経て、少しずつ確実に未来へ向かって歩きはじめている。そんな気仙沼の、ひいては東北の“希望の光”といえるのが、この船なのだと寺田さんは言う。漁船に導かれるまま、寺田さんが見つめた気仙沼のいま、そしてこれからとは? いよいよ旅も大詰め。気仙沼の味覚を堪能した一行は、今回のツアーの最終ハイライト、俳優の渡辺謙さんと、伝説の大船頭、前川渡さんの対談がおこなわれる会場へと向かった。
Text & Photographs by TERADA Naoko
誰もがいつでも帰って来られる心の港
気仙沼のマグロ漁船が獲ったマグロをお腹いっぱい味わった私たちは、今回のツアーの最終ハイライト、俳優の渡辺謙さんと、私たちが体験乗船させていただいた「第18昭福丸」の船頭である前川渡さんとの対談先へと向かった。
会場は気仙沼港に面したカフェ、K-port。ここは2013年11月、渡辺謙さんが立ち上げた場所。「つなぐ」ということをコンセプトに気仙沼に暮らす人たち同士、また県外の方たち、さらには世界とつなぎあう場所になればという願いが込められている。Kは、気仙沼のKであり、渡辺謙さんのK、きずなのK、心のK。また、遠洋航海の漁師たちが長期の仕事を終えた後に目指す故郷の港があるように、誰もがいつでも帰って来られる心の港でありたい、そんな想いからPort=港と名付けられたという。
シンプルながらシャレたデザインの建物は、渡辺謙さんの意志に賛同した建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を受賞した建築家、伊東豊雄さんによるもの。スタイリッシュな外観はいまでは気仙沼港のシンボルにもなっている。また、カフェのメニュー監修は日本を代表するフレンチの巨匠、三國清三シェフが行っている。
対談開始の少し前、私たちはK-portに到着。カフェにはすでに関係者が会場のセッティングを行っていた。その中に渡辺謙さんもいた。海の男、船頭との対談ゆえに気仙沼の港を背景に、というコンセプトでカフェの外にテーブル、イスが運び出される。対談の席にはリゾート気分のパラソルも設置。風は肌寒いけれど青空というコンディション、文句なしにすばらしいイベント日和だ。今回は私たち以外にも気仙沼のみなさんたちも対談を聞くことができるとあり、時間前には少しずつ人が集まりだした。一般の方の参加費はワンドリンク付き1000円。参加費の半分の500円は気仙沼の子供たちのために設立された「K-port貯金箱」への寄付金となる。
そんな人たちの中に自然に溶け込む謙さん。参加者の前のテーブルが汚れていると、自らスプレーをかけてふきんで拭くその姿には人への思いやりがにじむ。
やがて、前川さんが到着。先ほど、船上での雰囲気と異なりはにかんだ表情で謙さんと談笑。私たちもK-port自慢のオリジナルブレンドのコーヒーを手に席に座った。
前川船頭を海へ駆り立てるもの
対談は約1時間半にわたっておこなわれた。人前で話しをしたことなどない、と照れ笑いする前川さん。しかし、彼は「気仙沼にこの人あり」と言われる数々の偉業を遂げてきた大船頭だ。抜群のカンで確実に魚影を見つけるだけでなく、「前川船頭の下で働きたい」と下の人間に慕われ、若手を育ててきた人徳者でもある。新造された「第18昭福丸」の船頭を任されたのもそんな実績と人柄があってこそ。
謙さんが、映画界の監督と役者の立場に例えて船頭の役割を聞いた。
「漁は船頭次第。船頭に自信がないと下の者がついてこない」と前川さん。荒れた外洋で、縄を仕掛けるのに6時間。数時間の仮眠をして、それを引き上げるのに6時間。はえ縄の長さはなんと、130~150キロにもおよぶという。それは東京から静岡の距離に匹敵する。さらに、マグロのいる漁場には競合する他の漁船も集まってくる。潮目を読み、蓄積された経験値をもってどこにいつ、縄を仕掛けるか。それを決めるのが船頭だ。当然、プレッシャーは相当なものだろう。それでもやめられないのは、大漁となったときの達成感だと前川さんは破顔する。
「ハンターなんでしょうね。多くの漁船を出しぬいて大漁をあてたときは、それはもう、たまりません」
「今まで最高、どれだけの魚を獲ったのですか」という謙さんの答えに、「10トン」と即答する前川さん。会場の参加者からも想像を超えた量の大きさにどよめきが起こる。前川さんの船頭としての高い漁獲率はもはや伝説。そして、それに見合った報酬を手にすることが海の男としての誇りでもある。自分の力で稼いだ金で家を建て、家族を育て、故郷の港を守る。豪快な海の男ならではのプライドと責任がそこにはある。
「船員が気持ちよく仕事をできる環境を作る」
「船頭に求められる資質は」。そんな質問に対して、前川さんは「優しさ」と答えた。
これは意外な答えだった。「決断力」、あるいは「統率力」。そんなキーワードが出てくるのかと思ったが、それとは逆の優しさこそが海の上のリーダーには必要なのか。前川さんはこう続けた。
「船頭の役割は船員たちが気持ちよく仕事をできる環境を作ること。時にケンカになることもありますが、そういうときに話しを聞いてやることが大事なんです」
レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説の主人公、フィリップ・マーロウは「タフじゃなくては生きていけない。優しくなくては生きている資格はない」とつぶやいた。まさにそうだ。優しさの後ろには厳しさと強さがある。前川さんも船頭としての長年の時間の中からそれを会得していったのだろう。
はえ縄漁船には25名ほどの船員が乗船、1年半近く寝食を共にし、漁をおこなう。日本人の船員は一部で、最近はインドネシア国籍の船員たちが多い。背景には日本人の人件費の高さ、人手不足などがある。そんな環境の中、インドネシアの船員たちは勤勉で、宗教上からお酒を飲まない人も多く高く評価されている。やりがいはあるが厳しい労働でもある漁業に従事する次世代の育成も今後の課題のひとつだ。
前川さんは、この日の対談の約2週間後、2014年5月3日、「第18昭福丸」の船頭として気仙沼港から出航した。まず、インドネシア・バリ島へ向かい、そこでインドネシア人船員たちを乗せ、その後、マグロを追い求めて世界の海原へ。現在も操業中だ。
船頭と俳優。まったく異なる職種ではあるけれど、与えられた使命を受け止め、最大限の努力をもって成功へと導く意志。自分の仕事に対して誇りと芯を持つ前川さんと渡辺謙さんのおだやかな表情と澄み切った瞳には、その力強さがこもっていた。
寺田直子|TERADA Naoko
トラベルジャーナリスト。年間150日は海外ホテル暮らし。オーストラリア、アジアリゾート、ヨーロッパなど訪れた国は60カ国ほど。主に雑誌、週刊誌、新聞などに寄稿している。著書に『ホテルブランド物語』(角川書店)、『ロンドン美食ガイド』(日経BP社 共著)、『イギリス庭園紀行』(日経BP企画社、共著)、プロデュースに『わがまま歩きバリ』(実業之日本社)などがある。