MUSIC|奇才チリー・ゴンザレスがピアノを携え帰ってきた!
MUSIC|カナダが誇る奇才がピアノを携え帰ってきた!
チリー・ゴンザレスが奏でる、美しきピアノ旋律第2弾『ソロ・ピアノ II』(1)
カナダ出身の“奇才”音楽家、チリー・ゴンザレス。“ゴンザレス”の名で知られる彼は、ピアニストとしてはもちろん、エレクトロ・ヒップホッパー、プロデューサーとさまざまな肩書きをもち、各方面でその才能をいかんなく発揮している。2004年に発表されたピアノ作品集『ソロ・ピアノ』は、深く美しい静けさに引き込むポスト・クラシカル・モダンの名盤とされ、評価を決定的なものに。あれから8年。ふたたび、自らの原点であるピアノと向き合い、待望の続編となる『ソロ・ピアノ II』を完成させた。
Text by TANAKA Junko (OPENERS)
Interview & Translation by TSUKAMOTO Niki
Photographs by ISARD Alexandre
ゴンザレスしか奏でることのできない珠玉の14篇
1972年カナダに生まれ、現在はフランス・パリに拠点を構えるゴンザレス。自らを“天才音楽家”と称するビッグマウスもさることながら、あるときは、オーケストラの演奏をバックにラップを披露したり、あるときは、グラミー賞にノミネートされたファイストの『レット・イット・ダイ』や、iPod nanoのCMに使用された楽曲「1,2,3,4」をプロデュースしたり、またあるときは、27時間(!)連続でライブ演奏をおこない、ギネス新記録を樹立したり……と、その存在感たるや、まさに現代の音楽シーンを代表する究極のエンターテイナー。彼の才能は、ジェーン・バーキン、ビョーク、ダフト・パンク、ドレイクなどのアーティストたちからも一目置かれている。
そんなゴンザレスが2011年12月、ピアノをパリのスタジオ「Pigalle」に移し、ひとりスタジオにこもった。理由はほかでもない。2004年に発売された、代表作にしてポスト・クラシカル・モダンの名盤とされる『ソロ・ピアノ』。その続編をレコーディングするためである。彼は「黙ってピアノを弾けよ」と自身に言い聞かせ、ふたたび自らの原点であるピアノと向き合い、『ソロ・ピアノ』のリリース以降、8年間にわたって書き貯めてきた100曲以上のメロディのなかから、厳選した楽曲のレコーディングを開始した。
アルバム・タイトルが示すとおり、“ピアノのみ”というもっともピュアで、もっとも繊細なレコーディング作業は延えんとつづけられ、ゴンザレスは楽曲のもつエッセンスが十二分に録音できるまで、幾度となく演奏を繰り返した。クラシックの様式美とジャズの躍動感を自在に行き来する、そのたぐいまれな感性を極限まで研ぎすました彼。今作は、前作同様、エリック・サティやラヴェルといった美の巨人たちをおもわせる、フィルム・ノワールのような美しさと癒しをまといながら、さらに軽やかに、より深く聴き手の胸へと染み入る。『ソロ・ピアノ II』には、まさにゴンザレスしか奏でることのできない14篇の珠玉のピアノ旋律の結晶がおさめられている。
ここで、『ソロ・ピアノ II』の発売を前に敢行した、ゴンザレスへのインタビューの模様をお届けしよう。なぜ、ふたたびピアノと向き合うことになったのか、そしてピアノとはゴンザレスにとってどんな存在なのか……彼の生の声にじっくり耳を傾けてほしい。
MUSIC|カナダが誇る奇才がピアノを携え帰ってきた!
チリー・ゴンザレスが奏でる、美しきピアノ旋律第2弾『ソロ・ピアノ II』(2)
「ピアノがあれば、音楽家にもエンターテイナーにもなれる」
――あなたにとって、ピアノとはどんな存在ですか?
ピアノっていうのは、たとえば管楽器など命を吹き込むような楽器と比べると表現力が弱いんだよね。鍵盤を一つ押せば音が鳴るんだったらサルにだってできる。複数の鍵盤を同時に押し出して初めて表現の幻想が生まれるんだ。でも、そこまで鍵盤で“歌わせる”のには、それなりの苦労と努力が必要になる。あんなに大きくて存在感がある楽器なのに、脆弱なものなんだよ。そんな弱さがあるからこそ、“詩”とよべる音楽が生まれるんだとおもう。ピアノを歌わせるための苦労があるからこそ表現の力が高まるんだ。ピアノがなければぼくはただの道化師にしかすぎない。でもピアノがあれば音楽家にもエンターテイナーにもなれるんだ。
――8年の歳月を経てピアノに回帰されたのは、なにかきっかけがあったのでしょうか?
(2004年に)『ピアノ・ソロ』を制作してから、ぼくのなかで変化が起きて、それ以来どんな音楽制作にもピアノが核となったんだ。正直、あのアルバムをつくろうと決めたときは、すこしためらいもあった。それまでのファンがどう反応するか気になったけど、結果として非常にいい反響をもらえたし、『ピアノ・ソロ』でぼくのことを知ったファンもたくさんいた。エレクトロやラップのアルバムも出したけど、またあのピアノの原点に戻りたいとずっとおもっていたんだ。ドレイクとのコラボやiPadのCMなんかも手がけたし、何百という数のピアノ・コンサートを開いた。前作に強い想い入れを持つファンもいるのも知っていたけど、だからこそ彼らや新しいファンを魅了できる作品をつくれるか、あえて挑戦してみたかったんだ。
――新作が出るたびに「まだこんな一面もあったんだ!」と驚かされてばかりです。音楽をとおして、人を楽しませたり驚かせたりというのは、あなたの意図するところですか?
ぼくが自分のことを“天才的音楽家”と呼んでいることは知られているとおもうけど、パフォーマーというのは、エゴイストでもなければならない存在なんだ。自分が提供する音楽は、つねにベストでなければいけないから、周りの人間にもそれを期待している。しかし、同時にほかの人間が求めているものをつねに意識しなきゃならないから、ある意味パフォーマーは奴隷でもあるんだよ。だからといって需要性のある、わかりやすいだけのポップスを提供するのは興味がない。自分にとって挑戦であって、観客自身が気づかぬうちに求めていた音楽をつくりたいんだ。
「クラシックやジャズには興味がないけど、『ソロ・ピアノ』のモダンな感情や音色に魅せられた」という人もたくさんいる。この時代に、よりふさわしいピアノ音楽を出せたと強く実感できた。だいたい、“チリー・ゴンザレス”なんて名前のピアニストの音楽をマジメに聴こうなんておもうかい? ピアノ音楽なんて……とおもう人でも、ぼくの性格やユーモアをすこしでも理解できればこの作品をすぐに受け入れられるとおもうんだ。
――オーケストラをバックに激しくラップするとき、静かにピアノと向き合ってメロディを奏でるとき――奏でる音楽によって、沸きあがる感情に違いはありますか?
ジャンルってのは便利なものだけど、ルールで縛ろうとする面もある。ぼくはそれぞれのルールを一応学んだうえで、そのルールをどう曲げるかを考えるんだ。エレクトロをつくろうとおもったら、ボーイズ・ノイズみたいなダンスミュージックに精通したアーティストと組むし、オーケストラとラップを合わせてみようとおもえば、それぞれのルールを把握し、どう組み合わせられるかを試行錯誤してみる。ぼくが“自由な”音楽家に見えるのは、ルールを無視しているからじゃなくて、むしろルールに敬意を払っているからなんだ。“オーケストラ・ラップ”なんてジャンルを、ぼくが編み出したなんておもっていないよ。2つの音楽のスタイルをごっちゃにしたわけではなくて、オーケストラをバックにラップしたんだ。
「ソロ・ピアノII」のコンセプトを考えていたときは、ヨーロッパ式とアメリカ式の音楽の嗜(たしな)み方の違いをおもったんだ。芸術として嗜む形と、エンタテインメントとして楽しむ形という違いが2つの間にはある。おもしろいことに、ぼくが育ったカナダのモントリオールも、アメリカとヨーロッパの文化の相反する要素が混合する場所なんだ。
――今回は、どんなアルバムにしたいとおもって制作にとりかかられたのでしょう。『ソロ・ピアノ』をつくられたときと、なにか大きな違いはありましたか?
パリに移ったことの影響は大きいね。ソロ・ピアノの楽曲を作曲するのはとても孤独な作業だから、自分の世界にこもって創作するにはピッタリの場所なんだ。『ソロ・ピアノ』の作曲もひとりだったけど、あれからライフスタイルも変わって、いろいろな人達とコラボする機会が増えた。レコーディング作業はひとりだったけど、ひとりだけでできた作品ではないんだ。
『ソロ・ピアノ』を出したときは、右も左もわからないまま、とりあえずやっていた感じだったけど、今回は周りからの期待も高いことがわかっていた。でもあえて『ピアノ・ソロ II』とタイトルをつけたのは、ファンに一作目と比べてほしいからなんだ。前作に深い思い入れを持っているファンが多いのも知っている。だからこそ、あえてそこにチャレンジしてみようとおもった。『ソロ・ピアノ』を出してからの8年間、500回ぐらいコンサートで演奏したけど、観客の反応で気づいたことや、コンサート中、胸がいっぱいになる瞬間もたくさんあった。そんな体験をとおして、ピアノ演奏についてあたらしく学んだことも多かったんだ。
――音楽はもちろんですが、ミュージック・ビデオもいつもすごくユニークですね。こうしたアイデアはどういうときに浮かんでくるのでしょうか?
「ソロ・ピアノ II」のビデオは、ぼくがピアノを演奏する手先のみ映しだされる。前作の「ソロ・ピアノ」の楽譜はなかなか好調な売れ行きだったんだけど、楽譜を読みながらぼくが作曲した曲を練習してもらえるのは、トラックのサンプルとして曲を使用されるより、何倍も親近感を感じられるから嬉しいね。
ミュージック・ビデオの制作には、毎回最初から最後まで積極的に関わっている。自分が考え出すコンセプトを実現してくれる、たくさんのクリエイティブな人に囲まれて制作できるのはとても幸運だと感じている。お互いアイデアをぶつけ合っても揉めごとにならないし、自由に意見を出し合って創作できる仲なんだ。みんなが満足できる結果を得ているとおもう。
――『ソロ・ピアノ III』を聴きたいという気の早いファンは、8年間待つことになるのでしょうか!?
どうだろうね。まず今回の反応を見てからでないとなんとも言えない。もしチリー・ゴンザレスの映画をつくるとしたら、この『ソロ・ピアノ』シリーズはぼくのクローズアップのようなもので、ほかの作品がどうやって存在しているのかを説明しているものなんだ。ピアノの尊厳さとピュアさがなければ、オーケストラをバックにラップなんてきわどいことに挑戦なんかしなかっただろう。
――これから、あらたにチャレンジしてみたいことはありますか?
最近はオーケストラとかかわることが多いので、これからはそっちの可能性もいろいろ試してみたいとおもう。
どこか遠い記憶のなかで聴いたことがあるような、一度聴いたら忘れられない、静寂に潜む普遍的な美。ゴンザレスが奏でる『ソロ・ピアノ II』の美しい旋律は、眠っていた聴き手の耳をそっと呼び覚ましてくれることだろう。