SPECIAL INTERVIEW|大貫妙子が語る、乗り越えていくチカラ
LOUNGE / MUSIC
2015年1月8日

SPECIAL INTERVIEW|大貫妙子が語る、乗り越えていくチカラ

「私は、あらたな価値観で力強く生きていこうとするひとに歌っていきたい」

大貫妙子が語る、乗り越えていくチカラ(1)

2011年3月11日から一年。3月11日(日)には、恵比寿『ザ・ガーデンホール』で開催される、ふんばろう東日本支援プロジェクトのチャリティーイベント「3.11 縁から絆へ ~ずっと忘れない~」に参加しライブをおこなう大貫妙子さん。
昨年末にリリースされたCMソングやTVテーマ音源をリマスタリングし、80年代から年代順に収録した「TEKO ONUKI WORKS 1983-2011 CM/TV Music Collection」と、GOLDEN☆BESTシリーズ「GOLDEN☆BEST大貫妙子~THE BEST 80’s Director’s Edition」について、そして2010年の坂本龍一氏との「UTAUツアー」、さらには“3.11”について語った。
※最終記事面にサイン入りCDプレゼントの応募要項があります

Text by KAJII Makoto (OPENERS)

坂本さんとの「UTAUツアー」は、修行のようでした

昨年暮れ、坂本龍一氏も発起人のひとりとして名を連ねる、東日本大震災で被災した学校の楽器備品の点検、修理などを目的としたプロジェクト「こどもの音楽再生基金 -School Music Revival」への寄付をおこなう「坂本龍一 Playing the Piano 2011」にゲストとして出演し、“赤とんぼ”“色彩都市”“a life”を歌った大貫妙子さん。

――2010年におこなわれた全国ツアー(「A PROJECT OF TAEKO ONUKI & RYUICHI SAKAMOTO UTAU TOUR 2010」)から、じつに一年ぶりのおふたりのステージでした。

坂本さんとの「UTAUツアー」は、私にとって得るものがとても多いライブでした。ピアノと歌だけという、ほかになにも引くものがないほどシンプルなかたちで、坂本さんと対等に、ふたりが“UTAU”ものでしたが、お互いが聴きあいながら、高めあいながらというのはこれまでに経験のないものでしたね。
レコーディングのときからそれはわかっていましたが、坂本さんと演奏すればするほど呼吸も合ってくるし、ツアーを重ねるほど調子も上がっていって、曲によってはアルバムとは別の展開もあり、とてもおもしろかったです。ただ、スケジュールがタイトだったので、声と体調の管理が大変でした。普段の暮らしと変えないように、寝具や吸入器などを持って移動したり、整体の先生に出張してもらったり。

――かなり気を使われていたんですね。

そうですね。声の調子が悪ければ、コンサート全体の印象もくすんでしまいますし。坂本さんには迷惑をかけられないし、重圧と責任感のなかで歌っていました。修行のようでした(笑)。

――ツアーをされて、坂本さんの印象は?

私たちは普段一緒にいてもそんなに話をしない方なので。でもライブ中はお互い神経を研ぎ澄ましているので、話す以上のものを感じあえますね。坂本さんとは強い信頼関係があると思っているので安心して歌えます。私たちに似ているところがあるとすれば、昔のこともふくめて、すぐ忘れちゃうところでしょうか(笑)。

――ツアーのDVDも好評ですね

WOWOWで生中継されたものにオンエアされなかった映像を収録してリリースしたものですが、最初、観るのが怖かったです。ちゃんと歌えてなかったらどうしようと……。でも、思いのほか悪くなかったので、ほっとしました(笑)。自分の映像を観るのは心臓に悪いものです。でも、これは二度とできない記録なので。

3.11 縁から絆へ ~ずっと忘れない~
日程|2012年3月11日(日)
会場|東京・恵比寿ガーデンホール
開場/開演|14:00/14:30
出演|<トーク>宮本亜門、西條剛央(ふんばろう東日本支援プロジェクト代表)
<ライブ>大貫妙子、沖仁、cocoon
チケット料金|前売り3900円
チケット取り扱い|各プレイガイド
お問い合わせ|サンライズプロモーション東京 0570-00-3337
http://wallpaper.fumbaro.org/en_kizuna

「私は、あらたな価値観で力強く生きていこうとするひとに歌っていきたい」

大貫妙子が語る、乗り越えていくチカラ(2)

レーベル「commmons」から発売された「TEKO ONUKI WORKS 1983-2011 CM/TV Music Collection」は、1980年代から現在まで、30年にわたる大貫さんの貴重な活動の記録を網羅したアルバムで、それぞれの時代を彩った人気CMの音楽を収録している。

おいしいメロディはポップスの基本

――同時に発売された「GOLDEN☆BEST大貫妙子~THE BEST 80’s Director’s Edition」とジャケットデザインが共通なのに驚きました。レーベルを超えておなじグラフィックデザインというのは画期的ですね。

どちらもグラフィックデザイナーの中島英樹さんにお願いしたものです。

――「TEKO ONUKI WORKS 1983-2011 CM/TV Music Collection」は時系列で収録されているので、聴いていくと時代背景が透けてみえてくるようです。音源がよくありましたね。

当時いただいたままのカセットとDAT(デジタル・オーディオ・テープ)が、家にあったんです。あとで調べたらすべてではなかったんですが、よくとってあったと思います。コマーシャル音楽は作詞作曲を手がけると、「アレンジはお任せします」と言われることが多かったので、アレンジャーはその当時によくお仕事していたひとに頼んでいました。おいしいメロディはポップスの基本で、あのころは、サビはじまりの曲がたくさんあって、楽しい時代でしたね。

――キャッチーなメロディと言葉で、いまでも新鮮です。収録曲のなかで印象に残っているテイクは?

やはり80年代がおもしろかったですね。映像にもお金がかかっていたし、映像チームには、ものづくりの精神などを勉強させてもらいました。当時はドラマの主題歌もよく歌っていたし、アルバムの3分の2ぐらいはタイアップ曲だったり。でもCM事情も時代とともに変わってきて……。なにかユーモアがなくなってしまいましたね。ものづくりの現場はどこも大変そうです。

プレッシャーを受けながら、ステージを重ねながら歌を育てていく

――「GOLDEN☆BEST大貫妙子~THE BEST 80’s Director’s Edition」は、78年のRCA移籍第一弾作品『MIGNONNE』から、90年リリースのMIDIレコード最後の作品『NEW MOON』までの80年代の作品が中心で、ファン待望のMIDIレコード時代の曲が数多く収録されています。

MIDI時代は、個人的には気に入った曲もたくさんあって、CD化されていてもマスタリングに関与できなかったので、今回リリースできてちょっとほっとしましたね。やっと肩の荷が下りた気分です。

――MIDI時代は、大貫さんにとってどんな時代でしたか?

あのころは、いろんなプレイヤーと音楽をつくりたいと模索していた時期で、そのときにそれからずっとステージをともにした“弦カル”(一般的に弦楽器四重奏のこと)の方々とも出合ったし、いろいろ吸収したころでしたね。

――収録されている曲は懐かしいのと同時に、声も若々しくて。

若いときの方が声にハリはありますね。でも細い。きらっとしているんだけど、押し出しが弱い。いまはあの透明感はなくなったけど、その分、伝えるチカラは強くなったと思っています。声だけではなく、“いま”なんですよね。

――伝えるチカラですか。

お客さんのいるステージの上でしか自分を鍛えることができないので。野球選手が何万人もの観客の前でホームランを打つのは、プレッシャーを跳ね返すということで、そうしないと身体で会得できないんですね。いいプレッシャーが必要なんですね。歌もどうやったら芯に当てられるか、ステージの上で、顔の角度や立ちかたなどを何度も模索しながら、「この声か!」とわかるときがある。そうやって、ステージを重ねながら歌を育てていくんです。

「私は、あらたな価値観で力強く生きていこうとするひとに歌っていきたい」

大貫妙子が語る、乗り越えていくチカラ(3)

覚悟して、倒れるまで走らないとダメなんだ

――ステージ上で歌っている大貫さんからは想像できませんね。

ずっと続けていると「こうしたいんだけど、どうしていいかわからない」状態になって、何度か壁にぶちあたるんですね。でも、その壁をひとつ越えたことがあって、それがMIDI時代なんです。

――どうやって越えたんですか?

MIDIのころ、プレイヤー全員が外人だったことがあって、ガンガン弾いてくるので、それに押されるように歌ったら、出なかった声が出るようになった。外国の方は日本語の歌詞がわからないから、とにかくおかまいなしで弾く。その体験から、バックのメンバーは歌手を育てるなと思ったんです。プレイヤーが日本人だと、全員私のために演奏してくれるので、寄り添ってくれるんだけど、「歌え!」とはならないんですね。
それで今回は、「自分がさらに乗り越えるとしたら、坂本さんしかいない」と思って。坂本さんのあの難しい曲に歌詞をつけて歌わせてもらえませんかとお願いしたんです。もちろん坂本さんの曲のファンでもあるし、自分にしかわからない、さらなる壁を越えようと思ったんです。
UTAUツアーは過酷だったけど、ほんとに越えました。自分の歌のキャパシティを越えて、自分のライブでも声が出るようになったし「歌全体を大きくつかむ」ということを学びました。小さい一歩でも私には大きな一歩でしたから。覚悟して、倒れるまで走らないとダメなんだなと思いました。

――すごいお話ですね。

坂本さんの存在自体がプレッシャーで、いつもこわいです。それは尊敬という意味ですが。坂本さんは仕事においては甘えを許してはくれないので。客席からのプレッシャーと、口では言わないけど「うまくいかないのは自分のせい」だという厳しい坂本さんのプレッシャーがあって。乗り越えたいまは、身体が得たものを忘れてしまわないよう、歌う機会をなるべく多くしようと思っています。

2012年も不安を抱えながら生きていく

――さて、2011年はどんな年でしたか?

3月11日で全部が変わってしまいました。現在は、「いままでの日本じゃないんだ」としっかり受け止めているひと、「またもとに戻る」と甘いことを考えているひと、「なにかあったけどいままでどおり」というひとの3タイプに分かれているように感じます。
私は3.11で、自分の価値観がなにか大きく変わったというわけではないですけれど、かえって目先がクリアになって、不要なものを結構抱えていたんだなとわかったことで、生きる方向が見えてきましたから。誰に向かって音楽をやっていくのかという意味も変わってきていますね。

――3.11前はどうでしたか?

3.11前は、世の中にモノは溢れているけど、なにか心が幸せじゃないとか、疲れているひとのための音楽として“癒し”というのがあったと思うんですけど、いまは“癒し”の意味が大きくちがう。誰かのせいにしたりせず現実と向き合い、姿勢を正し自分の軸をきちんとつくることがこれからの時代を生きていく自分の助けになると思います。歌うということは変わらないけれど、あらたな価値観で力強く生きていこうとするひとのために歌っていきたい。

――音楽へのモチベーションが変わったということですか。

いまだから響く歌詞というのもあると思うので、きっとライブの曲も変わってくるだろうし。壊れかけている原発の行く末を思うといつも不安ですし怖い。2012年も、皆さんとおなじように不安を抱えながら生きていくと思いますが、音楽以外でもやれることはどんどん行動にうつしたいと思っています。なんとかなるよ、とは思っていません。

――ありがとうございました。

3.11 縁から絆へ ~ずっと忘れない~
日程|2012年3月11日(日)
会場|東京・恵比寿ガーデンホール
開場/開演|14:00/14:30
出演|<トーク>宮本亜門、西條剛央(ふんばろう東日本支援プロジェクト代表)
<ライブ>大貫妙子、沖仁、cocoon
チケット料金|前売り3900円
チケット取り扱い|各プレイガイド
問い合わせ|サンライズプロモーション東京 0570-00-3337
http://wallpaper.fumbaro.org/en_kizuna

大貫妙子オフィシャルサイト
http://onukitaeko.jp/

大貫妙子|インタビュー 04

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