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2023年5月15日
Talking about “混沌” 05|松田家が、長く通いたくなる店に求めるもの
Talking about “混沌” 05
松田美由紀、松田ゆう姫に聞く“通う店”
クリエイター一家として知られる、松田美由紀さん、龍平さん、翔太さん、ゆう姫さん。家族全員が愛し、通い続けているのが「Kong Tong」。今回はお話を伺うのは、美由紀さん、ゆう姫さんの母娘。創造者たちを魅了する、このビストロの魅力とは。
Photograph by YOKOKURA Shota Text by HONJO Maho
世代を超えて愛してきた、唯一無二の店
− 俳優、写真家、映像作家、歌手として、多方面で活躍される松田美由紀さん。また歌手として活動しながら、コメンテーターやナレーションなど仕事の幅を広げている松田ゆう姫さん。おふたりがこの「Kong Tong」に訪れるようになったのは、何がきっかけだったのでしょうか。
松田美由紀(以下美由紀) 長男の龍平が、映画監督の友人と遊びに来ていたのが最初だったかな。私は子供の友人とすぐ仲よくなる傾向があって、その流れでよく来るようになったの。意外かもしれないけれど、私はお酒が飲めなくて、でもここは深夜でも嫌な顔せず、おいしいコーヒーを飲ませてくれる。しかも集っているのはクリエイティブな面々ばかり。安心して通える!家みたいな感じ。(笑)。それが18年ぐらい前かな。
松田ゆう姫(以下ゆう姫) 私が最初に来たのは17歳ぐらいで高校生だったと思う。当時は留学していて、帰国すると美由紀さんと龍平たちが一緒に遊んでいたから、そこに混じっていた感じ。大人たちが集う場所に行くのは、彼ら彼女らの遊びに参加するようで、なんかおしゃれな気持ちになったのを覚えてます。それに「Kong Tong」は、雑居ビルの5階という奥まった佇まいがいい。古いエレベーターを降りたら、その先には面白い世界が待っている。そんなエントランスのアプローチにもグッと来てました。
美由紀 「Kong Tong」の店内はさ、当時キャンドルライトが灯っていて、そのライティング効果でどんな女性も美しく見えたよね。当時はそれを“コントンマジック”って呼んでたの。
ゆう姫 それがエレベーターに乗って蛍光灯に照らされた途端、現実に引き戻されるという(笑)。
美由紀 残酷な照明!だから女子はさ、エレベータに乗ると、男性の後ろにササッと隠れるんだよね(笑)。
− 長く家族で通っているということですが、おふたりそれぞれの印象的な「Kong Tong」での出来事があったりしますか?
美由紀 えー、言えないことばっかだよね。墓場までもっていくような話だらけ(笑)。
ゆう姫 うーん、確かにね(笑)。
美由紀 でもさ、ゆう姫はここでライブをしたよね?
ゆう姫 そう、まだ何者でもなかった私が、音楽活動を始めて、アーティストとしてデビューしたのが23、4歳。カウンターに立つ福田達朗さんが「レコードが欲しい」と言ってくれて、「Kong Tong」でのライブ開催も提案してくれた。10代の終わりから20代の初めは、周囲のみんながモデル、俳優、映画制作…それぞれにクリエイティブな道を歩き始めて、それをまぶしい気持ちで眺めていたこともあったと思う。そんな私が、高校生から通ってきたお店でライブをして、「人生のジャーニーがようやく始まるんだな」と、感慨深い気持ちになったのをよく覚えてる。
美由紀 福ちゃんはゆう姫の成長をずっと見ているよね。
ゆう姫 うん、めちゃくちゃ親戚感あるね(笑)。
− 他のお店にはない、「Kong Tong」ならではの魅力はどんなところでしょうか。
美由紀 う〜ん。ここは作家、俳優、出版、音楽関係…そういう創作に関わっている人々が集まっているからなんだか安心するの。私自身、ここで知り合った多くの友達ができたし、写真家としてポートレート撮影をしたこともあったな。
ゆう姫 私も、思い入れのある場所で撮影させてほしいという依頼があって、ここをロケ場所に指定したことがありました。あと、私のエレクトロニック・ミュージック・ユニットのミニアルバムが7週連続で1位を獲ったとき、それを取材に来た朝の情報番組のインタビューもここで収録したんだよね。そのとき、私の後ろにお酒のボトルが並んでいて、「朝の番組なのに酒瓶バックはないでしょう!」って、あとからお母さんにすごく怒られた(笑)。
− おふたりの母娘としての関係性をもう少し聞いてみたいです。美由紀さんにとってゆう姫さんはどんな存在ですか?
美由紀 やっぱり息子たちには話せない、女同士だからこそわかり合えるさまざまなことをたくさん共有してきたかな。娘であり、親友であり、家族という関係性を超えた稀有な存在。
− ゆう姫さんはどうでしょうか。美由紀さんのような、自由でクリエイティブな女性が母親だということ、羨ましいと感じる人も多いと思います。
ゆう姫 羨ましがられることもありますが、母親が自由人だからこそ、自分探しに戸惑うこともあったように思います。ある程度レールが敷かれていたら、それに反発するエネルギーが出てきたかもしれないけど、私がやりたいことを尊重して、応援して、褒めて育ててくれたからこそ、ときおりアイデンティティを見失うこともあったの。でもその過程なしに、今の自分は考えられない。一長一短だと思うけど、“長”の方が多い母親だと思います。
美由紀 親はね、どういう育て方をしても、子供から見たら「ダメ」って言われるの。そういう宿命なのよ。365日の中で360日美味しいごはんをつくったとしても、5日失敗しただけで「あれはひどかった」って一生言われるんだから(笑)。親はね、「ディスられてなんぼ」なのよ。
− でも「Kong Tong」に通うみんなが美由紀さんのことが大好きで、慕っていたという話を聞いています。
ゆう姫 そうだね、みんな美由紀さんのことをリスペクトしてる。でもそこで先輩風を吹かせたりしないから、一緒に楽しんでる、って感じ?(笑)
美由紀 やっぱり芸能界って浮き沈みも多いし、若い子は特に「みんながライバル」と感じてしまいがち。でも私はそこと全く違うベクトルで生きているから、一緒にいて楽なんじゃないかな。業界のことをよくわかっているし、私はライバルにならないから安心するのかもしれないね。
− 美由紀さんご自身も、芸能界の荒波に揉まれてきました。ここに至るまで、やはり紆余曲折があったのではないでしょうか。
美由紀 女優がスタートではあるけれど、そこに固執していないから、自由なんですよね。他に写真家でもあるし映像も撮るし、文章も書くし、アートディレクションもするし、要はなんでもやる人間。俳優マネージメント会社もやってて。実は昨日も新人俳優のオーディションをやっていて、何百人から選ばれた50人をさらに落とさないといけなくて、もうヘトヘト。「ここまできて落とされた」と泣く人に対して、「俳優は本当に大変な仕事なんだから、自分が一番になれない場所に留まっていたら人生がおかしくなるだけって、自分が勝てる世界かどうか、しっかり見極めなさい」って一人一人に話したんだけど、。この世界で苦労してる人が沢山いるからついつい親心出したんだけど、本当は夢を壊されたりしたくなかったのかなって…余計なこと言わなければよかったと反省。
ゆう姫 美由紀さんは人一倍母性が強いからね。
美由紀 私の子たちは育っちゃったから、ほかの子を育てるのが楽しい(笑)。私の助言で誰かの人生がよりよいものになったなら、そんな嬉しいことはないよね。誰かの役に立てればとっても幸せ。
成長、変化、失敗まで、全てを見せてきた場所
− おふたりで旅行も行かれるそうですね。
ゆう姫 よく一緒に旅行してるよね。インドで待ち合わせたりもしたね。
美由紀 ゆう姫が英語を話せるから、全部通訳してもらうの。
ゆう姫 夜飲みに行くと、まぁ美由紀さんが人気者で、モテてモテて。メンズたちが私に「連絡先、聞きたいんだけど」とか「明日、空港まで送らせてくれ」とか、もううるさいの(笑)。「帰るよ〜!」って言っても聞いてないから、「She is my mother!」って叫んだら、「So?」って言われて(笑)。
美由紀 面白かったね!珍道中ですよ。でも海外に行くと解放される。日本では母親だったり社会的立場だったりがあって、何かが私に重くのしかかっていたのかな。でも海外に行くとそれがスコーンと外れるの。先日は龍平とインドネシアのクラブに行って、それも最高に楽しかったな。
− お互いに年齢を重ねて、大人同士の会話ができるようなったなど、変化はあるのでしょうか。
美由紀 う〜ん。私は小さな頃から、子供と対等の立場で話すようにしていたから、あまり変わらないかな。でも対等に話しすぎて「お母さんの言ってることは難しすぎてわからない」って言われてました(笑)。あんまり、こうしろとは言ってこなかったかもな。親は生き方サンプルだと思ってるから「私は○○だから嬉しかった」「今、××だから悲しい」を伝えることで、人間の生き方を見せてきた感じ。それをいいなと思ったら真似してほしいし、嫌だと思ったら真似しないでほしい。「そのチョイスはあなたにお任せします」。そんなふうに育ててきましたね。
ゆう姫 確かに、ああしろこうしろとは、全く言われたことがなかったね。
美由紀 私はね、人間は生まれたときから、性格や考え方はもう出来上がっているものだと思っているんです。たとえばチューリップはチューリップであり、そこにバラの花は決して咲かないの。でもどれだけ美しいチューリップの花を咲かせるかは親次第なんだけど。個性ももう最初から決まってる気がする。
ゆう姫 ちなみに私はチューリップじゃなくて、バラだけどね(笑)。
美由紀 そうだね。美しい薔薇!トゲもあるしね!あはは!(笑)。
− 美しい花を咲かせるために、どんなことをしたのでしょうか。
美由紀 とにかくなんでも経験させること。それに尽きると思う。
ゆう姫 今夜は流星群がきれいらしいと聞けば、明日が学校でも深夜に車を出して遠くまで見に行ったし、兄弟の誕生日には、いつも使わない食器やシルバーを自宅のダイニングに並べて、料理をコース仕立てにして出してくれた。いつかの私の誕生日、「あなたのしたいこと全て叶えます!」と言ってくれて、ディズニーランド→マザー牧場→鴨川シーワールド→海岸で魚焼いてちゃぶ台の上で食べる、なんてこともやったよね。
美由紀 夜の海岸で丸の魚をコンロで焼いてて、心配したサーファーたちが「うちの倉庫、貸しましょうか?」って言ってくれたの。懐かしい(笑)。
− 母娘に歴史あり、ですね。一方、約20年間おふたりが通ってきた「Kong Tong」でも本当にいろいろな出来事があったと思います。そんな場所での過ごし方を最後に教えてください。
ゆう姫 高校生のころはお茶をしていたけれど、今はゆっくり飲みに来てますね。美由紀さんはスイーツが好きだね。
美由紀 そう、私が「Kong Tong」で必ず頼むのが、スイーツ。その昔は、コーヒーとスイーツと友情!家族。そんな私たちの成長や変化も、そして飲みの場ならではの失敗も(笑)、全てを見届けてくれているのが「Kong Tong」に集まる人々。私にとって家庭の延長のような、こんな存在だから本当は誰にも教えたくない(笑)。ゆっくりと誰の目も気にしないで、友達や家族と語れる場所があるのは心から幸せ。ぜひこれからも頑張ってね!
松田美由紀 Miyuki Matsuda(左)
モデル活動を経て、1979年映画『金田一耕助の冒険』(大林宣彦監督)でスクリーンデビュー。2005年には初舞台となる「ドレッサー」にも挑戦し、以来、演技幅の広い女優として定評がある。写真家、映像作家、シャンソン歌手など、ジャンルを問わず、幅広く活動する。
モデル活動を経て、1979年映画『金田一耕助の冒険』(大林宣彦監督)でスクリーンデビュー。2005年には初舞台となる「ドレッサー」にも挑戦し、以来、演技幅の広い女優として定評がある。写真家、映像作家、シャンソン歌手など、ジャンルを問わず、幅広く活動する。
松田ゆう姫 Yuki Matsuda(右)
Young Juvenile Youth のヴォーカリストとして、楽曲すべての作詞とメロディ部分の作曲を担当。2021年、本格的に女優活動をスタート。ドラマ『コントが始まる』(日本テレビ系)に出演。現在は雑誌『GINZA』でイラストの連載をするほか、さまざまなアートシーンで活躍。
Young Juvenile Youth のヴォーカリストとして、楽曲すべての作詞とメロディ部分の作曲を担当。2021年、本格的に女優活動をスタート。ドラマ『コントが始まる』(日本テレビ系)に出演。現在は雑誌『GINZA』でイラストの連載をするほか、さまざまなアートシーンで活躍。
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●水出しアイス・コーヒー
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