連載|Bar OPENERS 第4回「早すぎたギムレット」
連載|Bar OPENERS
「早すぎたギムレット」(1)
ここは、ウェブ上にのみ存在する、架空のバー「Bar OPENERS」。酒と音楽、そしてバーという空間を楽しむ大人がくつろぎを得られる稀有な場所。その店主を務めるのは実際に自身でバーを経営する小林弘行。OPENERS的な肩肘の張らない、バーの楽しみ方と、今宵使えるウイットに富んだ酒と音楽にまつわるうんちくを連載でお届けする。
Text by KOBAYASHI HiroyukiPhotographs by ITO Yuji (OPENERS)
いらっしゃいませ。ご機嫌いかがですか?
当店のお客様に清水さん(仮名)という男性がいらっしゃいます。この方、誤解を恐れずに申し上げますと、ちょっと面倒なのですがとても愛らしい酔っ払いです。
初見で店内の床に大の字で寝てしまい、まぁ裏を返せば、文字通りうつ伏せで大の字で爆睡。完全に“困ったお客様の殿堂入り”祝・出禁って感じなのですが、このひとだけはなぜか憎めないのです。
普段、こういったほかのお客様に迷惑をかける方には、一度目はやわらかく睨み、二度目には無表情で接し、言葉をも用いずさようならを伝えます。そのはずなのに、それでも憎めない。
このようなパターンは10年に一度あるかないか。僕にもこれといった理由がわからないのですが、おそらく清水さんは気持ちがストレートで嘘がない(良くも悪くも。いや、やや悪いほう寄りかも)から憎めないのだと思います。
最初のご来店時の注文は「なんでもいい。強いの」(なんでもいい。は絶対言ってはいけないオーダーのひとつです)とおっしゃる。
僕もバーテンダーの端くれです。額面通りの飲み物をおだししたら、清水さんがさらに輪をかけて面倒臭くなってしまう。なので、軽い苛立ちをこめかみに漂わせながらも、清水さんが気づかず酔った気分になれるよう、軽めのカクテルを提供していました。
そんな日がつづいたある夜、清水さんのご来店です。
いつものように酔ってはいるものの、どうやらようすがちがいます。普段、酔った姿しか見たことのない、僕にしかわからないくらいの微差で、ほんのりとちがうのです。
そこで戸惑い気味に注文を聞くと「ジンベースで酸味があってカッコイイやつ。で、カッコ悪い酔っ払いが飲んでカッコイイやつ!」。
メチャクチャなオーダーなのは百も承知です。でも、でもですね。酒飲みとしては、なんだかその気持ち、わからなくもありません。
「どうやら今夜はただの酔っ払いではない。なにか訳ありなのだ」と直感しました。
ギムレット、のようなひと
このようにベース、甘さ、アルコールの強さなど、ある程度の具体的な提案があるときには、当店ではできるかぎりスタンダードカクテルからチョイスするようにしています。
前回も申しましたが、やはり長く受け継がれてきたスタンダードカクテル。だからこそ、そこにはそれぞれのお店の味、それぞれのバーテンダーの味があります。そのスタンダードカクテルのちがいを、清水さんにも楽しめるような飲み手になってもらいたいという希望的観測にも似たおもいがあったのかもしれません。
僕は悩みながらもギムレットをチョイスしておだししました。
ひと口飲んで押し黙る清水さん。
「また寝てしまうのかぁ」と思った矢先、「オ、オレ、ギムレットみたいな女がいい!」。
僕は目を丸くして、シェイカーを月に飛ばしそうになるほど驚きました。もちろん発射の準備などできていません。あの清水さんからこんな粋な言葉がでてくるなんて。
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「早すぎたギムレット」(2)
ギムレットに映し出された、幻の女性像
そして彼は少し酔っ払い口調で、まるで目の前のギムレットに話しかけるように語りはじめました。聞くところによると今夜、清水さんを慕い、よく食事をしたり、朝まで飲んで馬鹿騒ぎをする可愛い妹のような存在、しかし親子ほど歳の離れた女性に恋心を抱いてしまい、意を決して告白してきたようです。結果は……。みなさまのご想像通りです。
ギムレットとは、イギリス海軍の軍医ギムレットさんが、将校たちがジンを飲みすぎて身体を壊さぬようにライムジュースをくわえることをすすめたのが由来とされる、ジン、ライム、砂糖少々のショートカクテルです。
本来はコーディアルライムでつくるので、かなり甘めになるのでしょうが、現代では生のライムが比較的容易に手に入るため、かなりドライな口当たりになっています。ですので当店ではやや多く砂糖を使用して、ギムレットを提供しています。いい女には良薬にしろ毒薬にしろ甘みが含まれているもの、ですからね。
男は結局、天使のような悪魔、もしくは悪魔のような天使の女性に、理想と現実のあいだで翻弄させられる生き物なのでしょう。そうかんがえると、耳どころか全身が痛くなってきます。
そんな清水さんもいまでは、ほかのお客さんに迷惑をかけるひとを注意するまでになりました。つくづく本当にストレートばかりで、探りのジャブがないひとです。
ギムレットが想起されるシーンといえば、チャンドラーの『ロンググッドバイ』の重要登場人物、テリー・レノックスの有名なセリフとうんちく、と相場は決まっていたのですが、清水さんがギムレットを飲み、言葉を発した瞬間、しばらくのあいだレノックスとは長いお別れをするのだろうという予感に駆られました。
きっと清水さん自身ではなく、彼の意中の女性がギムレットには早すぎたのでしょう。
13月に、いまも生きているかもしれない歌姫
さてさて、今夜のギムレットにマリアージュするのは、ジュリー・ロンドンです。
2000年10月18日の訃報を伝えるニュース。
アメリカのニュースでは、女優ジュリー・ロンドン。そして歌も歌っていたジュリー・ロンドン。日本のニュースでは、ジャズシンガーのジュリー・ロンドン。そして女優もこなしていたジュリー・ロンドン。真逆がニュースになっためずらしい女性です。
そんな彼女のアルバム『カレンダーガール』の収録曲「13月」です。あたり前ですが、この世に13月は存在しません。
しかしそれは、地球に住む人類がつくり出したリズムにおいての話です。広い宇宙のどこかでは13月どころか14月、15月だってあるかもしれません。もしくはその逆で、1年は12月単位ではないかもしれません。
そのような宇宙と空想におもいを馳せると、僕にはアメリカと日本の時差のあいだに存在するかもしれない、13月に彼女はいまでも生きているような気がするのです。
人類上では実在しない12月と1月のあいだにある暦、13月の星座のごとく輝く女性をおもい浮かべ、品性のある妄想をしなやかに、そしてしたたかにふくらませ、その儚き姿をギムレットに映し、グラスに口づけしてみてはいかがでしょう。
あなたと夜と音楽に、乾杯。