バロン・フィリップ・ド・ロスチャイルド社が手掛けるマイポ・ヴァレーの葡萄畑。
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EAT
2026年2月10日
安いだけが魅力じゃない! チリ産グランヴァン(偉大なワイン)の可能性とは?
LOUNGE EAT|BARON PHILIPPE DE ROTHSCHILD Baronesa P.
チリワインと聞いて、多くの日本人が思い浮かべるのは“コストパフォーマンスの良さ”だろう。日本とチリの関税協定により、チリワインは手頃な価格で楽しめるデイリーワインとして市民権を得てきたからだ。しかし、この国のテロワールが秘めるポテンシャルは、そうした大衆的なイメージをはるかに超えている。事実、ボルドーの名門シャトーがこの地に注目し、長年にわたって投資を続けている。彼らが見出したのは、オールドワールドに匹敵する「偉大なワイン」を生み出す土壌だった。その集大成ともいえるのが、バロン・フィリップ・ド・ロスチャイルド社が手掛ける「Baronesa P.」(バロネサ・ピー)である。
Text by TSUCHIDA Takashi
コスパの裏に隠れた真実
チリワインが日本市場でコスパの良さを前面に押し出してきた背景には、明確な戦略がある。2007年の日本・チリEPA発効により、ワインにかかる関税は段階的に削減され、2019年には完全撤廃された。この関税ゼロという優位性を最大限に活かすため、チリのワイン産業は大量生産体制を整え、価格競争力を武器に日本市場でのシェア拡大を図った。
その結果、チリワインの輸入量は飛躍的に増加し、フランス、イタリアに次ぐ第3位の地位を奪取するに至っている。スーパーマーケットの棚に並ぶ千円前後のデイリーワインから、居酒屋チェーンのグラスワインまで、安くて美味しいチリワインはもはや身近な存在だ。しかし、その成功の代償として“チリワイン=安旨ワイン”という固定観念が形成されてしまったのだ。多くの日本人は、チリワインの真のポテンシャルを知らないまま、手頃な価格帯の商品だけに触れている。
だが実際には、世界のトップワイナリーが注目する卓越したテロワールがこの国には存在する。その代表格が、首都サンティアゴに近いマイポ・ヴァレーだ。この産地の気候は、カベルネ・ソーヴィニヨンやシラーが好む地中海性気候に似ているが、それだけではない。夏の間、アンデス山脈から冷たい空気が下りてきて、夜間に気温が大きく下がる。この昼夜の寒暖差こそが、ぶどうの成熟にとって理想的な条件となる。日中の太陽が糖度を高め、夜間の冷涼な空気が酸味とアロマを保つ。この絶妙なバランスが、複雑で奥行きのある味わいを生み出すのだ。
同様に、土壌の多様性も見逃せない。カベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フラン、シラーは小石、砂利、砂質粘土、泥粘土からなる沖積土で育ち、母岩は地表から3メートルの深さにある。ぶどうの根は適度なストレスを受けながら養分を吸収する。一方、カルメネールとプティ・ヴェルドは深い粘土質土壌に植えられ、しなやかでエレガントなタンニンの骨格をワインにもたらす。葡萄の品種ごとに最適な区画を選び、それぞれの個性を最大限に引き出す——このアプローチは、ボルドーの一流シャトーが何世紀もかけて理想としてきた手法そのものだ。
ボルドーの名門が賭けたチリの可能性
マイポ・ヴァレーのポテンシャルを見抜いたのが、ボルドー5大シャトーの一角、シャトー・ムートン・ロスチャイルドを擁するバロン・フィリップ・ド・ロスチャイルド社だった。この名門の歴史は、常に革新と挑戦の連続である。1978年、創業者フィリップ・ド・ロスチャイルド男爵は、カリフォルニアのロバート・モンダヴィと手を組み、ナパ・ヴァレーに「オーパス・ワン」を創設した。ボルドーの伝統技術とニューワールドのテロワールが融合したこのワインは、今やアメリカを代表する超高級ワインとして知られている。
その父のパイオニア精神を受け継いだのが、娘のフィリピーヌ・ド・ロスチャイルド男爵夫人だ。1988年に父が逝去すると、舞台女優としてのキャリアに終止符を打ち、家業に専念。そして1990年代末、チリのテロワールに魅了された夫人は、新たな挑戦に乗り出した。
1999年、マイポ・ヴァレーでエスクード・ロホ(“赤い盾の紋章”すなわちロスチャイルドを意味する)ブランドが誕生。それはボルドーで培われた技術と知識が、チリの大地に移植された瞬間だった。専属エノロジストたちは、パーセル(区画)ごとの精選からアッサンブラージュに至るまで、フランス本国と寸分違わぬ厳格さでワイン造りに取り組んだ。土壌の電気伝導度測定などの最新テクノロジーも導入しながら、何度も醸造を重ね、観察し、分析し、評価を繰り返す。その積み重ねが、やがて大きな結実を迎えることになる。
20年の集大成が示す新たな地平
2019年、ついに20年間の集大成ともいえるキュヴェが世に送り出された。それが「Baronesa P.」(バロネサ・ピー)である。このワインは、フィリピーヌ・ド・ロスチャイルド男爵夫人へのオマージュとして特別に生み出された。夫人はバロネス(男爵に相当する女性の爵位)を授けられており、そのイニシャル「P」(Philippine)を冠したこのワインには、チリでの事業にかけた彼女の情熱が凝縮されている。
所有する畑の中でも最良の区画の葡萄のみを使用し、オートクチュールさながらの栽培管理が行われる。5品種が精緻にアッサンブラージュされ、カベルネ・ソーヴィニヨンが81%と主体を成す。カベルネ・フラン5%、シラー5%、プティ・ヴェルド5%、カルメネール4%が加わり、それぞれの品種が持つ個性——カベルネの力強いタンニンとエレガンス、カルメネールの豊かなボディ、シラーのスパイシーな風味、プティ・ヴェルドの深い色合いと骨格——が見事な調和を奏でる。
フレンチオーク樽で18ヶ月間熟成され(新樽55%、1年樽45%)、樽のアロマはブーケとなってワインに完全に溶け込む。ブラックベリー、カシス、ブラックチェリーにブラックペッパー、ローストアーモンド、モカのニュアンスが重なる複雑なアロマを携え、味わいは力強く豊かで濃厚ながら、エレガントなタンニンによる緻密な骨格が全体を支えている。また長い余韻は、長期熟成の大きな可能性を予感させる。
2020年ヴィンテージは、豊かなフルボディでありながら、同時にエレガンスやフィネス(骨格)も備えている。表情豊かな果実味が、コクのある中盤に複雑さと豊潤さを与え、テロワールの個性を余すところなく表現する。チリワインの歴史に残る偉大なヴィンテージの一つといえるだろう。
「Baronesa P.」が示すのは、チリワインの新しいベンチマークだ。“安い”という単一の評価軸から脱却し、テロワールへの敬意と技術の融合が生み出す、真のグランヴァンとしての可能性である。もちろんデイリーワインとしてのチリワインの価値を否定するものではない。しかし、この国のテロワールには、世界最高峰のワインと肩を並べる力がある。ボルドーの名門が20年以上をかけて磨き上げてきた一本のワインは、その何よりの証明だ。
固定観念を超えた体験を求める人にこそ、「Baronesa P.」を手に取ってほしい。グラスに注がれた深い紫がかったルビー色の液体は、チリの太陽とアンデスの冷気、そして何世代にもわたるワイン造りの叡智を映し出している。ニューワールドのパワフルさとオールドワールドの知見が見事に融合した味わいは、必ずやチリワインに対する認識を激変させるはずだ。
ESCUDO ROJO BARONESA P. 2020
バロン・フィリップ・ド・ロスチャイルド・マイポ・チリ
口当たりは滑らかなフルボディ。各品種の個性が綺麗に引き出されており、凝縮感とエレガンスが調和した複雑な味わいをなしている。チリの力強さとボルドーの上品さが、まさに絶妙。スパイスの優雅な風味が余韻まで長く続く、時間をかけて楽しみたい1本だ。1万1000円(税込)。使用品種:カベルネ・ソーヴィニヨン、カルメネール、プティ・ヴェルド、カベルネ・フラン、シラー。アルコール度数14.5%