連載・TOKYO PREMIUM BAKERIES｜第23回　パナデリアティグレ

第23回　PANADERIA TIGRE｜パナデリアティグレ

シェフの舌と感性が生み出す、繊細な味のパン

東京でほんとうに「上質でおいしいパン」を提供しているパン屋さんを紹介する連載第23回は、東急東横線学芸大学駅から少し離れた、閑静な住宅街にある『パナデリアティグレ』。開放感のある明るい店舗が印象的です。

取材・文＝戸川フユキ写真＝高田みづほ

シンプルなパンこそ、ごまかしがきかない

東急東横線の学芸大学駅を降り、駒沢通りに出て西に歩くこと約8分、静かな住宅街のまんなかで「こんなところにお店があるかしら……」と心配になるころ、『パナデリアティグレ』のやわらかな黄色の建物が見えてくる。ここは、製パンメーカーに勤務ののち、代官山の名店『アルトファゴス』の立ち上げからかかわり、のちにシェフを任された望月哲二氏が、2007年に独立して開いたパン屋さんだ。

店名『ティグレ』はスペイン語で「虎」。お店のテーマカラーは「黄色」で、ロゴにも愛嬌のある虎のイラストが描かれている。寅年生まれのオーナーが、自己紹介も兼ねて短くて覚えやすい『ティグレ』と名づけた。

天井が高く明るい店内には大きなショウケースがあり、80～100種類ものパンがならぶ。スタンダードな食事パンから、ワインやチーズに合うメニュー、豆やゴマ、梅シソといった和の食材が使われたものとじつにさまざまだ。パン生地に使う酵母は、天然酵母のレーズン種、レモン種、イチゴ種、サワー種、ルヴン種とイーストを、季節やメニューに応じて使い分けている。保存料やイーストフードを使わずに、誰もが安心して食べられるパンを提供するのがモットーだ。

数種類ある「バゲット」はイーストを減らし、高加水で低温長時間発酵させてから焼く。これは師匠の志賀勝栄氏（現シニフィアン・シニフィエオーナーシェフ）がつくるバゲットの製法を受け継いだスタイルで、小麦粉本来の旨味が引き出され、皮はパリッと中はもっちりとした食感が特長だ。

新製品の「バゲット48」は石臼挽き粉を使い、極限までイーストを減らして丸2日間（48時間）の超・長時間発酵をさせて焼きあげたバゲット。はじめの36時間は冷蔵庫で発酵を止めて熟成させ、最後は室温で発酵をすすめる独自の製法だ。粉の味が口中に広がり、バゲット好きにはたまらない一品だ。

また大きな丸いかたちで焼きあげる「全粒粉のカンパーニュ」も人気がある。北海道産の地粉に全粒粉を30パーセントブレンドし、ビタミンやミネラルも豊富で生地はしっとりふんわりと、やわらかく誰もが食べやすいパンに仕上がっている。

望月シェフがパンづくりで大切にしているのは、「精神的によい状態でパンをつくること」だ。二児の父でもある望月氏は、休みの日は子どもと思いきり遊び、パンづくりでいっぱいになってしまう日常をしっかりとリセットするそうだ。技術面では「自分の舌と感性を信じること」。天然酵母だけにこだわらず、用途に合っていればイーストも積極的に使う。とくにイギリスパンなどは、イーストと焼き窯の力で一気にパンを膨らませないと、あのサクッとした食感は出せないそうだ。

生地を触るのも、成形するのも、膨らむのを眺めるのも好きだという望月シェフ。「生地を軽くパンチングするだけで、触り心地が本当に変わってくるのがなんともいえずおもしろいんです。シンプルな材料のパンほど“ごまかし”がきかないので、最初の過程からシビアにつくる。イメージどおりにパンが焼けたときの達成感は格別です」と語る。幼いころから料理をするのが好きだったシェフは、パン職人になったいまも、つくることの楽しさを日々全身で感じているようだ。

「ここティグレにしかないものをたくさんつくって、“この辺りに住みたい”って、自分でも思えるくらいの店にしたいんです」と語る望月シェフ。その表情には、仕事と家庭生活のバランスが上手く取れているひとの「朗らかさ」がうかがえる。下馬の町に住む人びとは、「上質な焼きたてパンが、すぐ近くで手に入る幸せ」をすでに感じているであろう。『パナデリアティグレ』は、品数豊富なパンのなかからきっとお気に入りが見つかる、頼もしい一軒である。