Life is Edit. #007 ~杉本博司というリトマス試験紙~
LOUNGE / ART
2015年4月28日

Life is Edit. #007 ~杉本博司というリトマス試験紙~

Life is Edit.
連載|〜出会いは楽し〜

#007 杉本博司というリトマス試験紙

ひとりのヒトとの出会いによって紡がれ、生まれる新しい”何か”。ひとつのモノによって惹きつけられ、生まれる新しい”何か”。編集者とは、まさにそんな”出会い”をつくるのが仕事。そして人生とは、まさに編集そのもの。
――文章編集者、島田 明が、出会ったヒトやモノ、コトの感動を紹介します。

文と写真=島田 明

今回、紹介するのは現代美術界におけるスーパーアーティスト、杉本博司さん。
2005年に雑誌『ブルータス』で一冊丸ごと杉本博司特集が組まれ、アート特集では異例の完売を達成。同年、六本木ヒルズの森ミュージアムで開催された回顧展では同館の来場者動員数の記録を塗り替えたことからも、杉本さんのすごさ、知名度は十二分におわかりいただけるかと思います。まさに日本が誇るアーティストなのです。

そんな杉本博司さんは、私にとってはヒーロー的存在。ずっと杉本さんの作品と言動にはつねに深い感銘を受け続け、その作品にふれるたびに人生のあり様、時の有限性、いのちのはかなさを考えさせられる唯一無二な存在として私のなかに君臨し続けているのです。

制作活動の拠点をニューヨークに置く杉本さんが、今回、ギャラリー小柳で2008年1月12日まで開催される個展「漏光」にあわせて帰国されたのを機に約1年ぶりの再会をはたしました。このオープナーズでの掲載の件を伝えると「好きに書いていいよ」と。いやいや、その言葉が逆に緊張させるのです、私を(笑)。
いつも杉本さんと会うと、何か私自身が試されている気分になる。それは高僧に禅問答を挑む修行僧のような感じ。「まだまだ修行が足りないな」と、杉本さんに言われたような気分になるのです(笑)。


エディ・スリマンの写真がきっかけで

杉本さんの実際の作品にふれたのは、いまから七年ほど前。エルメス銀座店内で開催された個展が最初でした。

とくに静かな海を撮影した『海景』シリーズは、私に衝撃を与え、以来、スギモト熱にうなされ続け(笑)。そしてはじめての接見は、ひょんなキッカケからでした。

それはステディ スタディの展示会でのこと。同社の代表である吉田瑞代さんとエディ・スリマンの写真の話に花が咲き、そのはじめての個展『ベルリン』がギャラリー小柳で開催されることを瑞代さんから聞かされました。そして瑞代さんはオーナーである小柳さんを私に紹介してくれたのです。エディの写真の実力を知るには、写真集ではなく本当のプリントを実際に見なければわからない、そう思った私はギャラリー小柳に足をはこび、彼の作品をじっくりと鑑賞していたら……なんとギャラリーの奥に杉本さんらしき人がいるではありませんか! そこでスタッフの橋口さんに声をかけ、杉本さんを紹介していただきました(後々わかったのですが、橋口さんは元エルメスのスタッフで、あの個展を企画したスタッフだったそう。やはり私同様、スギモト熱にかかって(笑)、ギャラリー小柳に移籍したそうです)。

そのとき、わたしはとっさにわれわれの目の前にあるエディの写真に関して杉本さんに「どう思います、エディの写真?」と単刀直入にうかがいました。すると杉本さんは丁寧に「彼の作品は写真集の方がいいね。なぜなら彼の作品は彼の完璧な編集によって生きるからだよ。ほら、このレイアウトと写真の並び、なかなかいいよね」と答えていただき。それに対し、私はとっさにこう切り返したんです。「たしかにそうですね。服に関してもエディはオートクチュールではなくプレタポルテの人だし、やはり一般に伝わるワザというか高い編集力を持っていますし。それっていまココにあるプリントがオートクチュールで、写真集がマスなプレタポルテみたいなものなんですかね?」杉本さんは、私のその私のことばに対し「キミ、面白いこと言うねえ」と笑ってくれました。じつに嬉しかったんです、その一言。何か少し杉本さんに近づけたというか、少しは認められた、そんな感じがしました(勘ちがいじゃなければいいのですが・汗)。

そののち、2005年秋に当時、私が所属していた雑誌『ジェントリー』において、歌舞伎役者の市川海老蔵氏と京都・醍醐寺の国宝の間で対談をしていただきました。なかでも印象的だったのは、撮影が終わった夜のこと。杉本さんが連れてきたのは、茶道家の千宗屋さん。そうです、文字からお分かりのように、千利休の末裔のお方(十五代目!)。

時をテーマにした作品で知られる杉本さんとおおよそ400年の時空を飛んで現れた千利休のご子孫……。このときばかりは、しばしタイムスリップしたような感覚になり、お酒が入らずとも、なぜかホロ酔い気分になった、古都・京都の夜だったのでした……。

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杉本博司さん、「劇場」作品を前にして。私のデジカメで撮影するなんてちょっとバチがあたっちゃいそうですが、失礼して(笑)。


杉本作品を通じて理解しあえた人々

杉本さんの作品には、つねに時を意識させるものが多い。森ミュージアムでの回顧展のタイトルはズバリ「END OF TIME~時間の終わり」、じつに深~いタイトルでした。ゆえに、私にとって時間を共有でき、おなじ空気が吸え、お互い深い部分で繋がるような予感がする人に出会うと、必ずといっていいほど杉本さんの作品集『HIROSHI SUGIMOTO』をプレゼントすることにしています(常備家には英語版を3冊はストックしてます)。いままでにプレゼントした人には、ポール・スミス、トム・ブラウン、キーン・エトロ(エトロのデザイナー)、ALESSANDRO AGNINI(アートディレクターにしてボッテガ・ヴェネタの大島さんの旦那さん)などなど。もちろん、彼らとは杉本さんの作品を通じて、より深く互いを理解し、友情を深めてきたのです。そのほかにも杉本作品を通じて印象にのこっている人がいます。イギリスの俳優ジュード・ロウです。

一昨年、ダンヒルの表参道ヒルズ店のオープニングにあわせて来日したジュード・ロウ。ひょんなことから一緒に食事をする機会を得た私は、彼がモダンアートに造詣がふかいことを聞いていたので、会うやいなや「アート、好きなんだって? 杉本博司って知ってる?」と唐突に質問をしてみたんです。すると、ジュード曰く「もちろんだよ!大ファンだよ、杉本作品の。えっ!コネクションでもあるの?」と私に返して。そんな流れで数日後、私がジュードをギャラリー小柳に案内することになりました。残念ながら杉本さんは不在でしたが、小柳さんや橋口さんを通じて杉本作品を紹介していただき、ジュードも大満足。やはり世界で活躍する俳優ともなると、アートから音楽、ファッション(実際、ギャラリーを見た後はラブレスで大興奮してたそう)まで精通していてすごいなあ、引出しの数がちがうなあ、と関心しきり。それからジュードとは杉本博司の作品を通じて、"どこか通うものがある友だち"と自分勝手に思っています(笑)。

永遠のリトマス試験紙

冒頭でも書きましたが、私にとって杉本さんは永遠のヒーロー。
ですので、想いの丈が高すぎるのと、自分の文章が稚拙すぎて、こうやって書けば書くほど、杉本さんの本当の凄さと魅力を伝えきれてないなあ、と自分の無力さに自己嫌悪になったりして……。

それほどまでに杉本さんの作品には”時=人生”を理解するヒントがいくつも隠されているのです。私には杉本さんが熟考を重ね、偶然性を愉しみ、絶えることなき努力と折れることなき信念を強くもつ杉本博司像がつねにあります。それは作品だけでなく、杉本さんが紡ぎだすことばも同様に、です。じつに味わい言葉がならぶ、杉本さんの文章は、作品をより深く理解するうえで、また暗闇を照らす一条の光のような"ありがたさ"を私は感じ得るのです。

今回、お会いしたとき、杉本さんの作品がきっかけでじつにたくさんの人たちと結びつくことができたこと、そして杉本作品への理解の度合いが、私のなかで”こちら側と向こう側”を分けていることをお話すると、杉本さんは「じゃあ、私はリトマス試験紙みたいなもんだな」と笑い飛ばしてくれました。そんな懐の広さとウィットが効いた会話が私にとって、なお杉本さんに魅了される要因のひとつとなっているのです。

今回はギャラリー小柳にお願いして、その作品と共に杉本さんの言葉の一部を掲載させていただきました。以下はすべて杉本さんの作品群、そして珠玉の言葉の、ほんの一部の抜粋です。あまりに深い言葉と作品に対峙するとき、私はいつも深く呼吸し、心静かにし、正座状態で向かい合うことにしてます(笑)。


SEA OF BUDDHA ~仏の海~

私がニューヨークに移住した1970年代半ば、ニューヨークのアートシーンにはミニマル・アートとコンセプチュアル・アートが主流だった。抽象化された観念を眼に見えるようにするとどうなるか、という実験である。私は同じような動機で制作された美術が12世紀の日本にもあったことに気がついた。西方浄土という観念化された死後の世界を、この世に模型として再現してみるとどう見えるか。それは千手観音像の一千体のインスタレーションという形で、八百年の歳月を経た今日に伝わっている。

7年もの時間をかけて私は、撮影の許可を得ることができた。撮影に先立って、近世や近代に付け加えられた様々な装飾を取り除いた。現代の蛍光灯もしかりである。こうして私は、東山から差し昇る朝日を受けて燦然と輝く千体仏を、平安貴族たちが見ていた時と同じように再現してみたのだ。現代の観念芸術は八百年後にも残るだろうかと思いながら。

IN PRAISE OF SHADOW ~陰翳礼讃~

谷崎潤一郎は、現代文明のもたらす暴力的な人工光に最期まで抵抗したひとりだ。私もアナクロニズムが趣味だ。最先端の現代に住むよりも、誰もいなくなった過去に住むほうが、落ち着いていられる。火を人間のコントロール下に納め得たことが、人類をして他の動物に対して圧倒的に優位に立たせたことは間違いないだろう。

それ以来、数百万年、人類の夜は火の光に照らされてきた。私は「蝋燭の一生」を記録してみることにした。ある真夏の深夜、すべての窓は開け放たれ、その夜の風が招き入れられた。蝋燭に火がともされると共に私のカメラのレンズも開かれる。蝋燭の火は風にゆらめきながら数時間の後に燃え尽き果てた。そしてその後には、深い闇が残った。私はその深い闇を満喫しながら、ゆっくりとレンズを閉じた。蝋燭の一生は夜ごとに様を変えた。短くも激しく燃える夜、静かに、そよともせずに燃える夜。しかしどんな夜にも、美しい夜明けが訪れた。

THEATERS ~劇場~

私には自問自答の習癖がある。自然史博物館の撮影を始めた頃のある晩、私は半覚醒状態であるひとつのビジョンを得た。そのビジョンに至る自問はこうであった。「映画一本を写真で撮ったとせよ」。そして自答は次のようであった。「光輝くスクリーンが与えられるであろう」。私はさっそく与えられたビジョンを現実に起こすべく、実験に取りかかった。イーストビレッジの1ドル劇場に、旅行者を装って大型カメラを持ち込むことに成功した。映画が始まったのでシャッターを開けた。絞りは取りあえず全開だ。2時間後、映画の終わりと共にシャッターを閉じた。その晩、現像をした。そしてそのビジョンは、赫奕(かくえき)として私の瞼の裏に昇った。

どうです?
この写真と文に向き合ってビビっときたらあなたも、もうスギモト熱にかかっていますよ(笑)。

いつも杉本さんに次回の作品のことを尋ねると、きまってこう言ってくれます。
「おどろかせてあげるよ」、と。
期待以上、そして謎かけのような作品に私はずっとノックアウトされっぱなしです。
だから、杉本さんは私にとって永遠のヒーロー、なんです。

3年前、パリのカルティエ財団の現代アートがはじめて海を渡り、日本で初お披露目された際、私はカルティエの広報誌上で、その館長であるエルベさんと対談する機会に恵まれました。村上隆など多くのモダンアート作家を発掘してきた現代アートの目利きとして知られるエルベさんは、アーティストによっては、多くの指示と作品制作の方向性を与えるという噂を聞いていたので、杉本さんについても同様に指示したのか、伺ってみました。エルベさんの杉本さんについての答えは、じつに簡潔なものでした。

「われわれが杉本博司に教えることは何ひとつない。
 ただ、われわれが杉本から教えをこうだけです。」

杉本さんのもと、修行僧として、ずっと教えをこうていきたい……。
真摯に私はそう思っています。

2008年1月12日までギャラリー小柳(Tel. 03-3561-1896)では、劇場シリーズの数点が展示されています。
ぜひとも実物を拝観していただき、時空を飛んでいただければ、これ幸いです。

           
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